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『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第45回

  ㉖ NACHT MUSIK(過去)


「えー、ではここで、俺たち十五年組の担任であるリザ先生から挨拶を頂きます。先生、ステージにどうぞ」

「えっ、私?」

 学年委員──とはいっても、生徒の青葉児童養護学校への入学年度は人頭狩り(マンハンティング)に遭った時によって変わり、最年少の三歳から入学する生徒も、十歳以上になってからの生徒も居る為年によって必ずといっていい程学年の人数が増加する。その為厳密には何処かのタイミングで”学年代表”を決める事は出来ず、学年委員はその生徒が勝手に名乗っているだけだ──の男子生徒にマイクを手渡され、リザ先生が戸惑ったような顔になる。

 それでも生徒たちは拍手喝采し、うち数人は半ば強引に先生の背中を押して登壇させた。先生はやや照れたように後頭部を掻き、話し始める。

「あー、そうだね……私は青養に来てからそう長くはないし、何しろ先生になったのなんて初めてだったからね。慣れない事もあったし、最初は皆に引っ張って貰う事の方が多かったわ。皆すっごく頭がいいし、正直私なんかが担任になって大丈夫なのかな、なんて自信がなくなる事もあった。だけど、皆そんな私にちゃんと着いて来てくれて、優しく色んな事を教えてくれて……何だかんだしているうちに、持ち上がりで最上級学年の担任にまでなっちゃった。

 言わないように気を付けてはいたんだけど、ここに居る皆、何かしら抱えているものがあったから青養に引き取られた子たちだもんね。見た事のない人が来て、警戒されたり、信じられないって思われたりする事もあるかもしれない。そんな心配してたから、皆に会った時、私は凄く救われたの。いい子たちに巡り会えたな、って。そしてそんな皆ももう卒業で……本当に、誰も欠ける事なくよくここまで辿り着いたなって思ったら……何て言うか……」

「先生、泣かないでよ!」

 誰かが、(からか)うような調子で声を入れる。しかし、瞼を擦るリザ先生に釣られ、生徒たちの中からも確かに歔欷(きょき)が聞こえ始めていた。

「ごめんね、楽しい予餞会で、あんまり重たい空気にするつもりじゃなかったんだけど……とにかく、卒業おめでとう。私は、最初に受け持ちになった子たちが皆で良かった。皆の事を誇りに思うわ」

 抑揚たっぷりに彼女が言い終えると、生徒たちは再び盛大な拍手を送った。

 俺と佐奈は、何とも言えない顔で皆に倣い拍手を送る。ノードのマスクが再現する感情表現は、オーガニックでない故にそこそこ過剰(オーバー)気味な(勿論そう思った上で見ないと気付かないレベルではあるが)ところがある。リザ先生は目元を赤く腫らし、人工の大粒の涙に目尻を濡らしていた。

「エリアの本当の姿を知らない皆にとっては、リザ先生は理想的な担任教諭だった訳だもんね……」

 佐奈が、複雑そうな表情で言った。俺は(かぶり)を振る。

「俺が報告する時のあの鉄仮面は何なんだよ……」

「ふふっ、聞こえたら怒られちゃうよ」


          *   *   *


 二〇九二年、二月二十九日。閏年の余分な一日は、ずれ始めた時計の針を人の手で矯正するような、超現実的なものに対する無理矢理の帳尻合わせのようにも感じられるので、俺はいつも危ういような気がしている。

 そのような危うい、ぐらつくような一日──俺たちの学年の集団出荷が行われる一週間前の今日は、日柄に(たが)わず危ういようなお祭り騒ぎの中にあった。佐奈が居なければ儚く崩れ落ちてしまったであろう笑顔と、心の底からの喜び。青葉児童養護学校の予餞会は例年通りに開催されていた。

 いつもの教室はクリスマスの時以上に華やかに飾り付けられ、生徒たちのリクエストを聴いた上で先生たちが奮発して注文した料理が机一杯に並べられている。下級生たちからの、今や珍しい手書きのメッセージカードはそれぞれの生徒の傍らに山のように積み重ねられていて、如何にここの子供たちが横のみならず縦の繋がりも大切にしてきたのかという事を物語っている。

 不条理極まりない人頭狩り(マンハンティング)によって集められ、記憶を消された子供たち。しかし彼らは、スラムで生活していた頃から持っていたのであろう本質的に誰かとの”環”を求める心を──人間性(ヒューマニティ)を喪失する事はなかった。()()()()()の実態がどうであれ、()()()()()()()()というコミュニティは間違いなく、彼らにとっての家族という(えにし)だった。

 その一員に、俺は佐奈のお陰で加わる事が出来たのだ。

 俺と佐奈はこのパーティーが終わったら、まず同年代の皆にエリアの真実と俺たちの脱出計画を話すつもりだった。きっとそれは、彼らにとって信じていた未来を粉々に打ち砕く事であり、記憶操作によって偽りの「不幸な過去」を思い出した時以上のショックを与えるものとなるだろう。慎重さを欠き、何かを間違えば、絶望して自ら命を絶とうとする者も現れるかもしれない。その懸念は、俺たちが目を逸らしていたある意味最大のネックでもあった。

 だが、結局佐奈は最後には言ったのだった。

「私は皆の事、信じるよ」

 他の可能性など有り得ない、という程に、自信に満ち溢れた声音だった。

「その根拠は?」

「皆、私たちの家族だから。それ以上の証明が必要?」

「そうだけど……精神論じゃないか、それは。佐奈らしくない」

「だよね。結局、究極的には無根拠である事は分かってる。だけど、それは絶対に無責任なんかじゃないって思う。それにね、私は那覇人が思っている以上に、精神的な事を信じるよ」

 切り札に「原理(ドグマ)」って名づけるくらいだもん、と彼女は笑った。

 それで説得されてしまうくらいには、俺も人間になっていた。


          *   *   *


「ナハト」

 男子生徒の一人が、カクテルグラス──無論ノンアルコールだが──を手に近づいて来た。佐奈と二人で座っていた俺は、そちらに顔を向ける。

 ID二〇七八〇五六、登録名リオン・カンタベリー。本名不明。授業で時折一緒になる事があり、俺が長年に渡って友達の振りをしていた相手の一人だ。今では本当の意味で、佐奈のように彼もまた家族であると思う事が出来る。

 脱出した後、彼の本名も聞こう。そして、その名で呼ぶ事にしよう。

 俺はそう心に決める。

「何だ、リオン?」

「物件選びの件なんだけどさ、未だに決まってないんだ。職場か駅近で、家賃がいいとこ全部取られちゃってさ」

 彼は、非常に言いづらそうな事を口にするように言った。

「選り好みしすぎるからだよ」

「内定も出たの、大分遅かったしなあ。先生たちの手続きもあるし、今日中には締め切りになっているんだけど、どうにも決まりそうにないんだ。で、俺とお前、職場も近い事だし、図々しいかもしれないけど居候させて貰ったり……とか? 頼めねえかなって」

「あ、ああ……いいよ」

 俺は、内心で彼に謝りながらも応じる。彼は、自分から持ち掛けてきたにも拘わらず「いいのかよ?」と本気で驚いたように言った。

「何だよ、駄目元で聞いてきたのか?」

「それはまあ、何だ、お前……もしかしたら卒業後、結婚するんじゃないか、とか思ってたからさ」

「け、結婚!? 何でだよ!?」

 本当に驚愕し、声が裏返る。俺のそんな様子が珍しかったからか、佐奈が小さく噴き出した。リオンは彼女の方をちらりと見、心なしか声を小さくして言う。

「バーニーやファンガスたちも噂してるんだぜ、ナハトとサナ、ずっと一緒に居るから……不純異性交遊は勿論規則違反だけど、もし卒業して二人が家庭を持つ事になったりしたら、それは誰にとってもめでたい事じゃないか。だから、温かく見守ろうとはなっていたんだが」

「……そうなの?」

 俺は、しどろもどろになりながら佐奈の方を窺う。彼女は恥じらうように俯きながら、「実は言われてたりもした」と棒読み(ふう)に言った。

「変に気まずくなると嫌だから、那覇人には言わなかったけど」

「マジか……全然気が付かなかったな」

 長年オブザーバーとして生徒たちを観察してきた俺とした事が、と不覚に思った俺だが、よくよく考えれば佐奈と繋がってから、俺は自らエリアシステムの一部品であるオブザーバーである事をやめたのだ。以降皆を疑いで貫き通すような目では見なくなった、というのも理由にあるのかもしれない。

「で、本当のところはどうなんだよ?」

「それは……特にそんな事は考えもしなかったけど。なあ、佐奈?」

「そう、ね。だけど私、那覇人となら」

 彼女は意図せず口を突いたらしいその台詞に、自らはっと気付いたようだった。

 今までにない程顔を赤らめて俯き、やがて上目遣いで俺を見てくる。

「しよっか、結婚?」

「佐奈……」

 冗談で言っているのか、と思ってから、俺は気付いて息を呑んだ。

 俺たちが救出する中には、あの光村も含まれるのだ。当事者同士は自覚する程の結びつきを経ていなかった事ながら、間違いなく俺と彼女の遺伝子を継いだ、血の繋がった子供が。

(家族……か)

 リオンが思っているような将来は、俺たちには訪れない。けれど、俺と佐奈はここの皆とのそれを擬似的なものだと軽んじる訳ではないが、それとは全く別の問題として光村に”家族”という言葉を使ったのだ。

 ──今を変える事だけが、未来に進む事ではない。

 今を打開した上で、そこを出発点として未来に進まねばならない。

(俺が、作戦が終わった後で佐奈に出来る事は……)

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