『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第44回
「ジョーイ・マツリハの破壊、否、死は、エクセリオン社会にとって実に歴史的損失であった! 我々はこれを、悲劇で終わらせてはならない!」
白髭は、大声でそう宣言した。
かつての関東ネオヒューマノで、理事長クレシッド・ハスウェルのナンバーツーだったグループの重役ハミルトン。何故彼がここに居るのか、何故ハンターとつるんでいるのか、問い質したい気持ちで一杯になったヘンリーだが、彼はこちらが口を開く前に更に続けた。
「少々イレギュラーな対応となるが、以降当エリアの指揮は我々グループ管理部門の直轄となる。不測の事態でありやむを得ないものとし、入場許可手続きを省略した上で登録猟友会に応援を要請する事とする。無論商品には手を出さん、諸君ら正規職員は……」
「待て待て、待ってくれ!」
ヘンリーは、無理矢理白髭の台詞に割り込んだ。やはり自分はやや僭越な出方をしてしまう、とちらりと思ったが、気にしている余裕はない。
途端に黒スーツとハンターの目がこちらを向いた。黒スーツは複眼レンズの絞りを、ハンターは人工皮膚の眼窩をすっと細める。何やら、大きな爬虫類が獲物を前にしたようにも感じられた。
背筋がすっと冷たくなるのが分かったが、一度容喙した以上中途半端に引き下がる訳には行かなかった。
「いきなり何のつもりだ? あんたたちは一体何を企んでいる? 会長がやられたのは、ほんの数分前の事だぞ。通信はこちらでしか行っていないし、さっきの事を受けてあんた方が猟友会に応援要請を行ったのだとしたら対応が早すぎる」
「何が言いたい?」
白髭は、あくまで軽く尋ねてくる。
次の瞬間、信じられない事にハンターの猟銃が抜かれた。威嚇するように、ヘンリーに向かってその銃口が構えられる。ジェシカがひっと喉を鳴らし、他の職員たちの顔にも一様に緊張が湛えられた。
「まさかとは思うがあんたたち……こうなる事を分かって、準備していたんじゃないだろうな?」
マズいと思ったが、ヘンリーは言葉を止められなかった。本当は、まだまだ聞きたい事も沢山あった。会長を襲ったあの謎の少年は一体誰なのか、彼も白髭たちが解き放ったのか。それが狂ったように暴れ回り、会長を死に至らしめたのはいわゆる「予期せぬ事故」であったのか。
ジェシカが、小声で「そのくらいにしましょうよ」と制止してくる。
しかしその時には、既に後続のハンターたちがぞろぞろとオペレーティングルームに踏み込み始めていた。
「既に事態は、諸君らの手に負えるものではない。大事なのはその事実だ」
「それでも、エリアの職員でない者に指揮権は渡せない。まだロズブローク先生とも連絡がつかないし……」
「惨い事だが、ヴェルカナ・ロズブロークは破壊された。私がこのエリアに居たのは不幸中の幸いだったな」
白髭の言葉に、部屋に居る全員が凍りついたように動きを止めた。
──ヴェルカナ先生が破壊された? 馬鹿な。
それでは、頼るべき存在は皆居なくなってしまったという事ではないか。
「このような事態を招いたのは、ひとえに青葉エリアのセキュリティ不備に原因があったといえよう。我々管理部門も定期的に監査を行うとはいえ、日頃から諸々の内部調査と報告義務を怠らなければ、会長を始めとする多くの者が犠牲にならずに済んだのだ。ここは、もう経営を維持出来ないものと覚悟されよ」
「無論、当エリアの管理教育システムが国内最高級ブランドの培養に欠かせぬものである事については、疑問を呈する余地もありません。我々はこのまま処分を行わせたりはしません、工場送りになりたくなければ、この場は全て管理部長にお任せする事をお勧めします」
黒スーツは、淡々と白髭の後を引き継いで言った。
このエクセリオンとの会話後、会長は自ら出撃する事を選び、あのような最期を遂げたのだ。何らかの”教唆”が行われたかもしれない、と考えると、ヘンリーは増々この個体が不気味に思えてきた。
「……あんたたちなら、事態を止められるのか?」
別のオペレーターが、訝しげに問うた。
「止めてみせよう。だが、諸君らの処遇については後から決めねばならない。安全も考慮し、諸君らにはひとまずこれからここを出て、東京のグループ本社に向かって貰うものとする」
「俺たちに、出て行けって言うのか!?」
「安全の為だと言っただろう。本来ならエリアマネジメントへの職業適性を見直さねばならず、工場送りになるであろうところを私が善処しようと言っているのだぞ。安心したまえ、ハンターたちは優秀だ。被食種の侵入者如き、あの軍用ロボと連携さえ出来れば三十分で仕留めてみせるだろう」
白髭は、怯える職員たちを安心させるように言う。だが、ハンターが依然ヘンリーに向け続ける銃口は、文句なしに脅迫のニュアンスを含んでいた。
皆が、現れたハンターたちと睨み合う。向こうの方は無言で圧力を掛け続ける。こちらが耐えられなくなって芳しい返事をするまで、意地でも何も口にはしない、といった気概だった。
「いい加減にしろ」
遂に、先程のオペレーターが限界を迎えたように動いた。ヘンリーに銃を向ける最初の個体に向かって、掴み掛からんばかりの勢いで駆け寄って行く。
刹那、別な一体が素早く動いて彼を大内刈りで床に倒し、両手首を捻り上げた。
「やめてくれ! 分かった!」
ヘンリーは、無我夢中で叫んだ。とはいえ、諫めるようなジェシカの目が視野の隅に見え、それで決意が固まったので決して衝動的な発言ではなかった。白髭は表情一つ変えず「そうか」と言い、目配せしてハンターを下がらせた。
「分かったというのなら重畳だ」
「ああ、分かったよ。あんたたちに任せる」
言いはしたが、ただ引き下がる訳には行かなかった。
「但し、俺はだけここに残る。会長や先生が居なくなったからには、指揮はあんたに任せるしかない。だけど、やっぱりこれは不自然だ、皆が心から納得出来るやり方じゃない。だからせめて、俺の方でチェックさせて貰う。あんた方が、不審な行動をしないかどうか」
「口の利き方を教えた方が良さそうですね、お若いの」
黒スーツが、速足でこちらに近づいて来た。
が、白髭が「やめておけ」と制止した。
「我々を信用出来ないというなら、それもまた大いに結構。だが、頼るべき上層部は皆破壊されてしまった。ここに居る同僚たちを救いたいというのなら、我々に従った方が身の為だと思うのだがね。別にどうしても残りたいなら、別に止めはしない。気の済むまで観察してくれ」
彼が手を振ると、最初のハンターと黒スーツは外で待機している仲間を呼びに行く為かオペレーティングルームを出て行った。同僚たちがそそくさとここを引き払う準備を始めるのを見ながら、ヘンリーは無力感に苛まれた。
「結局俺、何も出来なかったじゃないか」
「そんな事はありません!」
不意に、ジェシカが口を挟んできた。
「えっ?」
「先輩の出番はこれからです。あたしたち、東京で待ってますから……絶対に、生きて追い駆けてきて下さい」
「ジェシカ……?」
彼女の眼差しは、極めて真摯だった。至近距離で切実に訴えられ、ヘンリーはあらゆる副機能──体熱や脈拍、声の上擦りなどが数値を上げてきたように思う。まさか自分も新たな有機化を、と無粋な事を考えかけた時、またジェシカという視覚情報から伝媒された「可愛い」の感覚質が頭を流れた。
しかし、彼女の方は気付いていないようだった。ただ、人工皮膚の再現運動とは思い難い程の真剣な表情を、その顔に浮かべていた。
「警戒すべきは侵入者よりも、このエクセリオンたちですよ」
「それは……そうだね」
ヘンリーは、唇を噛みながら肯く。
先程、最初に現れたハンターはこちらを猟銃で狙った。更に、あちらに食って掛かった職員を投げ飛ばした。後者に至っては、痛みも感じる事はなく、コアを破壊しなければ生命へのダメージがないエクセリオンには、無力化の手段としても殆ど意味を成さない業だ。
彼らは、その銃を脅しでエクセリオンに向ける訳ではない。いざとなれば、同族を殺す事も厭わない”本気さ”を備えているのだ。それはつまり、彼らが法律を──その執行機関である内閣府を恐れていないという事になる。
彼らのこの自信は、何処から来ているのか?
(慎重に見極めなきゃな……一体、こいつらが何を企んでいるのか)
机の陰で、両膝を握る手にぎゅっと力が込もった。




