『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第43回
㉕ ヘンリー
「……非常事態発生。学校内へ繋がる全てのゲートを封鎖して下さい」
オペレーターの一体が、マスクに陰鬱な色を浮かべて言った。
恐慌は巻き起こらなかった。ここまで連発した非常事態と、そのことごとくといえる程の悪い方向への急転によって、皆の”最悪”に対する感覚が麻痺していたのかもしれない。ただジェシカのみが、オーガニックでない故に涙こそ流さないながらも両手で顔を覆い、嗚咽するように肩を痙攣させていた。
オペレーティングルームの空気を支配しているのは、諦念だった。
モニターの画面が赤い炎の色で埋め尽くされ、謎の少年が爆風に吹き飛ばされてオートフィギュアの本体に引っ掛かった途端、生き残っていたサブカメラまでもが塞がれて何も見えなくなった。ただ、その座標を示す光点だけは移動する様子を見せ、共有されたIFFの画像に一気に増えた敵性個体に向かって接近しては「LOST」の表示に変えていった。
D棟で何が起こっているのかは、最早明白だった。そして、それを裏づけるように職員たちからのHMEが一斉に着信した。
『オートフィギュアが暴走を開始しました。制御不能です』
『職員たちが次々に破壊されています』
『SPUの方々はどうなったのですか?』
『早く助けて』
あまりに大量に寄せられるホログラムメールに、HMEのサーバーは間もなくダウンした。ヘンリーは、軍用ロボの重火器の前には気休め程度にしかならないと思いながらも各所のシャッターを下ろすように指示を出した。
それが、真っ先に切り捨てるべき者たちをD棟の職員たちに定めたという事を意味しているのだと気付いたのは、その指示が実行に移された直後だった。
「……もし、あのマシンが裏に居るエクセリオンを殺し尽くしたら、その後はどうなるんだ?」
誰かが、ぼそりと呟いた。ジェシカがきっと顔を上げる。
「そんな怖い事、言わないで下さい!」
「決まっているだろ。フェンスをぶっ壊して学校本体の方に向かって、パニックを起こした商品どもを皆殺しにするんだ」
彼女の抗議を無視するように、別の誰かが続けた。
「その前に燃料が切れる事を願うしかねえな」
「それじゃまあ、時間稼ぎ程度でもやっとく方がいいのか」
聴きながら、ヘンリーはAR事件の直後、新世界連合によって全てのエクセリオンから解除されたディファレンスプログラムに代わり、エクセリオン同士で互いの核を破壊してはならない、という新たな制約を組み込もうという話が政府で議題に上ったという事を思い出した。
秩序の為には、それは必要な制約ではないか、という意見はあった。数多ある犯罪のうち、最も不可逆的なものが殺人だ。そしてその行為が正当化される時、国家を疲弊させる戦争が起こる。ならば、最初から殺人を法的にではなく物理的に不可能にすればいいではないか、という主張は、当然といえば当然だった。
しかし、この”殺人”という行為は、コアを物理的に破壊しなければ死ぬ事のないエクセリオンにとって、一見「コアを破壊してはならない」という単純な命令で防げるように見えて、そうではなかった。
コア破壊防止プログラム──法案上の仮称で、略称CDPプログラム──は、具体的にはどのような条件で実行されるのか、という事が問題点だった。何かしらの武器を自分以外の個体の頭部に向けた時か、もしくは他者のコアに機能停止命令を書き加えようとした時か。後者の場合、それこそ現在エリアを騒がせている侵入者程のハッキング能力を有していなければ不可能だが、実際には他者のコアを破壊する方法など無数にバリエーションがある。
高所から相手を突き落とす、頭部以外の部位から感電させてバグを起こさせる、故障した巨大ドローンを対象の頭上で飛ばす、腐食液や高温の金属を浴びせる、時限爆弾で全身を爆破する、など。それこそミサイルなどを用い、明らかに有人の街に大量破壊兵器を撃ち込めば、特定の個人を認識せずとも大量のエクセリオンのコアを物理破壊出来てしまう。
殺意の有無というのは、それによってCDPプログラムを実行させるにはあまりに曖昧で、恣意的な解釈が可能な基準だった。法令の場合、イレギュラーへの対応を想定して匙加減が利くよう敢えて暈しているような節は旧時代からあったが、プログラムに例外は許されない。
結局、制約は設けず個人の良心を信頼する、という方向で落ち着いた。あまりに機械的な制約を設ける事は、機械的生命の規約的側面を助長し、エクセリオンの種としての悲願である完全有機化を阻害する。
その結果、外患を想定した鎖国政策と国防軍の結成が不可欠となったのだ。この日本で、旧人類の科学技術のみで造られたエクセリオンは、研究次第で外国の科学者たちにも生み出せる。そうなれば、戦争はこの上なく機動対応に特化したAIに任せられるようになり、人的損害を閲する必要がなくなる為抑制が緩む。エクセリオンによる文明を終焉させるべく海外からエクセリオンの軍隊が送り込まれた時、良心への背馳とは異なる次元で我々は殺人を強いられる。
オートフィギュアは、コントローラーを握るのはエクセリオンとはいえ、敵性個体と定めた相手に対しては全自動で攻撃を行う。殺人を行う為の職業適性を有しながらも必要悪と定めねばならない国防軍への、「設けようと思えば設けられる制約を敢えて設けない結果」という存在への忌避感を緩和する為に生み出されたといえばそうともいえる兵器だった。
ヘンリーは、自らが殺したいと思う程憎い相手に出会った事がない上、職業適性に従って最適な形で社会を回すエクセリオンに宗教や対人関係といった原理的な紛争はなかなか起こらないのだから、捻ったケースなど考えずに「武器でコアを狙ったら作動する」という単純な形でCDPプログラムを設定してしまえば良かったのに、と思っていた。
しかし現在では、それでも尚制約のないオートフィギュアが──制約を設けようのない殺人の為だけの機械が、その存在意義を最悪な形で誇示している。死ななくて良い職員たちが、次々と無残に殺されている。
「俺たち、どうなるんだよ……?」
コールブランドが破壊された直後にヘンリーに食って掛かってきたエクセリオンの一体が、絶望混じりの焦燥で飽和した声を出した。誰に尋ねるとでもなく紡ぎ出されたその疑問形の台詞に、応じる声はなかった。
誰もが、目を逸らそうとしていた。答えてしまったら、恐らく誰もが描いているであろう最悪の未来が現実になってしまうような気がしていた。
気まずい沈黙が、暫らく続いた。
点火すれば爆発しそうな程に空気が張り詰める中、
「失礼する!」
突然、オペレーティングルームの入口が開いた。神経過敏になっていた皆がぎょっとするのにも構わず、三体のエクセリオンがずかずかと入って来る。
一体目は、会長を尋ねてきた黒スーツの個体だった。依然人面マスクは装着していない為、表情は窺えない。二体目は、禁猟区に立ち入る事の許されない猟銃を担いだハンター。出で立ちからして、近隣を縄張りとする猟友会のようだ。そして最後の一体は、白髪白髭の仮面を被った見覚えのあるエクセリオンだった。
何処で見たのかは、すぐに思い出せた。グループのホームページに、このエクセリオンの顔写真が載っていた。




