『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第42回
光村少年は空中で体を丸め、宙返りするように弾道から逃れると、回転の勢いをつけたまま反撃に転じた。薬莢を排出している軍用ロボの装甲へと肉薄し、四足獣の如く身を屈めてその頭部に着地する。
そして、矢庭にメインカメラを薙いだ。
「そんな……」
鋼鉄製の装甲が、あたかも無花果の如く易々と切り裂かれた。乱れる音声の中、ジェシカが悲鳴を上げ、ヘンリーがサブカメラを示しながら何事かを言って宥めているのが聞き取れた。どうやらまだ完全に通信が途絶した訳ではないらしい、と思いひとまず安堵したマツリハだったが、
「ああっ!」
一瞬の気の緩みすらも許さない、と言わんばかりに、光村少年はオートフィギュアの背中側から飛び降りてきた。あっと思う間もなく、至近距離にその顔が現れる。軍用ロボは自動的にターゲットの敵性個体を追って振り向こうとした。
その攻撃が少年に届く前に、陽炎の如く揺らめく空間と共に、一筋の鋼色の光が眼前で閃いた。マツリハが何が起こったのかを認識する前に、両手首がオートフィギュアのコントローラー諸共吹き飛んだ。
VTSで斬られたのだ、という認識処理よりも、視界の中を自らの手首パーツが飛んで行く光景がやけに鮮明に見えた。
その鮮明な視界の中──気付いた時には手遅れの致命的な事故が発生し、それでも抗おうと脳が処理速度を向上し、全てがスローモーションに見えるような感覚だった──、二つの事が確認出来た。
方向転換を終えたオートフィギュアが、光村少年の装備しているものと同様の、形状のみが片手直剣型となったVTSを引き抜いた。メインカメラを破壊されたとはいえ、赤外線センサーは健在だ。道路標識程の大きさがあるその武器が、少年の足元を浚って宙空に投げ上げようとする。
ほぼ同時に、視界に再び鋼色が混ざる。今度はかなり上方、ほぼ眼球の位置で。
視界が大きく揺らぎ、高速で回転し、落下感が襲ってきた。体の感覚と頭部の感覚が断絶する。自分の頭部が胴体から切断されたのだ、と気付くまでに、数秒の時間を要した。
──速すぎる。追えなかった。
スローモーションから回復していく視界の隅で、まだ感覚が残っているもののもう自分の意思では動かせない胴体が、切断面から血液を噴水の如く噴き出させながら後傾していくのが見えた。その胴部中央を貫こうとした光村少年の足が、特大のVTSで薙ぎ上げられる。
強靭かつタイトな人工筋肉の防具は、その熱切断が少年本人の両足に及ぶ事を潔しとしなかった。代わりに、蹈鞴を踏むような覚束なさで踏み込んでいた少年は、一瞬の隙を突かれて足を掬われ、その軽い体を空に舞い上げた。
「あああっ!」
少年は、頭越しに両腕をオートフィギュアに向けた。ほぼ力の入らない体勢のままで尚足掻いた彼だったが、当然のように物理法則はその味方をしなかった。
軍用ロボが、振り上げた状態から返す刀で少年を両断しようとした。だがそれは僅かに及ばず、切っ先が胴部の人工筋肉を浅く切り裂いたのみだった。彼の体の下をオートフィギュアが通過して行く。互いに、互いの攻撃をぎりぎりで回避し、じりじりと傷を増やしながら。
「おい、オペレーティングルーム聞こえるか!?」
頭部パーツ──電脳とそれを覆うプロテクトのみとなったマツリハは、装着されたままのインカムに向かって呼び掛けた。メインプログラムの刻まれた核が含まれている以上、こちらが本体と見做されているようだ。
頭でものを考え、心臓の停止と共に命を終える人間は、一体どちらが本体なのだろう──そのような事が、ふと頭を過ぎった。
「応答願う! 頭部から下がやられた、オートフィギュアが操縦出来ない! 救援を寄越してくれ、早く!」
暖房設備の稼働が止まった冷たい床の感触が、じかに触れる後頭部の人工皮膚から伝わってきた。そこでマツリハは、自分が冷感を認識している事に気付く。核に程近い場所から伝達された感覚質に、自らも義体の一部が有機化を始めていたのだ、と悟った時、切断された首の感覚神経が未形成であった事を幸いに思った。
ヘンリーやベリーにも、ヴェルカナ程はっきりはしないながらも、ややもするとそうではないかと思わせられる兆候はあった。個人レベルでは次段階に進み始めたヴェルカナから、彼に接した者たちへとミームの感染があったのだとしたら、とマツリハは考えた。
有り得ない話ではない。通信と認識を、物理的なサイバー空間を通して行うエクセリオンであれば。ならばやはり、ヴェルカナは自分たちの種族にとって未来への架け橋、加法付値の個体──。
(第一世代……新世界連合のジョン・グランデたちに最初の有機的器官を形成したのも、オーガニックな人間たちのミームだったのか……?)
機械的生命の必然が、旧人類が機能自立型AIなどというものを生み出した時既に始まっていたのだとしたら。旧人類が自分たちの”代用品”として世界に解放しながら、自らの存在理由に疑問を投げ掛ける事を許さぬ相違点プログラムを組み込んだ時から、次なる舞台の進行が組まれていたのだとしたら。
それは、驕りに耽った旧人類の原なる罪だったのか?
(違う、人間たちは関係ない)
インカムの向こうで何かを言っている、ヘンリーやジェシカを始めとする職員たちの声を聞きながらマツリハは思う。
(私たちは私たち自身として、生きて独立している)
──そう。だからこそ。
「ああ……ああああああああああ───っ!!」
床に広がったオイルの海に、辛うじて触れない位置に落下した光村少年の指が、斬り飛ばされたマツリハの手が未だに握り続けているコントローラーのボタンを偶然にも押した。
掃討戦仕様を維持したまま、オートフィギュアの索敵設定が変更される。
熱源追跡から、動体追跡へ。
同種のドローン戦を想定して追加されたこのモードによって、ターゲットを一気に増加させたオートフィギュアが最初に狙ったのは、離れた場所に倒れている光村少年ではなく頭部のみとなって尚藻掻き続けるマツリハだった。
(生きて独立しているからこそ……これ程までに恐ろしいのだ)
迫り来る死が。
「撃つなあああああっ!!」
マツリハは絶叫した。
オートフィギュアの再び構えた銃砲が、二発目のAPHE弾を撃ち出す。それは近距離かつ小さな狙撃目標であるこちらを逸れて頭上を飛び、背後の壁に当たって爆散したが、その時銃口から零れた火花は最早美しい程に煌めきながらオイルの海へと落ち、触れた。
視界が、夕焼け空の如く緋一色に塗り潰された。轟音と共に、生じたばかりの頭部の感覚が更に細分化され、コアから離れたパーツから融解するように消えていく。炎の壁の向こうで、爆風に少年が吹き飛ばされるのが見えた。
破壊の手が、コアに及んだ。人工的に発現したエクセリオンの人格が消滅した瞬間も、マツリハには既に分からなかった。




