『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第41回
㉔ マツリハ
バイオセンサーは、国防軍から寄贈され、エリアにて改造を施されたオートフィギュアにも搭載されていた。赤外線を放たないエクセリオンはこれに感知される事がない為、侵入者の捜索は動く熱源反応を追跡する事で可能になる。
標的の選定は、バイオセンサーへの反応にのみ限定した上で掃討戦仕様に調節していた。つまり、これで侵入者を討伐した後、オートフィギュアは自動的に停止するという事だ。
(しかし、ロズブローク君は大丈夫なのだろうか?)
その点だけが、唯一の気掛かりだった。
彼の有機化が、人工筋肉の成分変化というところまで進んだのは分かっている。しかし、具体的に何がどうなれば体温が生まれ、赤外線の放出が始まるのかはマツリハには分からない。もし、彼がオートフィギュアのセンサーに引っ掛かるような事があれば一大事だ。
(君は一体何処へ行ってしまったんだ、こんな時に……しかし、少なくともこの辺りには居ないでくれよ、頼むから)
マツリハはコントローラーを持ち、巨大人型機械の探る熱を追いながら施設内を進んだ。侵入者の入って来たという輸送用通路の近くを通り、先程まで自分の居たオペレーティングルームがある裏F棟とは反対方向にある建物──D棟の裏口を潜って入り込んだ。
職員たちは、既に状況について連絡を受けている。それでも、決してパニックは起こさないようにと伝えてあったので、表向きは普段の業務を続けている。呑気なのではなく、そうしないと事をこれ以上複雑化せずに収める事は不可能である、と判断した為であった。
その落ち着きは、少なくとも今のところはこの棟に侵入者が入り込んだという事を窺わせないものだった。ただ、ジャミングの干渉を多少は受けているのか、インカムの通信には少々ノイズが掛かっており感度は良くない。オペレーティングルームに届いている映像は、オートフィギュアのメインカメラによって撮影されているもののみだった。
(ハミルトン君たちの予測通りなら、侵入者は裏F棟を抜けてE棟に移動、私が昨日ロズブローク君に立ち入りを許した予備バイタル測定室で記録を調べ、光村少年の保存された『胎』へ向かったはずだ)
マツリハは、自分の中でシミュレーションを行う。
(となると、何故こいつのセンサーはD棟を示したんだ? 確かに検索範囲が広いからこそ、離れれば離れる程誤認は生じるものだが……合っているなら、奴は何故引き返した?)
──まさか、オートフィギュアのセンサーもドグマの支配下に置いていて、フェイクの情報を表示させているのではないか。
不吉な想像が過ぎったが、それはないだろう、とすぐに否定する。そのような事をするくらいならば、起動前にプログラムを破壊しておいた方が早いだろう。わざわざ挙動を狂わせて動かす必要はない。
『十メートル先の曲がり角に反応あり』
ジェシカの声が、かなり乱れながらも届いてマツリハの思考を遮った。
『相手もそちらに接近しているようです。確認が出来次第、いつでも撃てるように用意を整えて下さい』
「分かった、そのまま観察を続けてくれ」
マツリハは言ったが、ジャミングのせいか向こうには届かなかったらしい。彼女からの『了解』という返事はなかった。
いよいよ、侵入者と対面する。マツリハは急く気持ちを抑えながら、オートフィギュアの後にゆっくりと着いて歩いて行く。
関東ネオヒューマノの全面的組織改革というエクセリオンの歴史に残る事業を成し遂げた直後に起こった、これも悪い意味で歴史に名を残すであろうインシデント。それが、自らの代で始めた計画によって引き起こされてしまったという事実は、周囲が思っている以上に自分の心に響いている。
その実行犯によって自分が狙われた為に、この国内最高級ブランドを出荷するエリアを潰す事になれば、もう取り返しがつかない。マツリハにとって今回の相手は、まさに因縁といえた。
(黒スーツの彼を、私情云々と言って責める資格など私にはないのかもしれん)
そう考えない事もなかったが、自分がここの職員たちの安全を第一に考えているという事は決して偽りではない。
緊張を適度に保ちながらジェシカに言われた曲がり角に差し掛かったマツリハだったが、そこで対象の姿を見た瞬間、思わず動けなくなってしまった。
「君は……」
そこに立っていたのは、マシンスーツに身を包んだ子供だった。比較的軽装なのではっきりと目立っているボディラインは華奢だが、引き締まった筋肉を硬質なスーツが固め、野生動物を思わせるしなやかさがある。肌の白さも相俟って抜けるような白に見えたその服装だが、左手に当たる部分は絵の具を零したように赤黒く染まっていた。
その顔は、下半分がガスマスクめいた無骨な装置で隠されていた。しかし、マツリハはそのような状態の顔しか見た事がなかった為に、その子供が自分のよく知る人物である事がすぐに分かった。
『……う? ……して、……ますか? 対象を……只今、ヘンリー先輩が……』
ジェシカの声に掛かるノイズが、増々激しくなる。しかし、マツリハはその声も最早遥か遠くで鳴っているように耳に届かなかった。
「光村……少年……?」
独白が零れ出してから、それではっと我に返る。
何故、彼がここに居るのだ、と思った。何故、彼が「胎」から解き放たれているのだ。何故これ程、戦闘に特化した装備で全身を鎧われているのだ。一体、誰がこのような事をしたのか。答えは明白だった。
話が違うではないか、と、あの男を問い詰めたかった。
光村少年を解放するのは、こちらの方で打てる手を全て打ち尽くした時と言ったはずだ。しかも今自分の目の前に居る彼の空気は、明らかに侵入者を討つ為だけに調教されたものではなかった。飢えの極限に挑まされ、目に入る生物へと貪欲に襲い掛かって行く獣の異質さ。
血走った目は、爛々と輝きながらマツリハを貫通していた。
殺意。不可視の侵入者に対する闘志ではなく、こちらに対する純然たる害意──。
「あ……あああああああっ!!」
「止まれ、光村君!」
叫んだ時には、既に遅かった。
光村少年が咆哮を上げ、両腕を振り被っていた。両腕に装備された、旋棍にも似た巨大な刃物が赤々と輝く。赤黒い左腕から、ミスト状の赤色がジュウッという音を立てて噴き上がった。
「アアア─────ッ!!」
今度は、紛れもなく悲鳴だった。マツリハはそこで気付く。彼の左手が大怪我を負って、血に染まっているのだという事に。そして、彼が皮膚に密着した武器を──VTS(Vibration Thermal Sword:振動性熱刃)を使用する度、体内で血液が沸騰する激痛を味わうのだという事に。
そして、それでも尚止まってはいけないと、彼は深層意識に刷り込まれた指令に操られているようだった。彼は果敢に飛び掛かって来ると、オートフィギュアに向かって片方のVTSを振り下ろした。
オートフィギュアは彼を捕捉し、自動迎撃システムを起動してAPHE弾(徹甲榴弾)の装填された銃をぞろりと抜いた。
「やめろ、撃つんじゃない!」
マツリハは咄嗟に叫んだが、相手は自分のように機能自立型人工知能ではない。こちらの半ば反射的な言葉を、同じように咄嗟に処理する訳がなかった。
発射された徹甲榴弾が、廊下の真ん中に落ちて爆発した。




