『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第40回
㉓ オースティン
心臓がなくて良かった、と思う。
あれば今頃、人工筋肉の奥で激しく波打つ血液に対してポンプの役割を果たしきれず、盛大に破裂していただろう。実際には、旧時代には植物性燃料であり現在では擬似遺伝子の媒介を務めているオイルが脈を打つ事などないのだが、アダム・オースティンはそれくらいの緊張を味わっていた。
自分が被食種になってしまったようだ、と笑えない感想が浮かぶが、本当の被食種たちは心理状態に従って実際にバイタルを変動させ、体内の有機的器官に負担を掛けながら生きているのだ。工学的制約に縛られた自分たちエクセリオンよりも、ややもするとオーガニックな肉体というのは強靭なのかもしれない。
(まあ、被食種は自分の意思で鍛錬出来るしな)
その点のみが唯一、オースティンが彼らを羨ましいと思うところだ。
エリア専属警備隊──通称SPUの隊長であるオースティンは、あらかじめ腕力に特化したタイプになるよう、人工筋肉量を多めに設定されて製造された。思考回路も調整されたのか、体が筋肉質だとそれを誇りたくなるのが”男”の性なのか、SPU隊長への抜擢後もオースティンは、被食種のようにトレーニングを積む事で筋力を増強出来たらどれだけいいか、と常々考えていた。
自分が脳筋と呼ばれる部類である事は自覚している。だからこそ、オースティンは自らの義体を”肉体”として考えてしまいがちなのかもしれない。
──或いは、次段階の有機化がその身に起こったというヴェルカナから、流行が感染したのか。
そうだったら夢があるのだが、と思い、すぐに気を引き締めるようグローブの拳で自らの胸筋を叩いた。感覚に対する余計な幻想は捨てろ、と自分に言い聞かせる。自分たちはただ、その名の通り鎮圧プロトコルを執行するだけだ。
適度に分散しながら迷路のような廊下を進む仲間たちを見ると、彼らもまた一様にオースティンと同質の緊張を漲らせていた。
脳筋だった事を喜ぶべきか否かは分からないが、オースティンはアクティベート後の初期学習で最初の学習高原に到達しても、エクセリオンの平均よりは幾分か下の知能レベルだった。身体能力の高さから適性診断でSPUに所属されてから、そろそろ八年目になる。エクセリオンの寿命の半分はここに勤務しているのだからベテランといえばいえたが、実戦を行うのは今日が初めてだった。当然だろう、今までエリアに侵入して破壊活動を行おうなどと考える不届き者は、セキュリティ的な事情もあって現れる事がなかったのだから。
初となる実戦に加え、相手はこちらの核をも丸裸にするハッキングの腕を持ち、既にエクセリオンを何体も破壊している。これで浮足立つなという方が無理な話ではあるが、自分が動揺していては部下たちが冷静で居られない。
侵入者が被食種である事は言われなくても分かるが、実際にどのような姿をしているのか、という事については説明されていなかった。されたところで、エクセリオンたちも限りなく被食種に近い姿をしているので区別がつかなかっただろう。唯一の手掛かりは、エクセリオンの持たない体温に反応するバイオセンサーだが、商品が立ち入り禁止の裏手で活動している被食種といえば件の侵入者だけなので、一度捕捉があれば見つけ出すのも困難ではない。
「センサーに反応あり」
E棟に差し掛かった時、オースティンの少し前を進んでいた隊員が声を上げた。来たか、と思い、オースティンもM4カービン(アサルトライフル)をその隊員が狙いを付ける先に向けた。
スコープに重ねられたバイオセンサーに、熱源を示す光点が現れた。
「威嚇射撃を行いますか?」
「いや、まだ向こうは気付いていないだろう。こっちは捕獲用麻痺弾しか装填していない。奇襲を掛け、確実に動きを封じる」
オースティンが言うと、隊員は小さく息を吐き出す仕草をした。
無理もないだろう、向こうはこちらの仲間を殺しているというのに、こちらは生け捕りを前提に動いているのだから。しかし、上には上の考えがあるというものだ。頭よりも体に特化した自分たちは、ただそれに従えばいい。
オースティンは目を凝らし、光点が自分たちから離れるように動くのを待った。
が、次の瞬間思いもしなかった事が起こった。
「うわああっ!」
ハウリングを起こしたマイクの如くひび割れた絶叫と共に、ゴキッという鈍い音が鳴った。続いて、ぐしゃりというプレス音に、細かな金属の破片が散乱する耳障りな騒音。実際に、曲がり角の向こうからは砕け散った金属板やらネジやらが血飛沫の如く飛んだ。
あっ、と声を上げる間もなかった。曲がり角から、頭部を柘榴のようにかち割られたエクセリオンの義体が仰向けに傾倒してきた。
「総員、警戒!」
オースティンは叫び、隊員たちが一斉に武器を構える。赤い照準線が、角の死角に集中した。
「ああああああああああ……っ」
甲高い唸り声が、オースティンの鼓膜を打った。実物は聞いた事がないが、泣き出す直前の赤子のような、微かにざらつきを帯びた声。来る、と思った瞬間、じりじりとした歩幅で対象が姿を現した。
「嘘だろ……これが?」
誰かが、ぽつりと呟いた。
現れたのは、エリアで培養されている商品であれば最年少クラスに当たるのではないか、と思われる程の子供だった。小柄で、ほっそりとした体躯にぴったりと密着するような白いボディスーツを纏っているようだが、それが彼──中性的な顔立ちで実際にはよく分からなかった──本来の肌の色なのか確信が持てない。
というのは、子供の体が布に覆われている部分、露出している部分を合わせ、常軌を逸しているのではないか、と思われる程きつく縛りつけられている為だ。元の皮膚が殆ど見えない程、同色の革ベルトや拘束具めいた白銀のプレートで雁字搦めにされている。顔の下半分も、大きなガスマスクのような吸入器が取り付けられて完全に隠されていた。
「これが、侵入者だっていうのか……?」
再び、誰かの独白が空気を揺らした刹那、
「あああああっ!!」
それが合図になったように、子供が床を蹴った。
オースティンが何かを言う暇はなかった。最初にM4を構えた隊員に向かって、子供は右肘を振り被る。その前腕に、肘から中指までを覆うように鮫の背鰭のような板状のものが装備されていた。
「何だ貴様!」
狙われた隊員が、反射的に引き金を引いた。しかし、非殺傷武器である捕獲用麻痺弾の注射針のような先端は、防具で全身を覆った子供の肉に通る事はなかった。
「あああっ!!」
転瞬、入れ替わるように子供の振り下ろした右腕の装備が、隊員の脳天に叩き込まれた。その人工皮膚が、炙られた紙の如く黒変して縮んでいき、やがて撫でるようにその頭部パーツが斬り割られた。いつの間にか子供の右腕が、否、そこに備えつけられていた板状の刃が赤々と輝いていた。
餌食となった隊員の人面マスクが、急激に老化したかの如く皺を寄せ、溶けるように剝落した。剝き出しとなった電脳から喉、被食種であれば心臓の位置する胸の中央まで、赤熱した刃は一息に斬り下ろす。屠畜業者の手で生きたまま頸動脈を切断された商品の如く、隊員の血液が噴き出した。
それは過熱されてふつふつと発泡すると、やがて機能を停止した彼の傷口周辺で焦げつきに変わった。オースティンはその様を、死体と認識した。
「撃てーっ!」
無我夢中で、オースティンは発砲した。SPUの狙撃手たちが、次々に麻痺弾を撃ち込む。これは相手がエクセリオンである事を想定した電撃弾ではなく、対被食種戦用の麻酔弾なので、味方を誤射したとしてもダメージは入らない。
しかし、相手の動きは凄まじかった。およそ人体の限界ではないかと思われる程の動きで一斉射撃を回避すると、前衛の隊員たちに向かって低姿勢から熱切断の刃を振るってくる。多少射撃を喰らったとしても、その防具が銃弾を受け止めるので意味は成さなかった。
オースティンは気付く。この子供がこのように全身を雁字搦めにしている──というよりされているのは、身体保護であると同時に、この防具が身体能力を拡張する為のエクセリオンの義体であるからだ。
(オーガニックな肉体の上に、人工筋肉を重ね着している……)
「ああっ……ああああああ─────っ!!」
子供の上げる咆哮は、改めて聴くと絶え間ない苦痛に苛まれ、いっそ死んで楽になりたいと思いながらもそれすら許されない受刑者のようだった。布を裂くようなその声と共に、熱刃は次々と隊員たちを屠り去っていく。
機械的生命の宣告によって寿命を迎えた個体が工場に運ばれる際も、劣化した電脳が取り出されてリサイクルに回される際も、このような印象は抱かないだろう。自分たちは紛れもない”生命”であるとは思いながらも、誕生と死の場である工場では皆自分たちの工学的制約を甘んじて受け入れているのだ。自分たちは命を失うのではない、死と新生は役目を全うした機械の宿命なのだ、と。
しかし、現在目の前で仲間たちが立ち会っているのは疑いようもない”殺戮”だった。彼らは機械として解体されているのではない、蹂躙され、モノである事すら許されない死体と化している。
「おのれ……被食種の分際で!」
薬品の注入は不可能と判断したらしく、後衛の電気棒装備の突撃兵たちが前に出てきた。人工筋肉を使用している以上、子供の防具は絶縁体ではないはずだ。それでも彼らは、なるべく防具の隙間を狙って電気棒の先端を打ち込もうと試みているようだった。
四方からの同時攻撃。これなら行けるか、と、オースティンは弾倉を操作しながら考える。ダーツ同然の麻酔弾を抜き取り、それに代わるものを忙しなく詰め込む。無音、これも初めての事だ。
しかし、子供の動きは全く予測不能なものだった。
「ああっ!」
彼は左腕も赤熱させると、腰を落とし、下半身に力を溜めつつ発条の要領で回転した。周囲の電気棒が切り刻まれ、漏れ出してショートした電流がエクセリオンたちの義体を容赦なく襲う。一瞬遅れて、炎の輪の如き真っ赤な渦が、一様に仰反る彼らの上半身を切り細裂いた。
沸騰するオイルの海の中、粉々になった人工筋肉の肉片や半分融解した鉄骨の破片が散乱した。……ヒトの死に方ではない。
(こいつは、例の侵入者じゃない)
オースティンは、やっと確信した。既にSPUメンバーの九割が殲滅された時点に至って、である。少なくとも、これより以前に破壊されたエクセリオンには、これ程天災的な死に様は見られなかった。
誰かが、意図的にこの制御不能な生物兵器を解放したという事だ。
それは件の侵入者を討つ為か、或いは──。
「もっと辛口なのを試してみねえか、お子様よおっ!」
自らを奮い立たせるべく、オースティンは気勢を上げた。乱舞する子供の後方に回り、スコープを覗き込む。
M4の中身は、既に実弾に入れ替えられていた。
オーガニックな体というのも、万能ではない。切れれば命に関わる動脈は全身を駆け巡っているし、エクセリオンのように頭部のみならず、心臓という弱点も備わっている。
また一人のSPUガンナーに正拳突きを入れ、胴部中央に大穴を穿っていた子供はこちらの大声に反応したのか、戦闘中の個体の頭部を捥ぎ取って両断するとすぐに振り向いた。息絶えた隊員の骸を投げ捨て、前半身に浴びたオイルをてらてらと光らせながらオースティンに飛び掛かって来る。
「喰らえっ!」
裂帛の気合いと共に、引き金を引く。空中で仕留めたとしても、慣性に従ってこちらに移動を続け、熱刃が自分の体を切り裂くのは避けられないだろう。しかし、エクセリオンの損傷など核さえ生きていれば怪我の内にも入らない。
音速で撃ち出された鉛の弾が、迫り来る子供の心臓に向かって正面から飛ぶ。向こうは止まる事が出来ない。オースティンは、勝ちを確信した。
が、その瞬間だった。
「アウッ!」
子供が、短く吠えた。被食種であれば目視出来ない程の速さで起こったそれを、オースティンの動体視力ははっきりと捉えていた。
彼が、飛来した弾丸に向かって左掌を突き出し、握り込んだ。例外なく掌にまで装備された人工筋肉の防具が、弾を減速させながら体内に招き入れ、手首上部から貫通させる。しかし、その出口には彼の装備した熱刃があった。既に過熱していたそれに触れ、鉛弾が完全に融解する。
そこまで見られるはずもないが、オースティンには彼の傷口の中で、溶けた鉛が拡散してそのオーガニックな肉を内側から焼くのが分かった。短い遅延を経、子供が激痛に絶叫する声が鼓膜を劈いた。
しかし、致命的な部位への着弾を阻止した子供は止まらなかった。
エクセリオンを死体に変える熱刃が、自分の体幹を縦に下ろしに掛かるのが、オースティンにはスローモーションで見えた。
定められた十五年を待たずに尽きていく命に、受傷から命が尽きるまでの時間はなかった。存在理由プログラムを組み込んだコアが物理破壊されれば、その時点でエクセリオンの命は消える。
例外なく、そのようになったオースティンは死んだ。具体的にどのように破壊されたのか、仲間たちのように義体を粉々になるまで蹂躙されたのかどうかを知る事も叶わないままだった。




