『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第36回
⑳ マツリハ
「ジェシカ君、対人用人型自立戦闘機の格納庫を開けてくれ。そして、IFF(敵味方識別信号)と操縦権限を私に!」
オペレーティングルームに戻ると、マツリハは大声で叫んだ。
コールブランドが侵入者に破壊されてからというもの、自分が頼るべき縁として自らを定めてすぐに黒スーツのエクセリオンに連れられて部屋を退出してしまったので、皆次に何をすればいいのか分からなくなっているらしかった。緊急事態にも拘わらず手を拱いているしかない事に焦れ、中でもマツリハを全面的に指揮者に推したヘンリーなどは今にも皆から総口撃を喰らいそうな状態だったが、自分が扉を潜るや否やオペレーターたちの視線はこちらに集中した。
中には、一体何処で油を売っていたのだ、というような非難めいた視線も見えるような気がしたが、マツリハは構わずに続けた。
「ジャッジを下そう、ロズブローク君は間に合わん。私が、直接オートフィギュアを動かして侵入者を狩る」
「えっ?」オペレーターたちの中から戸惑いの声が上がる。
「今ならまだ取り返しのつく範囲だ。十分以上、万全の対策を以て事に臨む!」
* * *
「君たちは、自分たちの都合がどれだけエリアシステムを危険に晒す事になるのかを理解していないようだね」
十年前のナハト・インシデントと現在の侵入者の繋がり、そこに絡んだ管理部門の総責任者──否、猟友会の統率者たる「魔弾の射手」ハミルトンの因縁。黒スーツの彼が語った出来事は、ヴェルカナや自分が根本的な原因なのだと分かっていながらもマツリハに瞋恚を抱かせるものだった。
「インシデントによる計り知れない損害からこのエリアを救ってくれた事には、私は彼に感謝すべきなのかもしれない。けれど、それと公私混同は話が別だ。この際だから乱暴な事を言わせて貰うが、コンプライアンスの問題ではないのだぞ」
「企業倫理ではなく、人倫だと?」
黒スーツの口調はあくまで揶揄するようだった。
「相手は機械ではないんだ。現時点でエリアシステムのパーツ扱いにするしないを措くにせよ、電脳化も並列処理も行っていない彼を我々が完全に支配する事は、現段階ではまず不可能だ」
マツリハは、根気強く言い募った。本当は、こうしている間にも悲劇の連鎖は続いているのだ、という焦燥から、すぐにオペレーティングルームに戻って皆と共に対策を講じたかった。
──会長である自分が駄目だと言っているのだから、駄目だ。
それで押し通せないのは、自分がお人好しであるからではなく、ハミルトンたちの発言力がこちらを押され気味にする程強い為だった。実際にここの責任者であるコールブランドへの相談もなく彼らが猟友会を呼び寄せた事からも、彼らがそれとなく示威行為に出ているのは自明だった。
今、同グループ内で内部分裂を起こしている場合ではない。別にマツリハは、彼らと敵対したい訳ではなかった。彼らが如何にこちらの権限を疎ましいものと捉えているにせよ、穏便に事が進められるのであれば幾らでも譲歩しようと思う。だが、それでも言わねばならない事はあった。
「これ以上死者を出したら、私たちの負けだ、それを忘れるな」
「……そこまで仰るのなら」黒スーツは、呻くように言った。「あなたには代案がおありと受け取っても宜しいですね? この一件を収束させられるような、効果的な具体案が」
「私は……」
「安全な場所から文句を仰られるだけでは、無責任な野次馬と変わりませんよ」
それは、彼が最初に「自分の置かれている状況を理解しろ」と言ってきた事に関連しているようだった。
彼の放つ空気が、心なしか危険なものに変化したのを感じた。口調にも、今度こそ明らかな挑発の響きが混ざる。マツリハは腕を組み、唸った。
「分かった。やるべき事は全てやり、責任は私が取る。これは先程、オペレーティングルームの諸君にも言った事だ。私が、それを示して見せよう。君たちに動いて貰うのは、その後だ」
「なるほど。では、次は何をなさるおつもりですか?」
彼の質問に答える事なく、マツリハはヘンリーたちの待機しているオペレーティングルームの方へと視線を向けた。
* * *
「会長自らがオートフィギュアの操縦を?」
ヘンリーが、勢い込んで立ち上がりながら声を上げた。その声は悲鳴のようで、無茶だと言わんばかりの悲痛さだった。
「自動運転と遠隔操作が可能だとはいえ、あれは傭兵適性のあるエクセリオンによる使用を想定した軍用ロボットですよ? 動かすならSPUを呼び戻して、操縦訓練を受けている彼らに任せた方がいいのでは?」
「職業適性だけが全てじゃない。ハミルトン君のように、会社員でありながら狩猟スキルに優れた者も居るしね。私とて、国防軍機装分遣隊に体験入隊をした事もある身だ。軍用ロボの操縦経験くらいはある」
「しかし……」
「責任者は私だ。被害をこれ以上増やさない為にも、危険に晒されるのは私一体で十分。自ら動かないトップに、部下は着いて来ないものだからね。私には、君たちを守る義務がある」
マツリハは言い、スーツの上着を脱いで椅子に掛けた。壁に掛けてあった非常用ヘルメットを被り、人面マスクも外して複眼を持つ素顔を現す。マスク越しではない真剣な視線を浴びたヘンリーは、ぐっと押し黙った。
「先輩」
ジェシカが、彼の袖を引いた。最初の方こそパニックになっていた彼女だが、覚悟を決めたように顎を引き、彼に向かって肯き掛ける。ヘンリーは数瞬の逡巡を経、同じように肯いた。
場の全員が見守る中、ジェシカが準備を開始した。
「……異常検出数ゼロ。信号強度確認完了、異常なし。個体識別情報、インストール完了。フェイズ、プリセット完了。初期起動準備完了……会長、実戦投入の最終許可をお願いします」
「許可する。誰か、格納庫への案内を頼む」
「承知しました」
ジェシカは唇を噛み、凛然とした表情で最後のボタンを押し込んだ。
大画面に『Activate Auto Figure』と表示されると同時に、一体のエクセリオンがこちらの前に立って先導を始める。
「こちらです、会長」
彼に着いて歩きながら、マツリハは心の中で独りごちた。
(意地があるのは私も同じなのだよ、ロズブローク君。そして……那覇人君)
──自分がこの青葉エリアに来た真の理由は、これだったのだ。
運命論的な思考が脳裏に萌し、そのような事がある訳はない、と自ら打ち消す。自分たちエクセリオンにとっての機械的生命は、個体の運命を司りこそすれ、決して時空を跨いで存在する輪廻ではない。
もし、人智を超えた意思というものが、世界に働いているのなら。
有り得ないと分かっていながらも、マツリハは今ばかりはその存在を信じたい、と感情で思った。




