『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第34回
⑱ NACHT MUSIK(現在)
「安らかに眠れ」
素振りをするかのようにバールを振るうと、数秒前の干渉で核を露出させていたノードは仰向けに倒れ、墜落死体の如く血液を撒き散らした。本物の血液や脳漿のように色が付いていなくて良かった、と、私は今更思う。
オペレーティングルームではなかった。無数の量子コンピューターが墓標の如く並んだ、中央棟地下のサーバー室。手練れの警備員を含め、何層もの厳重なセキュリティに阻まれてはいたが、機関手に搭載された改良型ドグマウイルスの前にはそれも笊に等しかった。
最後の扉のロックを解除すると、私は開いたばかりのその扉に背中を預け、ずるずると滑り落ちるように座り込んでしまった。アクション映画でこのような体勢となった負傷者は大抵長くないのだよな、と不吉な事が脳裏を過ぎる。
私は自分の体内で起こっている事の現時点での様子を、一旦頭の中で整理しようと試みた。襟元からコートの内側を覗き込むと、慢性的な栄養失調で薄くなった胸板から鳩尾にかけて、まだ義体化されていない部位に出血が見られた。代謝不全により凝固したナノマシンが、削痩した皮膚を破りつつある。だが、それにしては排出されている血液量が多い。
有機化を進めている義体パーツに対する拒絶反応が、白血球を異常に増長させているらしい。それらは私本来の血球や血小板をも破壊しており、著しい出血や貧血傾向を呈している。そういえば先程から疲労や絶え間ない激痛とは異なる眩暈も発生しているような気がするが、これも貧血の為だろうか。
(全く、ノードってのはつくづく嫌な奴らだ……体の一部に取り込んでも、こうしてオーガニックな人間の事は裏切りやがる)
私は、傷本体の見えない出血箇所を機関手で撫でる。貧血を起こしている時特有の寒気を感じていたが、何故かその冷たい感触は心地良いものだった。
暫し全身を弛緩させ、軋むような痛みが和らぐのを待って立ち上がる。バールを杖代わりに、壁に凭れ掛かるようにしながら室内に入って行くと、突き当たりの壁に他よりも一際大きな箱型の機械が取り付けられているのが目に入った。あまりの巨大さに、一見それ自体が壁なのではないかと思う程だった。
構成ネットワーク統合概括母体、通称エニグマ。
スーパーコンピューターを超えるスーパーコンピューターといわれていたそれをよく観察すると、室内に立ち並ぶサーバーが無数に連結され、ノードの義体パーツを大小組み合わせて固定、一つのシステムネットワークを形成している事が分かる。それは、人工筋肉や人工皮膚で鎧っていない剝き出しのノードの体を自身の一部としている私の目には、苛烈な人体実験で繋ぎ合わされた大量の死体を彷彿とさせた。
──なるほど、突貫工事で作られたというのは本当らしい。
エリアに居た頃からエニグマの存在を知っていた私だったが、実物を目の当たりにするのはこれが初めてだった。当時上層部のコンピューターをハッキングして記録文書にアクセスする事はあったが、エニグマは名前が文中に現れるのみでこのような実物の写真などは添えられていなかった。
(もし、あの頃ここに入る事が出来ていたら……)
たらればの話をしてもどうにもならない、凶弾に斃れた相棒が蘇る訳などないと分かっていながらも、私は考えずにはいられなかった。
当時、イレギュラーな存在ではありながらも表向きは普通の生徒の一人であった私や相棒が、ここに入る事は出来なかった。オブザーバーの仕事として施設の裏側に入る事が許されている時以外は、一般生徒の知能レベルを遥かに凌駕していた相棒でさえ潜入は困難だったのだ。
自分たちがした事といえば、現実のそれは決してしないようなスパイじみた行動で窓枠や廂を渡り──ほぼ間諜というより蜘蛛だ──、通気管の中を縦横無尽に彷徨して盗聴器やら発信機やら、ドグマウイルス送信用の電波発信装置やらを取りつけ、などという事だ。セキュリティチェックで引っ掛からないように相棒が工夫を凝らしたセラミック製のそれらは、その後直接人員が動いて隈なく手作業でクリーニングを行ったのか、今回の潜入後に私が記憶を頼りに探しても見つける事は能わなかった。自分たちの痕跡は、それで完全に消されていた。
エニグマに直接ドグマを送信出来ていれば──集団出荷の行われる輸送用通路まで持参した小型端末から職員用クラウド、上層部のコンピューターを経由してエニグマへ、などという手間を掛けずに済んでいれば、最後の最後で阻まれる事はなかったはずだ。ドグマは、一般的な攻性防壁であれば貫通する。傍で音声を唱えるだけで、感染は確実にするのだから。
エニグマ、エリアシステムの本体。
この為に彼らが犠牲になったのだと思うと、私は今すぐにでもバールを振るってこの機械を粉々に蹂躙してやりたい、という昏い気持ちが誘われた。だが、それだけでは駄目なのだ。
「接続開始」
私は、AR以後にノードたちが生み出した新たな言語で記述されたメインフレームにドグマを送信する。この、エリアでの課程内で学習する知識だけでは事実上攻略不可能な壁を、相棒は易々と跳躍した。
私たち二人が一緒に居れば、どのような”不可能”も”困難”に出来た。
上層部のシステム階層とエニグマとの間にあるファイヤーウォールも、こうして直接仕掛ける事が出来る今となっては意味を成さなかった。呆気ない程簡単に済んだ第一段階に、私は俄かには表白し得ない無情さを覚えた。こんな簡単な事が出来なかった為だけに、私たちは永訣してしまったのだ。
メインプロシージャ、全エイリアスのトレース完了。
挙動方針、観察並びにデバッグ開始。
恐らく、ここからは何時間かを要する事になるだろう。その上、無事に掌握出来たとしてもすぐに壊す訳には行かないのだ。現在の生徒たちが逃げ出す為のルートを作り、その後エニグマを中継点としてエリア内全てのノードを一斉に停止させる。その為には、一時的な感情に囚われてはならない。
機関手との接続状態は、そう簡単には切れない。この部屋での自分の役割は終わったのだ、残された時間が少ない以上、ぐずぐずしてはいられない。
私は恙なく解析が進んでいるのを確認すると、踵を返した。
(ドグマの呪文さ、いずれ『胡麻』って言ったら開くように学習させる、って言ってたの、成功したんだよ。嘘みたいだよな……あの時は冗談だったし、何をするにも命懸けで、遊び心を加える余裕なんかなかった。そりゃ、今でも余裕なんか、ある訳じゃないけど……)
脳内で、亡き相棒に語り掛ける。
(ちゃんと、あの頃の続きだって事を分かっておきたかったんだ。結局あの計画は穴だらけだったし、お世辞にも上手く行ったなんて言えないけど、あの時の意志は今でも残っているから)
* * *
隠伏を繰り返し、ノードとの戦闘を避けながら元来た道を引き返した。というのも、それは私が再びあの隠し部屋──光村の肉体が安置されている秘密の地下室を再び目指している為だ。
エニグマを支配下に置く準備は整った。あとは、皆での脱出に際して光村を信頼出来る誰かに託す用意が整えば条件は全てクリアされる。
恐らく光村は、私が誰であるのか、彼にとってどのような繋がりを持った人物なのかという事も知らずに、私と今生の別れをする事になるだろう。私の肉体が持つのも恐らく、せいぜい明日までというところだ。しかし、それでいいのかもしれない。自由になった後、彼には自身の生い立ちも、何の為に生み出された存在なのかという事も関わりのない”普通の男の子”として生きて欲しかった。
ただ一つ、心に引っ掛かる事があるとすれば──。
(この日の事を、彼は忘れないだろうな)
エリアで育成された子供たちの多くは、脳の構造的に「自然に物事を忘れる」という事が出来ないようになっている。光村は恐らく、第二号の培養被検適応個体として先代と同じ手順で無意識学習を施されているだろう。体質の差こそあれど、彼がそのような永久記憶者である可能性は極めて高い。
いつの日か、彼は知るだろう。自我が芽生えた日、自分を出生地から連れ出した者が誰であったのかを。それで彼が悲哀に暮れ、思い悩む未来が来るとしたら、いっそ彼には冷血に育って欲しい。そのような事を心から思う程に、今私の中で、彼の存在は何物にも代え難いものとなっていた。
彼の所まで引き返す最中、私は行きの途中で破壊したノードや設備を職員たちに発見され、包囲態勢を敷かれつつあるのではないか、と警戒した。しかし、その予想に反して各々の現場はキープされ、というより未確認状態のまま放置されており、職員たちは何処かに隠れてしまっているようだった。屋外も移動したが、裏手に集まっていた猟友会の姿も見えなくなっている。
何やら胸騒ぎがした。エリア側の動きに対して、常に先手先手を取っているつもりでいたが、何処かで大きなトラップが発動されたのではないか。分からない以上、行動を止める訳には行かなかった。
時間との勝負になるかもしれない。
そのような思いを漠然と抱きながら、私は先を急ぐ。件の倉庫に入ると、最初の潜入の時点で暴いていた隠しエレベーターで再度地下ブースに降りた。
扉が開ききる前に体を捻じ込むようにし、薄赤い光の揺蕩う空間に出た私は、そこで背中から心臓を突き刺されたような気分になった。ずきずきと痛んでいた全身に悪寒が走り、オーガニックな部位という部位が瘧の如く蠕動を始める。
大きな胎児のような光村の体が浮かんでいた奥のカプセルは、もぬけの殻となっていた。培養液は抜かれているが、床にはその残滓が、誰かが裸足で歩いたらしい足跡となって点々とこちらに続いている。
それを逸早く発見した事が、私に「光村が処分されてしまったのではないか」という考えを起こさせる事を止めた。同時に、既に私の正体が上層部に伝わっているのだという確信が生じる。
彼らは、光村に何をさせるつもりなのか。
その答えに辿り着いた瞬間、私は身を翻していた。




