『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第31回
⑯ マツリハ
「教えてくれ、侵入者騒動を収束させる策とは? ハミルトン君は、事の裏側に関する事情を何か知っているのか?」
オペレーティングルームから移動すると、マツリハは黒スーツのエクセリオンに問うた。職員たちを必要以上に不安にさせないよう、落ち着いた態度を崩さないようにと努めていた自分だったが、黒スーツに対しては無意識のうちに急き込むような調子になってしまった。
知ってか知らでか、黒スーツは焦らすように十数秒間、無言でこちらの目を見つめてきた。自分でもかなり気に入っているマスクではあったが、人工筋肉の瞼に狭められたこちらの眼光は、機械としての電脳を曝け出した相手の圧力には蟷螂の斧に等しい刺激に思われた。別にマツリハは相手と競合するような気持ちはないが、自然にそう思わせてしまう程に黒スーツの空気は威圧的だった。
「その前に、会長。あなたには自らがどういったお立場なのかを、正確に把握して頂く必要があります」
黒スーツは、感情を交えない冷淡な口調で言う。旧人類の言葉でいう「機械的」とはこのような様子をいうのか、と思い、それが機械的生命に約されながら既に内心だけはオーガニックになっている自分の傲慢さを突きつけてくるようで、不愉快な熱が義体から散った。
「あなたは、使用者でありながら実行者たちに進んで混ざり合い、現場の空気を皮膚感覚として把握している。雇用者たちにとっては、誠に理想的なCEOであるといえるでしょう。しかし、やはり適性は嘘を吐きません。僭越と存じながら申し上げますが、やはりあなたには、中央に於いてセンセーショナルな話題にのみ敏感であるという印象が拭い難くあります」
「まどろっこしい言い方はやめてくれ。何が言いたいんだ?」
「ヴェルカナ・ロズブロークの報告した、自身の有機化の進展。それに伴う無意識同調理論の研究……学会がそれを受け、人間電脳化研究への応用を打診した事は巷間に想像以上の反響を呼んでいます。それが、ナハト・インシデントの現場に近い仙台圏で人々にどのように受け止められたか」
「待ってくれ、人間電脳化研究とオブザーバー再登用の件について、ロズブローク君の理論から考え直されているのはあくまで業界的な者たちの間に限った話だ。如何に社会全体の知能レベルが高いとはいえ、一般機たちがそんな応用編までを囁き合うなど……」
「地方では、地域の話題については顕著なのですよ」
「とはいっても、ナハト・インシデントはデリケートすぎる話題だ。当事者であるここの職員たちやグループでは、皆が闇に葬りたい程の不祥事だったんだぞ」
「そういった話題に限って、人口膾炙になりやすいのです」
黒スーツは複眼を点滅させると、「宜しいですか」と諭すように言った。
「加えて、仙台市内では暫らくの間エクセリオンの連続破壊事件が大きなニュースになっています。あなたが地方に疎いとは、このような事も指すのですよ。……単刀直入に申し上げますが、上司は今回の侵入者が、十年前の採算をつけに来たあの者であると考えています」
「………!?」
まさか、と言いかけ、マツリハは口を閉ざした。
現実に対して、逃避願望的な見方をしてはならない。それはグループCEOとしてのマツリハの理念だった。しかし、何故よりによってこのタイミングで、という思いは否定出来なかった。
中央学会でオブザーバー再登用が俎上に載せられ、グループの総責任者である自分が視察の為にこのエリアを訪れ、自分の口からヴェルカナ・ロズブロークに十年前の事件について教えた上、アクセスレベルの高度なその記録に閲覧権限を与えたタイミングで──。
そのような中で現れた侵入者の正体がそうだというのなら、それこそ機械的生命に予定されているのではないか、と思われる程物語的な偶然が過ぎる。しかし、黒スーツのエクセリオンは平然としていた。
「奴は、この施設のシステムについて知悉しているようでした。極めて高度なハッキング技術を有している点でも、十年前の彼に通ずるものがあります」
「しかし、それではあまりにも偶然が」
「ここまで偶然が重なれば、必然としか考えられないでしょう。奴は、当エリア及びエクセリオン社会の現状を把握した上で挑んで来た。コールブランド氏らが秘密裏に匿っていたものを考えれば、状況は自ずと見えてきます」
「次期オブザーバーになる予定だった、彼の事か?」
「ええ。あなたが、今回直接訪問を決意されたのは何故ですか? 人間電脳化研究とオブザーバー再登用の話題が学会で再興したからであり、その原因こそがロズブローク博士による無意識同調理論の報告です。ここからの脱走後に市内で抵抗運動を続けていた奴が、巷の噂によってこの事を掴んでいたのなら」
「……つまり、君や彼は」
マツリハは呻いた。
「私が今回、ここを訪れた故に侵入者を招き入れたと言うのだね?」
「非礼は承知の上です」
「いや、責めているつもりはないんだ。それならむしろ、誰より身に危険が迫っているのは私だという事になる。我々の社会構造があまりにもシステム的に成り立っているから誰も実際には行動しないのだろうが、旧時代であれば私のような”人間”は常に身の危険と隣り合わせだったのだろうね」
「いえ、その点は殊更にあなたのみが警戒を強化せよ、という事ではありません。侵入者の主目的は恐らく、グループや学会がまた彼を──八剱光村をシステムに利用する前に、ここから奪還する事でしょう」
黒スーツの彼の言葉には、説得力があった。ハミルトンは恐らく、マツリハの対応が後手後手に回る事に苛立ちを覚えていたのだろう。自分が原因でエリアに二度目の災厄がもたらされようとしているのに、当人には全く自覚した様子がない上、敵の正体について気付きもしなかったのだから。
ヴェルカナにはせめて、この事態のとばっちりを喰らい──元を辿れば彼の有機化に行き着くのだから、この言い方には語弊があるが──、コールブランドのように殺されるような事がないように、と思った。
彼は、機械的生命の理に保守的な現在の自分たちが生み出した”象徴”ともいえる存在──エリアシステムの維持を存在意義とするオブザーバーの那覇人とは背反を成す、加法付値のエクセリオンだ。誰よりも遠い将来を見据え、その為に邁進する情熱を持っている。些か感情論が先行しすぎるきらいはあるが、彼の理想はマツリハの思い描く未来から決して離れてはいない。
重大な事故の要因とはいえ、十年前に少なからぬ仲間を喪った彼らの事を考えると気の毒にならざるを得ない。しかし、過去の亡霊である彼らは、彼ら自身が望んだ未来の為には存在を否定されねばならないのだ。その為には、ヴェルカナが理想を知られないまま、むざむざ破壊されてしまう訳には行かない。
(両刀論だよな。那覇人少年らにとっては、存在を懸けたアポリアだ)
「上司の策は、このように推測される奴の目的を逆利用する事です」
黒スーツは、マツリハの次の発言を待たなかった。
「八剱光村は奴を追い詰めるのに、最も適した生体兵器といえるでしょう」
「君、それは!」
はっとし、意識する間もなく声を上げていた。
「彼が今、自我を持たない状態を利用すると? あの鋭敏な頭脳と、強化された身体能力を以て侵入者に……自分に会いに来た相手にぶつけると?」
「これは絶好のチャンスなのです。光村少年は、今自分が何者であるかも分かっていない、意思のない状態です。その代わり、命令には何でも従います。彼が相手となれば、奴にも手が出せない。物理的にも、精神的にも」
「被食種の彼を、敢えて使うというのか?」
「手綱を握ってさえいれば、職員のエクセリオンたちがわざわざリスクを負う必要もありませんし、上手く行けばあなたの目的にとっても良質なデータを採る事が出来るかもしれません」
「私の? 再登用計画を挙げたのは学会だ」
「グループにとっても利益でしょう。ゲニウス・ロキの存在により、どれ程かつてエリア運営が円滑化された事か」
「……要するに君たちは、実地テストをしたいのだね?」
マツリハは、努めて冷静さを取り戻そうとしながら低く言った。
「別にロズブローク君の真似をする訳ではないけれど、そのような事が許されると思っているのか?」
被食種にも権利が、などと青臭い事を言うつもりはなかった。それは、生物学的な進化の一段階として捕食種たる事を動機づけられた自分たちの社会をも否定する言葉だ。全国のエリアを束ねる自分が、ヴェルカナのように軽々と口にして良い台詞ではなかった。
しかし黒スーツの言葉は、また同じくエリア経営に携わる者として、看過する訳には行かないものだった。
「エリアの中で、通常の商品ではない彼を解き放ってみたまえ。命令如何によっては殺戮すら、彼は躊躇なく行いかねないのだぞ。彼を鎮静化する方法は? どのような損害のリスクがあるのか、シミュレーションしたのかい?」
「人死にが出る、とでも? ですが、会長もお分かりのはずです。人的被害を最小限に留めるには、この方法が最適なのだと。お分かりなら、会長権限で許可を下して頂く事も可能なはず」
黒スーツの話し方は、口調だけは何処までも慇懃だった。
「上司は、当エリアへの卸売りを公認された猟友会にも参画している優秀なハンターです。猟犬の手綱を操る事にも、我々は信頼を置いている」
「今回の相手は猟犬ではない、オーガニックな人間だぞ。それも、侵入者との官能的連続性を持った。……いや、待てよ」
マツリハは、そこでふと我に返った。
先程からずっと、このエクセリオンの威圧感と理論武装された言語の使い方に主導権を奪われるばかりで、核心的な疑問を差し挟む余地が与えられなかった。だが、これはどうしても確かめておかねばならない事だった。仲介者に徹するこの個体の向こうに見えるハミルトンの像は、マツリハの中で凄まじい野心と執着の炎に揺らめいていた。
「何故君たちは、そこまでナハト・インシデントの情報に通じている?」
意を決し、マツリハは尋ねた。
「報告に目を通しただけではないね? まるで──生身の当事者たちに、接した事があるかのようだ。実際彼は、事件当日の集団出荷に立ち会っているね。そこで、一体何があった? あの侵入者と彼との間に、何の因縁が生じたんだ?」
「………」
黒スーツのエクセリオンは、そこで初めて緘黙した。人面マスクを装着していたら恐らく唇を噛んでいるのだろう、とも思ったが、依然電脳を剝き出しにしたままの彼のレンズ光からは何も読み取れなかった。
「……確かに奴は、上司とは浅からぬ因縁があるのです」
彼の声色は、やはり変わらなかった。
波長としては一切の変化がないはずなのに、マツリハはそこに、微かに嘲笑とも取れる響きを感じ取ったような気がした。
「あの者の相棒を、上司が射殺しているのですよ。十年前のあの日に」
今更ながら本作に「後書き」を追加します(2025年9月26日)。
本作は一応単行本にすると上下巻二冊分の文量となり、ここで前半が終了します。
ここ最近、自身の過去作品を読み返しているのですが、何故既に十回以上もチェックした作品にこれ程誤字脱字があるのだろう……と我ながら嫌になります。本作は特にそれが多く、時には文節が入れ替わっているなど「何故気付かなかった」と思う程のものもありますが、この原因については何となく分かっています。
本作『禁猟区 聖痕なきメサイア』は、XがまだTwitterだった頃、私が初めて世間に公開した長編小説です。なろうへの引っ越しに伴い、あまりにも拙さと設定の大雑把さが目立った為、その部分を補うべく加筆修正を行ったのですが、それは「元の原稿に書き足す」のではなく「新たに原稿を用意し、元の原稿から適宜コピー&ペーストを行いながら一文ずつ修正する」という方法で行いました。その結果、カーソルの位置がずれていて有り得ない場所にペーストしていたり、などといった事が起こった訳です。おまけに作者自身がチェックを行うと、どうしても「合っている」という前提で文章を読んでしまうので。
原形の作品を公開する事は恐らくもうないでしょうが、そちらでは何故ノードが人間を喰らうのか、それで知能が向上するのはどういう仕組みなのか、という点がかなりいい加減に書かれていました。それを補う為に本作では「機械的生命」(元ネタは稲垣足穂の小説集『ヰタ マキニカリス』です)という概念と、ノードの悲願としての有機化という要素を取り入れました。しかし、それを含めて書き直しているうちに段々と「機械と人間の違いとは?」「人類であるとはどういう事か?」「オーガニックであるとはどういう事か?」「知能とは何か?」「進化とは何か?」「機械的生命とは何か?」と考え、手に負えないような思考にずぶずぶと嵌まり込んで行ったのでした。結果として、元々二百ページ弱だった作品が三倍近くに膨れ上がりました。
それと、本作の修正中に冲方丁さんの『マルドゥック・スクランブル』を読んだ──ハヤカワ文庫がなかなか増刷しないので、それまで書店で手に入らなかったのです──為、文章に「ああ、やってるな」というような影響が見られます。具体的には「禁猟区」と「遊技場」、「prey(=獲物、被食種)」と「play(=ゲームをプレイする)」などの言葉遊びや、新たに取り入れた「新世界連合」や「内閣府」といった固有名詞が『マルドゥック』の「法務局」や「警察機構」に影響されていたり、など。
段々怪しくなってきたので、これから後半部分も改めてチェックを行います。これからストーリー自体が変わる事はまずないので、既にお読み下さった方々もその点はご安心下さい。




