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『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第28回


          *   *   *


 リザ先生は、耳に胼胝(たこ)が出来る程に「内緒だからね」と繰り返し、俺を隣室に連れて行った。その部屋は「予備手術準備室」と書かれたプレートの掛けられた、俺は基本的に立ち入り禁止とされていた場所だった。表向きには、生徒たちの記憶改竄に関連する備品が置いてある部屋、と聞かされている。

 しかし実際に入ると、室内はそのような猥雑に無数の機材が並べられたような空間ではなく、内装(レイアウト)は俺が先程まで検査を受けていた部屋と(ほとん)ど同じだった。唯一異なる点は、カーテン付きのベッドがあった場所にベビーコットに似たプラスチックのケースがある点だった。

 それは、大量の機械やモニターに繋がれていた。その上、それは一見棺桶と見紛う程に大きく、生後間もない赤子を入れるサイズとはかけ離れていた。普通の人間の子に使用されるものではないという事は、一目瞭然だった。

 ──俺も、あの中で生まれたのだ。

 そう思った時、俺は改めて自分が普通の人間でない事を実感した。ノードの手による体外受精。成長促進処置を受けて急激に生育した身体。無意識領域への干渉で、生まれながらにして常人を上回る知能を持っていた事。

 不思議な気分だった。底知れない闇の漏れ出すトンネルの前に立っているかのような、目に見えないながら恐ろしいものが問答無用で襲い掛かって来るかのような。それでいて、誰もが幼児期健忘で忘れてしまうような、母親の胎内の如き根源的な懐かしさを覚えさせるような。

「担当としてこの子の記録をつけようとすると」

 リザ先生が言い、俺ははっと我に返った。

 彼女はケースに近寄ると、その中を覗き込みながら俺に向かって手招きをした。俺は歩み寄り、彼女に倣って覗き込む。

 そこに、酸素マスクを嵌められた五歳児程度と思われる男の子が眠っていた。俺はそれを見て、息が止まりそうになった。

「時々、この子の生命を繋いでいる、生きる為に必要なこういう機械を全部取り払ってしまいたいような気分になるんだよね。那覇人君の代用品がこの子なんだって思うと、この子は生きていてはいけない気がする」

「生きている……んだ。本当に」

 少年の瞼がひくひくと動いているのを、俺は確かに目視で捉えた。

 急速眼球運動。レム睡眠中、夢を見ている時に起こる無意識的な運動。少年は幼児レベルに生育した体を持ちながら、未だに自我が芽生えていないようだった。しかし今、彼の脳は人体の限界を試されるような速度で動き続け、無意識領域で学習を進められている。

 その顔に、俺は自分のような、佐奈のような面影を見た。それは人間の社会性が本能的に感じ取る、他者の本質的な温かみだった。幼児に、まだ自我の芽生えないが故に、命があるという事実だけで感じ取る事の出来る無垢さとでもいうのだろうか。しかし、それだけではなかった。

 自分にもこの少年と同じような時期があったのだと思うと、彼が何だか自分の弟のような気がしてならなかった。それが、俺を”人間”にしてくれた佐奈の気配を感じさせたのではない。

 佐奈は、俺が知るより以前からこの子の存在を知っていた。五感を含む身体感覚すらも鋭敏な彼女は、きっと脱出計画を練るうちに職員たちの会話でその存在を掴んだのだろうと思っていたが、それにしては情報が詳細だった。

 彼は……光村はもしかしたら、佐奈の──。

「何だ、那覇人君。思ったより動揺しないんだね」

 先生は、心から意外そうに言った。

「幾ら割り切ってるつもりでも、自分が殺された後を想定した代用品が着々と育ってるなんて、見ていていい気がしないんじゃないの? もっと、露骨に嫌悪感でも滲ませるんじゃないかって思ってた」

「いえ、嫌悪してどうするんですか。リザ先生の予定だと、この子は体さえあればいいんでしょう? 俺の脳を移植するっていうなら」

 俺は、努めて冷たい声を出した。そうしないと、何かが胸の奥から塊となって溢れてしまいそうな気がした。

 佐奈に、ちゃんと聞いてみよう。密かに、心の中で拳を固める。

「心配するな、少年」

 リザ先生は、冗談めかして俺の肩をぽんと叩いた。目の前の光村の、触れずとも伝わってくる温かさが、先生のそのレンジに掛けたように作り物めいた人工皮膚とその奥の冷たい鋼鉄の重さを否が応にも意識させた。

 その冷たさが、俺の体温までをも奪っていくような気がした。

「私は君の味方だから」

 ──俺はあなたの敵ですよ、リザ先生。

 胸の内で、彼女にそう囁き掛けた。

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