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『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第27回

  ⑭ NACHT MUSIK(過去)


「サナ──ID二〇八〇〇〇四に、未だにおかしな様子はない?」

 病室のような部屋の、病床のようなベッドに横たわり脱力する俺に、傍らの椅子に座ったリザ先生が質問してくる。

 俺の両手首と二の腕にはパッドが装着され、はだけられた胸には電極が貼られていた。商品(プロダクト)の生徒たち皆が日々自室で行われるバイタルの測定だが、報告と同時に行われる俺のそれは、測定器が嘘発見器(ボッカ・デラ・ベリタ)の役割を務めるものだった。佐奈に人間性(ヒューマニティ)を目覚めさせて貰うまでは何でもない、ただ打算も何もなく正直に観察結果を告げればいいだけだったので嘘発見器という考えもなかったのだが、思えば以前からこの処置が取られていたのは、先生たちも被食種である俺を「いつ気紛れを起こすか」と完全に信用してはいなかったという事だ。

 自分はやはり、彼らからすれば道具(もの)に過ぎなかったのだな、と思う。自虐の心境ではない、現実を現実と割り切って受容する、ニヒリズムの如き心象だった。作戦遂行の為には必要なものだ。

 俺の心電図と手元のPCの画面を射抜くように見つめるリザ先生の顔は、俺の内心と同じくらい淡々としていた。学校で生徒たちを見ているような優しげな表情は掻き消え、作り物めいた──実際人工皮膚のマスクなので作り物なのだが──冷淡な能面のようにも見える。

「はい。今のところ取り分けて目立った異常は見られません。ただ、些細な事ではありますが、測定を開始した睡眠リズムのノンレム睡眠時の深度が少し浅くなっているように思います。俺自身でも実際に夜間の様子を見に行きましたが、急速眼球運動が少々強いようでした。まあ、これは数値的な根拠もないので、あまり気にすべき点ではないでしょうけどね」

 俺は、ぺらぺらとありもしない情報を先生に伝える。

 リザ先生は大真面目な顔でPCにそれらを入力し、呆れているようにも感心しているようにも取れる溜め息を()いてようやくこちらを見てきた。

「仕事熱心なのはいいけど、あんまり気安く女子寮に侵入するんじゃないよ。君、もう二次性徴迎えたでしょ。過剰なのも良くないけどね、少しは男女という自覚を持ってだね……」

被食種(にんげん)みたいな事を言うんですね、リザ先生。仕事を円滑に進める為には、俺はパーツとして扱う方が都合がいいんじゃないですか?」

「そうは言ってもね、君はエクセリオンじゃなくて人間なんだ。それくらいは私も分かっているつもりだよ」

 リザ先生の台詞に含まれた”人間”は、俺がやや皮肉(アイロニー)を込めて言った「被食種(プレイヤー)」ではなく「人間(ヒューマン)」を意図しているように感じられた。俺は

「お気遣い、どうもありがとうございます」

 と言って肩を竦める。マットレスに肩甲骨が密着しているので、あまり上手くは出来なかった。

 ちらりと目を動かし、心電図を見た。波形に異常はない──つまり、嘘を言っている事が動揺として可視化されている、という事はない。今日も上手く騙し通せた、と思ったが、安堵も表さなかった。

 動揺すればどんな些細な事でも体に現れる。発汗、脈拍、呼吸、体温、痙攣、瞳孔の散大など。測定器はそれらを律儀なまでに視覚化し、顕著に表す。だがそれ故に、ノードはそれらを自らの主観を以て観察しようとはしない。「機械を欺く」という形にバイタルを自分の意志で統制する事さえ出来れば、余程精度が高いものでない限り騙す事は可能だ。

 佐奈と運営側の二重スパイになってから、俺は彼女の指導の(もと)で測定器を騙す為のバイタルコントロールを訓練し始めた。佐奈の部屋で彼女のベッドに横たわるのはやや羞恥心を覚えさせるものだったが、リザ先生たちは俺が寝返っているなど欠片程も思っていない。この報告と同時に行われる検査で、本物の嘘発見器(ボッカ・デラ・ベリタ)のように精密で特殊な機械が使われる事はないので、この時間は安定して運営側に接触しつつ情報を得るチャンスだといえる。

「はい、深呼吸して。リラックスしてよ、力むと上手く測れないから。……はい、もう大丈夫。脳波にも筋肉量にも異常はないね」

 リザ先生は俺の情報を細かく記入すると、PCを閉じた。

「お疲れ様、起きていいよ。君はやっぱり優秀だね」

「ありがとうございます、先生。オブザーバーとしてのスペックの事であれば、それは先生たちのお陰です。ここの真実を知っている俺には、それくらいしか存在意義もありませんしね」

 俺は上体を起こすと、ベッドの(ふち)に腰掛けたままごく自然に先生の手を取る。降りて靴を履くのでちょっと手伝って下さい、というように。しかし、それは攻守交代(リタイア・ザ・サイド)の合図だった。

「最近、少し思う事があるんですよ。俺の存在意義に関する事で」

存在理由(レーゾンデートル)? 君は、機械的生命(ヴィタ・マキニカリス)に縛られてなんかいないでしょうに」

「いえ、エクセリオンのプログラムの事じゃなくて」

「哲学か。全く、生意気言っちゃって」

「雑談ですけどいいですか?」

 俺が業務外の事柄を先生の前で口にするのは、珍しい事だった。リザ先生はマスク上の眉をぴくりと持ち上げる。

「言ってごらん」

「ちょっと気になったんです。来年、俺の同級生たちは集団出荷じゃないですか。出荷の手順は『輸送用通路ポルタ・ディ・パラディーゾ』を出たところで屠殺、ですけど、エリア内に残った後輩たちは、先輩たちは卒業して学校を出て行ったんだ、って思うじゃないですか。……俺、その時はどうなるんですかね?」

「どうなる、って?」

「エリアの規則では、十八歳を超えた商品(プロダクト)は出荷です。後輩たちの目もあるし、俺が来年以降もここに居る事は許されないですよね? その後、俺が務めていたオブザーバーはどうなるんですか?」

 ──言ってやった。

 俺は、心の中に満足感が広がるのを感じた。

 具体的な脱出作戦を教えられた後、光村少年をも救出したいと言う佐奈に俺が頼まれた事は二つだった。まずはリザ先生にさりげなく強請(ゆすり)を掛け、光村少年の存在を認めさせる事。

 リザ先生は、別段表情を変えはしなかった。数秒間沈黙してから、彼女は

「君、自分が出荷される可能性を考えていたの?」

 と聞き返してきた。

「普通に考えたら、そう思うでしょう。俺自身の生き死にに関わる事なんだから。先生たちエクセリオンにだって、十五年っていう寿命(スパン)がある。工場送りになる事を考えて、怖くなる事はありませんか?」

「……怖い、ね。人間は死ぬのが怖いみたいだけど、何で? 痛そうだから?」

「さあ。俺にもそこは、よく分からないです。死ぬのを恐れなくなったら誰も彼もが向こう見ずな事をして、種族が絶滅してしまうからそう設計(プログラミング)されているんじゃないですかね。本能っていう、人間版機械的生命(ヴィタ・マキニカリス)に」

「ニヒルだね。私は、時々考える。人間は皆、君たちみたいな天才じゃない。都合良くプログラムをインストールしてアップデート出来る訳でもないし、色んな事を積み重ねるのに長い時間が要る。それが、個人性(オリジナリティ)を分化させるんだと思う。私たちエクセリオンにも個性はあるけれど、こっちはそれ自体プログラムの範疇だしね。

 長い時間を掛けて積み重ねたものがパーになったら、人間は誰だって嫌でしょ。科学者が、相当時間や費用を()ぎ込んだ自分の研究の方向性が間違っていたって認めるのが怖くて、行き詰まったまま引き返す事をせず悩み続ける、って事が旧時代にはあったらしいよ。私たちの十五年に比べたら、人間の時間なんてありすぎるくらいなんだから、そんな無駄な事しなきゃいいのにって思うけど。

 そこが、私たちがオーガニックに程遠いところなんだろうね。私たちの時間は、生命の意義を理解するには短すぎるんだ。まあ、生まれてアクティベートされて、適性検査で配属先が決まって、そこで系統的(システマティック)機械的生命(ヴィタ・マキニカリス)を回し続ける生涯だから、感じるべき意義なんてものも、ねえ」

 珍しく饒舌になる先生の(てのひら)の人工皮膚が、微かに顫動していた。

「俺は、正直怖いですよ。エクセリオンの皆さんは賢い、エリアの真実を知る被食種の俺を五体満足で解放する事はまずないでしょう。俺が(スラム)で、エリアの秘密を暴露する事がないとも限りませんし……まあ仮に自由にされても、そんな事はしませんけどね。

 かと言って、卒業後の姿を後輩たちに見せる訳にも行かない。また、次期オブザーバーの問題もあります。俺の後で、代わって商品(プロダクト)を監視する別の誰かが居ないといけませんよね」

 俺が言うと、リザ先生はまたもや嘆息した。

「君も色々考えるようになったんだなあ。その点は安心しなよ、君を出荷するなんて言ったら、君は私たちを裏切るでしょ。裏切らないって言ったら、その方が信用ならないよ」

「いえ、俺は別に……エリアシステムの一部っていう意味では、先生の言う系統的(システマティック)なパーツに過ぎませんし。この不安は、やっぱり動物的な本能です。それ以上のスピリチュアルな説明は似合わない」

「上が集団出荷後の君の処遇について、どういう判断をするのかは分からない。だけど、私は君を長年見てきている。十三年間、エリアの為に極めて優秀な働きをしてくれた事もね。悪いようにはしないように、私から掛け合ってみるから」

「いや、いいんですよ。だけど、あなた方側の都合も考えて下さい。次のオブザーバーについて、先生方は何か用意をされているんですか?」

 俺は畳み掛ける。先生の(てのひら)の顫動が、僅かに大きくなった。

 ノードは人工皮膚と人工筋肉で体の質感まで再現してはいるが、内部は機械だ。体内を巡る血液(オイル)を基に、脈拍や無意識呼吸では”嘘発見(ダウトコール)”は行えない。だが、動揺から来る痙攣まではごまかせない。先程の溜め息もだが、必要のない生理現象を副機能(オプション)として再現していたのが仇になったな、と俺は思う。

 微かな笑みが無意識のうちに表れてしまったのだろうか、リザ先生は(しば)らく無言で顔を固定していたが、やがて三度(みたび)深々と息を吐き出した。

「やっぱり君、人間らしくないね。上に、私が言ったんだって言わないって誓えるなら、特別に教えてあげる。勿論オフレコでね」

「録音機なんて、今は持っていませんよ。……何でも言って下さい。薄々、予想はついていた事ですから」

 俺は、いよいよ核心に切り込んだ、という手応えを感じた。

「上は、君の代用を用意している。時々凄く冷たい話し方をするんだよね、その子について。君を使い捨てにするなんて私は嫌だけど、君自身がさっき言ったようにそういう方針(システム)なんだから仕方ないっていうか。でも、私が君を助けたいっていうのは本当の事だよ」

「それなら上に掛け合ったところで、仕方ないものは仕方ないですよ。被食種に、あんまり肩入れするとよくありませんよ」

「やれやれ、教え子から逆に説教されちゃったか。……大丈夫、これは上も、君の為にって訳じゃなく条件を呑むだろうって事を考えているから。新しいオブザーバーの体に、君の脳を移植するの。知ってる? 脳移植は骨髄とかと違って、拒絶反応が発生しにくいんだって。そしたら君は、『鷹嘴那覇人』としてのIDと体は死ぬ事になるけど、人格としては生きられる」

 先生は、思いも寄らなかった事を口にした。

 俺は面食らってしまう。顳顬(こめかみ)を、汗が伝い落ちるのが分かる。これは測定器に繋がれていても、別段不自然な反応とは捉えられないように思う程の衝撃だったが、俺は何とか「そうですか」と紡ぎ出した。

「体は、エクセリオンの義体じゃ駄目なんですか?」

「それじゃあ本末転倒でしょ。同族を商品(プロダクト)の中に紛れ込ませるっていうのがオブザーバーのコンセプトなんだから。それに、メリットは運営側にもある。一から新しいオブザーバーに”学習”をさせる事もなく、監視者としての仕事を引き継ぐ事が出来るんだから」

「でも、先生がそんなに俺の事を気に掛けてくれているとは意外でした」

「大切な教え子だからね。……っていうのは冗談だけど、何だか那覇人君には愛着が湧いたっていうか。付属装置(アタッチメント)の君に、愛着(アタッチメント)が生じたなんて笑えるね。言ったでしょう、私は君を人間だと思っているよ」

 人格的存在としてのね、と、今度ははっきりと言われた。

 俺は、内心では嘘だ、と思っていた。いや、生体反応には現れないが、リザ先生の言葉には若干の語弊が混じっている。

 彼女が愛着を抱いているのは、「俺」ではなく「結果を出している俺」だろう。職場に優秀な()()が居れば、経営者はそれを手放したくはないように。無条件な(アガペー)など、本来は食物である俺になど向けられるはずがないのだから。

「じゃあ、もう一つお聞きしてもいいですか?」

 俺は、わざと疑念も感動も示さなかった。

 先生がその気ならば、こちらからもその「仮初(かりそめ)の信頼関係」にもう一歩踏み込んでみようか、と思った。

「リザ先生の訴えが認可されれば、来年の今頃は俺がそいつとしての人生を歩んでいるはずのオブザーバー……そいつに、一目会わせては頂けませんか?」

 俺が佐奈から任された、もう一つの事。

 それは、光村少年の居所を掴む事だった。

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