『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第24回
⑫ ヘンリー
自分が人間であれば、間違いなく固唾を呑んでいた。
唾液ではないが、肉を吸収する為の液状分解機構が口腔から失われてしまったように思う。緊張のあまり口の中がからからになる、とはこのような状態を指すのか、などと、ヘンリーはある意味では呑気ともいえる考えを巡らせていた。
そのタイミングに於いて、何も感じる事は出来なかった。
ジェシカも会長も、他のスタッフたちも皆がヘンリーと同様息を詰めて正面に降ろされたスクリーンを見つめる中、コールブランドの装着して行った発信機の反応は数回瞬き、やがて途絶した。
駄目押しをするかのように×印の上から表示される「LOST」の文字と、モニタリングウィンドウに映し出される「No Signal」のメッセージ。同時に会長が持つトランシーバーから聞こえてきていた戦闘音も、急に途切れた。コールブランドは敵と戦いながら何事かを喋っていたようだが、ジャミングが掛かっていたのかその言葉を聞き取る事は不可能だった。ただ、砂嵐のような音の中で響く銃声と金属のぶつかり合う音だけが、彼の生存を教え続けていた。
それも、発信機の信号途絶と同時に響いた爆発音の直後に消えた。
「……コールブランド君、反応ロスト。惨い事だが、破壊されたようだ」
会長は言うと、トランシーバーを置いて合掌し、黙禱した。エクセリオン社会に宗教は存在しなかったが、会長のその動作は意味を超越した、コールブランドへの礼節だった。
オペレーターたちの間に、重い沈黙が流れる。ジェシカは両手で口元を覆ったが、当然のように嗚咽も涙も続いて溢れ出す事はなかった。
「何となく、相手の武器が分かった」
滞った空気を打破するように、会長が開口した。
「やはり、私たちの予想は間違っていなかったようだ。奴は……侵入者は、間違いなく我々エクセリオンを含む機械全般をハッキングする能力を持っている。機能停止のみならず、その挙動を支配するような、ね。輸送用通路の監視カメラが止まっていたのも、警備員たちの核がプロテクトを解除されていたのも、その能力によるものだろうね」
「ハッキング……」
ジェシカが長い睫毛を伏せ、物憂げな目で呟いた。
会長の一言は、皆の口を開かせるどころか却って沈黙の濃度を上げてしまった。皆が呼吸を忘れ──自分たちが自発的呼吸を行っていない事も忘れ、窒息してしまいそうになった時、
「……会長」
何か逡巡するように唇を戦慄かせていたジェシカが、最早何でもいいから言ってしまえ、と言わんばかりの勢いで机に両手を突き、立ち上がった。
「当エリアには危機管理対策の最終手段、レベル5として、大型の対人用人型自立戦闘機が配備されています。国防軍より正式な認可を受けたものです、あれを投入し、侵入者をその場で討ちましょう」
「オートフィギュア? あれは最終手段だ、使えばここは修羅場になる。エリアに計り知れない損害をもたらすかもしれないよ」
「もうとっくに修羅場になっています!」
ヒステリックになるジェシカを、会長は冷静な口調で窘めた。
「もしあれが、今までと同じように敵に乗っ取られたらどうする? 秘密兵器が一瞬にして、破滅を引き起こす禁断の果実に早変わりだ。人的被害は見過ごせないし、そのような不始末、内閣府に報告すれば軍からの支援も打ち切られる。そうならない可能性の方が、今のところ少ないよ」
「でも……でも!」彼女は尚も言い募った。「コールブランドさんを喪った損害は大きすぎます。あの兵器を使えば、システムのコントロールを奪われる前に敵を始末出来る可能性だってある。何としても……それこそ賭けてでも、これ以上の犠牲が出る前に犯人を止めないと」
ロズブローク先生もきっとそう言いますよ、と彼女は付け足した。
ヘンリーは、会長は損得勘定で発言せざるを得ないのだ、と頭の中で分析した。彼は現場のエクセリオンではなく、経営者なのだ。彼自身が取らねばならない責任を回避する事は、果たさねばならない責任を果たす事を意味する。責任を問われる状況になった時点で事は手遅れ、たとえ彼が決して自己保身などを考えている訳ではないとしても。
この状況では同義か、と脳裏で呟いた時、会長が「そういえば」と言った。
「ロズブローク君は何処に行ったのだ? 培人学部主任研究員の彼には、誰か状況を伝えたのかな? コールブランド君が居ない以上、費用対効果を閲した上でシステムの機会費用を取捨選択するのは彼だ。ここでは私が彼を蔑ろにして、強引に事を進める訳にも行かないだろう」
途端に、ヘンリーとジェシカ以外の皆が渋い顔をした。
「彼には任せられません。判断に感情論を持ち込みますから」
「商品……自分の大事な『教え子たち』を優先するばかりで、設備的な損害など度外視するでしょう」
「事が公になったら、彼一人が責任を被ればいいというものでもない。私たちの業務にも支障を来しますし、来月の集団出荷が恙なく行えなければ収穫肉だけ残ってもしようがないでしょう!」
製造年数が十年を超えた職員たちは、口々に言い始める。
「居ないものは仕方ありません、ここは会長のご指示を!」
ヘンリーは、ぐっと拳を握り締めた。彼らの言う事は分からないでもない。自分たちもまたエリアシステムの一部であると捉え、その運営を流れ作業的に行っているのだ。それは彼ら自身の自覚であり、矜持に他ならないのだが、彼らにとって生徒たちに対する想いが同族に対するそれと同等なヴェルカナは相容れない存在に思えるのだろう──機械的生命の規範を逸脱する程に、極度に不合理で非効率的な。
しかし、自分の敬愛するヴェルカナがここぞとばかりに悪し様に言われるのは、ヘンリーには不快な事だった。
数十秒間悩み、意を決して立ち上がった。
「規則は規則です。ロズブローク先生は今日、生徒たちの補講の為に施設内にいらっしゃいます、直ちに連絡して彼の判断を仰ぎましょう!」
「先輩……」
ジェシカは、不安げな瞳に一筋の希望の色を浮かべて見つめてくる。それは人工筋肉の眼窩から覗く、単なるレンズの反射ではないように思われた。
他の職員たちは「裏切り者」「若造が何を言っているのだ」とでも言いたげに、こちらに刺すような視線を向けてきたが、ヘンリーは躊躇わなかった。会長に向き直ると、両腕を広げながら続ける。
「会長、昨日セキュリティを含む当エリアの管理システムについて、『問題なし』と判断を下されたのはあなたです。このような事態になった以上、あなたも我々スタッフの一員として協力して頂きます。ロズブローク先生の指揮に伴う責任は、コールブランドさんに代わってあなたがお取り下さい」
「おいヘンリー、不敬だぞ」
同僚の一人が慌てたように窘めてきたが、会長は間髪を入れずに「分かった」と返してきた。
「君たちがどう捉えようと、一切の責任は私にある。事後処理については私が考えよう、決して悪いようにはしない。それで、何も問題はないね?」
「感謝します」
言いながら、ヘンリーの手は既に次の動作に移っていた。忙しなくHMEを取り出し、ヴェルカナ本人の番号に連絡を入れる。職員たちは唖然として立ち尽くし、ジェシカは不安と期待が綯い交ぜになったような表情で自分の一挙手一投足に目を凝らしていた。
新人の一スタッフが僭越な事を、などと考えている暇はなかった。
──男を見せる時だ。
「こちら、オペレーティングルームです」
コールが止んだ瞬間に切り出した。
「ロズブローク先生……ヴェルカナ先生?」
『お掛けになった電話は、電波の届かない所にあるか、もしくは……』
AR以前から変わらない、棒読み風の電子メッセージが流れた。思わず「は?」と呆けた声が漏れる。
「ヴェルカナ先生、HMEを切っているのか……?」
えも言われぬ嫌な予感が、胸中に広がる。逸る心を「落ち着け」と言い聞かせて宥めながら、次はヴェルカナの助手をしているベリーに繋いでみる。こちらはすぐに繋がり、マスク通り若者らしい彼の声が聞こえてきた。
『はい、こちら培人学部』
ヘンリーは安堵し、ほっと息を吐き出す動作を取った。
「ああ、ベリー君良かった! 今、何処に居るんだい?」
『ヘンリーさん?』
彼は屋外か、その近くに居るのだろうか。リアルタイム回線の向こうから、何やら大勢のエクセリオンの話し声やがちゃがちゃと沢山の機材を準備するような物音が聞こえてくるが、ヘンリーはそれを意識外に押し出した。
「ヴェルカナ先生はそこに居る? 連絡しなきゃいけない事があるんだけど、HMEが繋がらなくてさ」
ヘンリーが言うと、ベリーは『やっぱり、ヘンリーさんも?』と声を上げた。
『僕の方も、同じような感じなんですよ。探していますが、手掛かりもなくて。生徒たちに聞いたら、補講にも出ていないんですって』
「そうか……参ったな」ヘンリーは、そう呟くしかなかった。
『何か、新しい動きがありましたか?』
「………」
最初の段階で侵入者の行動がエクセリオンの殺害にまで及んでいた事は、関係者の皆に通知されている。ヘンリーたちオペレーティングメンバーのように状況の推移を時系列で見ていた訳ではない彼らには、気が気でなかったらしい。
ベリーに同情しながらも、ヘンリーは彼に更なる動揺を与える事を承知の上で現状を伝える事にした。
「いいかな、ベリー君。落ち着いて聴いてくれ。コールブランドさんが、侵入者に破壊された。今、現場に警備隊が向かっているよ」
向こうで、ベリーが息を呑んだような音が聞こえた。同僚たちが「おい、警備隊って何の話だ?」と容喙してきたが、ヘンリーは黙殺する。
「オペレーティングルームには来るな。君は引き続き、ヴェルカナ先生を探す事に専念して欲しい。ここから先は、培人学部主任研究員の彼に懸かっている」
彼の返事を待たず、「頼んだよ」と言い残して通話を切った。振り返ると、こちらを睨んでいる同僚たちに言う。
「そういう事です。直ちに、動かせるSPU(Suppressor Protocol Unit:鎮圧プロトコル執行班)を」
「職員の犠牲を顧みないつもりか、あんたは!」
ラテン系の中年男性のマスクを被ったエクセリオンが、我慢出来なくなったように声を荒げた。
「もう三体も殺られたんだぞ。どうせ焼け石に水に決まってる、それよりまだ敵はこの棟に居るんだろ? 俺たちだけでもまず脱出してこの棟を封鎖、ロズブロークが来るまで待つべきだ」
「それじゃあ駄目です! 防犯シャッターなんて、エクセリオンの存在理由プログラムさえ弄れる敵にはおもちゃも同然ですよ。オートフィギュアを出しても大丈夫かどうかも分からない、だけどそれは先生の最終判断です。俺たちでやれるだけの事をやっておかないと、その余地もなく全滅します!」
ヘンリーは苛立ちつつも、両手を広げて訴え掛けた。ふと、陽性の内観があるからこそここまでずけずけと言ってしまう自分だが、恐らくそれを嫌っている他人も多いだろうな、とちらりと思った。
割り込んできた同僚が、人工皮膚を紅潮させた。
「あんたは黙っていろ。そもそもここのリーダーは、あんたじゃない!」
「あなた方は!」つい大きな声を出してしまう。「下手に動いて自分たちの責任になるのを怖がってるだけじゃないですか!」
「やめろ、皆」
会長が割って入ってきた。その威厳ある声に、ヘンリーも他の皆も口を噤む。
彼は、幾分か声色を和らげた。
「責任は私が取ると言ったはずだよ。それでは心許ないかい?」
「い、いえ……」先程の同僚が言葉を濁す。
「パニックは、出来る事を全てやって駄目だった時まで不要だ。ロズブローク君が来ないなら、まず私の方で採り得る策は全て採る」
「失礼します!」
その時、突然オペレーションルームの扉が開いた。空気が張り詰めている真っ最中だったので、誰もがぎょっとし、示し合わせたかのように首を動かして声のした方に視線をやった。
そこに、エクセリオンが一体立っていた。マスクは装着せず頭部パーツを剝き出しにしており、重役感のある黒いスーツをきっちりと着こなしている。
「ここは目下関係者以外立ち入り禁止で……」
オペレーターの一人が不機嫌そうに言いかけたが、相手の纏っている得も言われぬ威圧的な空気感に気圧されたように、その言葉が途切れた。
黒スーツの彼──音声のチューニングからして、恐らく男性の設定だろう──はそのオペレーターを薙ぐように一瞥し、別段意に介してもいないように歩みを進めて来ると、ブレストポケットから身分証明書を取り出した。
「元関東ネオヒューマノ理事長代理の部下の者です。上司から、会長への伝言を預かっております」
「ハミルトン君の部下か。私に、何のご用かな?」
会長は、相変わらずの落ち着き払った態度で言う。黒スーツは、一切明度を変えない眼光を彼に照射しながら再度開口した。
「侵入者の件でお困りのようですね。上司が、目下の事態を今の段階で収束させる策を持っております。お時間を頂けますでしょうか」




