『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第22回
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再びノードの姿に化けた僕たちは、窓の外に取り付けられた非常用梯子で外壁に出ると、廂の上に攀じ登って階層間──僕や麗女翔の部屋がある四階の天井と、五階の床下に移動した。通気口の換気扇を停止させ、中に入り込む。
大昔、米国にネジ釘を使って天井に穴を開け、通気管の中を通って刑務所から脱獄した囚人が居たそうだ。スパイやアクション映画ではありがちなシチュエーションだが、僕たちは三人で縦に並び、匍匐前進でその中を通り、先生たちの寝泊まりする棟を目指した。
男子寮と教職員の独身寮は、屋上の渡り廊下で行き来出来るようになっていた。無論後者は施設の”裏”に関する場所なので、その渡り廊下に出る扉には「関係者以外立ち入り禁止」と書かれ、例によって監視カメラが設置されている。故に、僕たちはこのような七面倒臭い手段を採らねばならないのだった。当然だが、外を通って行くルートでも「立ち入り禁止」のフェンスと防犯設備はある。
僕たちは、杞紗の3DCGでモデリングした施設の立体構造をすっかり頭に叩き込んでいた。それでも適宜お腹の下の通気口から下のフロアを見下ろし、道順を間違えていないか確かめながら慎重に進む。やがて、ヴェルカナ先生の私室に出ると、一度窓外まで通り越し、入った時のように換気扇を取り外して脱出した。出る時は上半身を虚空──地上四階、高さ約二十メートルに乗り出さねばならないので、落ちたら即死は免れない。
僕は雨水管を右手で掴み、肋木運動をするかの如くぶら下がりながら爪先で足場を探った。廂を捉え、そろそろと足を下ろす。金網入りの強化ガラスにはマツリハ傘下のセキュリティ会社のロゴが見え、さすがに厳重すぎないかと呆れたが、これも想定済みだった。
早く狭い通気管から出たがっている麗女翔と杞紗に「待ってて」とハンドサインを送り、通報装置を探す。見つけると、スキャナーに設備業者のメンテナンス用IDを読み込ませ(これもまた上層部のデータ中から発見し、小型端末にプログラミングして偽装したものだった)、セキュリティチェックをパスする。以降は原始的な方法だが、ガラスの一箇所に錐で小さく穴を開け、金具を差し込んで鍵を外した。次のメンテナンスは一ヶ月後なので、僕たちの”卒業”=作戦発動の日まで異変に気付かれる事はないだろう。僕は、目視では錠の陰の死角になるよう細心の注意を払って穴開けを行った。
「よし、来ていいよ」
僕は窓からヴェルカナ先生の部屋に入り込むと、二人を手招いた。長時間に渡って身を屈め続け、その上文字通り半ば宙吊りの状態と気分で作業を行った為、安全な床に足を付けた際は安堵感のあまり腰が砕けそうになった。
麗女翔も、唯一スカートを穿いていたので必然的にしんがりになった杞紗も同じような状態に陥っており、特に高い所も怖い杞紗は一度部屋に入った麗女翔の手を借りてようやく入る事が出来た。
「はあっ……怖かった」
「怖くならない方がおかしいよ。よく頑張った」
ここぞとばかりに彼女を褒める麗女翔に、僕は仄かに微笑してから室内をぐるりと見回した。
睡眠を必要としないノードの部屋には、ベッドどころかソファすらなかった。インテリアはデスクトップPCの置かれた机に肘掛け椅子、キャスター付きの収納ボックスに本棚のみだが、椅子を除いたそのいずれの上にも無数の書籍や論文のコピーを綴じたと思われるファイルが積み重なっていた。
「ヴェルカナ先生って、本当に研究者なんだな……」
分かってはいたがやはり、という気持ちで、僕は呟かずにはいられない。日本で誕生し、半世紀に渡ってこの国のみで繁栄してきたノードの新分野「培養人類学」に関する資料は当然のように日本語で題名が書かれているが、中には英語やドイツ語、ラテン語の文献もあった。
僕は、中の一冊を無作為に抜き出してみた。
『Nervosität und neurasthenische Zustände:Krafft-Ebing, R. F.』
ノードは人間を被食種と呼んで獣のような見方を示しているが、従来の学問分野を歴史的に学ぶには、やはり旧時代の資料を参照する必要があるらしい。しかも、彼らは吸収したこれらの知識を忘却する事がない。
「ちょっとした『歩く図書館』だな、ノードは」
「おい、ちょっと見てみろ!」
いつの間にか杞紗を愛でるのを一段落させ、僕と同様室内の見分に当たっていた麗女翔が声を上げた。当然というべきか、彼は真っ先に机上のPCに近づき、何故か電源の入っているその画面を指差していた。
「どうやって開いたの、それ?」
僕は、杞紗と一緒にそれを覗き込む。
僕たちがエリアの真実に気付く事となった”悪戯”の際、麗女翔が自力でヴェルカナ先生の講義用ノートPCをハッキングしたと言っていた事を思い出した。その際に彼が割り出したパスワードが、ここのデスクトップPCをロック解除するのにも役に立ったのだろうか。
同じパスワードの使い回しとは、思慮深いヴェルカナ先生にしてはパスワードリスト攻撃への対策が疎かだ、と思った僕だったが、麗女翔はあっさり否定した。
「点けっぱなしだったんだ。何か、目茶苦茶重いデータを別デバイスに移し替えようとしたらしい。もう終わっているけど、作業途中で呼び出し受けたか何かで移動しなきゃいけなくなって、そのままにしてたんだろうな」
麗女翔はPC本体を示す。なるほど、そこには一本のUSBメモリが挿し込まれていた。
「まだ結構温かい……もし、この中にそれらしいものがあれば……」
「あっ、勝手に触ったら痕跡が」
僕は言いかけたが、麗女翔は既にキーボードやマウスで挿しっぱなしのUSBを展開し、膨大な暗号めいたファイルの海をスクロールし始めていた。検索欄に「宮城県立病院」「カルテ」などと入力し、絞り込みを掛ける。
数秒後、
「ビンゴじゃね、これ!?」
興奮した声で叫んだ。僕は彼の絞り込んだファイルを見、それが研修の際自分も入力作業を行った架空の入院患者たちのカルテである事を確認した。
「やっぱりそうか……! ヴェルカナ先生は、病院にあったコンピューターの中身を全部メモリに移動させて、こっちに運んで来た。でも、その時に何かトラブルがあって、データを選り分けてメモリに入れている暇がなかったんだ。偽装用のカルテまで入っているのはそういう事だろう。こっちで整理している間に問題が起こったんだとしたら、それは……」
「って事は、前々から先生は……誰もが偽装用だと思って却って盲点になっていた偽病院のコンピューターに、何か重要なデータを分割して隠していた?」
僕が独りごつと、杞紗が「有り得る」と肯いた。
「本当に秘密にしたい情報があるなら、施設にある端末じゃ駄目……時々、グループからシステム監査が入るんだもん。隠すなら、偽装用ファイルしか入っていない街中のハリボテがいちばん」
「そして、ヴェルカナ先生が自由に出入り出来る所が、派遣元っていう設定で生徒の研修の舞台にもなるあの偽県立病院だった」
推理が一つ一つ形になっていく事に、僕たちは高揚した。何か、とてつもない真実に近づいている──そんな予感がひしひしと感じられる。
麗女翔は、自分のUSBを取り出すと、偽装用の不要なファイルや先生が”教員”として管理しているデータ、僕たち生徒の提出物や成績フォルダなどを省いた上で残りをコピーし始めた。それらは作成日時が今日となっている「フォルダⅠ」「フォルダⅡ」という簡潔な名前の二つに集約されていた。
この二つのフォルダの中に、ヴェルカナ先生は何か重要なデータを保存していたのだ。その謎さえ解ければ、僕たちがあのTheoriaを使っても大丈夫かどうかの見極めがつく。
麗女翔の推測通り、余分なファイルを省いたにしてもかなり容量の大きいデータを動かしているらしかった。進行度四十パーセントを切ったまま焦れったい速度で進むプログレスバーを見ながら、
(それにしても──)
ふと、僕の脳裏で疑問が頭を擡げた。
杞紗が先程言っていた通りなら、ヴェルカナ先生はエリアで働く同僚たちにも知らせずに──或いは一部しか明らかにせずに──、何かの作業(研究? 計画?)を進めていた事になる。これは一体、何を意味しているのか。
(エリアシステムの範疇で思惑を抱いているのは、僕たちだけじゃないらしい)
考えてみれば当たり前の事を、僕は今更ながら実感させられた。




