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『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第20回

接続開始(コネクト・オン)

 彼女が囁き掛けた瞬間、PC画面が遷移した。暗転と、無数の白い文字の羅列。シェルスクリプトか、と思ったが、俺が読み始める前にそれらは物凄い速度で上方へと流れ始めた。そのあまりの速さに、強化された動体視力でも追いきれず目の奥がちかちかしてきた。

「機械のプログラムを高速で解析して、中枢システムの挙動を観察する事で対象に干渉出来るの。コンピューターならCPU、ノードなら(コア)に。大抵の機械はこれで支配下に置ける」

基本構想(コンセプト)はよくあるマルウェアって感じがするな」

「けど、私はこれが史上最高に有害なコンピューターウイルスだって自信がある。だって、感染力が尋常じゃないのよ。送信だけなら、最寄りの機械の近くで音声入力のコマンドを唱えるだけで出来る。一昔前のスパコンなんて比じゃない、ノードのコアにだってよ? それに、乗っ取る速度だって。いちばん怖いのは」

 佐奈の口調は、自分で作ったにも拘わらず怪談を語るかのようだった。

「掌握後は、対象の機械にも問答無用で同じ音声認識タスクの実行が促される点。例えば──ほら、見てて」

 いつの間にか、解析が完了したようだった。PC画面に『Completed!!』の文字が躍る。

「行くよ……『映せ(ビュー)』!」

 彼女が小さく叫ぶと、三度(みたび)画面が切り替わった。カメラが先程まで記録していた映像──机上、PCの隣に置かれているので、ディスプレイ前に座った佐奈の肩の辺りが映っている──が表示される。

「接続をこっちで終了しない限り、『保存(セーブ)』って言ったら保存するし、『読込(ロード)』って言ったら読み込むよ。そのうち『胡麻(セサミ)』って言ったら開くように学習させるけど」

 佐奈は冗談めかして言うと、矢庭(やにわ)にその笑みを妖しいものに変えた。

「『壊れろ(フェイリア)』って言ったら、壊れるようにもね。ただ、それはあくまで故障(バグ)だから本当にノードを殺すならコアを開かせて物理的に破壊するしかない」

「何というか……呪文みたいだね」

「ふふっ、そうかも。私も憧れてた頃あったなあ、魔法を使う女の子に」

 彼女は「接続終了(コネクト・オフ)」とコマンドを吹き込み、カメラを切った。「と、まあ大体こんな感じ。今このデータはクラウドストレージにあって、さっき話した通りこの端末は上と接続状態を維持している。ドライブを使えば、運営側のネットワークを介してエリアシステムの中枢に潜り込める」

「佐奈って、やっぱり天才なんだなあ……」

 俺は、それしか言う事が出来なかった。俺が──というより、他の先生も生徒たちも知らない間に、何年も費やしてこれだけのものを作り上げていたのだ。もし俺がオブザーバーのままで、彼女が集団出荷の日に俺も一緒に連れて行ってくれると言わなければ、当日何が起こったのかも分からないままだっただろう。

 俺が未だに”人間”としての自分を採っておらず、エリア運営に参画する者の一人だったら、恐らく彼女を脅威(スレット)と考えて抹殺しようとしていただろう。だが、今では素直に彼女を尊敬する事が出来た。

 その気持ちの変容を思うと、彼女が自分に起こしてくれた変化を改めて「良いものだった」と感じられた。

「ありがとう。那覇人が褒めてくれたの、初めてだから嬉しい」

 佐奈は、恥じらうように微かに頰を赤らめながら言った。

「でも、天才って呼び方はちょっと……ね」

「気に入らない?」俺は、少々慌てながら尋ねる。

「那覇人が純粋に褒めてくれているのは分かるから、気にしないで欲しいんだけど……確かに私の知能指数は規定値の百三十を遥かに超えているし、ここの生徒たちは皆そうだと思うけど、『天才』っていうのは天賦の才って事じゃない? 私が何年間も独りで頑張ってきたのは、誰よりも私が知ってる。だから、最初から自分じゃない誰かにぽんって手渡されていたみたいな、才能っていう一言ではまとめられたくないかな、って」

「そうか……そうだよね」

 俺は、彼女が今まで誰も頼るべき(よすが)がなかったのだ、という事を再び強く実感する。そう思うと同時に、無意識のうちに言葉が口を突いていた。

「佐奈は、もう独りじゃない」

「那覇人?」

「俺も独りじゃない。俺が佐奈にとっての二人目で、佐奈は俺にとっての二人目なんだ。独りと独りが繋がれば、独りぼっちが二人減る……当たり前の事だけど、それでも俺は嬉しかった。俺にとっては、当たり前じゃなかったから」

 勢い込んで、今し方の彼女の台詞からは何の脈絡もないと思われる事を言ってしまった。だが、舌の回転は油が注されたように止まらない。

「俺じゃ、ここまで独りでやってきた佐奈に出来る事は少ないかもしれない。っていうか、(ほとん)どないに等しい。だけど、それでも俺は一緒に居たい。せめて、並んで歩く事くらいは」

「ふふっ、何か告白みたいになってるよ」

 佐奈は照れ隠しの為か、(おど)けてきた。

「べ、別にそういうつもりじゃ」

「ああ、でも良かった。那覇人がいい人で」

「いい人? 俺が……」

 俺は急に平静に戻り、虚を突かれたように言葉を失ってしまった。

「俺は……いい人、なのかな?」

 己の行った行為を省みてからというもの、自分ではそう思えなくなっていた。

 しかし、佐奈は迷う事がなかった。

「私はいい人だって信じてる。だから、その信頼からお願いしたい事があるの」

 彼女は唇を湿らせ、再度画面を示した。

「何年もハッキングを続けて、私はエリアシステムの全てが一つの基盤に集約されて管理されている事に気付いた。この青葉児童養護学校から外の”街”のインフラ、先生たちによる管理教育プログラムの執行に、セキュリティ面では関東ネオヒューマノ傘下の警備会社に通報する回線まで。知ってる?」

「リザ先生に聞いた事がある。ノードの寿命(スパン)が明らかになった時、エリアシステムを突貫工事で成立させる為に統合概括母体を採用したって。今のエリアも、そのシステムで管理されているって」

 ──確か、エニグマという名前だった。俺は思い出す。

「じゃあ、間違いないね」佐奈は、右手の人差し指を立てた。「それを『ドグマ』の支配下に置く事が出来れば、エリアは機能を停止する。ドグマは感染力も凄まじいから、それを通じてエリア中の端末(ターミナル)に、更にそれを中継点(ターミナル)にして近くに居るノードたちに共有する事も。上層部に接触出来る那覇人には、そのシステムの正体を暴いて貰いたいの」

「そして、あわよくばバックドアを仕掛ける?」

 俺が言うと、彼女は(かぶり)を振った。

「そんなに簡単には行かないと思う。リスクはあるけど、私が今の接続を作戦当日まで維持し続ければ、クラウドサーバーからでも行けると思う。IPアドレスの偽装に気付かれたら一巻の終わりだけど」

「そうなったら、君は殺されてしまう。俺でも守りきれない!」

「那覇人」

 声が大きくなった俺に、佐奈は真剣な眼差しを向けてきた。

「私がこれをやってきたのは、私だけの為じゃない。こうして、作戦を嚮導出来る人間は二人になったのよ。那覇人が『ドグマ』を引き継いでくれたら、万が一私が居なくなった後でも」

 言いかけ、彼女は「いえ」と唇を噛んだ。

「ごめん、やめとく。そうだよね、皆を生きてここから逃がしたいって言っているのに、自分だけは例外だなんて卑怯だった。だけど、私が言いたいのはそういう事じゃなくって……単純に、もう一年も時間がないから」

「……それもそうか」

 俺は俯く。佐奈は、エリアで随一の頭脳と最先端技術を持ちながらエニグマの輪郭を掴むだけのところまでに数年を要した。如何に俺が怪しまれず上を探れるといっても、それ程セキュリティの堅牢なシステムに従来のバックドアを仕掛けようなどというのは至難の(わざ)だろう。

 考えた末、俺は一つの提案を口にした。

「佐奈のPCでやっている事を、俺の方でやる。俺なら、上が使っているクラウドに居てもおかしくないだろう?」

「那覇人……」

 佐奈は目を見開いて俺の顔を見つめ、口を半開きにした。言葉を探すようにその口の()が小刻みに戦慄(わなな)き、やがて大きな瞳が潤み始めた。

「そんなに……そんなに、私の事を……」

「か、勘違いしないでくれよ? 佐奈と一緒に皆を助けたいって気持ちは、俺だってちゃんと持っているって事なんだから」

 気恥ずかしくなってやや早口で言うと、佐奈は小指でそっと(まなじり)を拭い、「ありがとう」と言った。「それじゃあ、もう一つだけお願い」

「何でも言って」

 俺が肯くと、彼女はやや上気した顔をずいっと近づけてきた。自然に鼓動が激しくなり、それを彼女に悟られぬよう俺は意図して呼吸を抑える。

 佐奈は入口の扉にちらりと視線をやり、誰も廊下を通っている気配がない事を確認すると、それでも声を潜めて耳元で囁いてきた。

「例の二代目のオブザーバーの子……光村が深層意識下で”学習”を受けている部屋を探すの、手伝って欲しいの」

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