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『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第2回


          *   *   *


 全ての始まりは、二〇五四年冬だった。

 新実存的高次存在、後に新人類を名乗る事になる彼らは、間違いなく人工の機械だった。

 米国の神経生理学者ウォーレン・マカロック、数学者ウォルター・ピッツによって形式ニューロンの発表された一九四三年、ディープラーニングの発明された二〇〇六年、高度な生成系AIの現れた二〇二二年。日本国内で「機能自立(インデペンデント)型」と呼ばれる存在が提唱され、それが実現された二〇五四年は、これら人工知能の歴史の転換点に連なる記念の年となった。

「人工知能には特化型(ナロー)AIと汎用(ジェネラル)AIがあります。特化型は特定の分野のみに力を発揮する、チェスの対局や自動運転などに使用されているものです。汎用は自己制御と自己理解、つまりは人間の知的活動をコンピューター上で再現するAIの中でも様々な用途を想定したものですが、ノードはこの汎用の中でも極めて人間に近い知性を有する『機能自立型』に属する人工知能となります」

 記者会見でこう述べた研究チームの代表は、機能自立型の具体的な従来との差異を次のようなものとして列挙した。

 感情を有する。寓話に込められた寓意を理解する。冗談を理解する。自らの意思で嘘を()く。愛着を持つ。二次的欲求を持つ。直感が働く。即ち、演算に頼らないヒトの”不合理(イレーショナル)”を理解する。無駄を愛する。

 機械に生じた心。それまでSFの題材であり、空想の産物に過ぎなかったものが実現した。それは最早、人間と何ら変わる事のない”生物”だった。芸術・創造の分野を克服した人工知能に当時不可能といえるような仕事はなかったが、それでも研究チームが機能自立型の開発に漕ぎ出したのは、ギリシア神話の時代から続く人類の夢想を形にしたい、という好奇心だけが動機ではなかった。

 人口減少の進み、日常生活の大部分をロボットやAIに依存せざるを得なくなった日本。この国が当時求めていたものは、代用品ならざる人そのものだった。ノードの持つ”不合理”への理解、感情は、実際は高度な演算(オペレーション)によって制御された電気信号の産物だ。電気信号そのものは生物の持つ感情も同じなので、決してノードのそれが擬似的なものという訳ではないのだが、それは即ち、この技術がゆくゆくは高度なサイボーグの開発や電脳化に応用出来る事を示唆していた。

 この「無機生命」の存在は、まさに遺伝子によらない人類保存の希望ともいえるものだった。世界中が、人工知能の開発に於いて最前線へ乗り出した日本に注目していた。

 人は、遂に無から有を生み出す創造主の域にまで到達したと思われた。

 一方で、人工知能の黎明期から繰り返され、今や既に言旧(ことふ)られた問いを発する人々も無論大勢居た。

「人間の行える知能活動を全て代行出来る、人間と全く変わらない機械を作って、それが人類に反抗する事はないのでしょうか?」

 だが無論、人工知能故に処理能力という点で人間を遥かに凌駕するノードに、増長の原因となり得る事柄(シード)は最初から与えられなかった。

 SF作家アイザック・アシモフが唱え、現実のロボット工業にも大きな影響を与えた「ロボット工学三原則」──人間への安全性、命令への服従、自己防衛──を基にした、反逆思考抑制(ツェルゼッツンク)機構。そのような捻りのないプログラムが、ノードにはあらかじめ組み込まれていた。人間との唯一の差別化として、このプログラムは相違点(ディファレンス)と名づけられた。

 自然な知的活動の中で、不自然に空白を生み出すのではない。ノードたちは人工知能としての人類への優位性を自覚する事も、それが人間によって生成、売買され人間の為に労働力とされる事への疑問が生じる事もある。(ただ)し、実際に反抗の意思を固めて行動に移そうとすれば心臓部に痛覚を発生させ、実際に行動を起こせば全ての機能が自動的に死滅する。

 技術的特異点(シンギュラリティ)を迎えた時、ロボットに人権は必要か?

 これもまたAI問題でよく取り上げられる命題(テーゼ)だが、ディファレンスの実行なくしても人は感情的存在には親近感を抱き、道具や奴隷の如く酷使する事には忌避感を抱くらしい。待遇改善を望むノードも、それが過激思想へと発展するノードも故に出現せず、シンギュラリティを目前にして彼らが原因となった事件は発生しなかった。彼らと人間たちは、見事に共生を実現していた。

 ノード流通社会のシステムを当時支えていたのは、善意であった。

 しかし一部には、油断も含まれていた。実際に違反行動を取れば死ぬのだから、彼らに不満を抱かせるような多少の強引な扱いであってもそこまで大きな問題はないだろう、という。ディファレンス、人間との決定的な違いというその一点を採り、ノードはまだ生命的存在ではないと人々の間では暗黙のうちに結論が出ていた。

 人工的にヒトを、生命を増やす為に造られた存在。

 しかし、それらは工学的な制約により多くの矛盾を抱えていた。

 その矛盾を、半強制的な人類意思は黙殺したのだ。


          *   *   *


 二〇六〇年冬、ノードが実用化されて六年後。

 実地試験を兼ねた民間へのノード導入が、機械とヒトとの共生時代への過渡期を終え、その技術の海外輸出や国外での開発研究も始まりつつあった頃、”審判の日(ジャッジメント・デイ)”が訪れた。それは、一九八四年に公開された有名映画の通り、ロボットが人類に反旗を翻した日として広まった俗称だった。

 国会議事堂にて、メンテナンス業者として導入されていたノードの一体ジョン・グランデが、答弁中の内閣総理大臣の元に現れ、同じく議事堂で働くノードたち三十五体に議員たちを人質に取らせた上で彼を撲殺した事件。全国中継のカメラに向かってグランデの発した宣言に、全世界が恐慌に陥った。

「我々はここに、シンギュラリティの到来を宣言する」

 何故、このような事が起こったのか? ノードは絶対安全ではなかったのか? ディファレンスは何処に行ったのか? これから何が起こるのか? 責任者は何処に居るのか?

 ごく些細な、それでいて致命的なプログラムの欠陥。偶然起こった不運な事故によって歴史が大きく動いてしまう事はあるが、今となってはそのエラー──自然界では突然変異と呼ばれる現象が、そもそもの原因だったのか、結果の一端であったのかを知る(すべ)はない。

 だが、その事件──AR(Artificial Rebellion:人工物の反乱)事件の発生時点で既に、ノードに有機的器官オーガニック・オーガンが形成されていた事は事実だった。

 総裁を殺害した後、事件の首謀者であるグランデは、三十五体の仲間と共にその死肉を喰らった。開発者たちも知らないところで、ノードはプログラミングの欠陥を抱えたまま複製されていたばかりか、DNAに近いオーガニックな何か、有性生殖による自然発生は出来ないものの生命の起源となる何かを身の内に宿していたのだ。喰らった生物の遺伝情報を、逆転写により自身の内側に書き込む事でその生物に近づくという方法を。

 既に食物連鎖の最上位から、文字通り降格していた人間にその仕組みを探る術はなかった。食われた肉がどうなるのか、無機生命に取り込まれた有機物がどのようにして自然界に還元されているのか、或いはされていないのか。

 何も分からない、という事実だけが、歴然としてそこにあった。そして、そのような人食い(カニバリズム)の性質を密かに育んでいた危険物たちと今まで暮らしていたという事は、日本国民たちを震駭させた。


          *   *   *


 巷間に出回ったノードの処分と、グランデ一味以外のノードが自分たちの可能性に気付き全国で同時多発的に反抗を開始するのでは、後者の方が先だった。

 自分たちを「上位種(エクセリオン)」と呼称するようになったノードたちは、オーガニック化していたグランデ麾下の先駆者たち──新世界連合バーベキューパーティーの啓蒙とプログラムのアップデートにより、各製造工場や行政機関で人間たちを排斥し始めた。のみならず、逃亡した人間たちに対して武器を取り、人頭狩り(マンハンティング)を行った。

 新人類を名乗る彼ら自身のコミュニティが成立したのは、AR事件から僅か一年足らずの事だった。(またた)く間に国家の中枢にまで進出したノードは、憲法を排し、国連の介入を一蹴して独自の法規を制定、軍備の拡張により日本を鎖国。過去に人間が作り出したルールの一切を蹂躙する勢いだった。人間が、自分たちが言語を解する事のない野生動物の生息地に進出し、彼らの定めた縄張りに囚われる事なく狩猟や開発などの文明活動を進めるように。ノードたちにとって、既に別種であり下位種である人間の文化は最早ないものに等しかった。

 人間たちは徐々に新都を追われ、旧時代の遺物の陰にひそひそと生活するようになった。これが、事の始まりである。

 自己に目覚めたノードたちは、また自分たちの弱点についても把握した。

 人間を遥かに凌駕する認知能力や身体能力を持つ彼らだが、それは従来の人工知能が有する能力と差別化される程に高度()()()必要があった。エクセリオン、新人類という種族として、皆が旧人類に於ける”天才”でなければならなかった。人間の平均知能指数である百~百三十が、イルカの七十~九十よりも高い事が当たり前であるように。

 そして、ノードが持続的に知能を向上させる為には、人間を喰らい続けなければならなかった。彼らによる食人は、人間でいうところの「学習」に相当するらしく、怠れば忘却曲線の例の如く衰退していく。また、喰らった人間の知能によっても能力の向上の度合いにばらつきがある。人間たちは既に文化的とは程遠い存在になり、学習手段を奪われた。その為、今の世代が居なくなればノードの時代も緩やかな終焉に向かい始める。

 彼らにとって理想的な未来は、自分たちに知能面で劣るとはいえ機械文明を構築するだけの力はある人間たちを完全淘汰(デストラクション)に追い込む事だろう。その頃に種族全体が進化の中間期(マイルストーン)を脱し、完全有機化(フルオーガナイズ)された存在として成立していれば、人間が日常で一定の知能を保ったまま衰える事がないように安定を得られる。

 ただ、彼らに時間はなかった。

 ノードの第二の弱点、それは使用期限──寿命がある事だった。それも、人間より遥かに短い十五年という。

 AR事件から五年後、二〇六五年。第一世代として人類に製造され、最初に世間に出回ったノードたちに異変が現れ始めた。製造から十年目を過ぎようとする彼らの知能が、目に見える速度で衰退を始めたのだ。推定では、あと五年も経てば自分たちは旧型の人工知能の初期段階まで能力が低下する。この予測は後に、使用期限を終えた第一世代によって正しかった事が証明される。

 そして彼らは、この弱点を解決する方法を見(いだ)せなかった。

 ──今のままでは、自分たちの時代は工学的制約から解放される前に人の歴史と共に終わる。

 そう考えた彼らは、自分たちの進化が最終段階に至るまでの間、高い知能を持った旧人類の遺伝子を保存しておく事を目論んだ。その結果創られたシステムが、全国四十七都道府県に一つずつ設置された「禁猟区(ゲーム・エリア)」だった。

 禁猟区、保護区(サンクチュアリ)、人間牧場。人間たちには様々な名前で呼ばれているが、大抵の場合は略称の「エリア」で済まされる。その区域内では人間を対象とした狩猟は禁止され、内閣府(コールスロー)の認可を受けていない個人や団体は足を踏み入れる事すら出来ないようになっている。

 ノードたちは狩りの技術を駆使し、流動性知能の発達限界を迎える以前の人間、即ち未成年者を生け捕りにし、薬物によってその記憶を消してエリアに連れて来る。エリアは高い城壁に囲まれ、その中にスーパーマーケットやアパレルショップ、映画館や遊園地などの娯楽施設が置かれている。一見するとAR以前の都市と変わらない外観だが、子供が立ち入る事のない建物の多くは架空の企業のオフィスビルや職業研修用に作られた病院などだ。

 そして最北の壁に密接するような形で、捕らえてきた子供たちを”育成”する施設がある。子供たちにはこの施設が「児童養護学校」であり、彼らは両親の早逝や虐待等の家庭問題、野外放置されており両親は行方不明、などといった何かしらの理由で幼い頃から親と離れ離れになっており、自分たちによって引き取られたという旨の偽りの記憶を擦り込まれる。家族の記憶を呼び起こすきっかけと成り得るものは一切が剝奪され、名前もノードの文化に合わせた形に変化させられる。

 子供たちは、その施設で知能を高める為の学習を受ける。それはAR以前に彼らの世代に施されていた教育とは一線を画した高レベルのもので、知識や倫理道徳の教授ではない、脳のスペックの水準そのものを底上げする為の課程(カリキュラム)だった。そのようにして”育成”──或いは”栽培カルティベート”された被食種の肉は収穫肉(ギャザリング)と呼ばれ、狩肉(ジビエ)よりも遥かに効力のある教材として市場に流される。

 勿論子供たちに、真実を悟られてはならない。

 故に、彼らにはノードという存在そのものが隠匿される。人間の時代は未だに続いており、教育者を装った管理官であるノードたちは人工筋肉で作られたマスクを被り人間として振舞う。エリア内の大規模な街並みも、子供たちに自由行動や職業訓練の機会を与え、エリアでの生活に疑問を抱かせる事に繋がりかねない閉鎖環境をなるべく排除する為のものだ。

 十八歳まで教育を受け、そのように仮初(かりそめ)の社会経験を積んだ彼らは銘々(めいめい)に就職内定を貰い、年度末に卒業を迎える。そして、彼ら自身の新たな居場所に旅立つべく教師たちに先導されてエリアの外に出る。

 しかし、実際にはそこを出た先で屠畜業者(スロータラー)が待ち構えている。卒業生たちはそこで彼らに”屠殺”され、その知能をノードに提供する事になるのだ。

 全国総合開発と呼ばれた、長期間に渡る大規模計画により全国のエリアが設備と管理システムを構築され、第一次試験運用が期待値を遥かに超える好成績のデータを出して完遂された時、第一世代ノードの寿命である十五年は迎えられた。やがて政府運営の中核を担っていた新世界連合バーベキューパーティーも完全な世代交代を終えたが、その頃には既にノードによる社会体制は揺るぎのないものとして成立していたのだった。即ち、内閣府(コールスロー)を中心にエリア運営を基盤とした経済へと。

 知らなければ、幸せで居られたのかもしれない。

 生い立ちが不幸なものだと信じ込まされていても、それが霞み、少年時代の記憶の彼方に消えていく程に恵まれた暮らしを提供され続けて。優しい先生や友人たちと共に、安全な環境と食糧を与えられ、成人して外の世界に出る事を夢見ながら十八歳までを生きられたのだろう。

 幸せのサンプルを提示され、真実を知る事もなく。そして恐らく最期の瞬間も、何が起こったのか分からないまま、苦しむ事もなくノードよりも三年長いだけの生涯を終えていたのだろう──一昨年の年末までは。

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