『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第14回
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偽装目的の建物とはいえ、グローバルネットワークに接続出来るコンピューターや精密機器、用途を誤れば危険な薬品が置かれている以上、常に医師や看護師に扮した警備のノードは数人詰めている(エリア運営に携わる職員たちのうち、半数以上がセキュリティ部門だ)。
当然のように、院内のあちこちには監視カメラや赤外線センサーが取り付けられていた。しかし僕たちは昨日のうちに、僕の記憶に保存された──機械じみた言い方をするのは、大多数の人間にはまず不可能な事だからだ──建物の内装を引っ張り出して図面に描き起こし、それを杞紗に3DCGでモデリングして貰い、隠密行動のシミュレーションは行っている。
僕たちは裏口から入り、当直室へ向かう廊下に出る辺りのセンサーの死角に身を寄せると、持参した給食当番用の白衣を着込んだ。バッグの中に潜ませてきた端末を操作し、ソフトウェアの立ち上げを行う。
実は僕たちは、施設を出る前に額の生え際から顳顬、顎までを覆うように日焼け止めのパック剤を丹念に塗布していた。無論ただのパック剤ではなく、実習用ナノマシンにホロ投影装置の機能をインストールしたものを混ぜ込んだ乳液だ。アイピル──遠隔操作で体内の狙った部位に薬を届ける為の経口小型投薬装置──の要領でデバイスをコントロール、汗腺に蓋をすると共に、人面を外したノードの剝き出しになった頭部の画像を映し出す。これで僕たちの姿は、ここに詰めている医療従事者(に扮するノード)と一見見分けがつかなくなった。
その上、白衣の裏地にはアルミホイルを大量に貼り付けている。赤外線はアルミニウムで九十五パーセント反射されるので、バイオセンサーにも引っ掛からない=無機物のノードである、としてカメラ映像と矛盾も生じない。
施設での生活で自然に手に入る道具を使用した、ハイテクなのか原始的なのかよく分からない偽装。しかし、そもそもセンサーに反応しない透明人間になろうなどと考える方が余程墓穴を掘るという事は、既に僕たちは身を以て経験している。
脱出計画を練り始めた当初、僕たちは護身用の武器を得るべく、警備員たちの使用する麻酔銃や電気ショッカーを格納した武器庫に立ち入った。その際、守衛を引き離す為に着色ガスで空騒ぎを起こした上、赤外線センサーを潜り抜けようと三人でアルミホイルを被り、侵入を試みたのだ。が、そちらを欺くのに気を取られ、普通の監視カメラに思い切り姿が映っていた。
銀紙怪人の突然の出現に、ヴェルカナ先生は当然の事、体の空いている職員たちが皆集まってきた。このような馬鹿な事で僕たちの命運は尽きたのか、とその時ばかりは本気で思ったが、そこが表向きには危険物保管庫の為立ち入り禁止、と伝えられていた事、武器庫の中身を僕たちがまだ見ていなかった事、そして何より僕たち三人のシュールな姿から、いつもの悪ガキ三人組の悪戯だと思われ、大目玉を喰らいはしたものの大事には至らなかった。
ここまで命が懸かった状況では、その結末は「不幸中の幸い」というより、ただ単に「幸い」だったと言わねば罰が当たる。
よって、潜入工作に際しては姿を見られなくするよりも、見られても不審に思われないように装う事に注力すべきである。それが、銀紙事件の反省から僕たちが導き出した考察だった。
ノードの姿になった僕たちは、疑われないよう堂々とした足取りで院内を歩き始めた。職員と擦れ違って怪訝に思われた時の言い訳は、会長が各方面のセキュリティチェックも行う為ここにも来る事になり、警備が増員される事になった、という旨の内容を考えていた。
だが──。
「おい類、何か様子がおかしいぞ」
歩きながら、麗女翔が囁いてきた。
「ちょっと人員が少なすぎる、一人とも擦れ違わねえ。もしかしてだけど、今この病院……俺たち以外の連中、誰も居ないんじゃね?」
「そんな事、ある?」
僕は言いながらも、麗女翔の口にした違和感についてはとうに悟っていた。静かすぎるのだ──あたかも、既にこの建物が放棄されてしまったかの如く。照明や空調設備などが生きているだけに、つい先程まで居た者たちが一瞬で消えてしまったかのような得体の知れぬ気味の悪さだった。
何かの罠ではないか──僕たちの”作戦”について知られていない以上そのような事はあるはずがないのだが、そう勘繰りたくなる程に。しかし、やはりそれは有り得ない。それなら、ここに来る途中で遭遇したノードたちによってとっくに拘束されているはずだ。
「本当に何の他意もなく誰も居ないなら、とんでもないラッキーだけど……」
「いざとなったら、すぐに退散しよう。チャンスは今日以外にもある」
僕たちはお互いを励まし、意思を共有するように言葉を交わしながら進む。研修の際にここの内装を知悉していた僕が先導し、エレベーターで二階へ。一階の診察室にもPCはあるが、如何せん盗み出すものがものなので、偽医師の普段の待機場所であるそこから予定なく端末を持ち出せば「誰かが侵入した痕跡がある」と早期に露見する可能性が高い。
目指した場所は、僕がかつて臨床実習を行った処置室だった。胃カメラの造影装置や吸入器など、如何にもそれらしい機材が揃っているが、全ては生徒たちが研修に来た時の為のフェイクだ。警備員たちも、清掃の為にしか立ち入らない上何処に何があるのか把握しきってもいないという現状だろう。
入口は、やはり施錠されていなかった。僕たちは難なく入り込むと、素早く室内を見回す。……あった。別段特別なものでも何でもないように、経鼻胃管のモニター脇にひっそりと置かれている。Theoriaは同時代の他社を含む機種の中でも比較的小型の方ではあったので、この副詞は適切だ。
「あった……けど、ちゃんとメンテはされているよな?」
「僕の研修が終わった半年前は、ちゃんと最新状態だったよ。といっても、旧型でもう更新プログラムも配信されないから五十年前の仕様だけど」
「何だか分かんねえけど、動くなら何でもいいよ」
麗女翔は言い、電源を入れた。当然パスワードを求められ、こちらは以前使用した時僕自身の手で起動は行わなかったが、担当者が入力するのを盗み見で把握し、覚えている。
その通り打ち込んだが、その結果画面には「パスワードが正しくありません」と表示された。どうやら、その後設定が変更されたらしい。少々驚いたが、これも想定の範囲内だった。”こんな事もあろうかと”思って持参したクラッキングソフトをインストールし、ハッキングを開始する。
「ハッカーみたい……」
杞紗が今更ながら呟く。みたいも何も、している事は立派なサイバー攻撃であるのだが、実際に面と向かって言われると誇らしいような後ろめたいような、複雑な気分にならざるを得ない。
「はあ……俺もどうせ悪さするなら、ハッキングを極めるべきだった」
麗女翔が呟く。そっちの方が格好良いじゃねえか、というのは、杞紗を意識しての事に違いない。杞紗は、彼へのサービスの為か、それとも何の他意もなく素で言っているのか、
「麗女翔君のピーピングも私たちの役に立ってるじゃない」
と言った。彼は赤面しながらも、
「覗きって……そこは通信傍受って言ってくれると嬉しいな」
と、やや顔を引き攣らせた。
そうこうしているうちに、PCから電子音が響く。やはり、変更されたとはいえそこまで複雑なパスワードに直されてはいなかったようだ。
しかし、次の瞬間現れた画面は、僕たちの予想だにしないものだった。
「お、おい、これって」
「どういう事……? パスワード、掛かってたよね?」
麗女翔と杞紗が、僕の肩越しに画面に顔を近づけた。
『セットアップが完了していません』
偽県立病院の処置室に設置されていたTheoria DT 1126は、そう遠くない過去に何者かによって初期化された事を物語っていたのだ。