『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第13回
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「マツリハって、実質ノード社会のトップだよな?」
土曜日、Theoria DT 1126を採用している県立病院(のレプリカ)に向かって三人で歩きながら、麗女翔が言った。無論、周囲に”街”の住民を装ったノードが歩いていない事に十分気を配った上でだ。
校外での自由行動の許されている週末、僕たちはいつものように遊びに繰り出す振りを装って”街”に出、件の偽病院に忍び込む予定だった。娯楽施設と異なり、役所やオフィスビル、病院などは生徒たちが遊び目的で立ち入る事がない為、そこまで凝って造られてはいない。内定取得の為の研修の際、非常勤のノードたちがスタッフの役を演じるだけで、普段はセキュリティレベルも施設と比べれば雲泥の差となっている。
しかし、それでも普段は生徒たちの”通り道”に過ぎないオフィス街に、今日は通行人役のノードの姿が多く見られた。彼らも無目的にそこらをぶらぶらしている訳ではなく、万が一生徒が問題行為──学校の規則という意味ではなく、エリアの秘密に肉薄するような──を起こしたら即座に取り押さえ、健忘薬を注射し直す役割を担っている。要するに、パトロールだった。
「そりゃ、内閣府も国防軍も、エリアの提供する収穫肉がなければ成立し得ない訳だし……」
僕は麗女翔の言葉に相槌を打つ。
彼の傍受によると、昨日からエリアには偉い人──正確には「偉いノード」だが──が視察に来ているという事だった。昨日は出迎えに出たヴェルカナ先生、彼の本来の役職は培人学部主任研究員なのだが、彼が急遽授業に出られなくなり、代わりの先生が僕たちの授業を受け持った。
「どうりで警備態勢がいつもより厳しい訳だな。一応俺の方でショッピングモールのギフトボックスは手配しておいたけど、デスクトップPCを入れて学校まで持って帰るなんて、疑われたら一発アウトだぜ」
「麗女翔君、用意周到……」
杞紗が感心したように呟く。彼はやや頰を染めながら頭を掻いた。
「だけど、マジな話。あーあ、あの会長もあと一週間遅く視察の予定立ててくれれば良かったのに。そもそもヴェルカナ先生が、グループ重役の訪問予定を何で直前になるまで把握しておかなかったのやら」
「急な事情でもあったんだろう。それに、今更僕たちの予定を変更する事も出来ないし。進めなきゃいけない準備はまだまだあるんだ」
リスクが上がる前に手早く済ませてしまおう、というニュアンスを込めて言い、大通りに出る角を曲がった。
そこで警察官のスーツに身を包んだノードと鉢合わせ、思わず「うわあっ!?」と声を上げてしまった。最初は単純に他人とぶつかりそうになった事への驚きで、それは間もなく今し方三人で話していた事の内容を聞かれなかっただろうか、という緊張に変わった。
「すみません」
僕が頭を下げると、警察官のノードは「いえいえ」と手を振った。
「こちらこそ失礼しました。……ところで君たちは、青養(青葉児童養護学校)の生徒さんかな?」
「は、はい」職務質問か、と内心身構える。この街にある学校は僕たちの居る施設だけなので、別段不自然さを感じさせる問いではなかった。だが、彼がパトロールであるからには、わざとそう意図して尋ねてきたはずではあった。
「今日は、自由行動が許可されているんです」
僕も、別に警戒してはいない、という素振りで答える。僕たちはここが旧時代の人間の街だと信じている事になっているのだし、後ろ暗い事情すらなければ警察官は市民の味方であって然るべきだ。
「そうか。でも珍しいね、休日にこの辺りに来る生徒さんは少ないんだが」
「こっちの職場に、俺たちの実習の先生が居るんです。外部講師で、普段はケア施設で働かれていて……誕生日って聞いていたから、休憩時間にプレゼントを渡しに行こうと思って」
麗女翔が進み出、すらすらと出任せを並べた。実際にとある先生が自己紹介で述べた”設定”だったが、僕たちもそれを鵜呑みにしている振りをしている。警察官に化けたこのノードも困惑しただろうが、まさか行くなという訳にも行くまい。HMEで当人に連絡が行き、向こうも大慌てで”職場”に移動、偽装工作をするかもしれないが、僕たちの純心さが疑われる事はない。
時に無邪気さが、悪意を持って接された時よりも大人を困らせる事はある。家族団欒の夕食時にニュースを観ていて、子供から「不倫騒動とは一体何なのか」と尋ねられた時の如く。
「これです。綺麗なラッピングでしょ?」
麗女翔は、Theoria DT 1126を運ぶ為に準備してきたという空のギフトボックスを突き出す。まさか中身を検められる事はないだろうが、僕は彼の口八丁と豪胆さに感心と呆れが半々の気分になっていた。
警察官のノードも、念の為確認しただけであって、それ以上疑うような気持ちは抱いていないようだった。「分かった、ぶつかって悪かったね」
「いえいえ、お気になさらないで下さい」
では、と軽く会釈し、僕たちはそそくさと警察官と擦れ違った。彼に背を向けるような形になってから、僕と杞紗は無言で麗女翔に「ナイス」と小さくサムズアップして見せた。
「あ、そうそう。言い忘れていた」
ふと、今し方の警察官が思い出したように振り向いてきた。まだ続くのか、と、僕たちはやや辟易しながらも数歩引き返す。「何ですか?」
「これは街中を歩いている子たち皆に呼び掛けている事なんだけど、不審者には十分注意するんだよ。夕方は遅くならないうちに帰る事」
「不審者?」
「県警から仙台市東部の学校に通達が行っているから、今日の夕方か明日にはホームルームか掲示板かで言われるんじゃないかな。仙台でここ最近、通り魔が出ているらしいんだよ。被害者が遂にこの辺りでも出たから、こうして巡回中って訳だ」
確かに、僕たちはここまで歩いて来る間、通行人役のノードたちの中に警察官の制服を着た個体をちらほらと目撃した。マツリハが訪問している為に強化されている警戒態勢の説明か、と僕は思ったが、すぐに何故わざわざ向こうから言い訳がましく伝える必要があるのだろう、と考え直した。
「それは怖いですね。治安は安定していると思ってたんですが」
「ほんとにねえ……物騒だよ。国防軍の士官までやられたっていう話だから」
警察官は溜め息を吐くと、「気を付けるんだよ」と言い、今度こそ去って行った。
僕と麗女翔、杞紗は顔を見合わせる。僕たちに不要の疑問を抱かせないようにする為の話にしては、国防軍にも被害者が出ているなどというのは些かオーバーであるように感じた。
「通り魔……」杞紗が、響きだけで不気味だ、というように呟いた。
「マジな話かな? ラジオでも、そんな情報は拾った事ないけど」
麗女翔の言葉に、僕は肩を竦めた。
「まあ、エリアのセキュリティからして入って来られるとは思えないけど」
呟いてから、だからこそ僕たちも脱出計画の為にこれ程四苦八苦しているのだ、と苦々しく思った。今に始まった事ではないが。
僕たちは目的地への移動を再開し、間もなくヴェルカナ先生が派遣元だと伝えており、僕が医師国家試験に合格して内定を貰った偽県立病院に到着した。スタッフ用の裏口から、研修で訪れた時に教えられた十三桁のパスワードを入力してロックを解除し、滑り込む。
僕たち商品の子供たちの多くが持つ頭脳は、健忘薬なしに一度見聞きしたものを忘れられないよう出来ているのだった。