『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第12回
* * *
散々迷った末、「悪ガキ三人組」の二人とは情報を共有しておいた方がいいのではないか、と僕は結論を出した。その時点で僕は、自分にこの字面通り致命的な宿命に甘んじる気はさらさらないのだという事に気が付いていた。
青葉児童養護学校の──否、「青葉エリア」の実態を知った五日後の放課後、僕は二人を呼び出した。
「レナート、キサ、大事な話がある。体育実習室の倉庫まで来て欲しい」
「何だよ、何かろくでもない事でもするのか?」
冗談めかして言う麗女翔を、杞紗共々人目につかない体育倉庫まで引っ張って行くと、僕は二人に問答無用で催眠療法を施した。最初に「禁猟区」の事を話し、記憶の復元を行うよりも、自分たちで真実について気付いて貰った方が、その後の僕の説明も信用して貰えると思った為だった。
果たして、二人は記憶を取り戻して悲鳴を上げた。
僕は彼らを諫め、中から倉庫の入口に鍵を掛けると、「落ち着いて」と言った。
「まずは深呼吸。それからゆっくり、頭の中を整理してくれ。……僕たちのIQだったら、そう難しい事じゃないだろう?」
なるべく、感情を交えない声で。ややもすれば、それは冷淡に響いたかもしれなかった。しかし、そうしないと僕も彼らと一緒にパニックになり、五日間自分一人で抱え込んでいたものをぶち撒けてしまいそうだった。
「……ああ、ひとまず落ち着いた」
「ルイ君、これって本当に……?」
「まず、二人の本当の名前を教えてくれないか」
僕は言うと、自らも「斧田類」と名乗った。
「俺の本名は……三雲麗女翔。故郷は石巻市」
「私は紫花杞紗……出身地は宮城蔵王ニュータウン。浅草どころか、仙台ですらなかったね」
麗女翔と杞紗は、微かに震えを帯びた声でそれぞれ名乗った。名乗ってから、それぞれの本名と登録名について関連性に気付いたらしく、僕も含めてあっと声を出してしまった。しかしそのユーモアで、僕たちの間に揺蕩っていた空気の強張りが幾分か解れたような気がした。
「俺、今日からお前たちの事、類と杞紗って呼ぶ事にするぜ。……変わんねえけど」
「その方がいいね。先生たちも多分、ここまで音が同じだと僕たちが本名で呼び合っても気付かないはず」
僕は至って真面目に言ってから、麗女翔に向き直った。
「じゃあ、早速だけど麗女翔、学校上層部にハッキングを掛けた件について、この場で話すよ。こんな形になって残念だけど、僕たちの現状は悪ふざけをしている場合じゃないところまで来ているんだ」
「ああ、こうなったからには仕方がない」
彼は徐ろに震える杞紗の右手を取ると、自分の膝の上に載せた。
「類、何か分かったんなら教えてくれ。一体今何が起きているのか──いや、ずっと前から、何が起きていたのか」
「麗女翔……君?」
杞紗が、首を傾げて彼を見上げた。僕は淡々と、資料に書いてあった内容とそこから考察した結果のみを話し始めた。
「麗女翔に頼まれた”悪戯”で、僕は彼がコピーしたヴェルカナ先生のPCのデータから上層部のコンピューターにアクセスした。だけど、僕が興味本位で覗いて、エリアシステム設立後からの記録文書を見てしまった」
「悪戯?」
杞紗に聞かれ、麗女翔は居心地悪そうに後頭部を掻いた。
「ごめんな、杞紗。本当はクリスマスに、とびっきりのサプライズをするつもりだったんだ。だけど、その結果俺は類にハッキングを頼んで、思いがけないところまで踏み込んでしまったみたいだ」
「そうだ、麗女翔。二人ももう分かったと思うから端的に言うと、ここは養護学校なんかじゃない。外から捕まえてきた子供たちを育てて、商品として出荷する為の飼育施設だ。正式名称は『第四禁猟区・青葉エリア』。ノードに関する本当の情報も、二人は思い出したよね?」
「食人ロボットで、新人類を名乗っている……人間の肉を喰らって、その知能を吸収する機械生命体。二〇六〇年のAR事件で、新世界連合のグランデたちを中心に日本の主権を奪った」
「私たち、食べられるの……?」
「今のままじゃ、そうみたいだ。今まで卒業していった先輩たちも、全員。皆、社会に出たんじゃない。集団出荷されて、食人学習の教材としてノードに食われていたんだよ」
僕は、自分で言って思い当たる事があった。
「卒業生たちの就職内定は、僕たちが遊びに出掛ける”街”で研修を経て取得する事になっている。だけど、僕たちは今まで”街”で、OBやOGの先輩たちと再会した事がないじゃないか。皆が皆市外に転職したなんて、幾ら何でもおかしいと思うべきだった」
僕が言うと、杞紗は瞳を見る見るうちに潤ませ始め、顔を伏せた。本当なら、今にも声を上げて泣きたい気持ちなのだろう。麗女翔がやや躊躇いがちに、彼女の頭を撫でた。
僕は「最後まで聴いて」と続ける。勿論僕とて、現実を見ざるを得ないのは恐ろしく、辛い事だと思っていた。それでも、一度見てしまったものを否定する事は、もうどうしても出来ない。
残された選択肢はただ一つ──生き抜く事。
「ここを出よう、皆で。脱出して、僕たちが本当の意味で人間として生きられる世界を目指すんだ」
二人が、はっと息を呑んだ。
「本気かよ、類……?」
麗女翔の顔は、恐怖と猜疑心で飽和していた。
「それは、俺たちだけで済む話じゃない。下級生も併せたら、千人を超える生徒が居るんだぞ? その全員を、どうやって監視の目を縫って逃がすんだ? それに上手く行ったとしても、外に待っているのはノードたちの世界だ。スラムに戻ってもまた捕まっちまうかもしれない、あまりにも希望がなさすぎる」
「でも、可能性はゼロじゃない」
僕は二人の手に、自分の両手を重ねた。
「希望の色が見えなくても、今の絶望に比べれば僅かにでもある可能性を信じた方がずっといい。どうなるのかは分からないけど、このままじゃ僕たちが全滅するのは確実なんだから。二人の力を貸して欲しい、無謀かもしれないけど、それを成し遂げる為に」
脳裏に、本来あってはならない光景が浮かんだ。あってはならないのに、今のままでは一年三ヶ月後、確実に訪れる将来の光景だ。
同級生たちと一緒に、晴れ着に身を包んで卒業式を終え、不安ながらも期待と決意を動力として外の世界へと続く「天国への門」を潜る僕たち。しかしそこでは、優しい人間たちの顔を外した沢山の屠畜業者たちが待ち構えているのだ。祝砲の代わりに麻酔銃が僕たちを狙い撃ち、生きたまま頸動脈を切られて家畜よろしく血抜きをされる。
「──類と一緒に行くよ」
麗女翔が、強い決意を孕んだ声で言った。
「俺たちは知らなかった……知らないうちに、人間として死んでいるように生きていたんだ。食われる為だけに、奴らの”教材”にされる為だけにな。だけど、それが分かったんなら……本当は最初から不幸な子供なんかじゃなかったんだって気付けたなら、生きているように生きる事だって出来るはずだ」
「現存在としての人間……」
杞紗が、涙を拭いながら肯く。その顔が湛えていたものは既に絶望ではなく、破滅的な罠に嵌まりながらも尚も生きんとする獲物にも似た、煌々たる生命と意志の色だった。
「それにここの皆は、俺たちにとっての家族だからな」
「私も、類君のお手伝いがしたい」
「麗女翔、杞紗──」
僕は、重ね合わせた二人の手を強く握った。
「ありがとう、二人とも」
* * *
それからの毎日に、負の方向への変化が何もなかった訳ではない。
まず、封印されていた記憶を取り戻した事によって、ノードに捕まったあの日の事をしばしば夢に見るようになった。一時はあまりにもそれが連続するので、眠る事が怖くなり不眠症に悩まされた事もある。僕たちの心身の状態については毎日チェックされるバイタルなどを基に逐一把握されているらしいので、あまり勘繰られるような事は申し出ない方がいい、と思い殊更にヴェルカナ先生に訴えて睡眠薬を処方して貰うような事はなかった。
慢性的な障害ではなかった為、時間が経つに連れてまた就寝時刻通りに眠れる夜は戻ってきたが、寝坊してしまった朝にヴェルカナ先生に「ノード」と口走った寝言を聞かれてからは、度重なる悪夢について正直に話さざるを得なくなった。それでもこのような事態に備え、彼らは僕たちに健忘薬を摂取させ続けているのだろうし、あくまで夢は夢である、と自覚している振りでごまかした。
もう一点、さすがに人肉ではないかなどという馬鹿げた考えは二度と起こらなかったが、与えられる食事や薬が全て疑わしく感じられるようになった。エリアの規定通りなら、その中には僕たちの記憶を奪った健忘薬が含まれているのだ。麗女翔や杞紗と一緒に固めた決意が、また忘却させられてしまうのではないか──そのような不安に苛まれたが、こちらは麗女翔の方が堂々としていた。
「薬が入っていたとしても、それは最初に投与された量が日々の代謝で減っていくのを抑える、程度の量だろ。昨日の晩飯とか授業で習った事とか、一日で忘れちゃお話にならねえよ。俺たちの取り戻した記憶は、決定的なものだ。多少食ったところで別に問題はない」
彼には楽天的なところがあるが、それが本当の事だった。僕以上に懸念していた杞紗も、却って彼のそのような様子で安心出来たらしい。
少し前まで幸福だと思えていた事に対して過剰に捉え方を変えすぎない事も、僕たちには必要な事だった。
何より僕たちが苦しまねばならなかったのは、三ヶ月後だった。セキュリティ監査の期間を上手く回避しながら施設のあちこちに盗聴器や小型カメラを設置し、杞紗のCG制作技術を活かしてエリアの全体像を掴んだりしながら”作戦”を進めてきた僕たちだが、最大のネックが未だに掌握しきれない管理システムの本体──エニグマだった。
AR後にノードたちによって生み出された未知のコンピューター言語を翻訳する為に、TheoriaシリーズのPCが必要だと分かったのが、計画開始から一年以上も経った後だったのだ。真実を知って三ヶ月で、せめて僕たちの一世代上の先輩たちだけでも逃がす方法を編み出す、などという事は不可能だった。
彼らは助からない。集団出荷の二日前まで悩み抜き、僕たちが出した結論はシビアなものだった。せめて僕たちに出来る事は、彼らが絶望し苦しむ事のないよう、最後の最後まで真実を伏せておく事だけだった。
先輩たちの出荷は、水の流れるが如くスムーズに終わった。如何にノードたちが手慣れているかという事を示すように、相変わらずピーピングを続けていた管理記録には「3/9(火) プロダクト百二十五体の納品を予定通り完了」という淡白な一文が追加された。
希望だけを見据える事を決めた僕たち三人は、”作戦”開始から初めて三人で泣く事を許し合った。