第四章 でんでらりゅうば
七は物を考える事を止めていた。以前の七はそれこそ毎日たくさんの事を考えていた。火縄銃のこと。狩りのこと。食料のこと家族のこと。『数え』のことそして六のことを。 しかしこの時期それをしなくなった、七の置かれた環境が以前のそれとは全く違うからだ。里に、平戸に、訪れた飢饉と言う名の厄災、これを救えるのは自分しかいなかった。自分が犠牲になったのは仕方がないことだ。そうしなければ里の皆は飢え死んでしまう。『数え』として育てられた七にとって世の中で最も恐ろしい事、それは里の全滅、『数え』の全滅だ。それを避けるためなら喜んで売られよう。ただ七のそういった思考と世の中の動きと言うのは何かが違っていた。
七は売られる時、死ぬ覚悟があった。里の全滅を免れた安堵感があったのかも知れない。火縄術以外に何も知らない無知さがあったのかもしれない。ただ現実は七に死ぬ事を許さなかった。毎日毎日続く奉公という名の身売り、そして毎日毎日勘定される自分の売り上げ。この女郎屋が七に使った銭を稼ぎ終えるまでに使い物にならなくなった場合、逃げた場合、そして死んだ場合、その差額は里に請求が行くようになっていた。
七はその現実に絶望した、彼女には死ぬ事すら許されていない、それどころか更に辛いしきたりがこの丸山にはあった。
それは食費。女郎屋は七という商品がやせ細り醜くなることも許さない。ここでは日に三度食事が出る。真っ白な米と魚、汁や漬物といった豪勢な物だ。
生まれて初めて食べるこのご馳走を七の体は拒絶した、丸山で出される全ての食物に対して七の味覚は反応しなくなっていく。周りにいる同じ境遇の女たちは「美味しかね、美味しかね」何度もそう言うのだが七が目の前の白い米をどれだけほおばっても何の味もしない。里で食べていたドングリの方がよっぽどおいしかった、『数え』の皆で慎ましく食べていたドングリ。しかしここは里ではない、共にねぎらいあう仲間はいない。このご馳走を前にして不平を言えば更に過酷な状況になることは七にも理解が出来た。ならば喰らおう、味のしないご馳走を、生き延びるために。
七がそう決意を固めた矢先、また絶望がやってきた。このご馳走は給金から天引きなのだ。自分が望まないにも関わらず。日々身を削って得た給金からこのご馳走の代金が強制的に引かれていく。給金はその時点で半分以下になる。これでは死ぬまで、いや死んでも自分の身柄を買い戻す事など出来ない…
この現実が七の心を閉ざさせた、自分は『丸山の生贄』なのだ、そして毎日少しづつ殺されていくのだと。
ところがだ、「七!」今確かにそう聞こえた、声の主は『六』、一番最初に心の奥底にしまったはずの人物。その声が聞こえた瞬間、七は飛び上がった。子供が親にしかられる瞬間、身内に危険が及ぶ瞬間、そして想い人からその想いを告げられる瞬間、いろんな瞬間が一度に七を襲い、その顛末が飛び上がると言う子供じみた反応になった。それは打算も思惑もない、生の感情でしかなかった。座布団から転がりぶつかるようにして七は格子に張り付く、六が目の前にいた。
「あ、あ…六ちゃん」突然自分の中にあふれ出す感情が言葉を遮る。
それは六にとっても同じ事で、ただ眼を見つめあい互いの嗚咽を聞きあうだけの原始的な対面だった。
『七、帰ろう』その言葉が六の喉元まで出掛かった、しかし六にはそれを言えない。言えば七を苦しませるだけなのだ。
『六ちゃん連れて帰って』七の喉元にもこの言葉が詰まった。言ってどうにかなる問題ではないし、言えば六が苦しむ。
こういった二人の思いが言葉を閉ざさせた。次の言葉を告げる事の出来ない二人の耳にはお囃子にのった『でんでらりゅうば』が空しく届くだけだった。
当時丸山で流行っていた『でんでらりゅうば』という方言の唄がある。女郎屋で女が男の気を引くための唄だという風に伝わっているが、果たしてそうなのだろうか?
『でんでらりゅうば でてくるばってん
でんでられんけん でてこんけん
こんこられんけん こられられんけん
こんこん』
『出て行けるなら出て行くけれども
出て行けないから出て行かない
行けないから行かない
行かない、行かない』
現代語に訳すならこういう内容になるが注目する言葉がひとつある。
『こられられんけん』と言う部分だ、これは方言の中でもかなり無理のある言葉の使い方だ。強引に現代語に訳すとすれば『行けれない』といった言葉だろう。意味はわかるが文法がおかしいのだ。
「行け…(『行ける』と言いたいが口がその先を言わせない)…れない…」と言う感じでわずかな一文の中にやりきれない自分の状況に葛藤する様子が見て取れる。どういった心境の時にこの一文が出来たのだろうと考えると何とも切ない気分になってしまう。