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王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~  作者: 有沢真尋@12.8「僕にとって唯一の令嬢」アンソロ
第三章

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理解者

 どうにか、ヒースコートの隙をついて逃れることはできないだろうか?

 などと考える余裕は、ほとんどない。恐怖よりも息苦しさに思考が飛びかける。絶体絶命、万事休すとはこのこと。


(みんなで私の命は惜しくないって言うし!!)


 利用価値はここまでだとか、別に重い存在ではないとか。ステファンなど姿すら見せない。そこまで奥の手にとっておくつもりはなくてよ! と、よほど恨み言のひとつでも言いたいが、もちろんそれが八つ当たりなのは知っている。

 自分で、切り抜けないと。


 ジュディは思い切り強く、両手で背後に肘打ちをした。何も考えていない、ただできることをしただけだが、反撃を予想していなかったのか、わずかに首にまわされていた腕の力が緩んだ。

 その瞬間を逃さなかったのは、眼前のフィリップスだった。


 風を切る力強い音。

 空気がたわむほどの勢いで走り込んできたまま、ジュディの横をすり抜け思い切りヒースコートを蹴り上げる。

 派手な破砕音を響かせながら、ヒースコートは後ろの棚に倒れ込んだ。

 ふらついたジュディの体は、フィリップスの片腕に偶然引っかかったような無造作な動きで、抱きとめられる。


 げほげほと、ジュディは激しくむせた。圧迫されていた喉が苦しくて、まともに声が出ず、目には涙が滲んでくる。フィリップスの腕に頼りたくなどないのだが、離れようとしたら足がもつれてふらついてしまい、今度ははっきりと支える意志を持った腕に抱き寄せられてしまった。


「お疲れ様、先生。呼吸が落ち着くまでこのままで。子爵もすぐには起き上がれないだろう。よーくねんねしてる」


 フィリップスの肩口に額を寄せるように寄りかかる形になり、ジュディはぜいぜい呼吸を整えながらも、眉を寄せて顔をしかめた。

 暴力慣れした腕。存在が重くないと言って、自分を見捨てようとした男。ひとの話を全然聞かない生徒。考えの偏った王子様。

 好ましい要素など何一つ無いのに、助けられてしまったのは動かしがたい事実。まずは、心からの礼を言わねばと。


(正義感だけで突っ走って、人質にされて勝手に危機に陥って。結局、暴力をふるわせた。殿下に、私が)


 どうすれば良かったのか、何が正解だったのかわからぬまま、呼吸を整えて、告げた。


「ありが……とう、ございまし、た」


 掠れた声で、なんとかそれだけを言う。すると、ジュディを抱えたまま、フィリップスが爆笑した。ジュディの体に振動が響くほど、高らかに。


「ずいぶん悔しそうに言うもんだな、先生。腹の底では納得していないんだろう? だけど、今日先生が助かったのは、たまたまだ。これに懲りたら悪人を背にかばうなんて馬鹿の所業は、金輪際やめることだ」


「馬鹿……」


「それ以外にどう言えと。世の中にはどうあっても悪でしかない人間がいる。法で裁くだとか、私刑はだめだなどと凝り固まった正当性を主張している場合か? 先生は頭が固すぎる。原理原則の通じない場では、相応の心構えでいるしかない。暴力は被害を出すが、被害を可能な限り抑えるのもまた『暴力』だ。悪人は、こちらが殺される前に殺せ。その言い分には決して耳を貸すな。人間だと思うな、あれは――悪魔だ」


 ジュディは唇を震わせ、力なく首を振った。


(否定の言葉が浮かばない)


 そのとき、ごとん、という重い音がして足元に何かが倒れ込んできた。人間だった。

 ひっ、と声にならない悲鳴を上げつつジュディは飛び上がり、その拍子にフィリップスの顎に頭突きをしてしまう。


「あぐ……っ。いてぇな」


 恨み言を言いつつも、まだ足元がおぼつかないジュディを気遣ってか、フィリップスは腕に力を込め、ジュディの体をしっかりと受け止めて離さなかった。

 転がってきた人間のそばには、しゃがみこむステファンの姿があった。どこかから取り出した縄で手を縛り上げる作業をしながら、冷静な声で報告をしてくる。


「子爵の手下と思われます。殿下の背後を狙っていました」


「だよな。子爵が場を指定してきた時点で、何かしら備えはあるだろうと思っていた」


 殿下、それなのに無策でのこのこ来たんですか? と、喉が無事ならよほど言いたいジュディであったが、無駄口を叩く余裕もなく沈黙をした。フィリップスを煽る絶好の機会とはいえ、さすがにその気力は無い。

 ちらり、とステファンが見上げてきた。


「先生が派手に動いてくれたおかげで、物陰で動くこの男を捕捉できました。先生、あれはなかなか良い判断だったと思います」


 しれっとした顔で、どこまで本心かわからない賞賛をされた。ジュディはまったく褒められた気はしなかったものの「お褒めに預かり、光栄の極みです」と答えた。声はひどくしわがれたままであった。

 言うだけ言ったステファンは、すみやかに立ち上がり、倒れているヒースコートの元へ向かう。様子を確かめながら、先の男同様に手を縛り上げているようだった。


「まあ、誰かしら俺にもついて来ると思っていたからな。特に先生は」 


 フィリップスがのんびりとした口ぶりで言い、ジュディは顎にぶつからないように警戒しながら顔を上げた。かなりの近い距離で、見つめ合うことになる。

 抜群に整った華やかな美貌に朗らかな笑みを浮かべて、フィリップスが言った。


「信頼しているんだ。先生は頭が固いから、旅先でも羽目を外さず自分の仕事はまっとうするだろうなって」


「どの口が……信頼ですって? さっきまで、子爵と私が手を組んでいると疑っていたのに。あれ、結構本気でしたよね?」


 本音が口からこぼれ落ち、フィリップスは二度目の爆笑を響かせた。遠慮がなさすぎる笑い声に、ジュディは耳の近くでうるさい、と顔を背ける。

 なんでこんなに近いのだと思い、自分がフィリップスに支えられていることにようやく意識が向いた。

 わあっと悲鳴を上げながら離れると、フィリップスはもう手出し無用を心得たように手を伸ばしてくることはなく、楽しげに話しだした。


「疑っていたのも本気と言えば本気だけど、先生は信念が強いから、どちらの側に立っていても『暴力反対』の立ち位置で行動するだろうなと信じていた。つまり、子爵と仲間であっても、俺のことは傷つけさせないように、子爵から俺をかばうと思っていた。だろ? 俺は結構、先生のことをわかっている」


「わかられ……? 殿下にわかられているんですか、私」


 喉が徐々に回復してきて、言いたいことが喉元までこみ上げてくる。


(たしかに筋は通ってますし、私の行動もばっちり読まれてますけど! 素直に嬉しいとは言いにくい!)


 一刻も早くこの自称理解者を黙らせたい、絶対に抗議する、と決めて口を開いたそのとき。

 遠くで、つんざくような音が響いた。

 ステファンが鋭い声で言った。


「銃声です。位置はわかりません、確認します!」




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