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吐息と囁き

 ――結婚おめでとう。ドレス、とても素敵よ。彼が死んでいなければ、あなたは私の義妹で、義理とはいえ私たちは姉妹になれたのよね。とても残念。さて、喪に服している身なので、私はこのへんで失礼させてもらうわね。


 ジュディがユーニスと初めて顔を合わせたのは、ヒースコートとジュディの結婚式の日だった。

 ヒースコートがそばを離れた一瞬、蠱惑的な響きを持つ声に呼び止められて、振り返った先には「儚き百合」の名を持つユーニスが立っていた。

 美しい銀髪を結い上げ、潤んだような水色の瞳を細めて淡く微笑んだユーニス。真っ白な細い首や華奢な指先まで、すべてが完成された儚げな佳人。身につけているのは、瞳の色に合わせたような上品な水色のドレスで、まるで妖精のようだと感心してしまった。

 同時に、ジュディの中の冷静な部分が、ユーニスの口上にひっかかりを覚えてもいた。


(ここは、お祝いの席なんですが。「死」とか「残念」とか「喪」という言葉は、挨拶で避けるのではなくて……?)


 ジュディの良識に照らして考えれば、たとえそれがただの事実だとしても、祝いの場で敢えて口にすることはないのではないか、と思う。

 もしうっかりではなく、わかった上で言葉にしているであれば、底が知れず怖い。


 ――ありがとうございます。本来ならこちらからご挨拶に伺うべきところ、お会い出来ぬまま今日まで来てしまいまして。お越し下さり、お祝いの言葉まで。感謝申し上げます。


 ひとまず、ジュディはそつのない挨拶を返すにとどめた。


 直接顔を合わせて会話をしたのはそのときが初めてだったが、ジュディはかねてよりヒースコートからユーニスの存在について知らされていた。「兄と結婚して子爵婦人になる予定だった女性がいる」と。不慮の事故死によりその結婚は流れ、弟であるヒースコートが子爵家を継ぐことになり、このたびの結婚でジュディが子爵婦人の座につく運びである、とのこと。

 一連の流れにジュディは何も関与していなかったが、はからずも地位を簒奪したかのような関係性であった。そのため、うっすら警戒はしていた。

 ユーニスは、ジュディにほほえみながら言った。


 ――あら、ご丁寧にありがとう。どうぞ人生最良の日を楽しんで。今日だけはあなたが主役よ。


 その言葉に紛れもなく棘を感じて、ジュディは自分の危惧が的外れではないのを敏感に悟った。


(この方は、決して私を快く思ってはいない。縁続きの関係ではないけれど、ヒースコート様は「兄嫁」として遇していらっしゃるし、私も対応に気をつけねば)


 そう心に決めた矢先に、二人の関係を知ることになる。

 結婚してジュディの夫になったはずのヒースコートが、ユーニスと恋仲であり、妻となったジュディを廃して結婚する未来を願っていると。


 もともと、ヒースコートへの思いは「これからゆっくり好きになれれば」程度の淡いものであったが、そこではっきりついえた。

 彼が、見目麗しいが棘のあるユーニスの虜となっていることに、じわりと嫌悪感を抱いたのも大きい。見る目がない男なのね、と。


 だが、三年の後に離縁する予定であること、そのためにジュディには決して手を出さないと決めているという告白は、ジュディにとって希望であり救いでもあった。

 欲しくもない愛を求めて哀れな妻となり、鬱陶しがられて始末されるくらいなら、三年息を潜めて穏便にやり過ごして、実家に戻った方が良いに決まっている。


(もしかして、ヒースコート様のお兄様が亡くなったのがただの事故ではなかった場合、私も何をされるかわかったものではないから。なるべく二人とは、特にユーニス様とは関わらないように過ごしてきたのだけれど――)


 顔を合わせることも、直接話すこともないまま、アリンガム子爵家を離れた。その後、二人が結婚したと人づてには聞いていた。


 そのユーニスが、予期せぬタイミングで目の前に現れ、声をかけてきたのである。

 ジュディは、公爵家のメイドになりきるつもりで、笑顔で返事をした。



 * * *



「休めるところ、ですね。ソファでよろしければご案内致します。こちらにどうぞ」


 平常心で、格別の愛想の良さで。


(名乗るのは後でも良いし、そもそも私だって気付いてもいないでしょうから)


 ここにジュディがいるとは、知らない限りは考えもしないだろう。招待客ではなく、メイド姿であることも予想外のはず。せいぜいが、他人の空似と思ってくれるに違いない。

 そのつもりで言えば、ユーニスはちらっとステファンに視線を流してから、長い睫毛を伏せた。重い吐息が、その可憐な唇から漏れた。


「歩けないわ。馬車で長い道のりを移動してきたのよ。私、体が丈夫ではないのに。それでも、私に歩けと言うの? これ以上?」


 えっ? と、声に出さないまでもジュディは返答に詰まった。


(たしかに、ユーニスさんは華奢で色白であまり健康そうな見た目ではないですが。歩けないということは、ここにソファを持って来いって意味ですか?)


 ジュディはこれまでの人生で、メイドに対してそんなお願いをしたこともなく、考えたこともなかった。出先で具合が悪くなったら、目立たぬところに移動して、じっと回復を待つ。気遣われると騒ぎになるかもしれないので、なるべく誰にも気づかれないようにしつつ、同伴者の身内にだけ連絡がいくように速やかに言伝をするものだと思っていた。

 それゆえに、ゲストからこういったお願いをされたときのメイドの振る舞いとして、何が正解かわからない。とっさに、ステファンに小声で尋ねてしまう。


「この場合、公爵邸のメイドは毅然とソファを持ってくるものでしょうか?」


 ステファンは、透明感のある水色の瞳に茶目っ気のある光を浮かべ、答える。


「重いよ。持つつもりですか?」

「一人掛けならば、なんとか。私、部屋の模様替えが好きで、自分で家具を持って移動するのには慣れてるんです」


 だから心配はいらない、というつもりで言ったのに、なぜかステファンは横を向いてぶはっと噴き出した。そのまま、肩を震わせている。


(笑っ……笑っている場合ではないですよ、ステファンさん!)


 ユーニスを放置している場合ではないと窺ってみれば、伏し目がちに視線を流してきたユーニスが、はっきりとジュディに狙い定めて睨みをくれていた。

 ぐず、とその唇が声に出さずに吐き出したのが見えた。ずきりと胸が痛む。


「わかりました。ただいま、ここにお掛け頂けるソファをお持ちしますので」

「それまで、私に立って待ってろって言うの?」

「え、ええっ?」


 堪えるつもりだったのに、声に出てしまった。言ってしまってから口を手でおさえても、遅い。


(立って待つ以外に何かあるんですか!?)


 少なくともこの瞬間は、ジュディには打つ手がない。まさか床に腰掛けてお待ちくださいと言っても良いものか? と思考をめぐらせたが、おそらくそれはだめだ。

 せめて「すぐに取ってきます」と言うつもりで息を吸い込んだとき、ステファンが軽く身を屈めて耳元で囁いてきた。


「俺がいるのに、どうしてひとりで全部やるつもりになっているんですか?」


 瞬間的に、耳が焼けるかと思った。


(わぁぁ、ステファンさん、声が良い! こんなの、ステファンさんのファンの女性だったら堪らない(イチコロ)でしょうね……! 私でさえ、耳から心臓が飛び出るかと!)


 大惨事を想定してしまい、違う違うとジュディは首を振る。いまはそんな戯言を口にしている場合ではない。

 そのジュディの横を、ステファンがすっと通り過ぎて行く。


「非常事態ということで、お許し頂けますか。その身に私が触れることを」


 物憂げに目を伏せていたユーニスは、上目遣いでステファンを見上げて、これ以上ないくらい儚げにほほえんだ。


「許します。私を連れて行って」

「では、失礼」


 ステファンが手を伸ばし、ユーニスのほっそりとした体をやすやすと抱き上げる。ユーニスは、「ああ……」と吐息まじりの声をもらして、ステファンの首にレースの手袋をはめた腕を絡ませた。


(すごく絵面が良い! なんだかいけない場面みたい! 緊急事態だからこれは仕方ないことなのよね)


 ステファンの振る舞いがあまりに自然で、ユーニスが信頼しきっているかのように身を任せているせいもあるだろう。まるで恋人同士のようだ。実際、ユーニスはうっとりとステファンの顔を見つめている。いささか熱心過ぎるほどに。

 気付いていないはずはないが、ステファンは愛想の良い表情にいささかの動揺すら浮かべず、ジュディを振り返って言った。


「お連れ様にご連絡を。アリンガム子爵です。『奥様がお休みになられているので、お越しください』と伝えてきてください」


 この場に他に居合わせた者はおらず、従ってその伝言はジュディの役目である。

 ジュディは一瞬、返事に詰まってしまった。それを見たステファンが「子爵のお顔がわからない場合は、受付をしていた者に確認するといいでしょう」と優しい助言をくれた。

 わからないのではない。むしろ、よくわかっている。

 その思いを口にすることはなく、ジュディは笑顔で「はい」と返事をした。





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