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指令書が導く

 ――次の休日に、二人で一緒にお茶でもしませんか?



 * * *



「今日は、王宮へ出仕する日だね?」


 朝食の席で父・リンゼイ伯爵から尋ねられて、ジュディは優雅に微笑んだ。まるですべては完璧で、何一つ問題など無いという自信を小指の先にまで漂わせながら。


「家庭教師としてのお勤めも、これで五回目です。殿下には他にもたくさんの教師がついておりますので、毎日ではないのですが、私の授業もそれはもう熱心に取り組んでくださいますの。素晴らしい(エクセレント)。やりがいがありますわ」


 ティーカップを握る手に力が入る。

 もし万が一その授業内容まで踏み込んで聞かれたら、フィリップスの逃げ足と追いかけるジュディ自身の脚力に触れなければならない。それは避けたい。


(毎回、男装をして走る準備をして王宮に向かい、逃げられれば追う。逃げられなければ激しく意見を戦わせて豚という単語が飛び交っているだなんて)


 実際には豚以外のことも言われているのだが、触れるつもりはないので黙っている。

 もしあのならず者王子に高貴なる者の美徳を何かひとつ見出すとすれば、それは女性であるジュディを、離婚や加齢の件で意地悪くからかわないことだろう。初日こそ「弱い女性」として扱おうとしていたが、今はまったくそんなこともない。

 彼からすると、「何を言っても倍は言い返してくる、暇つぶしには格好の教材」として面白がられている節すらある。ジュディにとってそれはいささか迷惑な興味なのだが、相手にされず話を聞いてもらえないよりは遥かにマシだ。


 おかげで、毎回授業が終わる頃には喉が嗄れている。

 帰る前にお茶は用意してもらえるのだが、ここのところ二回続けて相手はステファン。ガウェインと顔を合わせることはなかった。

 さて、今日こそお目にかかれるのかしら、といったところである。


「なるほどなるほど。離婚からこの方、暇そうにしていたが、お前向きの仕事だったなら良かったじゃないか。宰相閣下の慧眼に恐れ入る、といったところだな」


 折しも、ガウェインの姿を心に思い描いていただけに、父から見透かされたようタイミングでその名を出されてジュディの心臓が跳ねた。

 なるべく、平静を装って微笑む。


「はい。宰相閣下には感謝申し上げております。素晴らしく配慮の行き届いた方で、不慣れな私のことも何かと気にかけてくださいますから」


 これは心の底からの、本音である。


(いまはまだ、あの方が何を考えているかは全然わからないけれど……。私が王宮で問題なく仕事ができるよう、手を回してくださっているのは感じます)


 たとえば王宮勤務の女官たちからして、「特別な仕事」をしているジュディは決して面白くない存在のはずだが、いまのところ鉢合わせをした際に嫌味を言われたことはない。すれ違うことくらいはあるが、会話になりそうなときは、侍従として同道しているステファンが対応してくれる。

 その意味では、快適かつ順調。

 感謝の気持ちは日々ジュディの中で大きく育ちつつある。

 もっとも、その物腰柔らかで優雅な見た目からは考えられない一面がガウェインにはあることを、すでに知ってしまった。彼は荒事慣れをしており、世情にも通じた裏のある人間だ。それがどの程度のものかは測りかねているが、ジュディが彼に気を許すことはない。


 一瞬難しい顔をしたジュディをよそに、ふんふん、と聞いていたリンゼイ伯爵は、何気ない調子で聞いてきた。


「私の目から見ても、彼はできた男だ。再婚相手としては申し分ない」


 何を言い出すのか。

 テーブルをバシンと叩きそうになった手を、なんとか気合いで押さえつけた。


「お父様。それはありえません。閣下は未婚ですが、それは引く手数多でお相手を選びきれないだけではないでしょうか。役立たずとして嫁ぎ先から離縁された私のような女を迎え入れる理由は、ひとつもありません」


 言い終えて、お茶を飲み干し、この話はここまでとするべく席を立つ。


(閣下からお茶に誘われているだなんて、絶対にお父様に知られるわけにはいかないわ。あれはあくまで「作戦会議」のお誘いであって、それ以外の理由なんかあるはずがないんですもの)


 個人的に、女性として誘われたなどと、考えてはいけない。

 仮に、ジュディが未婚であれば父に行っても良いかの確認はしただろう。結婚前のジュディは、一般的な貴族令嬢としての振る舞いをわきまえているつもりだった。父の預かり知らぬところで男性と接近するなど、とんでもない。

 だがいまとなっては、さしあたり再婚の見込みもない出戻り娘だ。やましいこともないので、好きにさせてもらうつもりでいる。


 そのとき、食堂にリンゼイ家の家令エドウィンが姿を見せた。

 折り目正しくお仕着せを着込んだ、銀髪の紳士である。食事中に申し訳有りませんと丁重に断りを入れてから、ジュディへ封書ののったお盆を差し出した。


「王宮から、急ぎの手紙です。差出人は宰相閣下で、お嬢様宛です」

「どうもありがとう」


 子どもの頃からジュディを知るエドウィンは、結婚中は恭しく「アリンガム子爵夫人」と挨拶をしてくれていたが、出戻りのいまとなっては元の呼び名に戻っている。この年齢でお嬢様もどうかしら、と思わないでもないジュディであったが、代案も思い浮かばずにそのままにしていた。

 手紙を手にすると、添えられていたシルバーのペーパーナイフでさっと切り開く。


「噂をすれば、じゃないか。閣下から、デートの誘いかい?」


 リンゼイ伯爵が機嫌良さそうに茶々を入れてきた。内心ではどきりとしながらも、ジュディはそっけなく答える。


「仕事上の連絡だと思います。日程の変更ですとか」


 間違いなく、ガウェインの字だ。几帳面そうに整っていて、流れるように綴られた字には見覚えがある。

 急ぎとは? と逸る気持ちに指を震わせながら、ジュディは手紙に視線をすべらせた。


 “急なお願いで申し訳有りません。手はずはすべて整えていますので、これから駅に向かって頂きます。手紙を届けた際にこちらから差し向けた馬車を、そのまま使ってください。殿下の政治参加のための()()()()には少々時間がかかりますので、その間の授業を考えました。行き先は湖水地方、風光明媚なホテルです。殿下のご尊顔の知られていない地で、労働を経験して頂きます。あなたにもぜひ同行を願いたく。


 追伸・日帰りできる距離ではありませんので、泊りがけの勤務となります。休みは適宜取れるように手配します。私も都合がつけばそちらへ向かいます。


 ガウェイン・ジュール ”



「いまから駅……? 行き先は、えっ、これだけ? 観光地のホテルで労働?」


 透かし文字で暗号でもないかと疑いたくなるほど、簡潔すぎる内容だった。


(庶民の生活を知りたい王子様に、そのものズバリ職業体験をさせるという意味ですか? 宰相閣下、それはいささか手荒すぎませんか)


 そしてそれは家庭教師の仕事ですか? とは思わなくもないが、同時にこれこそジュディ向きの件と深く納得もした。

 ジュディは家庭があるわけでもなく、王宮内の要職についているわけでもない。いきなり僻地に飛ばされても、生活上特に支障のない人材のひとり。

 それにしても、急過ぎる。

 これではたとえ、ガウェインと仕事の休日が合っても、向かい合ってお茶を飲むのは当分先になりそうだ。


 ジュディはすでに、ホテル行きを腹をくくって受け入れていた。


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