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つわものどもが夢のあと

作者: 雨足怜

 自分はここにいる。確かにここにいるんだ。

 音高く叫ぶ声は公園に響き渡り、地中にまで届く。

 そうして、僕は目を覚ました。

 長い時が過ぎた。生まれ、地中に潜り、早十年。

 旅立ちの日が来たと、そんな直感があった。

 体は自然と動き出す。

 土の中なんて方向も何もあったものじゃないけれど、僕は確かに地上に向かって土をかき分ける。穴を掘り進める。

 ようやく、時が来た。ようやく、雌伏の時が終わる。

 ひと掘りひと掘りに力がこもる。鎌のようになった手足は固まった土とて掘り進める。

 眠っている間に締まった土を掘るのは、けれど、眠るときに比べればずっと容易だった。

 あの日とは比較もできないほどに体が大きくなったということもある。ただ、それ以上に、この体に満ちる熱が、力となってあふれていた。

 少しずつ、音が近づいてくる。

 仲間たちの音。

 その音に加わるべく、僕は最後のひと掘りをする。

 その瞬間、鎌の先の抵抗が消え、小さな穴が顔をのぞかせた。

 その先の暗闇へと、僕は一歩を踏み出し、のっそりと地上にはい出た。

 ミンミンミンミン――仲間たちが僕を急き立てる。

 早くしなよ、寝坊助。あんまり遅いと、メスはいなくなっちまうぞ?

 それは嫌だ。何のためにこれまで長い間、土の中で成長していたというのか。

 ゆっくりと、地上を歩き出す。鎌と足を支えに、大きな凸凹を乗り越え、木の根を超え、石をよけて進む。

 長い道のりだった。

 近くの木までおよそ一メートル。それは、僕の体ではひどく困難な道のり。

 鳴き続ける仲間の一匹が、興奮に満ちた声を上げる。気になって見上げれば、そこにメスとの交尾に成功したオスの姿があった。

 ああ、うらやましい。

 僕も早くしなくちゃ。

 やっとこさ木の根にたどり着いて、幹にしがみつく。

 一匹、また一匹、仲間たちは恋人を手にして子孫を残す。

 早く、早く。

 気ばかりが急いで、僕は早々に幹を上るのをやめて羽化することにした。

 ぴしり、と背中に切れ目が入る。これまで地中で僕を守ってくれていた殻を脱ぎ捨て、今日、僕は成体へと変態する。

 ゆっくりと殻を脱ぎ捨てる。焦ってはいけない。ここで失敗するとすべてがおじゃんだ。

 慎重に、体を傷めないように脱皮する。特に足には細心の注意を払わないといけない。

 鳴き続ける仲間たちが教えてくれる。足に気をつけろ。脱げずに殻に置いてきちまった阿呆にはなるなよ――

わかっているよ。教えてくれてありがとう。

 ゆっくりと、慎重に殻を脱ぎ捨てる。

 そうして、殻の上でそっと羽を伸ばしていく。

 そうっと、そうっと。

 羽が折れ曲がらないように。飛べるように。

 地中から、空へ。恋焦がれた自由への切符を手に入れる。

 待っていて。今行くから――

 ざわり、と木々が揺れる。仲間たちのいくつかが慌てた様子で飛び去る。

 一体何があったのか。にわかに騒がしくなった周囲を気にしつつも、僕はようやくぴんと伸びた羽を乾かす。

 おい、逃げろ。早く――

『ニャァ~~ァ』

 ……え?

 その瞬間、僕の意識は途絶えた。


 あぁ、馬鹿だなぁ。

 食われた同胞を見下ろしながら、俺は彼へとレクイエムを奏でる。

 黒ずくめの野郎の口に収まったあいつは、もう生きていない。体が乾いていない柔らかい状態であんなことをされちゃあひとたまりもない。

 まあ、もっと木の上で脱皮しないのがいけない。

 そう思いつつ、俺ははるかな空へと飛び立つ。

 子孫を残すために、メスを求めて世界をさまよう。

 けれど俺もまたあいつと同レベルの間抜けだったのか、あるいは不運だったのか。

 メスに出会うことがかなわず、俺はただむなしく泣き続けた。

 たった一度、メスに出会えたことがある。彼女を呼ぶために、俺は声を張り上げた。聞いてくれ。俺の歌を。俺はここにいるんだ。答えてくれ。

 そいつはすらっとした美人で、そいつと一緒になれるなら、俺は満足して死ねると思った。

 けれど運命は残酷で、どこからともなく響き始めたくそったれどもの音が、俺の歌をかき消す。

 彼女は、俺に気づくことなく、はるか遠くへと飛び去って行った。

 あるいは、俺に気づいていながらも――いや、この考えはよそう。狂ってしまいそうだ。

 諦観が心を満たした。

 もう、諦めたらどうだ?十分探し回っただろ。

 それでも、俺は飛び続けた。

 長く、長く、どこまでも。

『俺はここにいるぞ。ここに、確かに生きているんだ』

 気づけば仲間たちの声は少しずつ減っていて、同胞の成れの果てが地上に目につくようになる。

 奇麗好きたちの羽は、雨で汚れが洗い流されることもなく、大地に飲まれて、消えていく。

 俺は、決して地べたを這うものか。決して、立ち止まるものか。

 そう思うけれど、少しずつ力が入らなくなって。

 やがて、ふらふらと不時着して大地に転がった。

 足は動く。羽も、少しは動く。だが、もう飛び上がることはできそうになかった。

 このまま、朽ちていくのか?

 大半の時間を闇の中で過ごして、やっとこさ地上に出て、これで終わり?

 子孫も残せていないこんな生涯に、何の意味がある?

 空の旅を謳歌できたからいいだろって?馬鹿言ってくれるな。

 確かに仲間たちのおかげで命のバトンは次の世代につながれたさ。今後も同胞存在し続けるってのは大事だ。俺はそんな使命を果たせずにただ空を飛んで遊んでいたと思われも仕方ない。

 でもな、俺は俺として、セミの歴史の中にありたいんだ。できるだけ長く、生きていたいんだ。俺の子を、残してやりたいんだ。

 なのに、もう力は入らない。

 少しずつ、意識が遠くなってくる。

 俺の生に、意味はあったか?

 俺は、満足できていないのに……

 ――ァ。

 声が聞こえた。あの黒づくめの毛玉の野郎の声。

 クソ。俺はこんなところで終わるような存在じゃ――


『つわものどもが夢のあと、ニャ』

 ニヒ、と笑った黒い毛玉は、闇の中へと歩いていく。


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