彼女、自分を捨てる
俺は、全力疾走で大学まで戻ってきた。
大学内だろうと構わず走り、燐華さんを探し回る。
廊下で偶然用務員を見つけたので、俺は燐華さんのことを知らないか聞くことにした。
「おっと! そんなに走ってどうしたんだ?」
「すみません! おとなしそうな黒い長い髪の女子生徒を見ませんでしたか!? 服装は、えーっと......」
「黒い髪の......? 君が想像している子かどうかはわからないが、さっき茶髪の子と金髪の子の三人でいるところに声をかけたよ」
周りにいた人のことを聞き、燐華さんだと確信する。
「どこに! 黒髪の子はどこに行ったかわかりますか!」
「お、落ち着けって! ゴミ捨てを手伝ってもらって、二分前に別れたところだよ......」
「二分前......!」
そうだとしたら、燐華さんはまだ大学内にいるはずだ。
俺は、すぐに燐華さんの捜索を再開した。
「お、おい! ......何だったんだ?」
用務員は何が何だかわからず、唖然としていた。
そんな用務員を気にもせず、俺は走り出した。
ずっと走りっぱなしで、心拍数が上がりっぱなしだ。
心臓がはち切れそうだった。
だが、そんな自分よりも、燐華さんの心配が優っていた。
無我夢中で探していると、声が聞こえてきた。
「きっと、強い夏鈴ちゃんなら変われるよ......! 私なんか比にならないくらい、魅力的な子に......!」
「燐華さん!」
俺は、声が聞こえる方向に全力で向かう。
廊下の角を曲がると、二人の姿があった。
夏鈴さんが倒れている燐華さんの頭を踏んでいる。
「私に......!」
「......え?」
「私に口答えするなあああああ!!!」
夏鈴さんが燐華さんの頭を蹴り飛ばし、鞄からカッターナイフを取り出す。
それを見た瞬間、俺は、何も考えずに燐華さんの元へ走った。
そして、全力で踏み込み、そのまま燐華さんに覆いかぶさる。
次の瞬間、背中に強い痛みが走る。
「あがっ......!」
背中が熱い。
突き刺さっている感触が気持ち悪い。
「し、志永くん!?」
「燐華ちゃんを庇いやがって......! せっかく痛い目に合わせられたのに......! お前さえいなければ、燐華ちゃんが私に歯向かう意志を持たなかったのに!!!」
夏鈴さんは、カッターナイフを引き抜く。
それと同時に、再び強い痛みが襲い掛かる。
「やめて......。くださ......!」
「お前さえいなければ!!!」
「夏鈴ちゃん! やめて!」
必死に説得しようとするが、夏鈴さんの暴走は止まらない。
再び、俺の背中にカッターナイフが突き刺される。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
だが、燐華さんを守ることは絶対にやめなかった。
意地でも退かず、燐華さんを守り続ける。
気が付くと、辺りには血だまりができていた。
失血により、意識が朦朧としている。
十回ほど刺されたところで、夏鈴さんの手は止まった。
荒々しい息とともに、カッターナイフが地面に落ちる音が聞こえる。
「あ......! 私......!」
自分の失態に気が付いたのか、自分の血まみれの手を、めった刺しにされた俺を見て夏鈴さんは青ざめる。
そして、何も言わずにその場から逃げて行った。
「はは......。よかったです......。無事で......」
力を振り絞り、燐華さんの上から転がって移動する。
背中が廊下に触れ、激痛が走る。
「うっ......!」
「志永くん!」
燐華さんはすぐさま起き上がり、背中の傷が痛まないようにうつ伏せにしようとした。
だが、燐華さんの右腕だけでは、俺の体を動かすのは不可能だった。
「と、とりあえず救急車......!」
燐華さんはスマホを取り出し、救急車を手配する。
焦りで早口になりながらも、的確に情報を伝えていく。
そして、連絡を終えると、俺に視線を移す。
「志永くん! 救急車呼んだから! もう少しだけ頑張って!」
「あ、ありがとうございます......」
上手く話すことができない。
視界が霞む。
「志永くん! 死なないで!」
燐華さんの目から涙が零れ落ちる。
その涙は、俺の顔に滴り落ちた。
意識が遠のいていく。
目を開けているのも辛くなり、閉じてしまう。
もうそろそろ、気を失ってしまいそうだ。
「志永くん......? 志永くん! 死なないで! 私を置いて行かないで!」
燐華さんが俺の頬を軽く叩く。
反応して安心させてあげたいが、俺にそんな余裕はなかった。
「私が......! 私がいなければ! そもそも、私がこんな性格じゃなければ、志永くんも、夏鈴ちゃんも、私もこんなことにはならなかったのに!」
意識が消えかけている俺に、燐華さんは抱き着く。
「ごめんね......! 私のせいで......! 私のせいで......!」
燐華さんは限界を迎え、大声で泣き始めてしまった。
そんな燐華さんを置いていくかのように、俺の意識は途絶えた。
意識が戻ると、病院のベッドの上だった。
背中の傷が酷いため、背中に負荷がかからないように寝かされていた。
「志永くん......」
ベッドの横の椅子に、燐華さんは座っていた。
「燐華さん......。俺、助かったんですね......」
「うん......。あのあと数分くらいしたら、救急車が到着して......。病院に運ばれて、緊急手術して......。命に別状はないみたい」
「そう、ですか......」
俺は、大きく一息ついた。
偶然視界に入った壁掛け時計を見ると、時刻は午前の七時だった。
「次のニュースです」
隣の病室のテレビの音が大きいのか、こちらの部屋にまで音声が届いていた。
「同級生をカッターナイフで刺したとして、大学生の奈月夏鈴容疑者が逮捕されました」
「夏鈴ちゃんが......。逮捕......!」
「奈月夏鈴容疑者は、同級生である男子生徒をカッターナイフでめった刺し、現場から逃亡。血まみれの手を見た用務員が警察に通報し、昨晩十一時頃に自宅で逮捕されました。容疑者によると、怒りに身を任せて刺してしまったと述べています。それでは、次のニュースです」
アナウンサーは淡々と事件内容を述べると、別のニュースを伝え始めた。
「はは......。こんな大ごとなのに、あっさりと流されちゃいましたね...,,,」
燐華さんを心配させないために、そんなことを言った。
だが、燐華さんが笑うことはなかった。
「......燐華さん。退院したら、お酒飲みましょうよ」
燐華さんは口を開かない。
長い沈黙が続く。
「......私、お酒やめることにしたんだ」
沈黙を破り、燐華さんがそう言った。
「お酒も、タバコも、性格も......。私のアイデンティティは、全部捨てることにしたの......。そうすれば、誰も傷つかないから......」
燐華さんは、重苦しい表情で言う。
それ以降、燐華さんは大学外での自分を、本来の自分を表に出さないようにしてしまった。
こうして、燐華さんと夏鈴さんの対立は幕を閉じた。
次回から最終章。そして、残り4話となります。




