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妄想論

なろう小説の特殊性

作者: とびうお君

 ざまぁが熱烈な好み寄る流行ではないとずっと書いている。目的はまず作者の目を覚まさせたいから。熱狂的な読者に支えられてるからこれ以外受けないという思い込み。そんな読者いるかもしれないが、多分少数派だ。じゃなろう民には特殊な好みが無いのか?なら、ある。それは多分以前書いたマウントじゃないか?と思う。


 ざまぁの構造を見ればわかるが、立場の逆転こそがキーになってる。まさにマウントの逆転だと言えると思う。それに私はファンタジーに限ってだが、追放系が受けたのは、なろうにありがちな勧善懲悪の物語構造とほぼ変わらないからって見てる。俺TUEEEを点とした、線の物語として根底に起きやすいと言うのがある。


 俺TUEEEがシーンによる点の刺激だとするとそれらの点全体を包むのが勧善懲悪の物語だとなる。追放系の物語はこの構造をそっくりそのまま使える点にある。それゆえ私はなろうの読者の好みの本質的なものが何も変化してないと見ている。より効果的な物語の線とシーンの点の両方で美味しいのが追放系だと言うぐらいしかない。


 後この俺TUEEEは俺SUGEEEとほぼ変わらない。ここまでもっていくと、俺SUGEEEEはマウントに他ならないとなる。優れた自分の存在、それに対する気持ちよさ。以前からなろうは、楽しいと言う点の連続で物語を創れば特にファンタジーに拘らずとも好いと書いてきた。それ何?と言うと孤独のグルメが多分もっともふさわしい。


 異世界でやたらと飯ばかりになるのは何故か?これで分かるだろう。現代ものでこれが流行しないのは、もうたっぷり異世界でやられてるのと、これを今更漫画実写にあふれてるのに文字でやる?って点になる。だから飯以外でそういったものを生み出せばいいとずっと書いてきた。とにかくテーマ的に2番煎じは絶対にダメ。


 と言っても、この先ネット小説で流行すればそれは良い。すでに漫画実写などであふれてる2番煎じを避けるって点で、ネット小説初なら逆に2番煎じを狙うべきだと見ている。いつものコピー戦略になる。現在上手く行ってないのはすでに漫画実写に溢れてるテーマの2番煎じでなんとかしようとしてるからになる。


 最も効果的なのはマウントであるが、まあ楽しいや快楽、快、こういった点の刺激を重ねていくこういった物語が重要って点。


 この重要性は、俺TUEEや主事項最強自体は一般的な漫画や実写にもあふれている。その点そこだけ見て判断するとなろうの本質が見えてこない。逆に言えば俺TUEEEや最強をキーにしてなろうを理解しようとしても遠ざかるだけだと思う。そこに本質はない。じゃどこに?繰り返される俺TUEEEと言う単純な物語構造、ここにある。


 間違いなく物語は機能してる。だが見えない部分で、なろうは楽しい、快楽、快と言う点の刺激の方が私は重要だと見てて、これらと物語の楽しさが従となって結びついてるのがなろうファンタジー小説だと見ている。その分かりやすい快がマウントになる。


 敢えて性差の話になると、分かりやすいのは男性的攻撃衝動ともう1つ重要なものがある。男性の方が女性よりどうもシンプルな分かりやすさを好む。これは意外に思う人は多いだろう。女性は単純だとか多分思う女性蔑視的な人は多いと思う。それは物語を楽しむことにおいては当てはまらないと思う。


 男性は平均的に物語を楽しまない。それゆえ物語の把握しにくい面倒なものを乗り越えた楽しさよりも、すぐに楽しさが分かるシンプルなものを好む。これがなろうファンタジーが俺SUGEEEより俺TUEEが主流になってる性的な部分でのもう1つの理由になる。SUGEEE--よりTUEEEの方がマウントの関係が一瞬で分かりやすい。


 これが文字による物語で内容を把握する部分と絡んで、最終的に判断するって形になるまでに、作品を選ぶって部分が強く面白さに関わってるとずっと書いてる事と結びつく。なろうのランキングは単純な好みの反映じゃない。この選ぶ行為が密接に面白さに関わってるが、内容を楽しむこととダイレクトにつながってるわけじゃないって点になる。


 これは好みによる選別ではない。


 これからは、俺TUEEEEじゃなくてマウントを取る場面をしつこく何度も重ねていくことで積み重なっていく物語。これがなろうの外と違う重要な部分だと知ってほしい。俺TUEEEEじゃ外の作品にありがちな、物語の締めのカタルシスとして使われる俺TUEEEと区別ができないからになる。


 だがざまぁって似てない?なら似てると思う。ただどうだろうか?ざまぁする瞬間に追放系は重きを置いてない。それはロケットで言うと最終的に段階を踏んで切り離していく作業で、すでに切り離し第一段階でもうそれらの楽しみは点として出ていると私は見ている。追放系を数多く読んでる人なら分かるだろう。


 外れスキルが、追放したパーティーが不幸になる前から、これ行けるんじゃない?って状況にすぐ持ってこられる。最終的に、パーティーメンバーは追放した主人公なしには上手くいかないってシーンでカタルシスになる。だがこれらは別で展開することが多い。すでに主人公のマウントを取る流れはカタルシスが得られる前に始まっている。


 根本的には、転生転移の時にあった俺TUEEEの連続とほぼ作品構造は変わってない。敢えて言うならより効果的になっている。なんといっても物語の締めの部分に自分を見下した相手へのざまぁが待ってるのだから。マウントを取る快楽の2重構造にあると言えると思う。


 そもそもなろうにおける勧善懲悪は悪を描く部分にない。主人公がこっぴどく暴力をふるう相手に対して罪悪感やマイナスの感情を抱かないで済むのが大きい。本来はモンスターと言う分かりやすい他のすべき相手が人間になってるだけだと見ている。根本的には、俺TUEEって点に対するシーンとあまり変わらないと思っている。


 勧善懲悪って言葉が悪いと言うなら分かりやすくするため使ってるだけというのがある。実際マイナスの感情を生じさせないために必要な事なのでこの構造を取る作品は多い。基本は個人のむかつくへの共感だと思う。それには分かりやすい悪人が望ましい。


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