♰02 かつての庭園。
生まれ変わっても、それがなんだ。
もう戻ることはない。
愛してはもらえない。
ーーーー……失恋した。
「ルビー! どうしたんだ!? あの騎士様に何か言われたのか!?」
「ち、違いますっ、お父様」
私の今の名前は、ルビーティー。
真っ赤なルビーのような長い髪とオレンジ色の瞳を持つ、まだ十三歳の少女。
心配して来てくれた父親は、短めな赤毛で茶色い瞳を持つ。
商売でひと財産を築き上げて、男爵の爵位をいただいたショーン・ハントレッド。
私は、その娘。
「彼は、何も、悪くない……悪くないのです……」
「……そ、そうか。本当にヴァンパイアが、怖くて仕方ないのか。すまない」
「っ」
ヴァンパイアが怖かったから、泣いているわけでもない。
例え、ヴァンパイアになってしまっても、愛した人を恐れたりしない。
違うけれど、言えない。
説明できるわけもなく、私はただ溢れ出る涙を拭った。
「ごめんなさい。帰りましょう、お父様」
力なく笑って見せて、私は父親と帰る。
前世の父親は、亡くなった。
百年前のヴァンパイアの襲撃で亡くなったわけではない。
国を立て直すことに、尽力したそうだ。
そして、ヴァンパイアになってしまった国民も受け入れて、新しい国にした。
現国王は、私の弟である。
元々、後継者ではあったが、百年前の事件で噛まれてしまってヴァンパイアになった彼は、父の死後に王位の座を継いだ。
反対の声はなかったとは言えないが、それでもヴァンパイアと共存する国として、相応しい跡取りだった。
私は、かつての弟と話す機会を窺う。
近衛騎士であるノルアや他の騎士を連れて、街に降りて視察をしにくるので、話す機会はすぐに得られると思った。
けれど、もう私は彼の姉でもないし、王族でもない。
そう容易くは、近付けなかった。
遠巻きに隙を伺っては、ノルアを見つめて一日を無駄にする。
そんな日々を繰り返して、あっという間に三ヶ月が経つ。
私はしびれを切らして、今の父親に謁見を頼むことにした。
しかし、そう簡単に時間を割いてもらえないと笑われてしまうだけ。当然だ。
相手は一国の王だ。私は爵位をもらったばかりの男爵令嬢に過ぎない。
「なんでまた謁見を求めるんだ? 国王陛下も、お前の苦手なヴァンパイアだぞ」
不思議がる父に、私は笑って誤魔化した。
まだ苦手だと思い込んでいたのか。
「……」
私はただ、あることを頼みたいだけだ。
積もる話はきっと山ほどあるけれど、まずは一つの頼みごとを引き受けてほしい。
そのためには、かつての姉だということを伝えなくては。
ノルアの耳には、入らないよう。至難の業だ。
「……お父様。リリヤ・アルミという方をご存じですか?」
「ん? アルミ……女性かい? 知らないが」
「知らないのですね!」
それはいいことを聞いた。
「では、リリヤ・アルミの名で、ヴィリアム陛下に手紙を出さなくては!」
私は嬉々とした足取りで、自分の部屋に戻る。
かつての弟、ヴィリアムに向けて、綴った手紙は、いわゆるラブレターだ。
ヴィリアムに宛てた恋文ではない。
ヴィリアムが、大昔に想っていたリリヤと言う名の令嬢に宛てた恋文を、そのまま書いてやった。
たまたまリリヤ嬢が、ヴィリアム王子から恋文をもらったと自慢していたところを、聞いていたから覚えている。
当時、ヴィリアムは十歳。リリヤ嬢は結婚を控えた二十歳だった。
当然のように、ヴィリアムは失恋したのだ。
むせび泣く彼を、慰めたこともよく覚えている。
これで私だと気付くはず。そうでなくても、気は引ける。
結果。私は手紙を送ったその翌日には、城へ呼び出された。
成功と言えるだろう。
懐かしい我が家。百年と言う月日を酷く感じたが、それでも懐かしの我が家。
物心つく前から走り回ったことを思い出しては、ふっと笑ってしまう。
ヴィリアムは、変わってなかった。
百年前に最後に会ったあの日から、時は止まったかのようだ。
十七歳と言う若さで、時が止まったままなんて……。
でも王冠が、よく似合っていた。
通されたのは、王の執務室。かつてのお父様のもの。今ではヴィリアムのものか。
「挨拶は抜きにして、本題に入ろう。ルビーティー嬢」
若い姿のヴィリアムは、昔と変わらない青い瞳で、微笑みかける。
「リリヤ・アルミの名は、どこで知ったんだい? いや、名前だけじゃない。内容もまるで……」
「その前に人払いをしていただけませんでしょうか。陛下のためにも」
騎士がそばについていた。幸い、ノルアじゃないけれど、それでも聞かれたくはない。
私もだけれど、むせび泣いたことをヴィリアム自身、聞かれたくはないだろう。
ヴィリアムは私を見定めるように見つめてから、やがて待機させている騎士を下がらせた。
ヴィリアムと二人きりになって、私は息を深く吐く。
「緊張かい?」
「してないわ。可愛い泣き虫くん」
「!」
微笑みを返して、ヴィリアムを泣き虫くんと呼んだ。
「名前に反応したってことは、まだ引きずっているのかしら。覚えている? リリヤ嬢が結婚した日は、ずっと私の膝の上で泣いていたわね」
冷静を装っていたヴィリアムの顔が、みるみる変わっていく。
驚愕、という色に染まっていった。
「……お父様は、ヴァンパイアをさぞ恨んだでしょう。私の死後、共存する道を選んで国を立て直すなんて、本当に立派な方だったわ……」
壁に飾られたかつての父の肖像を見上げる。
ヴィリアムに似た年配の男性。前国王。かつての父。
「父がいたら、謝りたかったわ……。ごめんなさい。先に死ぬなんて、なんて親不孝なのかしらね」
「……あね、うえ……?」
「そうよ、可愛い泣き虫くん」
涙を込み上がらせたヴィリアムは、昔と同じ呼び方をした。
私の方が泣き虫になってしまったようだ。ポロポロと、私は涙を落とした。
けれども、再会が嬉しくて、微笑みを溢した。
「姉上!? なんでっ、どうして……! 信じられない!」
「あら。あなたの恋文を読み上げてもいいのよ?」
「それはやめてくれ。信じた、信じたから」
立ち上がって、額を押さえたが、ヴィリアムも嬉しそうに笑みを溢す。
「抱き締めてもいいかな?」
「どうぞ」
「ああ、姉上! ははっ。オレより小さい!」
私のところまで来ると、両腕で抱擁。
幼い身体が、すっぽりと覆われてしまった。
「でもっ」
すぐに離すと、戸惑いで一杯の顔をする。
「ノルアから何も聞いてない!」
「ノルアには言わないでっ」
「えっ?」
私は慌てた。
「お願いよ、ヴィリアム。私が……ヴィオレンだったことは言わないで」
「なんで? ノルアは……きっと喜ぶ!」
「そんなはずない!」
首を左右に振ると、赤い髪が靡く。
「……お願いだから、言わないでほしい。私はもう……彼の姫じゃない」
「……姉上。けれど、今でもノルアは……」
「ヴィリアム。お願いがもう一つあるの」
私は話題を逸らした。
「”私”の墓参りしてもいいかしら?」
ヴィリアムが、青い瞳を見開く。
黒い瞳孔が、ひし形。
ノルアの瞳も、同じ形をしていた。
「……庭園に、行きたいんだね」
少し、ヴィリアムの瞳が逸れる。
けれど、すぐに私に戻った。
「もちろん。許可しよう。一緒に行く?」
「一人で行けるわ。忘れてない。全部思い出したから」
全部、思い出した。
ヴィオレンとしての記憶を。
一人で行けると言ったのに、外に待たせていた騎士の一人に、ヴィリアムは案内を命じた。
「一人にしてもらえますか? ヴィリアム陛下には、ちゃんと許可をいただいています」
庭園に到着したあと、ぴしっと言い放って、私は一人にしてもらう。
「……手入れ、されているのね」
私の死後、そこは封鎖されていると聞いた。
だから私はヴィリアムに正体を明かして、立ち入りの許可をもらったのだ。
自分自身が死んだ場所に立つのは、不思議なものだった。
そんなことよりも。
何よりも。
思い出が、鮮明に過った。
長い時間、”私”はここにいて、そしてそばにはノルアがいてくれたのだ。
踊り場として円形の石がある。それを囲うように鮮やかな赤い薔薇が咲き誇っていた。
何度、ここでノルアと見つめっただろう。
愛ある眼差しで、見つめ合っては、薔薇の華やかな香りを嗅いでいた。
覚えている。私の最高に幸せな時間だ。
愛おしい愛おしい時間だった。
真っ赤な薔薇を、優しく撫でる。
しゃがんで、華やかな甘い香りを嗅ぐ。
記憶の通りの庭園。ここも、時が止まってしまったかのようだ。
私は立ち上がって、上を見上げた。
あの夜、逃げ込んだ塔が見える。
私が落ちたバルコニーが微かに見え、落ちた先を予想した。
きっと、踊り場のところに落下しただろう。
踊り場の真ん中にしゃがみ、私は手を当てた。
石の冷たさしか、感じない。
「ここで何をしている」
ノルアの声に、私は跳ねるように顔を上げた。
冷たい真っ赤な眼差しが、私を睨み下ろす。
怒っていた。誰もいないはずのこの場所に、私がいるからだろう。
記憶の中とは、違う。
愛おしそうに見つめ合ったあの目が、ない。
その事実に、胸がギュッと握り潰されるかのように、痛みを覚えた。
20211023