第16話 鬼に金棒
お殿様忍者一家と支城まわり
比叡尾山城天守では何時もの様に籠の鳥のさえずり
が始まった。
「オイッ、家老よ、この度の尼子晴久が仕掛けた急襲にはたまげたのう」
「左様で御座います」
「ワシとおまえも互いが死に別れになるところじゃったでぇ」
「ワシ等みたいな程度の中途半端な国人領主にしてみりゃ、何れにしても勢いのあるとこに付かにゃ生きていけんわな。其れも多くの領民の生命や生活を守る為にはやむを得ん事なのじゃ」
「仰せの通りで御座います」
「其れを根に持ちゃがって晴久め、どれだけワシ等と仲が良かった事かを知っとって、わざと国久公を仕向けおってからに」
「何れ近いうちに尼子は内紛を起こし滅亡してしまうぞ」
「そりゃ間違いないでしよう」
「然しなぁ、あんときにほんまに大将がおらんかってみぃや、天地が逆さまになるどころか、長年続いた叡尾山城もお釈迦になるとこじゃったよ」
「だが此れも殿様の霊感というか咄嗟の閃きにより窮余の一策となったのです」
「そうか、そう言うてくれると嬉しいのう」
「じゃがな、大将はとんでもない才能の持ち主でぇ」
「前にも国久公が言うとられたが、犬飼平合戦の時に、戦況見極めの為に米俵を仰山も川に流せいじゃとか、今度の布野村では松明を用意せいじゃの、普通の人間では到底浮かばん発想じゃで」
「そりゃええがのう、この度の緊急動員に対してな、急遽、応じてくれた支城の者達に礼の挨拶をしちゃらにゃならんよな」
「そりゃそうですが」
「其処でじゃ、今回はワシが行くつもりじゃが誰が付いて来りゃ」
「ええ、殿が行かれるんですか」
「勿論じゃ」
「家老は付いて来んよな」
「ハイハイ、ご尤もで」
「おいおい、行かんとなると嬉しそうじゃのう」
「そんなぁ。何れにしても老体なので足手まといになろうかと」
「じゃったら忍者一家はどうじゃ」
「それはラー助と云う空からの凄い見張り番が付きますね。其れと他の地上の護衛は如何しましょうか」
「お主は何と大袈裟な事を言うのう。じゃあ大将はどうじゃ」
「お殿様、其れは大賛成で御座います。鉄と共に力強いお付きが見守りをしてくれますから」
「オイオイ、この前とはえらい違いじゃのう」
「エッ、何のことで」
「高杉城の時の事よ」
「そんな事が有りましたっけ」
「とぼけおってからに。まぁそりゃええがな、どっから行くかなぁ」
「明日、代官所に用が有るよのう。其れから粟屋、青河を回って志和地へでも行くか。おまえも年貢の談議の件で話しがあったよな」
「分かりました。皆んなと一緒に回れる様に早速にも段取りを付けましょう」
翌朝、家老は早くに登城すると一人御用部屋に立ち籠り、礼状書簡と報償金目録を書き記していた。暫く錯誤を繰り返しながら頭を捻っている時
「ナニヨウジヤ」
「うんっ?」
「ヨジャヨ」
カタンカタンと音がする。ラー助が天窓を嘴で突きながら此方を覗いているではないか。
「たまげたなぁ!ラーちゃんか。何もまだ呼んどらんのじゃがなぁ。よしゃ、中へ入れや」
「でも丁度えかった、大将に使いを頼むよ」
「マカセトケ」
ラー助は暫く待っていると家老から書簡とホウベを貰った。早速、爪に引っ掛け喜び勇んで飛び立って行く。
ラー助は今朝も早くから目覚めると一気に飛んで来た。何せ褒美が欲しいばかりで鉄や玉と一緒に食べたいのだ。実に優しいラーちゃん。
「然し、凄いやっちゃな。ほんま人間の云う事が殆ど理解出来てやる事が速い速い。まるで空飛ぶ忍者じゃ。こりゃ早うにも次の養成を急がにゃならんで」
家老はぶつぶつ喋りながら一人悦に入っていた。
翌朝、薄い朝霧の立ち込める中、お殿様と家老は城を出ると馬洗川の船着場に下りて行く。
「オイ、家老よ、今日は舟で行くんかい。お主も横着を考えたな」
「何をおっしゃる、舟を使えとおっしゃったのは殿ではないですか」
「そうか、そうじゃったな」
河原に近づくと忍者一家が待っているではないか。
「何と早いのう」
早速、お殿様に駆け寄って来てワンワン、ニャアニャァ大喜びである。
「オオゥ、大将よ、今日も朝早うから呼び出してすまんな。まぁ宜しく頼むよ」
「此方こそ、宜しくお願い致します」
「さあさあ早う乗れや」
「とんでも御座いません。私と鉄は川に沿って小道を
走って行きます。玉だけ舟に乗せて下さい」
「何を言うとる、お主等がおらんとワシャ寂しいわい。とに角、早う乗れぇや」
お殿様に急かされ乗り込むと鉄が初めての舟に物珍しいのか水面を眺めている。玉は相変わらずに殿様の膝の上だ。
「大将よ、急な呼び出しですまなんだな。今日はこの間の件で支城回りをしようと思うてな。そいで忍者一家に殿の警護を頼んだんじゃ。宜しく頼むよ」
と家老が声をかけてきた。
「分かりました。お任せ下さい。なぁ、鉄ちゃん」
「ウゥ、ワンワン!」
「然し、凄いな。言う事がみな分かっとる」
「上からはラーちゃんが見張っとってくれるしな。ほんま心強い限りじゃ」
今朝も天気が良く水面に霧が薄くかかっている。馬洗川の穏やかな流れで川風が心地よい。
「こりゃ、ほんま快適じゃな。何でこんなええ方法があるのに、今迄に何代にも渡って誰も気が付かんかったかのう」
「お殿様、宜しいでしょうか」
「オウ、何じゃ」
「乗船早々ですが提案が御座います」
「何かいのう」
畠敷の船着場から馬洗川を二町程下ってきた辺り、大きく湾曲した箇所がある。丁度その時、
「今、通っている両岸を見て下さい」
「何が有るんじゃ。竹藪や草が生え放題じゃがのう」
すると家老が
「まるで雑木林でぇ。こんな場所なんざ屁の突っ張りにもならんじゃろうが」
「お殿様、ご家老様、此れは川からすぐに手が届く近さですよ」
「其れがどうしたんじゃ」
「何故にこんな良い場所を放置されているんでしょうか。勿体ない限りでは」
「そうは言うてもな、ワシにはどうしてええんかとんと考えが浮かばんよ」
「船頭さん、一寸、舟を止めてもらえますか」
与作は現場の案内の為に下船してもらうと岸辺の上に立った。
「見て下さい。この広さを。今は其れこそ雑木林ですが全く平地です」
「オイッ、家老よ、こりゃ何反くらい有りゃ」
「さぁ忽ちは。でも一町歩は軽く超えるかと思われますが」
「何ぬぅ、こりゃ凄い事でぇ!」
「其れで大将よ、此れをどうすりゃええ思う」
と家老が質問を投げかけてきた。
与作はぐるりと見渡しながら指差した。
「此処は扇状地の様で開墾してからすぐに稲作の田んぼは難しいでしょう。水源確保の為には、先ず、上流から水路が要りますが此れは結構手間がかかります。ですから其れよりは手っ取り早く桑畑にしてはどうかと」
「そして養蚕を始めればいいかと思います。これならば桑の成長は早く、蚕を取り寄せれるのも簡単な事です」
「成る程な」
「繭棚を作り、此処から繭を下流に持って行き、糸を紡ぐ作業場へ持ち込むのです」
「三次盆地の他の農家にも奨励して生産をし、其れに昔からある、麻の栽培と合わせると何れ三次は絹と麻の繊維織物の名産地になろうかと」
「オイ、家老よ、こりゃ凄い事になるで」
「是非、大将を中心に早急に段取りを付けてくれんかのう」
「承知致しました」
「然しよ、大将は目の付け所がワシ等ととんと違うとるな。今迄はなして放ったらかしにしとったんかのう」
「比叡尾山城も何百年も続いとるが、誰も川を有効利用する事を考えつかなんだかじゃ」
「三次の地は元来、天候にも恵まれ、水が豊富で干ばつで飢饉になった記録が有りません。ただ、今迄は此れを利用する程の人口が居なかった事もあります。でも三次盆地には何万年も前からご先祖さんが暮していました。然し、殆ど山手の丘陵地で居住しており、川は主に魚を取って食糧にしていた程度なのです。でも現在は陰陽交通の結節点として、盆地の中の広々とした町中も人口が増え繁栄しつつ有りますから、夫々の川を有効活用をすれば大いに役立ってくるのではないでしょうか。
「飢饉と云やぁ一昨年は大変じゃったよ。ワシのよう知っとる所の殿さんもな、米の不作で食糧不足になり一揆らしき騒ぎになって困っとったよ。だから、ワシも少しじゃが援助してやったからな。何せ奴等の所ゆうたら険しい山ばっかりで平地が有りゃせん.材木を切り出して何処かへ売ろうにもとんとかなわんのよ。他に何の実入もありゃせんしな」
「とに角なぁ、大将の言う様に早急に段取りを付けようじゃないか」
「お殿様、私は浅田屋へ奉公の頃、三次盆地の隅から隅まで歩き回りました。その時、可愛川、西城川、馬洗川の側を通って上流まで行きました。巴橋を中心に上流に向けて二、三里は川幅も広く水の流れが穏やかで全く天然の水路そのものなのです」
「その川のすぐ側には凄く開墾用地が有るのです。其処へ稲作、麦畑、それ以外に養蚕の桑、麻、野菜、果樹園と植え付ければ三次全体が豊かになり活気が出て来て、正に鬼に金棒の様な状態ではないでしょうか」
「ハハハ、鬼に金棒とはよかったな。嬉しい事を言うてくれるのう」
「こんなに利用価値があるという事を思い付かんとは、全く情けない次第じゃ。''百聞は一見に如かず,,じゃないが先ず、ワシも家老もこの目で確かめる事から始めにゃならんな」
「全く仰せの通りで御座います」
「とに角、ええ事に気付いてくれたな。家老よ、各地の庄屋達と相談しながら力添えをしてやってくれんかのう」
「勿論で御座います。大将、宜しく頼むよ」
「有り難う御座います」
「よしゃ、次に行くか」
又、舟に乗り込むと殿様は目を輝かせながら興味津々で両岸を見つめている。
「然し、家老よ、この川の流れはほんま穏やかなで。農産物の運搬や木材の筏流しにゃええし、上りにかけても少々の荷は水に竿差しゃ楽に上がるで」
「右手を見てみいや、人家が無いけぇ余った土地がなんぼでも有るぞ」
「此れもお殿様が川を使えやと言われた事がピタリ当たりましたね」
「ほうかほうか、当てずっぽうで話した事も満更でもなかったな」
すると与作は
「とんでもない。全く的確な状況判断で御座います」
やがて舟の土手っ腹にガリガリと音がすると船着場に到着
「オオゥ、もう着いたんかい」
「ええ話しをしとったのにのう」
すると舟から鉄が飛び降りると一目散に草叢に駆け込んだ。
「ゲェー、ゲエー」
「おやまぁ、鉄ちゃんでも船酔いをするんかい」
与作が振り返るとすぐに何事もないような顔をして帰って来た。
「普段は水の中へは寒かろうとへっちゃらで飛び込むんですがねえ」
「ハハハ、鉄ちゃんは強いようでも弱みが有るんじゃのう」
舟を降りると其処には馬二頭が用意してある。
「オイッ、家老よ、今日はワシが代官所へ立ち寄る程でもなかろうが。普段から皆んなに好かれとるお主が話しをまとめとってくれんか」
「冗談ばっかり言われてからに。私が一番煙たがれとるというのに」
「へへへ、すまんのう。其れとな玉ちゃんの事じゃが、此れから志和地まで行くから長旅になるでな。帰りゃ暗うなるかも分からんけ預かっといてくれるか」
「承知致しました。玉ちゃん一緒に居ろうな」
「ニヤァ~ン」
「オゥオゥ、何と賢い猫様じゃのう」
「ご家老様、宜しくお願いします」
お殿様と与作は代官所の前を通過するとそのまま商店街の方に向かって駒を進めだした。
「大将よ、今から一寸な、浅田屋へ顔を覗かせに行くか」
「ええ、其れは結構ですが何用で」
「この前のな、闕所の事もあろうが。詫びを云うといてやらんとな」
「分かりました。でも私が行くのはちょっと」
「ええからええから、黙って付いて来いや」
「分かりました」
蹄の音を響かせながら武家屋敷を曲がるとすぐの商店街に入って来た。各店先では開店準備の為に忙しく動き回っている。
そこへ馬二頭と狼犬が駆け抜ける。響く蹄の大きな音に多くの人々が飛び出してきた。
「何事なら!」
「おっ、お殿様じゃ」
「皆んな控えろ!」
段々と此方に近付いて来ると更に驚いた。お殿様の連れでいる馬上には、
「何と云う事じゃ、与作じゃないか」
何時も見慣れた浅田屋の与作である。
「ワオゥ、凄い!」
と感嘆の叫び声が路地に響いた。
与作は浅田屋の丁稚も丁稚、下っ端で最低地位の人間である。それが武士でも上流階級しか乗る事が出来ない馬に跨がりやって来た。
「どうしてお殿様と一緒に並んで来たんじゃ!」
商店街の人達は只々呆気に取られている。
「御免!浅田屋はおるか」
店先は既に箒の跡も爽やかに清掃を済ませておりそこへ番頭が飛び出して来た。
「此れはお殿様、ようこそおいで下さいました。すぐに呼んで参ります」
殿様は店先に暫し佇んでいると丁度その時、目の前に先般授けた金看板が掲げてあるのに気が付いた。
「何とまぁ、ワシの書いた文字は下手っちいのう」
と一人ぼそっと呟いた。
其処へ夫婦が慌てて店先に飛び出して来ると
「此れは此れはお殿様、わざわざのお越し有り難う御座います。此方からお伺い致しますものを。どうぞ中にお入り下さいませ」
「あゝ、よいよい。今日は他に志和地に用があってな、一寸、寄せてもろうたよ。この前の詫びを直接言おうと思うてな」
「其れは誠に有難う御座います。でも前にもご丁寧なる事をして頂いております」
お殿様と与作は馬から降りると一歩前に進み一礼をされた。
「先般は悪い事をしたな、この通りじゃ」
「勿体ない事で御座います」
「お殿様、頭をお上げ下さいませ。バチが当たります」
と奥方が御礼を述べた。その時だ。
「ワワン、ワン、ウゥ~」
と鳴きながら鉄が主人の前に来てじゃれつきだしたではないか。
「アレッ、もしかしてこの犬は」
「お殿様お付きの犬で御座いますか」
「いいや、ワシのじゃないよ。大将の飼い犬で鉄と云うのよ」
「やっぱり!」
「道理でぇ。先般の件で、監禁されたり牢に閉じ込められたりと窮地に陥っていた時、娘の美和と私は互いに犬と猫に助けられました」
「ハハハ、新手の牢破りの件の事じゃな」
「誠に申し訳け御座いませんでした」
「何の何の、ほんまありゃ痛快な事じゃったな。あれを仕掛けた国久公とは大笑いをしたものよ」
「ほいで、その猫というのは玉の事じゃな。玉はさっき代官所へ預けといたよ。長旅じゃからな」
「オイ、母さんよ、美和を呼んで来いや」
その間にも鉄は浅田屋に甘えて離れない。そして店の奥から下駄の足音が聞こえてくると、鉄がいきなり振り返り暖簾の下をくぐり中に走り込んだ。
「ワンワン、ウォ~ン」
「ウヮ~、あの時の犬だぁ!」
大きな鉄が立ち上がる様に抱きついた。
「オオゥ、娘さんよ、この間は心配を掛けてすまなんだのう」
と言いながらお殿様は美和に頭を下げられた。
「此れはお殿様、びっくり致しました。おやめ下さい。勿体ない事で御座います」
「然し、鉄は娘さんを助け出す事が出来たのが余程嬉しいんだな。まるで鳴き声が違うとるぞ」
「鉄ちゃん助けてくれて有り難うね」
「こりゃ玉も連れて来りゃよかったなぁ」
「然し、動物には正直者はよう分かるんじゃのう」
「前に家老が言うとったがな、娘さんは監禁されていた時の事を、犬や猫に助けられたと代官所で証言したようじゃが、取り調べした奴等は阿保か気違い扱いにし却下したらしいな。ほんま悪い事をしたな、ワシからもお詫びを言うよ」
「重ね重ね勿体無いお言葉を頂き、誠に有難う御座います」
「然し、ほんまの事じゃったんじゃのう。鉄ちゃん、玉ちゃん有り難うよ」
「あゝ、玉は置いて来たか。ハハハ」
暫く、互いが感激の再会を楽しんでいたがお殿様は
「浅田屋よ、ワシたちは次に行かにゃならんでな。今日はこれでお別れじゃ」
「ええ、もうお行きになられますか。折角お越しになられましたのに」
「今度はゆっくり寄せてもらうよ」
「是非共にお待ち申しております」
お殿様と与作は馬に跨がると
「大将よ、次へ行くか」
「分かりました。其れでは失礼します」
と馬上から与作が一声かけ軽く頭を下げた。
浅田屋親子は、与作にお礼の声を掛ける間もなく急な出立に、ただひたすらに腰を折り深く頭を下げ黙礼をするのみであった。
「さらばじゃ」
浅田屋はお殿様から大将と呼ばれる与作の立派な後姿を見て、感涙に咽びながら親子で見送ったのであった。
三次の町から一路、可愛川に沿いながら志和地を
目指す。右手には高谷山が見える。この山は標高はそんなに高くはないが三次盆地を見下ろし東には比叡尾山城が目の高さだ。名物の霧がかかると全く幻想的絶景となるのだ。
「此処からとんと家がないなぁ。寂しゅうなるな」
「いえいえ、此処だけで其れなりに神社や寺、人家がポツポツ続きますよ」
「そうか。この道は通る度に毎度の様に駕籠の中で寝とったからな、外の景色がよう見えとらんかったよ」
「じゃが今、ワシは大将と忍者達とでこうして並んで馬で道中しておるとな、世の中が一気に晴れた様でスッキリとした気分じゃ」
なだらかな川沿いの道を行くと、大きく蛇行した辺りに茶店らしきものがあった。その暖簾には「船所」とある。
「おやまぁ、なしてこんな山ん中に船と名の付く場所があるんかいな」
「其れはお寺さんから聞いた話しですが、此処からすぐ上の西酒屋は約二万年前の古代から多くの人が住んでいたようです。その当時、すぐ近くにこの可愛川が有った為、川魚漁をしていたのだそうです。大きく蛇行して水が深く澱んでおり、丁度よかったのでしょう。大きな丸太をくり抜いて小さな舟を作り、網による川魚漁をしていたのです。その為、大昔から船所と呼ばれていたのだと言われておられました」
「其れはとんと知らなんだなぁ」
「私は子供の頃、友達と志和地からここまで歩いて来ては、道の側に山を削った箇所に重なって多く有る貝殻の層を見に来ておりました。尤も此れは凡そ想像もつかない時代の頃、日本が海の底から隆起して誕生した時のものと思われます。更に近くには遺跡があってそこでは火を焚いて暮らしていた跡が何箇所も有り興味本意で見学しておりました」
やがて左手の神社を通り越して青河峠のてっぺん迄やって来た。
「オオゥ、何と見晴らしのええとこじゃのう!」
「私はこの下の八幡山城の近くの百姓家の倅で御座います」
「そうか、大将は此処の生まれか。道理で見通しがようて頭がええはずじゃ」
「冗談ばかりおっしやってからに」
「ハハハ」
「そりゃええが志和地は昔はええ時代じゃったろうにのう。然し、今は戦国の世になってしもうて、可愛川を挟んで安芸と備後に別れ、更にはワシのとこと毛利のとこで歪み合うとる。民百姓に迷惑をかけて誠にすまんのう」
「昔から両方の地に田地や山林を所有している者が多くいます。其れに互いが嫁入りしあっており、歪みあってるのはどうかと。然し、仕方のない時代ではと思います」
「何事も無ければ平和なええとこなんじゃがなぁ」
話しながら七曲りの急坂を平地に下りて来ると可愛川へ左手から板木川が合流してくる。城山の頂上には小さな八幡山城がみえる。
「此処も犬飼平の合戦の時には尼子国久公と宍戸勢が睨み合うたんよのう」
「ワシはその時は此処へ来とらんからな、よう知らんのじゃが鉄やラーちゃんが活躍してくれたらしいのう」
「いえいえ其れ程でも」
「国久公も喜んでおられたでぇ」
川沿いを上がって行くと
「ありゃ何じゃ。焼けただれとるようじゃが社跡か」
「そうです。祭礼原といいまして、丁度、合戦の頃に燃え落ちたのです」
「そうか。志和地の不審火の件は聞いとったがこの事じゃったか」
「あの田んぼの中の大きな屋根は専正寺さんか」
「そうです。子供の頃からずっとお世話になっておりました」
「そうか、此処が大将の原点なんじゃな。ワシもこっから拝ましてもらうよ」
それからまもなくして八幡山城への上り口に差し掛かる辺り、板木川に沿って急斜面の谷間に二つの穴がみえる。
「大将、ありゃ何なら」
「よくは分かりませんが、何かを掘り出そうとした様です。村人は間歩と呼んでおりました」
「ハハハ、さては金か銀が出るのを志和地殿は狙ろうたかな」
「そういえば子供の頃にこの下辺りの小川で魚を捕っていた時、川底にキラキラ光る砂のような物が多く有りました」
丁度、この時代は石見銀山が発掘された頃である。
志和地八幡山城
時は永正十三年(1516年)頃、この城は三吉致高によって築かれた。
中国地には周防大内と出雲尼子が台頭して来ていた。そうした中、可愛川を挟んで安芸と備後に接する毛利と三吉の互いの国人領主は夫々が従属する相手が違ってきた為、過去、長年に渡り平穏無事であったものが風雲急を告げる時代になって来たのである。
小さな国人領主達はその時の戦局次第により、あっちに付いたり、こっちに付いたり右往左往させられていた。
志和地八幡山城を築城したのもこうした世の流れの時である。その頃は尼子経久がこの備後の地を差配している。
可愛川を挟んだ向かいの安芸国は大内に属する毛利が領地であり、その為、いつ戦さが起きてもいい様に比叡尾山城の支城として防御の為の最前線基地としての体勢を整えていたのである。
互いの合戦になるまでには其れから何十年も時を要している。然し,考えてみれば急を要する紛争にしても悠長な時代だったものだ。
元々、閑散としてのんびりした志和地の村には土居、市場部落が有った。其れが明光山の尾根続きの麓に小さくても急峻な小山が有り其処に城が築かれた。
その城下には段々と大工、左官、建具,鍛冶屋と専門職が集まりだし居住するとそれなりに人口が増えだした。
この時代は各地に山の頂に小さな居館の様な城が多く存在していた。その地の支配者の身内,親戚か名主程度の城主でその城下には集落らしきのは無く、何の目的かははっきりとは分からなかった。他所からの侵攻を防御する目的か、或いはその地でただ存在感を示す為だけのものなのか、さしたる紛争地とは関わりも無さそうなまさにポツンと一軒家であった。
城に上がる急坂を喘ぎながら登っていると、毎度の如く鉄が身体ごとくっ付けながら押してくれる。
「鉄ちゃんよ、何時もすまんな。ほんま助かるよ」
「ワン,ワン」
上に登り詰めると先に駆け上がった門番の知らせに志和地殿が急遽駆け寄って来た。
「お殿様、今日は急なお越し,又、何用で御座いましょうか」
「いやぁ、すまんすまん。思いついたが吉日でな」
「其れこそラー助に頼めば一刻で済みますものを」
「オオゥ、それを忘れとった。へへへ」
『何はともあれ此処では。城中にお上り下さい」
「そうか、すまんのう」
そこへ与作が一声
「お殿様、私は此処で、ちょっと下の旧道場に寄ってみたいものですから」
「よしゃ、ゆっくりしてこいや」
と鉄と一緒に下りて行った。ラー助も与作の肩に止まっている。
「じゃが今日来たの他でもない、この前の布野の件では出陣要請をして誠に相すまなんだな」
「何を仰っしゃいます。家臣としては当然であり、やむを得ぬ事で御座います」
「そこでじゃ、些少ではあるが御礼としてワシの気持ちと思うて受け取ってくれるか」
「此処に御礼としての報奨金目録を記しておるでな」
「それはそれは有り難う御座います。皆の者も喜ぶと思います、重ね重ね御礼申し上げます」
「話しゃ変わるが、ほんのつい最近迄はあれ程仲良く交流があったというのに、如何に互いが辛い思いか戦国の世を恨まざるを得んよ」
「左様で御座います」
「然し,大将と忍者一家のお陰で痛み分けの状況にしてくれ,国久公にしてもワシ等にしても無事に命を存えさせてもらったよ。ほんまに互いの心情を察した見事な手口に感服せざるを得んよ」
「ほんま、志和地からとんでもない才能のある大将と忍者一家を輩出してくれたよな。有難うよ」
「その事なんですが私はとんと深い事情を知らんのですよ」
「そりゃ又、何でかいな」
「此れはお寺さんと弟が関わっておった様です」
「弟は住まいが隣り近所のよしみで農作業は殆どやってもらう程仲が良く、兄妹を可愛がっていた様です」
「与作殿が小さな子供の頃より、弟と一緒に何度も三次までビクを背負いながら使いに行ってくれていたとは配下の者より耳にしておりました。然し,城内には一度たりとて来た事は無く本人を直に見た事がないのです」
「ですから,人間性にしても物凄い才能にしても一切判別不能でした」
「こりゃ正しく忍者一家たる所以じゃな」
「ただ国久公が此方にしょっちゅう来られる様になってからは薄々は感じておりました」
「国久公が与作と忍者一家がこの上の旧道場に入って行くのを天守から何度も目撃しております」
「たまに国久公と世間話をしている時に、ワシは大将には一目も二目も置いとるよ。奴の剣の腕はワシより遥かに上じゃ。其れに頭の中身いうたらとんと付いて行かれん、と笑っておられました」
「そうか。これからは一番大事な家臣で名参謀と足りうる人間じゃ。大いに貢献してくれるじゃろう」
「仰せの通りです」
「今も昔の様に遠慮して此処には上がらず、忍者一家と裏の旧道場へ降りて行きました。国久公との懐かしい思い出を偲んでいるのでしよう」
「そうか、ワシが帰る迄はそのままじっとしといてやるか」
「話しは変わるがな、今日、畠敷から馬洗川を舟で下って来る時にな大変な事を思い付いてな」
「そりゃ又、急な事で。其れに一艘で何人も乗って下るなど今迄に聞いた事が有りませんが」
「そうよ其れよ。この船便が全く快適でな。癖になりそうじゃ。其れでな、今思えば何で早うに気が付かんかったという事じゃ。三次には大きな川が何本もあるが全く活用しとらんよのう」
「又、船便の他に大将が物凄い事を指摘してくれたのよ」
「そりゃ又、どんなええ事を見つけたんでしょうか」
「其れはな、遡っていく川沿いには凄い未開墾の空き地があることよ。米作には適しとらんでも他の作物は幾らでも出来得るとな」
「そりゃそうでしよう。例えば比較的早くに収穫出来て、収益が上がる桑畑などを作付けされては良えかと」
「お主もそう思うか」
「昔から木綿や麻を使って着用する衣類は家内仕事でやっておりますが、ほんに自給自足程度みたいなものでとんとしれています」
「ですから、各家をまとめて養蚕を奨励し絹製品を大量に作れば皆んなが潤うのではないでしようか」
「他に比べて銭目がとんと違いますから」
「そうかぁ、知らなんだのは籠の鳥のワシ等だけじゃったか」
「えぇ、籠の鳥とは何の事で」
「ハハハ、何時も城に閉じ込められとるワシと家老の事じゃ」
「へへへ、左様で御座いましたか」
「処で誰でもそう思うか。そこでじゃな織物の生産を勧めてはどうかとな」
「夫々の農家が養蚕から機織り迄こなすのでしょうか」
「いやいや、繭を一箇所に集めて全てを作業をする工場を作るのよ」
「そうせんと自分とこで勝手にやってみぃ,均一した商品が出来んからな」
「尤もで。其れは何処へ作られる予定ですか」
「川が合流した巴橋辺りがええんじゃないかと思うがどうかのう」
「お殿様、そりゃもの凄くええ案で御座います。多くの繭が集まりますよ。何せ可愛川,馬洗川、西城川、江の川の流域二、三里だったら桑畑が何某でも出来ますから。それに繭は米と違って生産にそれ程手間が掛からず、何せ軽いですから。川舟に仰山積み込み一気に下って行けて運搬がとても楽です」
「こりゃ藩としても農家としても米以外の収入が増える事になるよな」
「早速、志和地でも庄屋達を集めて段取りを行いましょう」
「宜しく頼むよ」
「承知致しました。三次盆地は一大織物名産地になり得ますね」
「有り難うよ。いの一番にお主のとこへ来て良かったよ」
お殿様は幸先の良い見通しに大満足の様子である。
「そりゃそうと長居をしたな。何はともあれ次に行かにゃならんでな。大将達を呼んでくれるか」
お殿様と城主、其れに忍者一家がご機嫌で下り坂を板木川の側まで談笑しながら降りて来た。
鉄はホウベを背中に括ってもらい嬉しくてたまらない。
「さらばじゃ」
お殿様と与作は馬に跨ると川沿の道を駆けて行く。
右手の明光山の麓には大きな鳥居口がみえる。志賀神社だ。この神社は元々大嶽山と云われる山中にあった様だ。其れが志和地八幡山城が築かれる頃に現在の場所に移築される。以来、災厄を避ける厄除、武運長久、五穀豊穣を祈願するとして,城主の中村、上里氏や武士、百姓町民の信仰を集めて大切にされていた。その為、段々と境内の下あたりには仲の村という集落が出来つつ、娯楽のない時代、唯一、神社で村祭りが行われて大勢の住民がそれを楽しんだものである。
其処を通り過ぎると、一面に広い田んぼが見渡せる。その中にポツンと門構えの有る大きな屋敷が見えた。
垣根の側で野良仕事をしているのか婦人が二人鍬を持って畑を耕しており、遠目に此方の蹄の音に気付いたのか深く頭を垂れている。
お殿様は軽く手を振った。
「庄屋の奥さんともう一人は大将の妹さんか」
「ええ、どうして分かったんですか」
「そりゃ、地獄耳よ。げに冗談じゃ。家老から話しを聞いとるのよ」
「妹さんは志和地の村民の為に貢献しとるらしのう」
「そんな、全く大した事ではないですよ」
「でもな、家老が言うのにゃ算盤は暗算の腕前じゃし、読み書きは超一流で、そのまま志和地に埋もれておるのは勿体ないほどじゃというとったぞ」
「そんなぁ、ご家老様は大袈裟なんですよ」
「然し、日本國中で暗算が出来る人間は殆どおらんじゃろうてぇ」
「それがワシの側には二人もおってくれるんじゃ。鼻が高いよ」
「・・・」
青河峠に差し掛かって来た。下から見上げるとグネグネと曲がった急坂が丸見えだ。
「大将よ、こりゃ馬がかわいそうじゃ。歩いて上がっちゃろうや」
「承知しました」
峠の頂上迄来ると、流石にお殿様はヘトヘトだ。
「こりゃ、しんどかったな。休んで行くか」
其処には通行人の為に雨露をしのげる小屋が有る。
「一寸、お待ち下さい」
与作はすぐ下に有る茶店に駆け込み茶を一杯所望すると
「お殿様で御座いますね。先刻、お見掛け致しました」
「すまんなぁ、丁度喉が渇いたと言われてな」
縁台で茶をのんびり呑んでいると、其処へ店主が何やら提げて上がって来た。
「お殿様、どうぞ腹ごなしに召し上がり下さいませ」
「おいおい、他は何も頼んではおらんぞ」
「いえいえ、此れはほんの店からの気持ちで御座います」
「そうか、すまんのう」
「私等がこうして安心して商いをやっていけるのも、お殿様が治安をお守り下さるお陰で御座います」
「嬉しい事を言うてくれるのう。有り難うよ。其れにこの草団子の美味い事。なぁ鉄ちゃん」
鉄も一串ペロッと頬張った。
その時だ!上空から何やら真っ黒い物が落ちて来た。そして
「ヨニモヨコセヨ」
「ワァ~、カラスじゃ!」
「ハハハ、大丈夫じゃよ。気にすな、気にすな」
ラー助はお殿様の肩に止まった。
「たまげたぁ!このカラスは喋るんですね。よしゃ待っとれよ、飯を持って来るからな」
「アリガトサン」
「何とまぁ礼まで言うとる!」
「ほんますまんな」
店主は更に店から鉄やラーちゃんの為に多くのお土産を持参して来た。
与作は飯屋との会話に真のお殿様の姿を見た様で、つくづくお仕えしなければと心の中で誓ったのである。
「大将よ、この度は忍者一家に付きおうて貰うたがほんま楽しうてええ道中じゃのう」
「其れはよう御座いました」
「ワシとか家老はな、籠の中の鳥で世間知らずで何にもよう見えとらんのじゃ」
「じゃから世の中がよう見えて、見識が広い大将や他の人間からもっと意見を吸収しようと思うとるよ。領民の為になる事じゃったらどんな事でも厭わんよ。どんどん何でも要望が有りゃ言うてくれんかのう」
「有り難う御座います」
「そりゃええが今朝は凄いもの見せてくれたが、他にも大将の頭の中にゃ何某でも有りそうなが、忽ちええ話しはないかのう」
急な思い付きに与作はちょっと思案しながら
「お殿様、今、青河峠のてっぺんから結構広い平地の志和地を見渡しておりますが何か感じられる事は有りますか」
「ウ~ン、さて急に言われてもな。ワシは何も思い浮かばんよ」
「先程、八幡山城からほぼ田んぼの中を来ましたよね」
「おおそうじゃ。庄屋の辺りは広うて長いこと真っ直ぐじゃたよな」
「でも実際は田んぼに沿ったあぜ道でぐにゃぐにゃでしたよね。此れを庄屋さんや農家に協力してもらい出来るだけ真っ直ぐにするのです。その時、大八車が通れる様に拡幅し、併せて水路も整備するのです」
「なるほどな。こりゃ全く効率が良くなるよな」
「此れは志和地に限った事では有りません。発展拡張しつつある三次の町にしても同じ事が云えるのです。
やみくもに建物を建てるのでは無く計画的に区画整理をするのです」
「私は実際に見た事は有りませんが京都の街中は碁盤の目の様になっているそうですね。三次の町は小さいですからとても真似は出来ないけれど、せめて小京都と呼ばれる様になると大変嬉しいですね」
「大将よ、夢の有る事を言うてくれるな」
「夢ではありません」
「そうじゃ、実現可能な事ばかりじゃ。今朝の養蚕による絹織物の産地にしても早速にも取り掛からにゃならんからな」
「そりゃそうと大将よ」
「何で御座いましようか」
「最近な、大将の書き物を目にする様になったが、なしてあんなに綺麗な字が書けるんじゃ。今朝な、ワシが書いて浅田屋に与えた金看板を見とったらほんま恥ずかしゅうなったでぇ」
「とんでもない。まだまだ未熟者で御座います」
「然しなぁ、何で百姓の倅が読み書きが出来て、知恵が回るんじゃ。是非共にその方法を教えてくれんか」
「其れこそ、畏れ多くもお殿様に物申すなどバチが当たります」
「オイッ、大将よ。今はな、ワシを殿とは思わず一人の年上親父と思うて気軽に話してくれんかのう」
「有り難う御座います。私は子供の頃からお婆ちゃんが好きで、何時もくっ付いて遊んでおりました。其れで時たまお寺さんである法話を一緒に聞きに行のです。尤も内容は全く分かりません。法話の最中にもじっとはしておらず、天井に書いてある多くの絵を見ておりました。そして其れを指で絵取りながら頭の中に入れておりました」
「なしてそんな事をしとったんじゃ」
「さぁ其れは自分でも分かりません。でも、うろちょろうろちょろする子供にも優しく見守って頂いておりました」
「法話が終わると奥様が今日来てくれた子供さんの為にお菓子を配られ一人一人の頭を撫でて頂き、其れが嬉しくてお寺さんが大好きになりました。でも妹だけは寺の建物や袈裟掛けの衣装が怖かったのか一度も一緒に付いて来ることは有りませんでした。でも大きくなった今はお寺さんがどんどん好きになり何かに付け手伝いをする様になっております」
「其れから私しは何も無い日にも、毎日顔を覗かせては庭掃除をする様になり、百姓仕事の手伝いを始める前の朝早くに必ず出掛けておりました」
「全く無料奉仕を何年も続けました。そのうち、和尚さんや奥様が与作を何時迄もこのままの状態で何もせず大人にしてはいけないと思われたのです。其れからは徐々に学問を習得させてくれました。そして世の中の動きを常に教えてくれました。
「それでか、国久公が山中で蝮に咬まれて大将の家で看病して貰っていた頃、お粗末な机の上にあった書物や書き物を盗み見した時、此れが丁稚奉公人のする事かとたまげておられたが、なして京の都の話がすらすらと出て来るかと不思議に思ったがこう云う事じゃったか」
「ワシ等みたいな山ん中の田舎に住んどりゃ何年、いや何十年せにゃ情報が入って来んのじゃ」
「確かに。仰る通り國中の全ての動きが早く掴む事が出来るのはお寺さんがあるからだと思います」
「京都の本願寺から発せられる色々な情報は、全国各地に網の目のように点在する寺院へ次から次へ書物と口伝えによって早々に伝達されて行くのです。其れに、その時の世の中の動き、例えば天地異変等の知らせは瓦版と呼ばれるものが京の街では普及しつつあり、早急に庶民も読むことが出来るのです」
「まだ日本國中には普及していませんが、京の都から其れ等を遅ればせながら地方に回してくれるのです。更に、さまざまな情報の新刊を配ってくれるのです」
「今の世の戦国の武家社会では隣り同士が互いに歪みおうており、情報が伝達する術が閉ざされておるのじゃ。何はともあれ大将よ、世の中の動きがよう分かるお寺さん情報を常に知らせてくれんかのう。ワシも勉強しようと思うとる」
「分かりました。少しでもお殿様のお手伝いでも出来ますれば」
「然しよ、大将は三次から大変な事を世に送り出してれたな」
「えっ。そりゃ何の話しで」
「そりゃな、第一にお寺さんによる学問制度じゃ。専正寺さんが始めた一般人への教育制度は初めてじゃないか。そりゃ京の都では坊主教育の為に本願寺さんでも寺で教えるじゃろう。然しな、武士や町人百姓の子達にはやっとらんぞ。お寺さんと与作殿が始めた事は日本の教育制度のはしりかもしれん。何れにしても京から西では備後の地が初めてじゃろう」
「確かにそうかも知れません。お寺さんでは私以降に武士、百姓、町人と様々な身分に関係なく一緒に机を並べ勉学に励み、後輩達が巣立って行っております」
「第二はなんじゃ思ゃあ」
「分かりません」
「其れはなぁ、ラーちゃんよ。もの凄く早くて正確な伝達方法よ」
「今の世で一番速いのは早馬じゃろう。其れと鳩かのう」
「ワシが聞いた話しじゃが、伝書鳩は何千年前もの遠い古代エジプトの方で、はなえた(はじめた)らしいがな。沖へ出た漁船から海の状態や魚況を知らせるのに帰巣本能を利用したもんで。然し、ありゃ鳩さんの一方通行のみでぇ。其れに時にゃ何処へ飛んでいったのか行方不明じゃ。じゃがな、ラーちゃんを見てみぃ、頭がええから何処へでも飛んで行ってくれるじゃろう」
「以前、尾道千光寺からあっという間に書簡を三次まで届けたらしいな」
「確かに其れは物凄く早く往復してくれました」
「それに賃金ゆうてみぃ、人間と違うてホウベだけでええんだぞ」
「もう一つ聞いてもええか」
「何でしょうか」
「国久公が前にも言うとられたが、大将はなして居合いの遣い手と云われる程の腕前なんじゃ」
「いえいえ、とんでも御座いません」
「国久公はな、若い頃は出雲一の剣豪と謳われる程の腕前じゃったんで。其れが大将と対戦してワシの方が分が悪いんじゃ、其れに奴は小刀じゃでぇ、到底敵わんわ。と言われとったがなしてそこまでの腕前があるんじゃ」
「とんでもない。国久公は手加減して下さっているのです」
「そうかのう。然しよ、どうして志和地の道場も何も無いとこで其れ程までに鍛錬したんじゃ」
「其れは・・・」
「こりゃ、一人鍛えられるもんじゃないで」
「必ず、師匠がおる筈で。是非、教えてくれんかのう。まさかお寺さんじゃあるまいしな」
「いえ、其れは・・」
「他に誰じゃ」
「お殿様・・・」
「何じゃ!」
「私が白状すればそのお方は処罰されないでしょうか」
「なしてなら」
「其れは、刀も持てない百姓の倅が、身の程知らずにもお侍様から懇意におつき合い頂くなど、到底有り得ない事で御座います」
「何を馬鹿な事を言うとる。ワシがそんな事をすると思うか」
「国久公も云われとったが身分に上下は有りゃせん。ワシの考えも一緒じゃ」
「有り難う御座います」
「そのお方は現在、三次代官所で次席を務めていらっしゃる上里様で御座います」
「やっぱりな。薄々は分かっておった事じゃが、居合いにかけては他に奴の右に出る者はおらんぞ」
「でも、お殿様、私は直接手取り指南は受けてはおりません」
「ウンッ、なしてなら」
「其れは私が子供の頃、八幡山城の下に家が有り、田んぼを挟んで直ぐ横に城勤めのお侍様の住まいが有りました。本当に小さい時から私と妹は何時も遊びに家の中に入り込んではいたずらをしておりました。お侍様は、何の文句も言われず、自分の子供の様に可愛がって頂きました。其れに独身でしたから田畑の面倒は殆どうちの家族で面倒をみてあげていました。そういった事から、私は上里様が朝晩庭先で居合いの鍛錬をされるのを縁側に座ってじっと見つめておりました。何年も見ているうちに段々と興味を引かれて、自分がやっている様に合わせ手足を動かしておりました。元々、熱中癖があるものですから。自分もやってみようと思い山の中に城を作ってそっくり真似事をしておりました。其れで木の葉の葉擦れの音や鳥の鳴き声に反応しながら抜刀しておりました。刀といっても百姓が持てる訳もなく、山で樫の木を削り小さな小刀擬きにして振っておりました。呼吸法や間合いをはかりながら千回は振っておりました。何れ護身の為に役に立つ事があるかなと」
「ふぅ~ん、千回もな。剣豪でもそこまでようせんぞ」
「然しな、いくらじっくり見て鍛錬しとったいうても手合わせはしたんじゃろう」
「いえ、上里様からは一切、立ち合い稽古指導は頂いてはおりません」
「其れでそんだけ強いんか」
「相手がいて手合わせしたのは国久公が初めてで御座います」
「何というこっちゃ!大将は小刀じゃろうが。こりゃ山ん中の天狗から力を授かったんでぇ」
「そんなぁ」
「師匠がこちらにお越しになる度、呼び出されては手合わせ致しておりました」
「それよ、まさしく国久公は天狗様よ」
「いやぁ、ええ話しを聞かせてくれたな」
「この道は今お殿様とご一緒させて頂いて大変嬉しいのですが、私にとっては、子供の頃の思い出深い大切な道で御座います」
「上里様とはこの道を一緒に三次迄、何十遍と歩いて通った事でしょうか」
「そりゃ何の為じゃ」
「其れはお城の人員不足なのでしようか、買い出しの手伝いの為にビクを背負って行くのです。上里様が代官所や時には城に行かれる事も有りましたが、その間に書き付けを持って店に行っては必要な物を購入して回るのです」
「そんな事までやっとってくれたんか。こまいのに大変じゃったろうのう」
「とんでもない。私は上里様と一緒に三次に出掛けるのが嬉しいばかりでした」
「そうかそうか、有り難うよ」
「そのうち時には牛馬の競り市に行く様になり、お陰で馬を乗りこなせる様になりました」
「そりゃええんじゃがな。も一つ聞いてもえか」
「ええ何でも」
「大将が城に出入りする様になってから書き物をよう見るんじゃがな、なしてあんなにも達筆なんじゃ」
「とんでもない。まだまだ未熟者で御座います」
「然し、どうしてあんなに上手に書ける。誰かの字を真似とるんか」
「其れはお寺さんからこの手本を使えと頂いたのです」
「ほうか」
「誰だと思われますか」
「つまらん事を聞くなや。ワシに分かる訳がなかろうが」
「いえいえ、ご存知の方ですよ」
「フン!どうせ田舎者と思うて馬鹿にしおってからに。兎に角じゃな、ワシャそんな高尚な事なんざとんと知らん!」
「其れはですね、平安時代、京の都で能書家で三蹟と謳われた藤原行成公が書かれた物で御座います」
「何、何にぃ!」
お殿様は暫く溜め息をつきながら絶句、そして遠くを見つめる様に
「何某、ワシの記憶力が乏しゅうなった云うてもな、こりゃ分かるでぇ」
「行成公と云えば三吉家発祥の兼範の父親ではないか。何という奇遇じゃ」
「参った!大将凄い!凄い!ご先祖さんの藤原一族をこの世に蘇らせてくれたか」
「行成公は気高く、且つ、誰からも親しみ敬われ学の有る御方とお寺さんより教わりました」
「そうかそうか」
「枕草子で有名な清少納言が記した中には行成公とは何かと親密であった事がよく知られています」
「兎に角、百人一首の和歌の中にも謳われている程の凄い御方で御座います」
「そうか、そんな事まで京から全国つづ浦々迄言い伝わっておったか。有難い事よのう」
「行成公から兼範公、そして現在のお殿様へと長年に渡って、真面目で衆人を思いやる心が今も脈々と息づいているのです」
「おいおい、そんなに褒められるとどっかこそばゆいよのう」
「其れでは掻きましょうか」
「ハハハ、お主も冗談が上手いのう」
「古文書によるとな、三吉家代々に渡っての系図は記されておるが世に貢献した為人は全く分かってはおらんのじゃ」
「世間をよう知らんかったのはワシ等ばっかしだったか」
「ほんま,有り難うよ」
「因みにもう一人の小野道風は厳島神社の大鳥居の扁額に掲げて有ります」
「そうか。能書家で三蹟と謳われたのが安芸と備後の地に名を馳せておるか。嬉しい限りじゃ」
「左様でございます」
「しかしよう、わしゃ情けないのう」
「何でですか」
「わしが書いて掲げてある浅田屋の金看板の事よ。下手くそで恥ずかしゅうなるで。ご先祖様にゃほんま申し訳けないことよ」
「とんでもない。お殿様、あれは私も頂戴したいほど素晴らしいもので御座います」
「お殿様しか書けない個性豊かな書で御座います」
「ほんまかいな。でも大将が褒めてくれると凄く嬉しいよ」
「有り難うよ」
鉄が先導する後を駒を並べてお殿様と与作は可愛川と並行する様に三次の町なかを目指して突き進む。
ラー助はあいも変わらず上空を旋回し警戒を怠らない様に飛んでいる。然し、道行く人とて少なく時たま野良仕事の百姓と出会わす程度であった。やがて前方に今朝ほどの「船所」の茶店が見えて来た。
「大将よ、この上の西酒屋を回って帰ろうや」
「其れは宜しいですが、又、急にどうしてでしょうか」
「そりゃな、さっき話してくれた事で若宮さんの様子を見ておこうと思うてな」
「大将を知るかなり以前にな、若宮八幡神社は焼失しとってな、千五百二十四年頃に又、厄除け、武運長久,五穀豊穣の願いを込めてワシが改築普請をしたんじゃ」
「若宮さんは古い由緒ある神社と聞いておりますが」
「それよ。約四百年前に近江国から下向し、初っ端にこの地で三吉姓を名のった藤原兼範が建立したもんな
んじゃ。先ほどの道中での貴重な話しを聞いとってからな、ご先祖さんに感謝の気持ちを述べたいと思うのよ」
「私は浅田屋勤めの時は、朝な夕なに側を通っておりました。そして何時も手を合わせておりました」
「そうか。やっぱり大将とは何か縁があったんじゃな。平安の世に、三蹟と謳われた行成公にしても、兼範にしても皆んな大将の話の中で何故か繋がっておる」
「兎にも角にもじゃな、大将は皆んな立派なご先祖さんを引っ張り出してくれたよ。三蹟と云われた行成公にしても我等の初代兼範にしても、お寺さんが褒め称えてくれた様な人物じゃ。それ故か、諍いを好まず、少しでも領民の為に尽くそうとする心持ちがあったらこそ、三吉家代々に渡り十五代,四百年も継続してお
る」
「大将よ、ワシャ嬉しゅうてご先祖様に報告せにゃおれんのじゃ」
「それは宜しゅう御座いました。是非、お参りさせて頂きます」
茶屋から小さな峠を越すと酒屋にはいる。この辺りは遥か昔の約二万年も前からご先祖さんが居住しており多くの遺跡が眠る。
お殿様は鳥居口をくぐると本殿に向かわれる。そして与作は拝殿に留まり柏手を打っていた。
「大将、こっちへ上がってくれよ。ワシと一緒に参拝してくれんか。ご先祖様も喜んでおられるよ」
「ワシは、初代兼範公が建立した此処を改築したまではよかったがな、その後はほったらかしで粗末にしていたよ。庶民はいつも大切にしてくれていたが肝心要のワシがこれじゃな」
「でもこれからはもっと大切にして世間に貢献したいと思うよ」
「お殿様、本当に有り難う御座います」
参拝を終えて若宮さんの参道を下って行くと対面に比叡尾山城がみえる。
「今日はほんまにええ道中じゃったよ。かなりの強行軍じゃったがワシゃ心地よい疲れじゃ。嬉しゅうて堪らんのよ」
「其れはよう御座いました」
「ところでな、又、近いうちに出掛けようと思うとるが付き合うてくれんかのう。お陰でワシの仕事が増えて楽しゅうてほんま気分がええよ。又、少々家老には煙たがれるがな、ハハハ」
「いつでもお気軽にお声掛け下さい。忍者一家がお供を致します」
前代未聞!比叡尾山城内での猿回し演芸
「オイッ、大将よ。この前の時にな殿に何を吹き込んだんじゃ」
「えぇ、何の事で」
「最近はいつもご機嫌な様子で色々な事に興味を示されておってな」
「それは大いに良い事ではないですか」
「殿がな、特に織物の件ではワシも大変に急かされておってな。早急にも目処を付けようと張り切っておられるのよ」
「殿様自ら先頭に立たれるという事はそれは非常に喜ばしいのでないでしょうか」
「そりゃそうじゃが、大将よ、確実に具体化しそうなんか」
「そりゃ一朝一夕とはいかないでしょう。だが家老様も腰を上げられますと、より一層ことが現実なものとなるでしょう」
「そうかそうか」
「ところで御家老様」
「何じゃ」
「一刻も早く実現した暁には、仕上がった絹織物のお召し物は''いの一番,,にお殿様と奥方様に献上致しましょうよ」
「何ぃ!そりゃええことじゃ。物凄く喜ばれるぞ!」
「その時、御家老様にも是非共に」
「オイオイ、泣けてくる程喜ばせてくれるな」
溢れる涙を拭いながら
「ヨシャ、ワシもやるでぇ!」
「同じ備後と云えば瀬戸内側の福山辺りは盛んにい草が生産され品質が良く、其れこそ大昔から宮中や幕府に献上畳、御用畳として重宝されております。此れから始める三次からの織物では上方への納品は遅いかもしれません。何せ京の都には西陣織りが有り、更に直ぐ側の近江では、平安時代の前より大陸から伝わった繭から糸をとる絹織物技術の伝統があります。其れに人口も多く需要があります」
「然し、この備後の地であっても世の中に当然必要なものは必要なのです。良いものを作っていけば必ずや名産地になり得るのです」
「然し、なして大将はそんなに次から次に発想が浮かぶんじゃ。とに角、ワシ等は付いていくから宜しく頼むよ」
「とんでもない、お殿様やご家老様あっての物種で御座います。此方こそ一生懸命努めさせて頂きます」
「其れと又、殿様と明後日に天気次第で御座いますが現地回りをして検分して来ます。その上で後は御家老様の腕次第で御座います」
「そうか。腕がなるのう」
「そりゃええが忽ちワシゃ何をすりゃあええんかのう」
「家老様忙しいですよ」
「ええからええから。なんぼうでも言うてくれや」
「忽ち、各河川の荷役運搬に都合のいい舟着き場の整備です。其れと、此れから始める為にはお手本になる管理しやすい耕作地の整備、例えば引水の為の溝や側道整備、作業場箇所の選定と色々御座います」
「やるやる!ワシが各地の現場を見て回ってから図面を引いてみよう」
「お殿様とご家老様が先陣を切って進まれると領民は皆喜んで付いてきます。早い時期にも現実味を帯びて来ますね」
「そうじゃろう,そうじゃろう」
今日も朝から日和が良いようだ。一家は全くご機嫌である。何より舟の乗り心地が気に入り玉は早く早くとニヤァニヤァ喚きたてている。鉄も慣れたのかすぐに飛び乗って来た。
「こりゃ、静かに乗っとれや」
穏やかに流れる馬洗川は船頭さんの巧みな櫓捌きで実に気持ちがいい。
早速、お殿様から大切な城に関する大事な相談が持ちかけられる。
「実はな、大将よ。今は身内みとうになってくれたから言うんじゃがな、室町幕府へは認知された所領の表面上の石高というものあってな、夫々の規模というものが大体判断されて通常此れが表石高されておるのよ。然し、表もありゃ裏もあるのよ。じゃがなぁ、ワシの所みとうに山ん中じゃったら見栄を張ろうにもとんと何も有りゃせんわ」
「今の処な、米以外はさしたる産業や鉱物資源もないのよ。じゃからな、如何に他のもんで自分とこの財政を豊かにするに掛かっとるのよ。田んぼからあがる年貢米の石高は限られておる。その為、何処の殿さんも出来もせん新田開拓やら産業育成を考えとるのよ。然し、出来んもんはなんぼうやってもかなゃせん」
「財政が豊かなとこなんざ、額面上の米の石高以上に他の事で多くの実入が有るのよ。例えば中國路を見てみい。周防大内などは海の向こうの朝鮮、明の國との交易で莫大な富を築いとる。其れに海の幸に恵まれ魚介類は獲れ放題じゃ。米の石高なんざ、とんとしれたもんよ」
「そうですね」
「ワシや家老もずっと前から慢性的に諦めの気持ちでそう思うとったよ。その点,ワシのとこはな、頭がええ大将が提案してくれた事で実を結びそうな事が一杯有るようじゃ。例えば農家が米作だけの百姓仕事じゃったら所得はしれとるし、''貧乏人の子沢山,,いうように家族が仰山おってみぃ,それこそおまんまの食い上げよ」
「確かに」
「そこで大将が提案してくれた養蚕だったら、忽ちお女中さん達でも楽に仕事をこなせるぞ」
「そうですね。蚕が食べてくれる桑の葉っぱは取り扱いし易く、出来た繭も軽いしと仰る通りです」
「其れに桑は果樹として、それに漢方薬にと重宝されております」
「こりゃ、いい事ずくめじゃな」
今日も先般見学した箇所に舟を横着けすると皆んな駆け上がっていく。
早速、忍者一家は走り回っている。
そしてお殿様はぐるり辺りを見渡すと
「大将よ、ワシャ気が触れたんかのう」
「何でですか」
「此処が宝の山に見えて来たよ」
「面白い事を言われますね」
「此処に何列にも何百本もの桑の木畑が目に浮かぶんじゃ」
「そりゃ私も同感です」
「其れにじゃな、その山の麓のなだらか斜面には植え付けた果樹がたわわに実っとるのよ」
「この景色が此処だけではなく、三次盆地の各河川近くに多く及ぶとなるとこりゃ確実に正夢となるかもしれんな」
又、舟に乗り込んだ。
「大将よ、忽ち、さっきのとこで生産したもんは何処へ集めて作業場を造りゃええんじゃ」
「其れは若宮さん側が宜しいかと。丁度この場所に夫々の川が巴状に集まるのです」
「成程な。言われてみりゃこの場所は荷揚げの都合が良さそうな天然の良港だぞ」
「そこで並んで繭から糸を作るもんはあれは何んちゅんかいな」
「あゝそれは座繰りと云います」
「それを多く並んでお女中が糸を紡いで、更に隣りの作業場の機織り機で反物が出来上がると思うとこりゃたまらんぞ」
「それでワシ等の着るもんが出来る思うと嬉しゅうなるなぁ」
「大将よ、此れを真っ先に具体化しょうじゃないか」
「幸い、家老も年甲斐もなく張り切っておってな、しょっちゅうワシにはっぱをかけおるんじゃ」
「お殿様、そりゃ凄い事になりますよ。領民もこりゃ大いに舞い上がります」
「兎に角、陰陽交通の結節点の利便性を活用し、産業を活性化すれば人の流れや物の流れがよくなって三次は賑わいを増すじゃろう」
「仰せの通りで御座います」
「何かにつけ潤いを増していけばワシとしても領民にしても喜ばしい事になるよ」
いつにもまして本日はお殿様の饒舌な事この上無し。
「今日はその先の良港予定の松原で下りて歩くか」
「船頭さん、その先に着けてもらえませんか」
「承知致しました」
浅瀬に乗り上げるといきなり鉄、玉が跳び下りて走り出した
「オイオイ、どしたんなら!」
制止をものともせず松原の広場に向かって行く。上空からもラー助がその先に飛んでいる。
お殿様は
「忍者一家が何事なら。へへへ、今度は鉄も船酔いがないようじゃな」
土手の下の河原には何か見世物小屋が立っている。何の興行であろうか。その直ぐ側を一人の男が動物を連れて歩いている。
其処へ皆一目散に駆け寄って行く。
「ワンワン!」「ニャーン、ニヤ~ン」
この大声に相手も気付いた。小太郎なのだ。
「キャッ、キャッ、ギャァ!」
そして駆け寄ると、鉄の背中に玉と小太郎が飛び乗り其処らを走り回りだした。ラー助もすぐ近くを旋回している。
「なした事なら!こりゃほんま面白いこっちゃ」
お殿様と与作はその場に近づいていく。
「やっぱり!」
「その節はお世話になり有り難う御座いました」
「なんのなんの、こちらこそ」
「三次に興行に来ておりました。でも本当にたまげましたよ。又、お会いするとは。小太郎もこの喜び様で」
暫く感激に浸っている時、じっとニコニコしながら眺めているお殿様に気付いた。
「其れはそうと此方にいらしゃる恰幅の良い立派な御方様はどなたで御座いましようか」
「三吉のお殿様じゃ」
「え~ぇ!此れは大変失礼致しました。平に御容赦を!」
弥太はその場に跪き平伏したのである。すると小太郎も駆け寄り同じ姿勢になった。
そして何と忍者一家も横一列に並んだではないか。
「オイッ、なんちゅうこったこの有様は!」
「お前さん等は凄い!」
「お殿様」
「何じゃ」
「私は此方で興行をさせて頂くのに、お殿様に許可もなくやっておりました」
「あゝ、その事か。よいよい.庶民を楽しませてくれるだけでええから」
「有り難う御座います」
「そりゃええがな、ワシも見たいもんじゃな」
「とんでも御座いません!其れこそバチが当たります」
「そうかのう」
「其れでは何時の日か又の会う日を楽しみにしとるぞ」
お殿様と与作は松原の石段を駆け上がり代官所に向かった。
「大将よ、昼までには用を済ませるでな、待っとってくれるか」
「分かりました。鉄ちゃん、玉ちゃん、おとなしゅうしとろうな」
詰所に駆け込むと軽く昼飯の用意がしてあった。
それから一刻くらい経った頃である。代官所前が騒々しい。
「こりゃ!猿連れのお前、何を玄関先をうろちょろしとるんなら、帰れ!かえれ!」
「門番様、与作さんに合わせてもらえませんか」
「何じゃと。与作とは何者じゃ」
「今朝程お殿様と此方に来られた筈ですが」
「何!バカタレが、その方は大将様ではないか」
「帰れ帰れ!猿連れに用はない」
「ふえぇ~!、全く申し訳け御座いません」
押問答している時、騒動に鉄と玉が気付いて奥から走り出て来た。
する小太郎が門内に走り込む。
「こりゃこりゃ!」
と叫んだ時
「弥太さんよ、どうしたんじゃ」
奥から与作が駆け付けた。
「大将様、小太郎がとんと言うことを聞いてくれんのですよ」
「ハハハ,そりゃどうしてなら」
「忍者一家と離れるのが嫌じゃと駄々をこねるんです」
「やむ無く、本日の興行を小太郎の体調不良という事で中止に致しました」
「そうかそりゃ尤もじゃ。仲がええからな」
「私しゃ、どうすればええですかね」
「よし、今日は一日ゆっくりしていくか。今晩、ワシんとこへ泊まっていけや」
そして与作は詰所に皆んな連れ込み、お殿様の帰りを待っていた。そこへ気を利かせた代官所は腹の足しになる昼飯を弥太と小太郎の為に運んでくれたのだ。此れには小太郎と忍者一家は大声をあげながら走り回っている。
「こりゃこりゃ、あまり騒ぐな埃がたたぁ」
多分、次席が皆んなが来ている事に気付いたのであろう。
そして、お殿様が帰る気配を感じた時、一斉にお殿様の方にかけて行く。鉄、玉の後に小太郎が続く。
「おぅ、どしたんなら小太郎まで来たんかい」
「はい、今日は一日一緒におらして泊めてやろうかと」
するとお殿様は
「オイオイ、ワシ一人で帰れちゅうんかい」
「違います」
「よいよい、皆んなで一緒に帰ろうや」
代官所を出て来ると
「おいおい、こりゃ賑やかすぎて目立ちすぎるぞ」
早速、何時もの様に変装気分の頬被りをすると各自が離れて歩きだす。
巴橋を渡り若宮さん側を少しくらい来た時、与作はお殿様に近づき
「此処の近辺が作業場を作るのに適しているのではと思われます。船着場から今歩いている道が運搬にも丁度都合がいいかと」
「そうよな。此処なら場所が広おうて何棟も作業場が建つのう」
「それでは早速にも家老に検分させて取り決めるか」
其れから細い田んぼ道を一家と小太郎は先に駆けて行く。暫く行くとこんもりとした木立が馬洗川のそばにある。その草叢の中を進んでいると玉が急に駆け出したではないか。更に小太郎が追いかける。そして道の側の柳の木の下に座り込んだ。すると小太郎も並んでジイッと河面を見詰めている。
「オイッ、ありゃ何をしょうるんなら」
お殿様の一声に与作はハッと気付いた。
此処は弥太が小太郎に伝家の宝刀を盗ませた場所だぞと。
その時にはまだ弥太は気付いてはいなかった。だが小太郎の背中に
「帰るぞ」
と手をかけた時、以前、目の前の木に暗闇の中で盗難の為に工作した跡が見えてハッと気付いたのだ。
「此処は!」
すると弥太は其処へ座り込み涙目になりながら声を殺して泣いている。
其れを離れて見ていたお殿様が
「弥太よ、どうしたんじゃ」
「いえ、何でも御座いません。一寸だけ悲しくて・・」
後は何事もなかった様にその場を離れ城下の登り口迄帰って来た。この先からは庶民立ち入り禁止の比叡尾山城域だ。
「お殿様、本日は長い間ご一緒させて頂き誠に有難う御座いました。私は此処で失礼させて頂きます」
「オイオイ、何を言うとる、折角、小太郎が忍者一家と仲ようなった事じゃし上迄来いや」
「そんな、其れこそバチが当たります」
「ええから付いて来いや」
「でも」
「弥太さんよ、折角のお殿様のお招きじゃ。お受けせんか」
「有り難う御座います」
「よしゃ、決まった。張り切って上がるか・・然し、きついのう」
そこへ与作の一声
「頼むぞ」
鉄の首輪の紐を伸ばしてお殿様に握らせた。すぐに力強くグイグイと引っ張って行く。
「有難うよ」
すると其れを見ていた小太郎はお殿様の左手を握ったではないか。
「おやまぁ、小太郎まで助けてくれるんかい」
「然しなぁ、大将も弥太もなんちゅう躾をしとるんじゃ」
長い急坂を中程まで登った時、目の前の石垣の上に家老が立ち何やら見ているではないか。
「オイッ、何をしとるなら」
「アッ、これは殿、お帰りなさいませ」
「実は先日来の雨で石垣が崩れかかっておりますもんで様子を見ておりました」
「そうか」
「そりゃそうと殿こそ何をしておられるですか」
「何のこっちゃ」
「鉄はとも角、左手の猿は何ですか。其れに頬かむり姿までされてからに」
「ハハハ、悪いか」
「悪いどころでは有りません。此処は庶民立ち入り禁止ですぞ」
「じゃがな、此処におる小太郎は忍者一家の教師役なんじゃ。えかろうが」
「分かりました。そう云う事じゃつたらええでしよう」
「こりゃこんな恰好じゃ不細工じゃな、門番に見えん様に裏口から入いるか」
「そうしましょう」
本当におかしな組み合わせの城内侵入である。
中に入るとお殿様が足を濯がれながら
「お前さん達もまぁ上がれや」
すると突然、弥太が叫んだ。
「お殿様、実は重大なお話しが御座います」
「オオゥ、何の事かのう聞いてやるぞ」
「今、此処へ来るまでに、何時言おうか何時言おうかともの凄く悩んでおりました。どうにも大変立派なお殿様を騙す事は出来ません」
「其れはどう云う事なら」
「実はお殿様の大切な伝家の宝刀を盗んだのは私で御座います」
「何!、弥太が取っただと!」
「左様で御座います」
「なしてそんな事をしたんなら」
「・・・」
「どうしてなら!はっきりと申せ!」
「其れはある方に頼まれました」
「してそいつの名は」
「それはお答え出来ません」
「なしてなら!どうして言えんのじゃ」
「死んでも言えません」
「分かった。今、そいつの代わりに此処で首を刎ねちゃる!其処へ直れ!」
弥太は神妙に土間に跪き頭を垂れた。すると何という事か小太郎も横に並んで同じ姿勢になったではないか。これにはお殿様も
「ウゥ~ン・・・」
然し、太刀を抜き払うと素っ首目掛けて
「覚悟!エイャ~」
続いて小太郎にも一振り打ち下ろした。
その場には暫しの間、重く沈黙の時が流れた。
「よしゃ!済んだ」
「お殿様!これは・・・」
「お前の人間性をみりゃよう分かる。何も悪うない。小太郎がした事じゃろうが」
「見てみい、猿が泣いて反省しとるでぇ」
「お殿様ぁ~」
弥太はその場で小太郎を抱きしめながら大号泣したのであった。
振り下ろした一太刀は首に触れる前に寸止めされていたのだ。
「此れでよい、此れでよい」
ところが其処へ家老が飛び出してくると殿の面前で平伏したではないか。
「お殿様!実は一番悪いのは私で御座います。お手討ちに合うのは弥太や小太郎では有りません」
「ウヌッ!?なしてなら」
「この事を知り全て隠していたのは私で御座います」
「どう言う理由があったんじゃ」
「其れは・・」
「ええから言うてみぃや」
「此れは三次での猿回し一座を興行していた香具師の元締めが関係しております」
「そりゃ又、どう云う事じゃ」
ご家老は姿勢を正した。そして
「一寸お待ち下さい。今、この家宝盗難の経緯を綴った事件簿をお持ち致します」
此れは大将が調べあげてくれたお陰で、迷宮入りしかかった様な大変難しい事件の経緯を掻い摘んで読みながら話し出した。
其れで、香具師の元締の長く辛かったであろう人生模様を知り、殿様は涙を流しながら聴き入っていたのである。
「今,ここにいる弥太と小太郎はお殿様の生命を狙う気持ちなど更々無く、ましてや香具師の元締もただ気晴らしにイタズラする程の気持ちしか有りませんでした。だから、すげ掛けてあったどの刀でもよかったのです。其れが小太郎がたまたまお殿様のお刀を引っ掛けてしまったのです」
「そうかぁ、そう云う事情があったか。そりゃワシが小さかった頃の事のようじゃな」
「家老よ、今からじゃ遅いかもしれんがその一族を懇ろに弔うちゃてはくれんかな」
「分かりました」
「然し、悪い事をしたなぁ」
お殿様は目を閉じながら暫く瞑想した後に
「オイッ、弥太よ。もう泣くな」
「でもお殿様、私は・・」
「もうよいよい、とうに済んだ事じゃ。たかが刀じゃ、打ちゃあなんぼでも出来る。気にすな気にすな」
「有り難う御座います」
弥太と小太郎はいつまでもその場に平伏していたのであった。
「弥太よ、もうよいよい。其れよりかな、お前たちの楽しげな芸を見せてくれんかのう」
重苦しい空気の中、殿様のいきなりの声掛けにその場にいた皆んなはたまげまくった。
「然し・・・」
「弥太よ、こりゃ罪滅ぼしじゃ思うて絶対やれぇよ」
「本当に宜しいんでしょうか」
「そうじゃ。是非共じゃ」
「分かりました。私は旅芸人でお殿様に何も御礼する方法が御座いません。それでは不束では御座いますが猿回しの一芸を披露させて頂ければ幸いと存じます」
「そうかそうか、頼むよ。ワシも楽しみにしとるんじゃ」
「なぁ家老よ、よかろうが」
「それはお殿様がご所望ならば」
「決まった!是非此処でやってくれるか」
突然の突拍子のないお殿様の提案に家老はたまげまくった。
「ええ!城内で行なうのですか」
「そうじゃ。ここでやろう」
「う~ん、然しながら比叡尾山城、過去約四百年に渡り前例が御座いません」
「じゃったら、今つくればええことよ」
「大将よ、後は家老と取り決めして上手く段取りしてくれんかのう」
「分かりました」
「宜しく頼むよ」
お殿様は簡単に請け負うと後は何せ比叡尾山城始まって以来、城内での演芸大会である。とに角、前代未聞の事なのだ。
「オイ、大将よ、ワシゃどうすりゃあええんじゃ」
「ご家老様、私と弥太さんにお任せください」
「そうか。宜しく頼むよ」
「人手が足りない時は手配の程を」
「そっちの方は任せとけ」
「そりゃそうとな、大将よ」
「何でしょうか」
「明日やるとなると何かと準備が大事じゃろうが。其れに弥太や小太郎はどうする」
「そいでな、今晩は何れ大将の為にと用意してある畠敷の屋敷を使えや。賄い方を付けちゃっとくからな」
「其れは其れは助かります」
「何度も荷物の持ち運びが有りますから近場で都合がいいです」
「其れに互いの共演の為に打ち合わせが出来るかと」
「そうかそうか,楽しみにしとるでぇ」
翌朝、ご家老は舞台設営の為に若い城士を急遽五人呼び集めて弥太の指示に従って協力する様に命じた。
「オイ、今日は早ようから大広間に舞台設営をせいと云うこっちゃが何事があるんじゃ」
「さぁワシにはとんと」
「こりゃな,多分、猿回し演芸をするんと違うか。昨日の茶飯頃にな、裏口から殿様と猿と忍者一家がこそっと入っているのを2階から見とったんじゃ、それにご家老も後をつけとったでぇ」
「ハハハ、そりゃ傑作な出来事じゃ」
「オイ,笑うなや」
「然し、ありゃ猿回し芸をやるつもりで」
「まさか,城内でそりゃなかろうが」
「そりゃ分からんぞ.今朝な城の裏口階段を幕を担い けで上がっとったぞ」
大広間に一段と高い舞台設営が終わるといよいよ最後の幔幕張りだ。
「ほれみぃや、松原に張ってあったもんと同じじゃ」
作業を終えると家老から労いの言葉をかけられる。
「おおぅ、皆の者、ご苦労であったなぁ。そりゃええがな、此れから何をするか内緒にしといてくれるか。殿様の達しじゃからのう」
「分かりました」
其れから暫く時をおいて家老から城内の皆に通達が回された。
~本日、城内の大広間において伝統芸能の演舞を行うものなり。飲食付きである、各人揃って参列の事~
家老より
突然の回し物に各人とも一様にたまげまくった。後の仕事が手に付かなくなってしまったのである。
「おい、仰々しい催しが仕事を休んでまであるとはな。其れに飲食付きとは何事かいな」
「休ましてご馳走まで食わしてもらえるのは嬉しいがバチか当たらにゃええがのう」
代官所からも当番を残して急遽登城することとなった。
「オイ、次席よ、こんな話しを聞いとったか」
「いえとんと。能舞でもあるんですかね」
「この前の国久公との絡みが解決した事でホッとしとられるんじゃないのか」
「兎に角、早速出かけてみるか。皆んなに声を掛けちゃってくれるか」
「然し、誰が舞うんかしらんがこりゃ退屈な事じゃぞ」
其れが、まさかまさかの町人による前代未聞の猿回し芸という催し物が藩士慰労のため執り行われる事となった。
猿回しの歴史は非常に古く、古来より猿は神様の遣いとされ牛や馬を守る御呪い(おまじない)として猿の舞が生じた。
災いがサル、病気がサルなど猿には厄除けの力があると信じられてきた。
其れが時代と共に宗教化したものが薄れていき、大道芸として一般庶民向けに滑稽なお笑いの娯楽として親しまれる様になっていったのである。
其れが御触れ(おふれ)には伝統芸能の演舞とある。ご家老の真面目と云おうか、剽軽さ加減に与作は吹き出しそうになった。確かにそうだが、然し、笑ってはいられない。何せ奇想天外な演舞に取り組まなければいけない伝統芸能であるからだ。
いよいよ開演の時がきた。
大道芸人の弥太は何せ初めての城でお侍様相手の猿回し披露である。緊張しまくっていた。
それを舞台裏から見ていた与作は
「大丈夫じゃ、大丈夫じゃ!」
と口だけパクパクと動かせ激励する。
本当は最初与作の方がもっとあがっていた。然し、小太郎と忍者一家を見ていると一気に興奮度が解れてきたのだ。
何せ此奴達は人間ではない。とんと緊張感が無いのだ。早く宝探しをやろうやろうと急かせてくる。
「もうちょい待っとれな、上手くやったら褒美が待っているからな」
此れには小太郎、鉄、玉、ラー助も大喜びで駆けずり回っている。
「おいおい、静かにしとれや。今に始まるからな」
鉄の背中にラー助、玉を乗っけた。そして与作が拍子木を打ち鳴らす。
「カチカチカチカチ」
「さぁ行け!頼むぞ」
小太郎が幕を小走りに引いて開くと場内が一瞬どよめいた。
「おい、ありゃ何なら!」
「こりゃ、楽しいのう傑作じゃ」
舞台を二、三周ゆっくり回りながら小太郎は手を振っている。
「ハハハ、愉快な能舞じゃのう!」
そして弥太の声
「ハイハイッ、こりゃうろちょろすな。止めぇ、
整列!!」
すると忽ち小太郎を先頭に横一列に並んだではないか。
「なんちゅう躾をしとるんじゃ。人間でもここまでは出来んぞ」
此れには弥太も与作も大いに救われた。
「おまえさん達は凄いな」
緊張が解れるといつもの弥太の猿回し演芸の軽妙な語り口を取り戻してきた。
忍者一家が舞台から立ち去るといよいよ小太郎の一人舞台だ。
竹馬乗りで登場すると場内からはやんやの大喝采だ。
何せここにいる藩士の殆どが猿回し演芸を見た事が無い者達ばかりだからだ。侍として庶民の大道芸など見るに値しないとばかり、おかしな自尊心と誇りが邪魔させていたのであろう。その点、此れを催したお殿様は、所得、資産や士農工商の身分の差別のない人間性を重んじる方で尊敬せざるを得ないと与作はしみじみ感じ入ったのである。
何はともあれ次から次へと軽快な小太郎の演技に酒の勢いもあり酔いしれている。
然し、小太郎は芸が上手い事この上無しだ。人間では到底出来そうも無い事を簡単にこなしてしまう。
笑いっぱなしの小太郎の演技が終了すると一旦幕が閉じられた。
場内は武家社会では到底あり得ない催し物に大喜びであった。
「お殿様、有り難う御座います!」
この声にお殿様は立ち上がると両手を振られ満面の笑みで応えられている。此れには大喝采の声援に大盛り上がり状態であった。
「皆の者、本日は無礼講じゃ。大ご馳走を食べて心行くまで楽しんでくれるように、以上じゃ」
暫く食事休憩の後
「それではいよいよ本日の最後の出し物、借り物競走で御座います。場内の皆様からお借りした物を猿、犬、猫、カラスが夫々持ち主の方へお返しに参ります」
「そんなこたぁ出来る訳はなかろうが」
「こりゃ絶対無理でぇ」
「それは分かりません。やって見なければ」
「そりゃそうだ」
「やれやれ!」
そうした声に弥太はニコニコしながら、何列にも重なって座っているお客様の場所に回っては借り物を集めている。それを小太郎と忍者一家はジイ~と目を凝らして見つめている。
「オイオイッ、こんな事たぁ猿芝居じゃないけぇな、いきなりやるなぁ実際、絶対無理でぇ.持ち物が返って来んぞ」
「そりゃ分かるかい」
「さぁ、やれやれ!」
「何奴がワシの物を持ってきてくれるんじゃ」
「さぁそれは分かりません」
と弥太の声に
「オ~イ、ワシの処へはええ物を頼むぞ玉ちゃん!」
喧々諤々(けんけんがくがく)の大騒ぎである。
然しながら、演者はこんな事など簡単よ、と云うような顔をしているではないか。それもそうだ。山中では何時も宝探し、鬼ごっこ遊びをしており、視覚、臭覚が研ぎ澄まされている。忍者一家にとってはごく簡単なのだ。だが小太郎には果たして出来るかなぁ、
と与作は舞台の袖から心配そうに覗きながら拍子木をカチカチと打ち鳴らす。
「さぁ始めるぞ」
弥太の掛け声ととも、それまでは舞台の上を駆けずり回っていたのが一斉に台の下に並んだ。
「玉ちゃん、いくぞ」
「ニャーン」
「声が小さいど」
「ニヤーン!」
先ず玉が進み出て来る。
そして弥太がその物を口に咥えさせた。ゆっくりと各自の座っている場所に進みだす。そして前列の若侍の前に来てボロっと落としたではないか。
「ニャ~ン」
「何とえらい早いじゃないかい」
「オウ~、やっぱりお前のかぁ.オンボロ財布が一番じゃ」
「そんなあ」
「玉ちゃんようった!」
「然し、凄い記憶力じゃな。ワシじゃったら一つもよう覚えんでぇ」
「ハハハ、無理無理、おまえじゃったら無理が百個もつくじゃろう」
はなからの皆んなの野次と大声援に鉄、ラー助,それに小太郎も大真面目な表情である。
「ハイハイお次はラーちゃんか」
弥太の呼び掛け
「ヨジャヨ」
「ウン?お殿様か」
「まさか!?」
此れにはお殿様もビックリしながらゲラゲラ笑っている。
ラー助は、大きな袋を口に咥えると畳の上を何度も転げながらぴょんぴょんと歩いている。
「オモイ、オモイ」
この動作が全く滑稽で
「こりゃ,誰のじゃ、早う受け取っちゃれや」
皆んなの手拍子が響きわたる。
すると前に二人進み出て来たではないか。
「こりゃこりゃ山田に佐伯、卑怯なこたぁすなや」
するとラーちゃんが
「サエキサン」と叫ぶと前にポトリ
「凄い!有難うな」
「ナンノナンノ、ホウベジヤヨ」
よしゃ、すぐにやるぞ」
まさに僕が一番だよと嘴を上に挙げている。
「然し、凄いなカラスは全く利口だな」
次いで鉄の番だ。何せ、この中では一番頭がいい。全くの余裕である。
「ワウ~ン」と一声叫び、弥太から渡された綺麗な巾着袋の紐を咥えた。
あっと思う間にお女中の処に駆け寄り座り込む。
「うゎ~凄い!鉄ちゃん凄いね」
手渡すと頭を撫でられ
「ワン」
と吠えてお手をしているではないか。此れにはすぐに料理の中の魚を咥えさせてくれた。
「なんちゅうこったぁ。鉄もお女中が好きだのう」
そして次に小太郎の出番だ。此れには弥太も内心は心配で堪らなかった。何せ初めてやる演目だからだ。
与作も舞台の袖から覗き見しながら冷や冷やものであった。
小太郎は舞台中央に進み出る。そして一礼して座ると礼儀正しい姿勢に拍手喝采だ。
「うちの嫁にも見せたいくらじゃ。いつも胡座ばっかしこいとるぞ」
またまた大爆笑につつまれる。
弥太から煙草入れを手に渡された。
するとキセルを抜いてニヤッとしながら煙草を吸う素振りをしゆっくりとぐるりを見渡した。
「こりゃこりゃ、人の煙草を吸うんじゃなかろうが」
「早ように返さんかい」
「小太郎は禁猿だぞ」
「??」
「そりゃ字が違うとろうが」
すると大笑いの中、小太郎はいきなり怒った様に''キィキィ,,と声を発した。そしてキセルを投げつけたではないか。
「アッ」
「オッ!」
「何をしゃあがる、ボケェ~危ないじゃないか」
然し、然しだ!それを相手が見事掴まえたではないか。
何と持ち主目掛けてである。
「有り難う!小太郎~」
此れには場内が一瞬度肝を抜かれてしまった。
「凄い!」
「こいつ等は化け物か。物凄い一家じゃな」
すると家老が
「お殿様は物凄い眼力をしてらっしゃる。感服致しました」
「お殿様、凄~い、凄い!」
此れには''忍者一家,,採用で名付け親の本人も満面の笑みである。
皆んな夫々の特徴である臭覚,視覚、それに小太郎の人間のような知能と記憶力に感嘆しきりであった。
「オイ家老よ,こりゃ大変な事になるでぇ。忍者達に小太郎まで加わってみぃ、凄いのなんの大変な忍者一家じゃ」
「左様で御座います」
飲食をしながら酒も入っての無礼講にお殿様も大満足のようであった。
然し、一番驚いたのは誰あろう、弥太であった。ちょっと一緒に暮らす間に、途轍もない潜在能力を引き出してもらった事に感服せざるを得なかったのである。
やがて弥太が舞台中央に立つと
「本日の演し物は以上を持ちまして終演で御座います.皆様方、誠に有難う御座いました」
処が、万来の拍手喝采に包まれていた時、お殿様が突如立ち上がると大声で叫んだ。
「オイオイ、待て!待て!ワシの物入れをまだ返してもろうとらんぞ。どうしてくれる!」
「ワシャシランゾ」
とラー助の声がした。
これには場内が大爆笑である。
だが弥太が一声
「えぇ、でもこの借り物台の上にはもう何も御座いませんが」
と台を傾けて皆んなに見せた。
「嘘をつくな!ワシは確かに預けたぞ。皆んなも見とろうが」
「そうだそうだ!お殿様の言われるとおりじゃ!」
「オイ!どこぞへ無くしたか、それともおまえ等が盗んだんか」
「弥太ぁ~、許さん!」
「おまえらぁ~公開処刑じゃ!其処へなおれぇ」
怒った顔とその一声に場内が緊張に包まれた。
そしてお殿様が再度立ち上がり、懐剣を取りだそうとして懐に手を突っ込んだ。
一瞬、
「アレッ、アリャリャァ?」
すると何とその物を手に掴んでいるではないか。
「何とした事じゃ」
「ワシャ知らん!全く知らんぞ!」
お殿様は照れくさそうな表情たっぷりの迷演技に、場内はやんやの大喝采に包まれたのである。
「イャァ~、参った参った!」
種明かしをするとこうなのだ。
小太郎と忍者一家が夫々の持ち物を返しに行き、一番先に玉の演技が終わった後、すぐに弥太が殿様の持ち物をこっそりと台の下から玉に咥えさせて持ち運び、お殿様の懐に飛び込まさせ、その後は何食わぬ顔をして膝の上にじっとして座り込んでいたのだ。城内は薄暗く,弥太の軽妙な語り口と他の小太郎,鉄、ラー助の動きに皆んなが集中しており誰も真っ黒な猫の玉の素振りに一切気付いていなかっのだ。
比叡尾山城の大広間で一般庶民の猿回し演芸行為を行なうなど、全く前代未聞の事であり驚きを禁じ得なかったのである。




