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難しい微笑み 「うー遅刻遅刻!」

「うー遅刻遅刻!」



目覚ましの音に気づかないなんて不覚!

夜更かしせずいつも通りの時間に寝たのに。

どうして起きれなかったんだろう。


駅まで10分強の道のりを猛ダッシュする。

遅刻ギリギリの電車に乗れるかどうか、瀬戸際の時間だ。


私の皆勤賞が。

小学校から続く無欠席記録が。





前だけ見て必死に走っていると、突如横から飛び出してきた人物とぶつかってこけた。



「ご、ごめんなさい!」


即座に謝罪して、飛び散った荷物をかき集める。


ぎゃー!

閉まりきってなかった鞄から中身が飛び散って!

時間がないっていうのに全くもう!



「ごめん。怪我はない?」



涙目で慌てる私に声がかかる。

顔を上げると、同じ高校の制服が視界に入る。


見覚えのない…、いや、違う。

同じクラスの佐々木くんだ。



「うん、平気。こっちこそごめん」



汚れを払いながら立ち上がる。


「それよりも時間がやばいよ。遅刻しちゃう。急ごう」



目的地は一緒だ。

早く駅まで行こうと急かす。



「そうだね。走ろう」



佐々木くんと共に駅まで走り、出発寸前の電車に滑り込んだ。

教科書やらお弁当やらが詰まった重い鞄を抱えて走ったせいで、息も絶え絶えだ。

肩を上下させながら息を整える。



「なんとか乗れてよかったね」



初夏のまだ爽やかな陽気とはいえ、走ると熱い。

鞄からタオルを取り出して汗を拭きながら、ふと違和感に気づく。


この時間の電車は、こんなに空いていたっけか。


普段は、今乗り込んだ電車よりも4、5本早いものに乗っている。

座れはしないけど、みちみちに詰め込まれもしない、それなりに混んだ車内。

通勤・通学時間のよくある密集具合だ。



それよりも30分程遅い時間の現在。

車内に居るのは私と佐々木くんのみ。


時間をずらすとこんなに快適な車内なんだなあ。

遅刻ギリギリで焦るのは嫌だけど、たまにはいいかもしれない。



「佐々木くん、座ろ」



選びたい放題の座席。

日影となっている側を選んで、佐々木くんと並んで座る。


あとひと月ほどで夏休みだ。

楽しみなイベントについて語っていると、電車がトンネルをくぐった。

電車の走行音が大きくなり、佐々木くんの声が聞き取れなくなる。



「ごめん、聞こえなかった。なんて?」



聞き返しても聞き取れない。

こりゃトンネルを抜けないとダメだな。

私の声もあまり届いていないようで、お互い困った顔で笑う。


もうちょっとしたら抜けるかな。

電車が走る先を窓から覗く。

トンネルの出口は見えない。


長いトンネルみたいだ。

走行音が煩くて、頭にわんわんと響く。



「なんか電車の音やたらとうるさくない?」



声を大きくして話しかけてみるも、佐々木くんには届かない。

口を動かして何かを言っているけれど、佐々木くんの声も私に届かない。


変に長いトンネルだな。

困った、と前を向いて座り直す。




そういえばまだ朝ご飯を食べていない。


寝坊に気づいて飛び起きて、ご飯を食べる時間は無かった。

食べれそうなときに食べなさい、と出がけに菓子パンを持たされていたことを思い出す。

いま食べちゃおう。


菓子パンを鞄から取り出す途中で、携帯電話が目に入った。

電車を降りて学校まで走って、果たして間に合うかな。

待ち受け画面で時間を確認すると、『2:00』の文字。


もしかして携帯壊れた?

AMだとしてもPMだとしてもおかしい時間。


首をひねらせつつ、まあいいやと菓子パンに手を伸ばした。




ちょうど電車がトンネルから抜けたみたいだ。

煩かった音を置き去りにして、開かれた場所へ来たみたいに音がクリアになった。



「やっと抜けたよ。トンネル音うるさかったね。私、朝ご飯まだ食べてなかったんだよね。佐々木くんも食べる?」


菓子パンの袋を破きながら問いかける。


「ううん。大丈夫」



断られたので遠慮なくパンにかじりつく。

食べながら話しながら、駅に着いた時には“ようやく”という気分だった。


毎日こんな長い時間電車に乗っていたっけ。

不思議な気分だ。




駅に降り立って、佐々木くんの後ろについて改札に向かう。

標識が少なくて不親切な駅だ。

つい見回してしまった。

佐々木くんが居て助かった。


無機質な壁が続く地下の駅。

路線が多いのか、改札までの道のりが長い。

1人で歩いていたら迷っちゃいそうだ。


ローファーの踵が音を鳴らして、静かな駅構内に響く。

会話をしていなかったら、不気味に感じるくらいの静かな空間。



「佐々木くんは部活入ってるんだっけ?」


「ううん。何も入ってないよ」


「そっか。私はバドミントン部なんだけどね、夏休みは外部の講師が来るんだよ。その先生が来ると練習すっごい厳しくなるんだ。でもすごく楽しみなの。その先生ね、えっと…」




長期休みの度に練習を見てくれる外部の講師。

練習が厳しくなるけれど面白い人で、部員みんな「また地獄の特訓来るよ~」なんてぶうたれつつも楽しみにしている。


楽しみなのは面白い人だからだけじゃなくて、それ以外もあった気がする。

何かを期待していた気がするんだけど、靄がかかったように思い出せない。


不思議なことに顔も思い出せない。

どんな顔をした講師だったっけ。



「…何話したかったかわかんなくなっちゃった」



笑ってごまかす。





階段を上がって駅から出ると、見通しのよい景色が広がっている。

建物の無い、遠くまで広がる平坦な道。

田んぼの青々とした緑に、遠くには小山が見える。

雲が少なくて青々とした空が綺麗だ。


今日は気温が高くなるかもしれない。

少し早目に、夏の到来を感じられそうだ。


道の端に生えているアカツメクサを数本手折って、花束のようにして持つ。

つい歌を口ずさんじゃいそうなくらいに気分が良い。


取り留めも無く、思いつくままに話をして、返ってくるのは佐々木くんの控えめな相槌。

大した返事が返ってくるわけでもないけど、とても気持ちが高揚している。


どこかに向かっていた気がするのだけど、今はただこの道を歩んでいたい。

なんてことない話を佐々木くんに聞いていてほしい。

飛び跳ねたい気持ちで軽快に足は進む。



ヴヴヴヴ。

伝わる振動。



突如、足元が崩れ落ちるように、ふわふわと高揚していた気分は引き戻された。

存在を忘れていた、重さがなくなったかのように感じていた鞄から主張する携帯の振動。

何かメッセージが届いた。


画面を見ると、『早く帰って来なさい。何時だと思ってるの』という、親から帰りを催促する連絡。


可笑しなことを言う。

まだ家を出てきたばかりだというのに。


そう、出てきたばかりだ。

どこかへ急いでいたのだ。



…………どこへ?








「どうかした?」



何かを思い出しそうになって、佐々木くんの声にハッと意識を取り戻す。



「ううん。親から連絡が来ただけ。早く帰って来いって……。変だよね」



まだこんなにも明るい。

1日は始まったばかりだ。



「うん。帰るにはまだ早いよ。先に進もう」



ほら、佐々木くんもこう言ってる。

また浮上しようとする気持ちに、携帯の振動が歯止めをかける。



『今どこにいるの?』

『返事を返しなさい』

『心配だから連絡して』



次々と届く言葉。

心配されるような時間じゃないのに。


何か返事を打とうとして、また新たに催促の言葉が届く。

携帯を掴む手から振動が伝わる。

その刺激で、脳裏に何かがちらつく。



「ねえ、行こうよ」



佐々木くんから声がかかる。

携帯から佐々木くんに目線を移して、なんだか知らない人見たいだな、と不思議なことを思う。


何を失礼なことを思ってるんだろう。

クラスメートだ。

知らない人な訳がない。

同じ高校の制服を着ているし、一緒に学校に向かっていたのだ。


そう、学校に。

遅刻しそうで急いでいたんじゃなかったっけ。

学校に行かなければ。



いつの間にか止まっていた足を勧めようとして、今度は電話がかかってきた。

数秒で終わらない、長く響く振動。

通話にして携帯を耳に当てる。



『アカリ、……いま、どこ……無事』



ノイズが酷い。

どうにか聞こえたのはブツ切れの単語。


途端に悪寒がしてきた。

ふわふわと浮足立っていた意識が尖りだす。



おかしい。



学校に行くのにこんなのどかな田舎道は通らない。

駅を出るのにあんなに長く歩かないし、電車も地下を通らない。

トンネルもくぐらない。


そもそも、私、部活終わりに帰っている途中じゃなかったっけ。

帰りの電車でついうとうとして、ちゃんと帰ったんだっけ。


記憶が朧気だ。

寝坊して飛び起きたのは、夢?

現実?


今私が立っているのはどこだ。

隣に居るこの人は、誰だ。




眩暈がしそうな心境で、隣に立つ人物の顔を見る。

目が合って、私を捉えて、ゆるりと口角が上がった。



「残念。正気を取り戻しちゃったか」



冷や汗が止まらない私に、向けられる微笑み。

優しそうに見えて、底が見えない難しい微笑みだ。

ぞくりと背筋が冷えた。


現実に戻るためにはどうしたらいい。

ノイズの混じった声を届ける携帯だけが、私を現実に繋ぎとめるか細い糸に思えた。

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