寒い殺し 傘
タバコの煙を吐き出しながら街路を歩く。
向かっているのはバーだ。
私はこれからターゲットと接触する。
依頼をこなすための下準備である。
依頼が入ったのは昨日のことだ。
一見するとまともな、しかし口を開けば様子のおかしい、頭のぶっ飛んだ奴が依頼人だった。
写真と金をテーブルに突き出して、感情の乗らない声でそいつは言った。
こいつを殺してほしい、と。
私は殺しを生業としている。
要人から依頼されることも、ヤクザから依頼されることも、逆に清廉潔白を服に着ているような人物から依頼されることもある。
私としては金さえ貰えればなんだっていい。
どんな依頼であろうと深入りせずにこなすだけだ。
依頼人が正義であろうと悪であろうと、真っ当な理由があろうとなかろうと、私には関係ない。
殺す相手と、それに見合った報酬。
それさえあれば、私から余計なことを聞くことはない。
しかし、昨日の依頼人は聞いてもいないのにベラベラと理由を喋っていった。
実にくだらない理由だった。
依頼人が馴染みのバーのカウンターに座った時のこと。
1つ席を開けて、そいつが隣に座った。
話しかけてきたから気分よく言葉を交わし、酒だって奢ってやったのに、自分を邪険にして帰っていったと。
見掛けにつられて話しかけたは良いが、すぐに狂気の人物だと察知したのだろう。
話しかけた時点でそいつの運命は決した。
何も罪はないが、金を積まれて依頼されたのだ。
そいつには死んでもらう。
実にくだらない、寒い殺しである。
奇しくも今日は雨。
気温も低く空気は冷たい。
息を吐けば紫煙が理由ではない白い息が出る。
タバコを地面に捨て、傘を閉じた。
階段を下り、地下に位置するバーの扉を開く。
いらっしゃいませと穏やかなバーテンダーの声。
適当にカウンター席に座り、度数高めで甘くない柑橘系カクテルを頼む。
ターゲットはこの店の常連だ。
毎日のように仕事終わりはここへ寄る。
出されたカクテルを半分ほど口にしたところで、ターゲットはやってきた。
マフラーと手袋を外しながら、親し気にバーテンダーと言葉を交わしている。
人当たりの良さそうな男だ。
整った顔をしているわけではないが、服などのセンスは良く、そこそこ女にもてるタイプだろう。
横目で観察していると、「おや、新顔さんですか?」と目を細められた。
人と会話するのが好きなのだろう、差し障りない、しかし話しやすい話題が次々と提供される。
場を明るくする男だ。
依頼人とも、ただこうやって話したいだけだったのかもしれない。
しかしいかんせん、話しかけた相手が悪かった。
あいつは金を出し、私は依頼を引き受けた。
命の炎は消させてもらう。
1時間ほど男と話をして、バーを後にした。
ここのバーは地下に位置し、入店するためには階段を下る必要がある。
階段は狭く、人とすれ違うことは困難。
向かいには、階段を見張りやすく、身を隠すのにもうってつけのビル。
サイレンサーで、何が起きたのかもわからないうちに殺してやる。
明日か、明後日か、明々後日か。
次にここのバーに来た日が最期だ。