深淵を覗くとき
“はぁあああぁ〜♪”
温泉でも入ってるみたいにご機嫌な声が、念話っぽい感じで伝わってくる。幸せそうで何よりですが、こちらは作業が詰まってるのでリアクションできません。
四階層に作った湖が、とりあえずエルデラのホームポジションということになった。
特に要求もなければ希望もないらしく、棲むとこさえもらえれば外敵排除くらいはしてくれるそうな。本人はエルマール・ダンジョンとフリーエージェント契約した魔物……というか神獣というか、アハーマ言うところの“食客”に近いポジションのようだ。
“ここの湖水は、エラく外在魔素が濃いのう……! エイルケインに勝るとも劣らん!”
エイルケインというのは、エルデラ姐さんが何百年前だかに棲んでた大湖だ。その後のあれこれで枯れてしまったが、その古巣より環境がいいというのはマイホームを褒められたようで嬉しい。
「ありがとう。好みの温度とか環境とか、あれば調整はできるよ」
“いやいや、冷たすぎず温すぎず適度にヒンヤリとして実に良い。この芳醇で澄んだ水質と深く快適な淀み、水藻が少なくて泳ぎやすいぞ♪”
そんなもんか。俺は魚や両生類を飼ったことがないので、水辺の環境で何がベストなのかわかっていない。水棲生物本人が自分の好みや意見を言ってくれるのは助かる。
この湖の水は、エルマール・ダンジョンの二階層にある岩場から湧き出したものだ。それが三階層の草原と湿地を潤した後で、四階層に落ちる。肥沃な土と草花の栄養分、そしておそらく“外在魔素”も豊富に含んだ水が、ここで湖になっているわけだ。少なくとも、俺はそう聞いている。
それでこの水量は完全におかしいだろうとは思うが。ダンジョンというのはそんなものだと言われたら、返す言葉がない。草原が広がる三階層でさえエルマールの山より遥かに広い空間が広がっているのだから、なにがしかの魔力的な効果なのだろう。考えてもしょうがないものは、スルーだ。
ダンジョンのランクアップで内的空間が拡大したので、湖も最初より大きくなった。直径は一キロメートル前後、水深は最大で三十メートルほどになる。こちらも立派な大湖だ。
天候は自由に設定できるので、いまは薄く霧の掛かった高原の朝って感じ。うん、無駄にロマンティック。
“水のなかは、魚や魔物どもの体内魔素が賑やかじゃのう……♪”
「それなー」
魚やら甲殻類やら鳥やら爬虫類やらと、<ワイルド・スライム>たちが凄まじい種類と数の生き物や魔物を持ってきてくれたのだ。
これで空間拡大しなかったら失敗した水槽みたいにミチミチに詰め込まれるところだった。
“のうメイヘム、中の島やら橋があるのはわかるが、なぜ船まであるんじゃ? 攻略してくる者らに便宜を図っても仕方がなかろう?”
「ああ……そうじゃなくて、余裕ができたら釣りがしたいなーと思ってさ。いまは、それどころじゃないんだけど」
“つり?”
「ええと……魚を、捕まえる。棒につけた、針と糸で」
“なぜ”
うん、そうなるよね。こっちの世界のひとたちには、理解されないだろうとは思う。水場の近くに暮らす人間でも、食べるために魚を獲ることはあっても、趣味で魚釣りをすることはないみたいだし。まして魔物やら神獣やらが理解してくれるとも思っていない。生きるか死ぬかのワイルドライフで、リラクゼーションとか寝言でしかないのだろうしな。
“魚が欲しければ獲ってやろうか?”
「ありがとう。でも、釣りというのは違うんだ。自分で獲る……遊びみたいなもんだ」
“ほお?”
訳のわからん奴だ、みたいなリアクションを残して、<水蛇>の姐さんは深みに向かって泳ぎ去っていった。
魔物形態でも変身能力があるのか、運ばれてきたときは封印直後で萎んでたのか。いま本来の姿を取り戻したエルデラの身体は、全長十数メートルはある。長い髭といい鬣のような突起といい、泳ぐ姿の力強さといい、たしかに蛇ではなく龍と言われれば納得する美しさだ。
「メイさん、エルデラさんが入ったことで四階層の環境が活性化してますね」
「え?」
マールに言われて機能制御端末を確認すると、四階層の“外在魔素”と“体内魔素”が急上昇しているのがわかった。
エルデラたち龍種は、基本的に“外在魔素”を取り込んで巨体を維持するそうな。食事はさほど必要とせず、捕食した魚や獣の“体内魔素”を摂取することはあるものの、嗜好的あるいは補助的なものらしい。
細かい数値の増減を見る限り、エルデラが具体的に何かをしているわけではない。ただ龍種は、そこにいるだけで周囲の生き物に刺激を与えるようだ。それが緊張感か安堵感かはわからんが、生き物の捕食行動や生殖行動が活発化している。その結果としてマナとオドが高まっている。
「ありがたいありがたい……」
俺は冗談半分本気半分で、コアに映ったエルデラを拝む。
“お〜メイヘム、なんか言ったか〜?”
ふにゃーっと幸せそうな声で、神獣な姐さんが笑うのが聞こえた。
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