踏み込む者
「<群居羽蟻>を前に出せ。密集陣形、敵を発見しだい攻撃」
「はい」
モルガ・ダンジョンのマスター、イーサムは機能制御端末の画面を展開しながらコア分身体のモルガに指示を出していた。
コアに映るエルマール・ダンジョンは、静まり返っている。罠も魔物も見当たらず、通過してきた環境もただの村と、ただの洞窟。抜けた先にあったのは、だだっ広い草原だ。
丈のある草木が風にそよぐだけで、目立った動きはない。
「<泥濘亜狼>を展開して索敵。魔物を発見したら報告。レベル5以下の低ランクは無視しろ」
「はい」
「<徘徊大茸>に風上を抑えさせろ。敵集団を発見したら“胞子嚢”で毒を撒け」
「……はい。ですが、マスター」
この地味で無口で陰気なアバターが、イーサムにはイライラして仕方がない。蔑ろにされているときはそれが募るし、やるべきことが上手く行ってないときは怒りの矛先を向けたくなる。
「口答えするな」
「毒の散布は、味方を巻き込みます」
「黙れ! 密閉空間ならともかく、あれだけ広い空間ならアリも犬コロも逃げられんだろぉ! そんなこともわかんないで口出しすんな、この能無しがぁ!」
イーサムが間近で怒鳴りつけても無表情のまま、分身体に動じた様子はない。こういうところも苛立たせるのだ。
「逃げる前提でしたら、ワンダーマッシュを後衛にして突破した方がよろしいかと」
そのくらい考えていた。このまま敵が現れなければ、すぐに突破して下層に向かわせる。多くの敵が現れた場合、足の遅いワンダーマッシュを殲滅のため残して、“アリと犬コロ”だけを前進させる。言う必要はないと思って、伏せていただけだ。
ダンジョン爵を補佐する役割のコアが、そこまで伝えなければ命令に従わないのか。この非常時に。
「お前の意見は聞いてねぇ。文句があんなら……」
「文句ではありませんが、お伝えしたいことが」
「……ッ!」
どいつもこいつも。王国の連中も、ダンジョン爵の奴らも。みんな。こちらを軽く見る。下に扱う。いまでは王国第二位のダンジョン爵だというのに。モルガの上にはエイダリアしかいない。あれは鉱山跡という立地が当たりだっただけだ。ダンジョン爵の能力じゃない。エイダリアのダンジョン爵アイル。モルガに似たタイプの不気味なチビだ。あいつがモルガのマスターになれば良かったんだ。こんな気味悪いガキなんて……
「くだらねぇ能書きだったら殺すぞ」
「<食肉妖花>がいます」
「あ?」
「ワンダーマッシュと同じ木属性。しかも、かなりの上位個体のようですから、逆襲の可能性がある攻撃は行うべきではありません」
「黙れ! マイアコヨーテから、敵を発見したなんて報告はねぇ! 脅威になるような魔力反応もな!」
「これを」
モルガが指差したのはコア本体。ハイブアントから送られてきた視覚映像が映っている。穴がある。直径半メートルほどか。罠の反応はなく、なかに何もない。周囲に、それがいくつか間隔を開けて並んでいる。
「これが何だよ。落とし穴だから警戒しろってか? てめぇ、どこまで馬鹿なんだよ⁉︎」
「<アルラウネ>の能力で“親眷”と呼ばれるものがあります」
「しんけん? それが何だ。穴掘りの力かよ? あぁン⁉︎」
「下位の生き物を、魔力で縛って変貌させるものです。この穴は、その痕跡に見えます」
どうでもいい。こんな場所は一刻も早く突っ切って、最下層でエルマールのコアを叩き壊す。それだけだというのに。こいつも状況くらい理解しているはずなのに。マスターであるこちらに反抗するだけでなく偉そうに御講釈をぶってきやがる。
「ありもしねえ花の、ありもしねえ下僕に怯えて足止めしろってか! あぁン⁉︎」
「ちがい、まッ」
イーサムが思い切り殴りつけると、モルガは跳ね飛ばされて転がった。
分身体は人間ではない。だから痛みはない。コア本体にダメージという情報が送られるだけだ。それでも外見上はアバターの外見に腫れや出血や痛みの表現がなされるのだから気持ち悪い。
うつ伏せで呻くモルガに近付き、髪をつかんで顔を起こす。
「“はい”以外しゃべるな。役立たずの人形が。てめえは、こっちの命令に従ってればいいんだよ」
「ば」
答えを聞かず、モルガの顔面を床に叩きつけた。ゴッと鈍い音が鳴っても、イーサムは何とも思わない。血が出ようと歯が折れようと、それは時間経過で元に戻るするだけの、偽物だ。
「……まず、だぁ!」
言ってる傍から反抗か。起き上がりかけていたモルガの醜い顔を、爪先で思い切り蹴り上げる。鼻血を噴いて吹っ飛んだ小娘は後頭部を床に打ち付け小さく痙攣した。
「……にげ、……で」
昏倒するモルガを見てイーサムは嗤う。たかが人形の反応に芸の細かいことだ。
「逃げろ、だぁ? 何から? 何の理由でだよ、クソが」
振り返ると、コアに不思議なものが映っていた。人間のような。魔物のような。緑色をした何かが、腕のような下肢で立ち上がる。下腹部のようにしか見えない上部に開いた口を、こちら――コアに視覚を送っているハイブアント――に向けている。
「おい、なんだこれ」
ハイブアントが謎の生き物の下腹部に飲まれ、接続が切れた。視覚を他に切り替えて状況を確認しようとするが、切り替えてゆくたびに消えて暗転してしまう。
いきなり切り替わった視覚に、遠くの惨劇が映っていた。くんくんいう音声からすると、マイアコヨーテのようだ。仲間の死を安全なところから眺めているなど許せんな。そう思っていたイーサムは視界が上がってゆくのに気付く。クリンと視界が反転して、コヨーテの腹まで呑み込んでいる巨大な緑の化物が映る。
すぐに接続が切れた。機能制御端末の画面が点滅している。
「……全滅……? なんで……どうしてだよ……」
イーサムの声に答える者はない。なんでか、足元が覚束なくなる。座り込むと、床が濡れているのがわかった。血塗れだ。なんだ、これ。イーサムが顔を上げると、女がいた。見覚えのあるような、ないような。
そいつはモルガのコアを前に、短剣を手の中でクルクルと回していた。
そこでイーサムは気付く。もう一本の短剣が、床に突き立てられていた。自分の腹を掻っ捌き、引き摺り出した臓腑を床に縫い留めて。
「なんで、か」
女は、冷え切った目を細めて笑った。
「お前が、無能だからだ」
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