嵐の予兆
王都の貴族街にある法務宮。その一階にある下級執務室でイスラ子爵は頭を抱えていた。
「なんてことをしてくれたんだ……」
法務宮に共有された報告書には、エルマール・ダンジョンに対する大規模攻勢の計画が記されていた。
イスラからするとそれは自殺行為でしかないが、計画は宰相の指示によるもので、もはや止められる段階ではなかった。どの段階であれ同じことだ。国政を担う重鎮が、中級官吏の進言など聞くわけもない。
「どれだけの被害が出るか……いや、どれだけ生き残れるか」
そもそも再生後のエルマールは、最初からおかしかったのだ。初心者育成用の低クラス底難度ダンジョン。誰もが早々に完全踏破されるものと思っていた。それが始まってみれば攻略は浅層止まりで全員が未帰還ときた。加えて、その前後に王都で発生した多くの異常事態。
コアそのものの力ではない。そんなものがあるなら過去十二回も完全踏破を受けたりしない。
上がってくる経過と数値の印象が、これまでとまるで違う。果断にして迅速な対応。あまりに急激で極端な成長。今度のダンジョン爵が何らかの異能を持っていることは明白だ。
だから、早い段階で手を打つつもりだった。そうするべきだったのだ。
ダンジョン開放の初日に呑み込んだ冒険者は判明しているだけで百と十四。誰ひとり戻らず、緊急対処としてダンジョン強制封鎖に送り込んだ王国軍討伐部隊も行方不明になった。
報告を上げた上級官吏からは“何かの間違いだろう”などという危機感のない返答しか返ってこなかった。間違いを犯しているとしたら、数値や報告ではなく、王国そのものだ。
通信魔珠による最後の報告でわかったのは、準備を整え迎え撃ってきたダンジョン爵の周到な姿勢。
“ダンジョン入り口を封鎖”
“コアは生存反応を維持”
“予備の入り口を捜索”
“捜索部隊が連絡途絶”
“ダンジョン外で謎の敵と遭遇”
それで最後だ。兵士十二名と魔導師四名、冒険者二十一、総勢三十七名が跡形もなく消えた。最初の報告から最後の報告までは、三十分ほどしか経っていない。
あれは化け物だ。絶対に、敵に回すべきではない。
「この計画は、いつから。どこで立案されたものだ?」
イスラは、計画案を持ってきた部下の男爵に尋ねる。
「上です」
上階。上級官吏で構成される、上級執務室だ。情報編纂だけを行う下級執務室と違って、国政に対する意見具申と提案を行う。
報告を終えたというのに、男爵が退出せず何やら迷っているのが気に掛かった。
「もしや、宰相閣下が何か言っていたのか」
男爵は言葉を濁すが、職務に必要であれば貴族的な気遣いは無用と発言を強要する。
「……イスラ子爵には、失望させられたと」
「なんだ、そんなことか。陣頭指揮を取るなどと言い出したら無理やりにでも止めるが」
「“そんなこと”と仰いますが、ここまで尽力されてきたイスラ子爵に対して、あまりにも無体な話ではありませんか」
「どうでもいい」
それが正直な感情だった。イスラにとっては中級官吏職も法務宮勤めも、単に金を稼ぐための仕事だ。
彼は貧乏な男爵家の三男として生まれ、子爵家の跡取りとして養子に入った。養父母への恩は返した。義理も果たした。嫌になったら辞める。どこか田舎に家を買って、畑を耕し家鶏でも育てる。あるいは、小都市で小さな店でも構えるか。いまの仕事は、それまでの繋ぎでしかない。
「……しかし、職を辞するなら、いまのうちかもしれんな」
「え⁉︎ 何を申されます! いまは雌伏のとき! いつか必ず適切な評価を得られるように……」
「そうじゃない。そんなことを言っている場合じゃないんだ」
イスラは男爵に手を振る。目の前の書類を指す。並んでいる数字は、ゾッとするような現実を表していた。十三あるダンジョンで、それぞれ例年と違う異常な前兆がある。理由はわからないが、結果はハッキリしている。小規模なものは五年周期、大規模なものは百年周期と思われていたが、その予想は大きく狂っている。
「“魔物暴流”が起こる」
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