第8話 サキュバス処女(元)は恋を語る
ちょっと自転車操業じみてきましたが、今日もよろしくお願いします!
「ふ~ん、幼馴染の彼女が浮気かぁ」
促されるままに一昨日の出来事を話してみると、サキは物憂げなため息を漏らした。
『幼馴染』というワードを耳にしたときは目をキラキラ輝かせていたくせに。
サキュバスの少女は、テーブルを挟んで誠と向かい合っている。
木製の椅子に体育座りで腰かけて、両手で保持したホットミルク入りのマグカップをふーふーしながら口に運んでいる。緩いウェーブがかかった桃色髪が頭の動きに合わせて揺れていた。
どうやら猫舌のようだ。『ちょっと子供っぽい仕草も似合ってるな』と場違いな感想を抱かされる。
「もう僕にはわけがわからなくて……サキさんはどう思う?」
「どうって……私もわかんない」
そもそもアンタの彼女がどんな人かも知らないし。
言われてみれば『なるほど、そりゃそうだ』と頷かされる。
さて、今や元カノになってしまった香澄がどんな人物だったかというと……
「まぁ、それはどうでもいいわ」
「どうでもいいんかい」
思い出そうとしたところを急に遮られた。
胸の奥に産まれた苦しみは、サキにツッコんだことで霧散した。
『どうでもいい』と切って捨てられて、内心でホッとしたくらいだった。
「もう別れたんでしょ? 私から振っておいてこんなこと言うのもアレだけど……話すだけでも辛そうだし、無理しないで」
「それは……ごめん、正直ちょっと苦しい」
『別れた』
サキの口から出た言葉が誠の胸に突き刺さる。でも……覚悟していたほど痛くはなかった。
眼前で微笑むピンクブロンドのサキュバス少女が言うとおり。
誠と香澄の道はすでに分かたれてしまっている。他ならぬ香澄の手によって。
あの幼馴染がどのような人間だったかなんて、今さら回想しても仕方がない。
「ま、私が言えることは……大変そうだなってことぐらいかな」
「死のうと思ったしね」
しみじみと頷いた。人生16年、あれほど最低の気分になったのは初めてだった。
言葉だけでなく本気で死のうと考えるほどの深刻なダメージを受けた。シャレにならない。
失恋を経験している世の男性が同じ苦しみを胸に抱えているかと思うと、彼らに対して並々ならぬ敬意を覚えると同時に、恋愛そのものに対しては腰が引けてしまう。
「大変なのはアンタじゃなくて元カノの方」
「え、香澄が?」
てっきり同情してくれているのかと思ったら、違った。
サキは香澄を指して『大変そうだ』と感想を述べている。
しかし口調は平坦で、別に憐れみを覚えているようでもない。
「僕は大変じゃない?」
「……それはまぁ、その辺はまた後で話すわ」
言葉を濁された。なぜだろう?
疑問に思ったが、それより大きな謎がぶん投げられている。
とてもではないが聞き捨てならない。自分のことは後回しでいい。
「えっと、香澄のどういうところが大変なのか、教えてくれると嬉しいかな、と思います」
これだ。
話の流れ的に別の男とくっついた幼馴染が苦労するというのは、どうにも解せない。
サキの語りから察するに、フラれた誠よりも香澄の方が……という感じだった。
わからない。わからないことを、わからないままに放置できなかった。
後学のために是非ともそのあたりの機微を押さえておきたい。
恋愛経験ひいては人生経験の薄さは、今回の一件で思い知らされたところだ。
『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』誠は素直に教えを請うた。
「……これはあくまで私の想像だけど」
そう言い置いてサキは自分の考えを述べ始めた。
かなり言葉を選んでいるような慎重な語り口は、きっと誠に対する気づかいの顕れ。
捨てられたとは言え香澄は幼馴染。一番付き合いの長い同年代の異性だし、子どもの頃からずっと仲は良かった。
そんな香澄に対する露骨な罵詈雑言を並べ立てられても、それはそれで胸がモヤモヤするだろう。
閑話休題。
香澄は誠を裏切って新しい男に乗り換えた。これはもはや変えようのない事実。
では、寝取り男こと今の彼氏と永遠に関係が続くのかというと、かなり怪しいと言わざるを得ない。
なぜなら、香澄の側に『もともと付き合っていた誠を切り捨てた』というネガティブな実績があるから。
余程のバカでもない限り『自分の意思で誰かを捨てた』ならば『誰かの意思で自分が捨てられる』可能性に思い至るはずだ。
それとも自分は絶対に捨てられないという自信があるのだろうか? その自信の根拠は?
『可愛い』とか『頭がいい』とか『運動神経抜群』とか。あるいは何らかの才能とか。
そんなスペックだけでノープロブレムと言い張れるなら、世の中が著名人の不倫や離婚のニュースで溢れかえるわけがない。
「能力を軽視するつもりはないわ。でも、それだけじゃ足りないと思う」
「……そうかな」
「あくまで私の意見だけどね。それで、新しい男なんだけど」
「香澄と一緒だった先輩は、学校でかなり人気あるよ」
「そりゃ気が気じゃないでしょうね」
身も蓋もないことを言うならば……人気があるということは、すなわち浮気相手に事欠かないということだ。
人様の女を寝取るような不届き者が大人しくしているとも思えないが、浮気経験者の香澄が何を言っても説得力がない。
仮に男が別の女に手を出したことを叱責したところで『お前もやってただろうが』とあっさり反論されて終わり。
今はイケメンをゲットして有頂天かもしれない。でも、夢から覚めたら……次は自分が捨てられる恐怖と戦う番だ。
「男の方もねぇ」
誠から香澄を寝取って悦に浸っている。今は。
少し経てばすぐに気づく。香澄が自分の都合で男を捨てた女であるということに。
自分よりいい男が現れたら……香澄は誠を捨てたように自分を捨てるかもしれない。
芽生えた疑念が晴れることは、おそらくないだろう。
「相手を全肯定したり依存したりするだけが恋愛だとは言わないけど、常に猜疑心に駆られるカップルなんて話にならないわ」
「それは……そうかも」
「しかもすでに手遅れだし。もうどうにもなんない」
サキは『あくまで想像』と前置きしていたけれど……誠の耳にはふたりが遠からず行き着くであろう未来をかなり正確にトレースしているように聞こえる。
いくら昨日まで処女だったからと言って、桃色髪の少女はれっきとしたサキュバスだ。人知を超えた悪魔だ。
種族単位で恋愛百戦錬磨のサキュバスの視点から、香澄たちの将来の見通しは暗いと結論づけている。
「性分って自分ではなかなか変えられないしね」
余程のきっかけでもなければ、今後も香澄は男関係で苦労するだろう。自分の側にも問題があると気付かないままでは猶更だ。
より良い相手を求めるのは自然の摂理だなんて聞こえはいいけど、男を乗り換え続ける恋愛なんて遠からず破たんする。
だって良識のある人間は眉を顰めて距離を置くだろうから。となると後に残るのは……まぁ、あまり幸せな未来予想図ではない。
恋だの愛だのどころか、下手すると人生終了の可能性まである。
『考えすぎかもしれないけれど』なんてとってつけた口振り。何の感慨もなさげなサキの指摘に誠は言葉を失った。
「香澄……」
「いや、そうじゃないでしょ」
サキの指先が俯いていた誠のおでこを突っついた。
「アンタはさっさとそんな不誠実な女のことは忘れなさい」
「……」
「そ・れ・と、もうひとつ」
「……まだあるの?」
胡乱げな眼差しを向けた誠に、サキは大きく頷いて見せた。
むしろこちらが本題と言わんばかりに。
覗き込んでくる眼差しは、真剣な光を帯びていた。
「誠、アンタ今もまだ『死のう』って思ってる?」