第4話 性夜な誘い 前編
今日は2話更新の予定です。
これは1話目。
コートを脱いだサキュバス女子なサキを目の当たりにして、誠は酷い違和感に囚われた。
彼女が悪魔でお尻に尻尾が生えているから……ではない。
好意的に表現するならば慎重、身も蓋もない言い方をすると臆病な誠。
そんな少年にしては珍しいことであったが、『悪魔』を自称する少女に対する恐怖はなかった。
では、いったいどうして戸惑いにも似た感情に翻弄されているかと言えば、この部屋に女の子をあげたのは初めてのことだったからだ。
自室に美少女。何だかドキドキしてきた。思春期男子のひとりとして感慨深いものがあった。
聖夜に悪魔とエンカウントなんて想像の斜め上な超展開は、この際スルーである。
――はぁ、まさかこんな日が来るなんて……
以前はここではない一戸建てに住んでいた。誠は生まれて以来中学卒業まで、両親と共にそこで暮らしていた。
香澄は隣に住んでいて、家族ぐるみの付き合いだった。幼いころはお互いの部屋を簡単に行き来していた。
状況が変わったのは中学3年生の夏ごろだっただろうか。神妙な顔をした両親に呼ばれて告白された。
『卒業したら海外に出るつもりはないか』と。
来年の春から両親が海外に赴任することを告げられて仰天。すったもんだの末に誠はひとり日本に残ることになった。
要約すると、せっかく恋人同士になれた香澄と離れたくなかったのだ。そして誠は今の部屋に移り住んだ。
『お前ひとりでこの家は維持できないだろう』とは数年は日本に戻ってくることのない両親の弁で、甘く見られたものだと当時はイラっとしたものの……まったくもってそのとおりだった。
あまり広いとは言えないこの部屋でさえ、清潔を保ち続けるのはひと苦労なのだ。いくら思い出の詰まっている家であっても、あそこでひとり暮らしはない。
付け加えるならば……香澄に浮気されて捨てられた今となっては、あんなところにいなくてよかったと胸を撫で下ろしたくなる。順序が後先ではあるけれど。
あの当時は恋人に浮気されてフラれる未来の到来なんて想像してもいなかった。つくづく世の中というのは思いどおりに行かないものだ。目頭が熱くなった。
「ん? どうかした?」
「なんでもない。えっと……サキさん」
「サキさん?」
物珍しそうに部屋を見回していた桃色髪の少女が怪訝な眼差しを向けてくる。
わざとらしげに語尾を上げてくる意図がイマイチよくわからない。
そもそも誠は香澄以外の女子とはあまり話したことがない。
ごく一般的なコミュニケーションの段階で、すでに圧倒的経験不足を露呈していた。
どうやら機嫌を害したようではあるが、理由に思い当たるところがない。
「……おかしかった?」
訝しげな誠の視線を受けて、今度はサキが首をかしげている。
『腑に落ちない』と少女は全身で物語っていた。
「おかしくはないけど……距離を感じるってゆーか」
「出会ったばかりなんだから、これくらいだと思うけど」
「そう? う~ん、言われてみるとそうかも、みたいな?」
――呼び捨ての方がよかったのかな?
サキとの距離感がうまく掴めない。
この少女、実に馴れ馴れしいというか……不快感はないのだけれど、とにかく心理的な間合いが独特だ。
数少ないとは言え誠が今までに出会ってきた女性とは、あまりにタイプが異なる。
16年の人生経験がまるで役に立ってくれない。ため息のひとつもつきたくなる。
他の男子ならもう少しうまく立ち回れるのだろうか。尋ねようにもサキの目の前でスマートフォンを弄ることは躊躇われた。さすがにそれはマナー違反だろうから。
そもそも人間と悪魔という種族の段階で全然別物だから、意見を募っても参考になるかは不明だ。
益体もない思考なんて、さっさと打ち切るべきだと判断した。問題は目の前で発生しているのだ。猶予などない。
「あ、ああ……それはまぁ、そうなんだけど……それよりさっきの話」
「えっちする」
「そっちじゃなくって」
「なんですって!?」
サキの眉が斜めに跳ね上がり、にこやかだった雰囲気が吹っ飛んだ。
それでも彼女の可愛らしさは、ほんのひと欠片も損なわれない。
なぜだろうと疑問を覚え、すぐに結論が出た。
表情だ。サキの表情にはネガティブな気配がない。
見下したり、嘲ったり。そういう感情はどこにも見当たらず、代わりに純粋な怒りが浮かんでいた。
……余計に質が悪い気がした。なぜなら原因がわからないから。
「私とするために誘ったんでしょ! 恥かかせないでよ!」
頬を紅潮させた桃色髪の少女は、大粒の瞳の端に涙を浮かべている。
彼女は怒っているわけではなかった。怒りを通り越して悲痛の領域に到達している。
手を出さないことが失礼に当たるのではないかと思わされるほどに。
いったい何が彼女をここまで駆り立てているのだろう?
誠は理解に苦しんだ……にもかかわらず、口を突いて出たのはデリカシーのない言葉だった。
「誘ったって言うか、連行された記憶があるんですがそれは」
「君って記憶力に致命傷レベルの欠陥あるんじゃないの?」
「いや、それはない」
ポケットに突っ込んでいたままの手を引き抜いた。
眼前に迫ってくるサキを開いた両の掌で制する。
ぶ~っと頬を膨らませた桃色髪の少女は、次の瞬間何かを察したようで……密やかな声で尋ねてきた。
ふたりきりしかいない部屋。誰に聞かれるというわけでもないというのに。
「ひょっとして君ってイン……」
「違うから」
「じゃあ……ゲイだったりする?」
「それも違うから」
「強情ねぇ……君ってえっちなことに興味ないの?」
――何でこんな目で見られなくっちゃいけないんだ?
理不尽な怒りで頭が痛くなってきた。
いつの間にかサキが誠から距離を取っていたことに気付かされて余計にムカついた。
少女の紫眼に浮かぶ感情は『ごめんなさい』→『可愛そう』→『理解できない』と推移していった。
あくまで誠からはそう見えただけなのだが、多分間違ってはいない。
そして、どれもこれも的外れすぎる。開いた口が塞がらないとは正にこのこと。
相手が男だったらリアルファイトに発展してもおかしくないレベルの侮辱だった。
……まぁ、誠は喧嘩の類は苦手なので、バイオレンスに発展することはないのだけれど。
「いや、興味はあるよ。普通にある」
「だったらいいじゃない。何が不満なの?」
「不満って言うか、どうしてサキさんはそこまでヤリたいのさ?」
「どうしても何も……私ってほら、サキュバスだし。男の生気を貰わないと生きていけないの」
「なるほど」
むやみやたらと性に奔放というわけではなく、種族的な性向あるいは生存本能の類ということらしい。
そう言われれば素直に納得できる。できれば始めからちゃんと説明してほしかった。
モヤモヤした思いを抱えながらジト目でサキュバス少女を見つめていると、鮮やかに色づいた唇がふいに開かれた。
「君ってさぁ、死にたいんでしょ?」
唐突に放たれた言葉の矢にいきなり図星を指されて、誠は硬直した。
隠していたはずの感情を指摘されたことに、言いようのない羞恥を覚える。
矛盾していた。死ぬつもりなら羞恥もクソもないはずなのに。でも……これは理屈ではなかった。
「だったらなんなのさ?」
動揺を隠せぬままに発した声は刺々しいものとなった。
そんな誠の胸中を知ってか知らずか、サキの反応は実にそっけない。
「別に。ただ……」
「ただ?」
すっと間合いを詰められて、白くて細い指が誠の顎を撫でてくる。
くすぐるような、もどかしい感覚に背筋が震えた。
「どうせ死ぬつもりなら、その命を私に頂戴。かわりに最高の快楽をあげるから」
それは間違いなく悪魔の囁きだった。




