第2話 クリスマスイブの出会い
本日第2話目です。
街はクリスマス一色に染まっている……はずだった。
どこからともなくクリスマスソングが流れてきて、ミニスカサンタが客引きをして。
道行く人々はどこか浮ついていて、そしてみんな幸せそうな顔をしていた。
そんなカラフルでビビッドな街を、ひとり歩いていた。
モノクロの街を。白と黒と灰色。それが誠の世界だった。
吐息が白い。寒いはずだ。でも、何も感じない。
繁華街をトボトボと通り過ぎて公園のベンチに腰を下ろした。
昨日の破局以来、誠の記憶は断線気味で曖昧なままだ。こうしている今も、まるで現実味がない。
途切れ途切れの記憶を辿ろうとすると恋人だった幼馴染の顔が思い出されて、そのたびに脳みそがシャットダウンされる。
ずっと、ず~っとその繰り返しだった。
★
誠と香澄の付き合いは、それこそ物心ついたころからのものだった。
お隣同士で同い年だったから、性別の差はあまり問題にならなかった。
幼稚園・小学校・中学校とふたりは何の因果か同じクラスだった。腐れ縁とも言う者もいた。
中学校時代までの香澄は、どこにでもいるごくありふれた……と言うよりも地味な少女だった。
控えめで優しい性格をしていたが気が弱いところがあって、揉め事に巻き込まれることが多かった。
『揉め事』というのは曖昧な表現で、要するにいじめの標的だった。
見捨てられるはずがなかった。家族ぐるみの長い時間を共にしてきた、大切な幼馴染なのだ。
何度でも助けに入っていた。悲嘆と怨嗟に泣き濡れる彼女の傍にずっと寄り添ってきた。
その結果として誠までいじめに巻き込まれたが――後悔はなかった。
誠が香澄への好意を自覚したのはいつ頃だったのかは、実際のところ思い出せない。
ふたりだけの世界で、ふたりで一緒にいて、一緒にいるのが当たり前だと思っていて、気が付けば目が引き寄せられるようになっていた。
ひとつひとつの仕草が可愛らしく魅力的に見え、心が千々に乱れて『なんなんだいったい?』と悩むこと暫し。
それが恋心であると理解したのは中学2年生の夏。以来どうするべきか頭を捻り続けること約1年、中学3年生の冬にようやく想いを告げた。
告白の瞬間のことは、今でも鮮明に思い出すことができる。
全身の血が沸騰し――中でも頭はグラグラと茹ってまともにモノを考えることなんてできなかった。
バクバクと鼓動を打つ心臓が破裂してしまうのではないかと恐々としながら返事を待った。
答えが欲しくて、でも聞きたくない矛盾した胸中。沈黙が怖くて、いっそ殺してくれとさえ思った。
『ありがとう。私も誠ちゃんのこと……好き』
香澄の小さな声がOKの返事であることを理解するのに、ほんのわずかな時間を要した。
理解した途端、足元がフラフラフワフワと定まらず浮かび上がるような感覚に驚きを覚えた。
総身を包む圧倒的なまでの幸福感。視界のチカチカも胸のドキドキも止まらなくて。
すっと差し出された香澄の手を取ったとき、この世のすべてに感謝したくなった。
浮気されて捨てられた今となっては、すっかり色褪せた記憶。
あの言葉をくれた当の本人に踏みにじられて、蜘蛛の巣のようにひび割れた思い出。
木っ端みじんに砕かれた初恋の残滓が、胸の奥で鈍い痛みを訴えている。
★
自分たちの関係は、どこからおかしくなったのだろう?
誠は自問する。
香澄は高校入学に際して猛烈な自己改革を行った。
眼鏡をコンタクトに代え、三つ編みだった髪にストレートパーマをかけた。
メイクを覚え、姿勢を正すようになった。
言葉遣いを改めて、ファッション雑誌を読み漁った。
容姿から何から徹底的な、あるいは執拗なまでの変革。
それは……虐げられていたかつての自身に対する憎悪すら感じさせるほどのものだった。
彼女の執念は実を結んだ。さなぎが蝶に羽化するように、またたく間に変化した。進化と言ってもいいくらいだった。
地味な一般人Aからクラスのヒロインへ、そして学校のアイドルへ。一足飛びに階段を駆け上がっていく。
多くの人間が彼女と積極的に言葉を交わすようになり、最後のウィークポイントであったコミュニケーション能力の欠如すら克服してみせた。
誠は一部始終を傍で見ていた。そして香澄の成長を我が事のように喜び、言祝いだ。
……次第に彼女との距離が開いていくような気がした。怖かった。でも、その不安を口にすることは憚られた。
――僕は、どうすればよかったのだろう?
答えは出ない。
グルグルと同じところを回り続けているような、気持ち悪い感覚。
足元がずぶずぶと沈み込み、闇に飲み込まれそう。
ふと、頬に冷たさを感じた。雪だ。
「ホワイトクリスマスか……」
ポツリと呟いた。
見上げると漆黒の空からハラハラと舞い降りる白が泣き濡れた目に眩しい。
ロマンチックなシチュエーションは、今の誠にとって何より残酷だった。
「死のう」
その言葉は、恋人の浮気現場を目撃して以来ずっと胸の奥にあった。冷たい涙が頬を伝った。
悍ましいものを見せられて壊れかけていた心に、あまりにもきれいな光景が殊更に深く突き刺さった。
ごくごく自然に最期の言葉が喉を通って口から零れ落ちた。つっかえるところはまったくなかった。
裏切られ、嘲笑われた。誰よりも大切だった人に尊厳を否定された。生きている意味を失った。
――どうやって死のう?
死ぬにしても、できるだけ苦しくない方法がいい。他の人に迷惑をかけるのも嫌だ。
仕事の関係で海外にいる両親には申し訳ないとは思ったけれど、ここから奮起する気力はまるで湧かなかった。
絶対的な終焉すなわち死だけが、今の自分にとっては救いであると信じて疑わなかった。
……そんなことばかり考えていたものだから、すぐ傍に接近してくる存在に気が付かなかった。
「ねぇ、そこの君」
「……」
「そこのカワイイ顔した君ってば!」
「……」
「ちょっと、無視しないでよ!」
「え? ああ、僕のこと?」
「そう、君よ。ラブラブカップルだらけのクリスマスイブに死にそうな顔をしてる君!」
顔を上げた誠の目に飛び込んできたのは、ひとりの少女だった。
少女の姿を見て衝撃を受けた。
――色が、ついている。
まず目を惹かれるのはピンクブロンドのツインテール。サラサラで艶々で漆黒の夜に映える美しい髪だった。
次いで少女の格好。一応コートを羽織ってはいるものの、慎ましやかな胸と腰を黒いラバーで覆っただけ。コスプレか何かだろうか。
シミひとつない白いお腹も脚も丸出しだ。大胆に露出された肌に心ときめかせるよりも、寒そうだなと他人事ながら心配になってくる。
そしてようやく顔に目が向いた。
この少女、とても可愛らしい顔立ちをしている。
ほんのり釣り上がった目は猫を思わせた。大粒な紫色の瞳が神秘的だ。
すーっと通った鼻梁に、ピンクに色づいた唇。
メイクは薄いように見受けられるけれど……ナチュラルに顔の造りがいい。
余計な装飾は不要と言わんばかりの絶対的な自信のほどがうかがえる。
桃色、紫色、白に黒にとコントラストが激しい外見なのに――実に自然な佇まい。違和感ないことが違和感あるという矛盾。
失恋の苦しみと行き過ぎた寒気が見せる、マッチ売りの少女的な幻覚かと疑ったものの……それはありえないと即座に否定した。
彼女は確かにそこにいる。問答無用に実在を確信させる圧倒的な引力を感じた。
雪降る闇夜に少女は輝いていた。
「ね、いま暇?」
耳に心地よい声。
聞いているだけで頭の奥が甘く痺れる。
誠は、自身を苛んでいたあらゆる苦しみを忘れた。
少女の声はそれほどに官能的で陶酔感溢れる体験だった。
「忙しそうに見える?」
自分の声で耳朶を打ち、どうにか現実に踏みとどまった。
雪降る夜、公園のベンチにひとり腰かけて俯いていたのだ。
彼女の言うラブラブ(以下略)なクリスマスを堪能しているようには見えなかろう。
もちろん勉強や仕事に翻弄されたりSNSで愚痴を吐いているようにも見えないだろう。スマートフォンはポケットの中にある。
つまり暇だった。たとえ心が絶望に支配されていても、暇であることは厳然とした事実だった。
「見えないけど、礼儀として尋ねてあげたの」
クリスマスイブだし、ひょっとしたら誰かと待ち合わせしてるかもしれないしね。
何気なく付け加えられたその言葉が、誠の胸を強かに抉った。
「待ち合わせ相手なんていないよ」
自嘲に塗れた笑みを浮かべると、少女も笑みを返してくる。
ただし、少女の笑顔はやや挑発的な色合いを含んでいた。
それが――まったく不愉快ではない。むしろ、とてもよく似合っていると感心させられる。
「そうなの? 誰ともデートもしないのにイブの夜に街を歩いてたわけ?」
寒いんだから、独り身だったら家に籠っていればいいのに。
少女の言葉はまったくもってそのとおりで、反論の余地もなかった。
だからこそ……つい反駁したくなった。要するに癪にさわったのだ。
自分も他人も、何もかももうどうでもいいと儚んでいたにもかかわらず。
あらゆる感情が鈍く重く沈滞していた誠の心が、かすかに動き始めた。
「別にいいだろ。イブだからぼっちは引き籠ってろだなんて横暴だな」
「いや、別に私はぼっちだなんて言ってないけど……まぁいいわ。君、ひとりなのね?」
「他に誰かいるように見えるのなら、今すぐ病院に行くことをお勧めするよ」
つっけんどんに言い放ってみても、機嫌を害した様子はない。
むしろ『それはいい話を聞いた』と言わんばかりに笑みを深めた。
何を考えているのかよくわからない少女だった。
「ふ~ん、ひと言多いけど……悪くないわね」
「悪くないって、何が?」
「ねぇ君……せっかくのイブの夜に暇してるなら」
「暇してるなら?」
つい今しがたまで死のうと思っていたのに……いつの間にか少女のペースに引きずり込まれて、尋ね返してしまった。
誠の興味が自分に向いたことに『我が意を得たり』と少女は薄い胸を張り、次の瞬間ずいっと距離を詰めてきた。
覗き込まれて至近距離――少女はあざとく上目遣いに見上げてくる。アメジストに似た輝きが誠を捉えた。
「暇してるなら……私とイイコトしない?」
艶めく唇から囁かれた甘やかな声。
暖かな吐息が、誠の頬を撫でた。
本日中にあと1話更新する予定です。




