第14話 胸を灼く思いを、君は
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不発気味だった父親への電話の後もふたりの話し合いは長時間にわたり、ベッドに潜り込むころには昼を過ぎていた。
昼食を腹に収めてまったりゴロゴロしているうちに気分が盛り上がってきて、そのまま……という流れ。
買い物はまた後日ということで話はまとまった。目先の快楽に溺れたとも言う。
「ねぇ」
一戦終えてベッドに横たわった誠は問いかけた。
心地よい気怠さに揺蕩いながら。
「はぁ……はぁ、んッ……な、何? 私、ちょっと休憩したいんだけど」
隣で息も絶え絶えなサキが、声に反応して恨めしげな視線を向けてくる。
この桃色髪のサキュバス、えっちが好きなくせにまるで耐性がない。
ひとつひとつの反応が可愛らしすぎて、ついついやり過ぎてしまう。
薄い朱色に染まった肌に手を這わせると柔らかな肢体がビクンと跳ねる。
そのまま抱き寄せると彼我の距離はゼロになって、お互いに身体を堪能し合う。
「どうすればよかったのかな」
「なんの話?」
怪訝な眼差しを受けて、誠は慎重に言葉を選ぶ。
「……香澄は僕を捨てた。どうしてなんだろうって」
香澄にとって、誠より先輩の方が魅力的であったということではあるのだろう。
では、誠の努力が足りなかったのだろうか。香澄の心を繋ぎとめるための努力が。
……自分では精一杯頑張ってきたつもりなのだけれど。
誠はごく普通の高校生だ。容姿、学力、運動神経、財力その他もろもろ。
どこまで言っても平凡な男子に過ぎず、上を見ればきりがない。
「努力って言われても、どうすればよかったのかな」
香澄に未練なんてない。
でも、今後も同じことを繰り返すかもしれない。
誠には何かが足りなくて、どうやって補うかもわからない。
そう考えてしまうと暗澹たる思いに囚われてしまう。
「ああ、その話」
サキは香澄にまつわる話と認識したようだ。
「元カノのこと、気になる?」
サキは異なる解釈をした模様。
とりあえずは誠もその流れに乗ってみる。
取っ掛かりを掴まないと話しづらい内容だ。
「気にならないと言えばウソになる」
「そう。でも、前に話したとおりよ。苦労するだろうし……」
「だろうし?」
「そういうのは性分だから。自分で気づくのは難しいし、変わるのはもっと難しいと思う」
香澄は男を乗り換えた。サキは、そんな彼女は自分自身に振り回されるだろうと予言した。
優秀な異性を求めて目移りし、どんどん乗り換えていく。端的に言えばトラブルメーカーだ。
元からそういう資質を持っていたのかまではわからないが……高校デビューを機に、かの幼馴染は変貌してしまった。
だから、誠はもう関わるべきではない。
言外にそう匂わせている。誠としても否やはない。
浮気者の元カノは、この話題を俎上に載せるフックに過ぎない。
「……サキさんは、どうなの?」
本題はこちらだ。
サキはえっちは大好きだが性的嗜好はノーマルで、誠と契約している間はほかの男とはしないと言っていた。
本能的な欲求を『契約』という形式――理性で抑え込むことができるのだろうか。
誠とサキはあくまで『契約』による関係に過ぎないというのに、どうしても気になる。
『共同生活を営む仲だから』と胸の内で言い訳する。情けないとは思うが、尋ねずにはいられなかった。
「ん~、私? そうね、私だったら」
「サキさんだったら?」
何気ない素振りで探りを入れる。
第三者から見れば、かなり露骨だっただろう。
問うた誠も、問われたサキも気づくことはなかったが。
「う~ん、好きな人をほかの男と比べるって不毛」
実に模範的な回答だった。
全員が全員そう答えることができるなら、恋のトラブルで涙する人間はもっと少なくなるのに。
理想的ではあるものの、現実的ではないような気がする。
まぁ、恋愛経験がほとんどない誠には、そのあたりを指摘する勇気はなかった。代わりに問いを重ねる。
「そんなにあっさり割り切れるの?」
「どうかな。実際にそういう状況になってみないとわかんないかも」
「ふぅん」
体験したことがないからわからない。
当たり障りのない言葉で、はぐらかされたようにも聞こえる。
もう少し深いところまで知りたいという欲求が消えてくれない。
急き立てられた誠が口を開くより早く、サキが言葉を紡ぐ。
「でも、私の都合で大切な人に無茶させたくないな」
「相手の方が変わりたがっていたら?」
思わず口にしてしまった。焦り過ぎだ。遅まきながら『しまった』と悔やんだ。
自分とサキはそういう関係ではない。いったいどんな答えを期待しているのか。
桃色髪のサキュバスが誠の顔を覗き込んでくる。
すべてを見通すアメジストの輝きが、近い。
背筋を冷たい汗が流れる。そっと眼前の少女から視線を逸らせた。
無理だ。この眼差しからは逃げられない。
「そんなこと言うってことは……変わりたいの、誠?」
「……うん」
ウソは付けなかった。
香澄に裏切られたことは悲しかった。
同時に情けなかった。自分が、情けなかった。
恋人を奪われた自分が。不貞を働かれても何も言えない自分が。
誰よりも何よりも、誠は自分自身が許せなかった。
「悔しいんだ。あそこまでされて、僕は……僕は……」
中学校までだって辛いことはあった。
極力トラブルに関わらないよう、息を潜めてやり過ごしてきた。
揉めたり喧嘩したり、誰かを憎んだり貶めたり。そういう悪意を忌避してきた。
何があってもずっと耐えてきた。それが最善と信じていた。
『争いは何も生み出さない』と自らに言い聞かせてきた。
誠はどこにでもいるごく普通の男子に過ぎなくて、特にこれと言って秀でた部分がなかった。
だから自信なんて全然持てなくて、周りに対してもあまり強く出ることができなくなっていった。
何もかも受け身に回ることに慣れ過ぎて、それに違和感を覚えることもなくなって……結果、浮気という最悪の形で恋人を失った。
今のままではダメだ。
見通しの立たない我慢は何の解決にもならないと思い知らされた。
周りに流されて弄ばれて、大切なものが奪われていく。掌から零れ落ちていく。
あんな体験は二度と御免だった。できれば……もっと早く気づきたかった。
不甲斐ない自分に対する怒りで目頭が熱くなり、奥歯を噛みしめた。サキを抱く腕に力が籠る。
「誠」
「サキさ……んむっ!?」
名前を呼ぼうとして、言葉を最後まで口にすることはできなかった。
歪に震える誠の唇に、サキは自分の唇を重ねてくる。
柔らかく瑞々しい感触。水音が耳ではなく脳みそに直截叩き込まれる。
食いしばっていた歯がノックされた。アメジストの半眼が睨んでくる。
『黙って開けろ』と言われている気がして、素直に降参した。
たちまち舌が潜り込んできて口内を舐めまわしてくる。
蹂躙と呼んで差支えないほどの勢いで、負けないように誠も舌で応戦する。
ふたりの舌が絡み合い、お互いの頭の中をかき回しているような快感を覚えた。
「ん……」
「んぅ……む……」
誠の頭にサキの手が回されて強く押し付けてくる。お返しとばかりに誠もサキをホールドする。
そのままの体勢でしばらくディープな口づけを交わし合い、離れた。
サキュバスの少女は息を整えて誠の顎に手を添え、耳元でそっと囁く。
顔に桃色の髪がかかり、甘い吐息が鼻先を掠めた。
「どう? 少しは落ち着いた?」
「落ち着くっていうか、火が付いたんだけど」
「ばか、えっち。でも、そっちのほうがいいわ」
信じていたはずの恋人に裏切られてから、まだ数日。
誠の心は誠自身が考えているよりも、深く傷ついている。
あらゆることに懐疑的になるのも無理はない。生きているだけでも十分頑張っている。
サキ曰く『そこまで焦る必要はない』とのこと。
「でも……」
どうしても誠は楽観的に考えることができない。
俯いた頭と胴体の間、首筋にサキの手が巻き付いていく。
顔を上げると、間近に煌めくアメジストの輝きが眩しかった。
「だったら……育ててあげる。磨いてあげる」
失恋から立ち直って、歩き出せるように。
自信を持って胸を張れるように。余所の男に負けないように。
『私に任せなさい』と、サキュバスの少女は飛び切り蠱惑的な笑みを浮かべた。




