第10話 甘い夢の裏側で
皆様、お読みいただきありがとうございます!
今回は香澄視点です。胸糞注意!
分割したくなかったので、長めになります。
鏡に映った自身の姿を見るたびに香澄は大きな満足感に包まれる。
磨き上げられた容姿は努力の集大成であり、心身ともに自分を支える屋台骨でもある。
(私は変わった)
高校に入学するにあたって香澄は変わった。
『変わった』などと言う表現では収まらないほどの猛烈な変革を求め、成し遂げた。
幼いころから自分のことが嫌いだった。
根暗で引っ込み思案で、周りの人間の顔色を窺っていないと落ち着かない。
友達なんてほとんどいなくて、話し相手と言えば隣に住んでいた腐れ縁の幼馴染だけ。
その幼馴染――誠から告白されたときに香澄の胸を満たしたのは、歓喜ではなく安堵だった。
『ああ、自分はひとりぼっちじゃない』
中学校生活において彼氏彼女の関係というものはレアリティが高い。
恋の話が始まれば男も女もソワソワし始める年頃だ。憧れを持つ者も少なくない。
そんな中、自分には告白してくれる男子がいて実際に交際している。
周囲より一歩抜きんでる優越感は、しかし根本的な解決には至らなかった。心が満たされない。
なぜなら……恋人という関係になったにもかかわらず、香澄の世界は何も変わらなかったから。
単に『幼馴染』という肩書が『恋人』に置き換わっただけ。
それが香澄と誠の交際だった。不満は燻り続けた。
漫画やラノベだったら告白なんて一大イベントに遭遇すれば、人生がぱあっと開けるのがお約束なのに。
フィクションは所詮フィクションでしかなく、そんなものはどれだけ摂取しても一時の心の慰めにしかならない。
『変わらなければならない』
誰かに変えてもらうのを待っていてはダメだ。白馬の王子様なんていない。
自分の人生は自分で切り拓かなければならない。もはや強迫観念に近い激情だった。
決意を固めた頃には、既に中学生活も半ばを過ぎていた。
機会を逸してはならないという思いがあった。
大きく生活が変更し得るタイミングは高校入学か、あるいは大学か。幸か不幸か引越しをする予定はなかった。
大学進学は進路次第で従来の人間関係そのものをリセットし得るというメリットがあるものの、あまりに遠い。
そこまで待つとなると、青春の大半を棒に振ることになる。とてもではないが我慢できるものではなかった。
変わるならば、高校だ。
志望校に合格するや否や、香澄はさっそく行動を開始した。
自分の気に入らない部分をとことん矯正しようとしたら、残るものは何もなかった。
それでも別に構わなかった。過去の自分など惜しむものではない。
容姿、所作、口調、話題、趣味、その他ありとあらゆる分野に及ぶ自己改造。
受験そのものよりも熱心に取り組んだ改革は、ギリギリで入学式に間に合った。
突貫工事の高校デビューは大成功。入学初日から、香澄はクラスのアイドルになった。
スクールカーストの頂に足を踏み入れると、俄かに人が集まってきた。
いずれも中学校までは遥か高くに仰ぎ見るだけだった上位の存在。
その中に自分が違和感なく溶け込んでいることに快感を覚えた。
そして、彼らとの交流は新しい世界へのパスポートであると知った。
目の前に次から次へと未知の世界が広がり、自身を更なる高みへ押し上げてくれる。
誠との交際ではついぞ味わうことのできなかったものが、そこにあった。
一方で香澄は地道な努力を怠らなかった。学業、運動、オシャレ、コミュニケーションなどなど。
アップデートは永遠に続けなければならない。手を抜いたら一気にカーストを滑り落ちて底辺に逆戻り。
最下層から空を羨む苦い経験を持つ香澄は、薄暗い地下世界に戻るつもりなど毛頭なかった。
だと言うのに……
「アイツ……どこまでも足を引っ張ってくれる」
鏡の中の顔が歪む。脳裏に浮かんだのは幼馴染兼(一応)恋人だった誠だ。
告白された瞬間、確かに香澄は幸福であった。でも……その日以来、いいことなんてなかった。
今の香澄を作り上げたのは、あくまで香澄自身の努力の成果。誠なんて何の役にも立っていない。
だからと言って香澄の方から別れを切り出したら外聞が悪い。あの幼馴染には大きな失点がない。
ズルズルと続く関係にはウンザリさせられていた。
香澄にとっての誠とは、物心ついたころからの自分を知る存在。すなわち黒歴史の象徴。
自分は血の滲むような努力によって現在の地位を手に入れたのに、彼氏面しているだけで恩恵に預かっているズルい奴。
それが余計に腹立たしい。
(どうして何もしないの、あのバカ)
理解できなかった。
侮られて嘲笑されて、どこかの誰かの気まぐれで事あるごとに虐げられ、あるいは見向きもされない日陰の存在だった香澄と誠。
同じ辛酸を舐めた者同士なのに。灰色の学校生活に嫌気がさして空へ手を伸ばした香澄からすると、誠の怠惰は許しがたいものだった。
クラスのアイドルである自分との関係――幼馴染にせよ、中学時代から続く彼氏という地位にせよ――しか取り柄のない愚図。
ただそれだけの幸運に縋ってスクールカーストという熾烈な競争世界から引っ張り上げられた男。それが誠に対する香澄の評価だ。
(そんなの……ただの寄生じゃないの。最ッ低!)
多くの人間に関わるようになるほどに、取り柄もなく努力もしない幼馴染に対する苛立ちが募った。
才人集う世界でウロチョロする冴えない男は、たったひとりで浮いていた。
あれが彼氏だなんて堪らなく恥ずかしかった。
高校に入ってできた友人たちからも、何度となく苦言を呈された。
それは一度や二度ではないし、ひとりやふたりでもない。つまりある程度の共通認識なのだ。
だから――いずれどこかで切り捨てるつもりだった。今まではその機会がなかった。
そんな折に、アレだった。
かねてより逢瀬を重ねていた学校の人気者とのデート現場を、誠に目撃された。
よりにもよってラブホテルから出たところ。言い訳のしようもない。常識的に考えれば最悪の展開。
誠が言いふらすか、あるいは口を滑らせでもしたら……香澄がこれまで築き上げてきた世界が根底から崩されかねない。
油断していた。失態であった。
でも……すでに起きてしまったことを、いつまでもグダグダ考えていても始まらない。
ピンチではあることは間違いない。それは認めなければならない。
しかし同時にこうも考えられる。ピンチなら――乗り越えればいい。
「……バレたものは仕方がない。前向きに考えましょう」
香澄は努力の正しさを信じている。誰よりも努力してきた自負がある。
積み上げてきた努力は自信となる。窮地にあって強く背中を押してくれる。
信じれば、願いは叶うのだ。叶えるのだ。弱気になっている場合じゃない。
誠との腐れ縁を断ち切って次なるステージを目指す。そういう好機ととらえよう。
(こんなところで終わってたまるものですか!)
誠が昔の香澄を知るように、香澄も誠という人間を誰よりも知悉している。
ラブホテルから他の男と出てきた恋人を目撃しても、何もできない無力な子ども。
咄嗟に強気に出て誠の心に深い杭を打ち込んでおいた。しばらくはまともにモノを考えることもできないだろう。
きっと今頃ショックのあまり『死のう』とか真顔でわめいているに違いない。無様な姿が目に浮かぶよう。
まかり間違っても反撃なんてできるはずがない。アイツの軟弱な気質はそう簡単に変わるものではない。
「このままフェードアウトしてくれれば言うことなしなんだけど……」
さすがに虫が良すぎると自嘲した。
口では『死のう』とほざいていても、あの臆病者にそれを実行するだけの勇気はない。
消えてほしいとは思うけれど、死んでほしいわけではない。
変な方向に思い切られて想定外の行動をとられると厄介だ。
「打開策……何かヒントが欲しいわね」
ベッドに倒れ込んでスマートフォンを弄る。
情報収集は現代社会を生きる上での必須スキル。
頂点に登りつめても、香澄は決して手を抜かない。
掌にすっぽり収まる小さな窓から垣間見る世界、インターネットは今日も平常運転。
バカがバカやって炎上し、どこからともなく現れた顔のない正義マンたちが寄ってたかって私刑に興じている。
珍しくもないその光景を眺めていると――香澄の脳裏に閃光が奔った。
「そっか、これだ」
声に出すと思い付きは確信に変化した。行ける。
事ここに至った以上、もはや誠は速やかに排除しなければならない。
それは香澄が有意義なハイスクールライフを送る上でのマストである。
でも自分が直接手を汚すのはアウト。論外。
だったら……他人にやらせればいい。
あの鈍臭い幼馴染が高校生活をそれなりに謳歌できていたのは、ひとえにクラスの女王である自分との関係があってこそ。
もはや形骸化していたとはいえ、香澄の彼氏にちょっかいをかけるクラスメートはいなかった。
その関係は終わったのだ。ちょっと火種に風を送ってやれば、あとは勝手に燃え上がるだろう。
香澄の庇護を失った誠なんて、たいして時間を取ることもなく視界から消えてくれるに違いない。
誠を追い詰めて心を折って破滅させるのは、香澄以外の誰かでなければならない。
自らが表立って派手に動いて、誰かに気取られでもしたら目も当てられないから。
「さて、ネタはどうしようかしら?」
しばしの間、沈思黙考。
香澄が被害者で、誠が加害者となるシチュエーション。
それも、なるたけセンセーショナルなものが望ましい。
誰もが躊躇いなく正義マンにクラスチェンジできるほどの強烈なインパクトのあるトラブルがよい。
……のだけれど、
「難しいわね……」
誠という男は愚鈍でヘタレではあっても、同時に大半の人間にとって人畜無害な存在でもある。
分不相応な恋人を持つことに反感を持つ男子はいるだろうが、それだけの理由では期待するほどの効果は望めまい。
つくづく祟ってくる。香澄の幸福な人生に圧し掛かる子泣き爺みたいな男だ。煩わしいにも程があるだろうに。
苛立ちながらも飛んでくるメッセージに目を通してレスを返す。眉を寄せて知恵を絞り続け――ついにたどり着いた。
求められているのはコペルニクス的転回。逆転の発想。ならば身近にちょうどいいネタがあるではないか。
リスクはある。でも、やられる前にやるしかない。賽は投げられたのだ。座して死を待つより、死中に出でて活路を見出そう。
「これでいいわ。さようなら、誠」
スマートフォンのディスプレイに指を滑らせる自分の顔を、香澄は目にすることはなかった。
胸糞描写難しいです。
後で弄るかもしれません。