第1話 破局
新作を始めます。
本日は3話更新予定です。
これが1話目。
「あ~あ、バレちゃったか」
悪びれないその声は、いっそ残酷なまでの響きを帯びていた。
誠は『ウソであってくれ』と一縷の願いを込めて、目の前の少女に再び問いかける。
「な、なぁ香澄、お前、どうしてこんなところに」
いるんだ?
途切れ途切れになりつつも何とか口から絞り出した言葉は、フンと鼻で嗤われて遮られた。
嘲るような、見下すような目つき。歪に吊り上がった口元。
自分に向けられているにも関わらず『とても醜悪な表情だ』と他人事のような感想を抱いた。
だって……誠にとって今の香澄の姿はあまりにも非現実的だったから。
その黒曜石を思わせる大粒の瞳も、リップで艶めかしく色づいた唇も。
白磁を思わせる滑らかな肌も。星が輝く夜空を思わせる艶やかなロングストレートの黒髪も。
何もかもが昔からよく知る幼馴染そのものだった。でも……誠の記憶にある彼女とはまるで一致していない。
誠と香澄は物心ついたころからの付き合いだ。今は同じ学校、同じクラスの一員で、これまでもずっと一緒だった。
香澄は校内はおろか近隣でも顔と名前を知らない者はいないほどの美少女で――誠の恋人だった。
対する誠は……まぁ、どこにでもいる普通の高校生男子にすぎなくて、それでもふたりは恋人だった。
恋人になってすぐ『お互いに隠し事はなしにしよう』と誓い合った。そのはずなのに――
彼女がそんな顔をしているところは一度たりとも見たことがなかった。
ショックのあまり意識が飛びかけて……ふと、気づいた。気付かされた。
香澄の隣には男が立っている。背の高い甘いマスクの男だ。見覚えがある。
確か同じ学校の3年生だったはずだ。女子に人気があるという噂は誠も耳にしたことがあった。
男の手は香澄の肩に回されていて、『この女はオレのものだ』と言わんばかりに抱き寄せている。
ここは……とある街の路上であった。幸か不幸か人通りは多くない。
周りにそびえ立つのはちょっと派手なホテル――端的に言えばラブホテル。
時は冬休みを目前に控えた12月23日。つまりクリスマスイブの前日である。
なぜそんなところに一介の高校生に過ぎない誠がいるかというと……これは明日のデートの下見であった。
クリスマスイブに恋人とデートして、いい雰囲気になって、そして――ふたりの関係をもう一歩進めたい。
不純ではあるけれど年頃の男子としてはごく普通な動機を抱いて現地調査に訪れた矢先のことであった。
片手で弄っていたスマートフォンに表示された情報と見比べていたラブホテル。そのひとつから当の恋人――香澄が自分以外の男と出てきたところを目撃したのは。
咄嗟に隠れようとして、できなかった。衝撃のあまり身体が動かなかったのである。
香澄は男とふたりきりの世界を作っているように見えたけれど、彼女は視線を動かした際に立ち尽くしている誠に気が付いてしまった。
しばし見つめ合い、お互いに沈黙。そして、香澄が口走ったのが先ほどの言葉だった。
「『バレちゃった』って、お前、それは……」
「……アンタバカなの? この状況、見てわかんない?」
わからないわけがなかった。浮気だ。ラブホテルから男と出てきたのだ。他の解釈を採用するのは難しい。
誠が理解できないのは『彼氏である自分に浮気現場を抑えられたにもかかわらず、香澄はどうしてそこまで堂々としていられるのか』という点だ。
浮気と言うのはもっと隠れてコソコソとして、バレたらもっと罪悪感に陥るものではないのか。
少なくとも、今の香澄のような態度は腑に落ちない。
「香澄はお前みたいな雑魚より俺を選んだ。わかれよ」
「ええ。誠なんかより先輩の方がよっぽど素敵」
黙っていた男が口を挟んできた。すかさず香澄がしなだれかかって甘い声で追随する。
『雑魚』というのが自分のことを指していると気付いて、誠は怒りを覚えた。
その得体のしれない自信にあふれた口調に苛立ち、誰かを蔑むことを当然とする態度に頭の中がスパークしかける。
反論の声を上げようとした誠は――キッと睨み付けてくる香澄の眼差しに口を縫い止められた。まるで咎めるようなその眼。
――どうしてそんな表情ができるんだ?
非現実的で非常識で、非人道的な恋人の振る舞いに打ちのめされる。
動揺は収まるどころか加速し続けていて、誠から思考能力を奪う。
そこに香澄から更なる追撃が加えられる。
「アンタがここに居るってことは、明日のデートの後でそういうことを考えてたみたいだけど……キモイ。思い上がらないで」
誰があんたなんかとするもんですか。
罵倒にして嘲笑。100%の悪意。
ネガティブなキメラ的感情をぶつけられた誠は吐き気を覚えた。
それでも、ギリギリで耐えた。
「いや、ちょっと待って。ここに来たのはたまたまで、僕はそういうことはまだ早いと……」
咄嗟に口走ったはいいものの、これは完全にウソだった。
だから言葉に力は籠らなかった。語尾は尻すぼみで声は震えている。
図星を突かれたので反射的に言い繕っただけ。
もちろんそんな誠の胸の内なんて簡単に見透かされる。
なんだかんだで長い付き合いなのだ。
「はぁ……ウソくさ。言い訳もダサい。単に昔っから隣の家に住んでたってだけで私に目をかけてもらってる陰キャのくせに、サイテーすぎない?」
「なっ!? 僕の告白をOKしてくれたじゃないか。そんな言い方ないだろう!」
告白したのは誠。受け入れてくれたのは香澄。
その時点で両者の力関係は決定づけられていたのかもしれない。
とは言え誠が憤るのはもっともだった。もっとものはずだった。
ただし……そんな道理が通じるのは常識や良識をわきまえた相手に限るのだが。
「中学時代の話でしょ、それ? 高校には周りにいい男がたくさんいるのに、何でこの私がアンタみたいな冴えない根暗なんかと付き合わなきゃならないわけ?」
『ちょっと遊んであげたら調子に乗って、彼氏面ウザい』
『周りの人間と明らかに釣り合ってないのに空気読めてない』
『どれだけ私が恥ずかしい思いをしたかわかってるの?』
『身の程を知りなさいよ、このクズ!』
などなど機関銃のように誠を貶める発言がポンポン飛び出してくる。
そのすべてを正面から食らって蜂の巣にされた誠は、もう満身創痍だった。
とてもではないが反撃する気力もなければ、その機会を見出すこともできなかった。
「か、香澄……」
最後に残された力を振り絞って呼びかけた声は、届かなかった。
傲慢な完全防御フィールドを展開させている香澄は、あっさりとこれを弾き飛ばした。
すぐ傍では男がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。
……寝取った女が元彼氏をフルボッコにしているさまを特等席で観劇するのは、そんなに楽しいのだろうか?
こちらはこちらで罪悪感なんて微塵も感じさせない。ただ圧倒的な優越感と愉悦に塗れた表情。
なまじ顔立ちが整っているだけに、醜悪な性根とのギャップに悍ましさすら覚えるものの、誠にそこまで気にする余裕はなかった。
「ま、そういうことだから。もう終わりにしましょう、私たち。てゆーか、いい加減にして」
「男は引き際が肝心だぜ、後輩クン」
それだけ言い置いて、香澄は男と肩を寄せ合い背を向けて歩き去っていく。
ただの一度も振り向こうとせず、謝罪の言葉を発することもなく。
どこからどう見ても恋人同士。ふたりの仕草からは彼女たちが相応の時間を共にしていたことが窺える。
――いったいいつから? いつから付き合ってたんだ? いつから僕は騙されてたんだ?
疑問は尽きない。
怒りを覚えるよりも、悲しみに満たされた胸が苦しい。
頭の中ではいまだ『これは夢だ』『現実見ろよ』の二大勢力がしのぎを削っている。
しばし呆然と立ち尽くしていた誠は、肌を刺す寒風によって正気に引き戻された。
「香澄……香澄……こんなのってないよ……」
口から漏れる声が濡れていた。震えていた。
頭の中はグルグルで、足元はフラフラ。もう限界だった。
両の眦から零れる涙は留まることもなく、支える力を失った身体は膝から崩れ落ちた。
アスファルトから伝わる冷気よりも、心の中に打ち込まれた残酷な言葉が誠を苛み続ける。
あまりに唐突な展開だった。クリスマスデートを楽しみにしていたら、浮気されて寝取られてフラれた。
幼少のころから数えて十数年の付き合いで、告白してからちょうど1年。
誠の初恋は、こうして粉々に打ち砕かれた。
お読みいただきありがとうございました。
本日はあと2話更新する予定です。