竜殺しの英雄
ーーー最も強い魔物は何か。
世の冒険者達にそう問いかけた時、彼らは何と答えるだろうか。
ある者は最上級悪魔と答えるだろう。
またある者は死霊の王と答えるかもしれない。
暴虐の巨人と答える者も少なからずいるはずだ。
その他にも地神の化身や水神の化身と答える者もいるだろう。
それらは確かに強大な魔物だ。
その他の魔物と比べると、隔絶した力を持っている。
だが、最も恐ろしい魔物は何か…と問うと、彼らは口を揃えてこう言うだろう。
ーーー竜、と。
「竜か……ランス達といた時も、流石に見た事なかったな。」
竜は翼を持った巨大な蜥蜴のような姿で、全身を黒い鱗で覆われており、蜥蜴よりもっとゴツゴツしたような感じだ。
体高は十メートル……首を伸ばせばもっとあるかもしれない。
体長も尻尾まで含めれば五十メートルは超えるだろう。
その巨体だけでも脅威なのに、鱗も皮も普通の武器では到底太刀打ちできないほど硬く、鋭い牙や爪も持っている。
更に、膨大な魔力を収束して放つ竜の息吹と呼ばれる技も使う。
竜の息吹を使えば、村程度なら一発で灰塵に帰す事になるだろうが、それだけの攻撃であるために竜としても簡単には使えない技だと言われている。
基本的には人外魔境の谷深くに潜んでおり、滅多に人里に出てくる事はない超希少な魔物だ。
伝統的な物語には最強の敵としてよく出てくる魔物でもあり、その強大な力と併せて、多くの人々に恐れられている。
「竜の息吹を使われたら後ろの人達が危ないしな……息吹を出す前に終わらせよう。短期決戦、出し惜しみはなしだ。」
肩に担いだ魔剣カレトヴルッフに魔力を注ぐ。
『魔力回復』の許容範囲を超えるレベルで魔力を注ぎ続け、俺の体を赤黒い悍ましい靄が包んでいく。
「これが俺の体か……ははっ、今すぐ暴れたくて仕方ない。今なら何だってできる気がする。」
溢れ出る全能感に心身が高揚する。
体を起こした竜が、警戒するように鋭く俺を睨みつけた。
「アークスはこの剣で凶悪な魔物を狩ったんだ。一匹の竜程度、狩れない道理はない。」
カレトヴルッフを正眼に構える。
竜が大きく口を開け、甲高い雄叫びが体を震わせた。
「ふっ!」
踏み込んだ一瞬。
たった一瞬で、俺は竜の眼前まで届いていた。
竜の双眸が見開かれる。
しかし、すぐに俺を噛み砕こうと喰らいついてきた。
「そりゃ!」
迫る竜の牙に剣を振るう。
硬質な音と手に伝わる強い反動。
それを強化された筋力で抑えつける。
「ふっ……しぃ!!」
剣を引いて素早く移動し、竜の横面を捉える。
そしてカレトヴルッフの刃に魔力を纏わせつつ、振り下ろした。
鱗が砕け、剣閃が竜の強靭な肉体を深く傷つけ、鮮血が舞う。
竜は怒りを込めた悲痛な叫びを上げた。
「ふっ……はっ!…おら!…っ!…せりゃ!!」
縦横無尽に駆け回り竜の反撃から身を避けながら、隙を見て斬りつけていく。
竜は絶叫しながら体を激しく動かし、爪を振るって反撃しようとしている。
「しっ!ふぅ!………うぉっ!?くっ!」
竜が体を横に回転させたかと思ったら、巨大な尻尾を撓らせて叩きつけてきた。
慌てて剣を盾のようにする。
「うおぉぉぉ!!」
超強化された体でも吹き飛ばされそうになる中、必死に踏ん張って耐える。
地を削るように押されるが、何とか吹き飛ばされずに済んだ。
竜が諦めて尾を引こうとする。
俺はカレトヴルッフの刃に大量の魔力を注ぎ込んだ。
見ているだけで恐怖を感じるような、禍々しい光が刃に宿る。
「はあぁぁぁぁぁ!!」
竜が尾を引くその前に、不気味に脈打つカレトヴルッフを振り下ろした。
太く強靭な尻尾が断絶する。
竜が一際大きな叫び声を上げた。
「よっしゃ!ぶった斬って……ぐふっ!!」
思わず拳を握って振り上げたところを大きな手で振り払われた。
体は強くなっても体重は変わらない。
しっかり地面を踏み締めて踏ん張らなければ簡単に吹き飛ばされるのだ。
ゴロゴロと地を転がり、全身に凄まじい衝撃が走る。
これ、全力で強化してなかったら体がバラバラになってたんじゃないか。
「ぐっ……くそ、いってぇ……」
肋を押さえながら立ち上がる。
折れてはいないが、罅くらい入ってるかもしれん。
畜生、油断したな。
立ち上がり肩で息をする俺を、竜がギラギラと目を輝かせて見ている。
竜の口から紫の怪しい光が溢れており、煙のような靄が出ている。
「ちっ、竜の息吹か……まずいな。」
超強化した俺でも、流石にあれを食らったら瀕死になるかもしれない。
そう思わせるほどの力を感じた。
ましてや後ろの騎士達ひとたまりもないだろう。
「……やるしかない。」
ここは無理をしてでも決着をつけなければならない。
俺は魔力枯渇しても構わないというレベルで魔力を注ぎ込んでいく。
悍ましい靄が俺の全身を包み、まるで鎧のように纏う。
更にカレトヴルッフの刃に宿る禍々しい光は本来の魔剣の長さを超え、三メートルほどの巨大な剣のようになっていた。
「ここまで一度に大量の魔力を使うのなんて、いつ振りだろうか。」
『魔力回復』でも到底追いつかない速度で魔力が消費されている。
俺の魔力量をもってしても、そう長くは保たないだろう。
龍の口からチラチラと強烈な光が漏れている。
竜の魔力が溜まりきる前に、俺の準備が整った。
「すぅ……ふぅ………ふっ!」
深く呼吸をし、体を弛緩させる。
そして一瞬で全身に力を漲らせ、巨大な竜に向かって駆け出した。
竜がギラリとこちらを睨み、顔を反らす。
そして、大きく口を開いて膨大な魔力を解放した。
一直線に俺へ飛んでくる紫の光線。
俺は袈裟斬りにカレトヴルッフを叩きつけた。
「ぐっ!…うぉりゃぁぁぁぁぁ!!!」
体ごと吹き飛ばされそうになるのを必死に押し留める。
全身がバラバラになりそうな衝撃に耐え続け、少しずつ俺の剣が前に進み始めた。
「はぁぁぁぁぁ!!……はっ!!」
巨大化した魔剣を力任せに振り切る。
押し負けた竜の息吹が、淡い光となって消えていった。
一瞬の間。
竜は絶対的な自信のあった攻撃を掻き消されて、驚愕に目を剥く。
俺は振り払った勢いをそのままに、強く踏み入った。
固まっている竜の懐に飛び込む。
「はぁぁぁ!!死にさらせぇぇぇぇぇ!!!」
返す刃で振り払い、魔剣は竜の首へ吸い込まれるように打ち込まれる。
技術も何もないただ力任せの乱暴な一撃。
しかし、超強化された肉体と濃密な魔力の塊を刃としたその一閃は、強靭な竜の首を見事に両断した。
巨大な頭部が大きな音を立てながら崩れ落ち、地に転がる。
大量の砂埃が舞い上がり、戦の後の静けさが広がった。
「ふぅ…ふぅ…ふぅ……はぁぁぁ。」
強く鼓動を打つ胸を鎮めるように深く呼吸を繰り返す。
やがて平静を取り戻した俺は、虚ろな瞳に空を映した、竜の骸に目をやる。
「……あばよ、デカブツ。」
ただ一言零し、踵を返す。
後方では、見守っていた騎士達が呆然とこちらを見つめていた。
「改めまして、私は帝国皇帝が娘、グウェンと申します。私共を救っていただきましたこと、厚く御礼申し上げます。」
「儂からも礼を言おう。皇女殿下を救ってくれた事、心より感謝する。」
皇女殿下が優雅に一礼する横で、公爵も揃って一礼した。
ここは帝国辺境の街、公爵邸の応接間である。
竜を退治した後、騎士達と共にこの街へ来たのであった。
というか、予想はしていたがやはり皇女だったな。
「公爵様よりいただいた魔剣あればこそです。俺だけの力ではありません。」
「謙遜するでない。例えカレトヴルッフを持っていようと、それを扱えるのはヌシのみよ。しかも、その魔剣もヌシの功績に対する報酬である。すなわち、全てはヌシの成した事。」
「その通りでございます。竜殺しの誕生など、皇帝陛下がお聞きになればさぞお喜びになることでしょう。」
竜殺し……か。
伝説の存在ともされる竜と戦い勝利した者に与えられる称号。
もう何十年もこの称号を持った人物はいないはずだ。
「まぁ、その……うまくいって良かったです。」
手に入れた魔剣が思いの外強くてテンションが上がっていた。
まさか竜を退治して皇女殿下を助ける事になるとは。
「本当に凄かったです!凶悪な竜に一歩も引かず、雄々しく凛々しいお姿でしたわ……。」
恍惚とした表情で頬を染めている皇女殿下。
ただ力任せに振っていただけなのだが、殿下の目には英雄のように映ったのだろう。
功績だけなら確かに英雄なのだが、俺としては気恥ずかしく感じていた。
「ヌシが儂の依頼を受け、魔剣を手にし、竜に襲われた皇女殿下を救う……奇跡の連続じゃの。これも神の思し召しか。」
「はっ!そうでした!公爵閣下、病が完治されたというのは真ですか!?」
目を見開いた殿下が公爵様に詰め寄る。
見た目は凄く優雅で優美な人なんだが、意外と挙動が大きく忙しない少女だな。
「見ての通りですぞ、皇女殿下。ここにいるアルトのお陰で、儂もまだまだ生きられそうですじゃ。」
「ほぅ……それは本当に良かったです。」
皇女殿下が眦に浮かんだ涙を指で掬う。
「皇女殿下は儂の容態を見る為にここまで来られたのじゃよ。」
公爵が事情を知らない俺の為に説明してくれる。
なるほど、だから殿下はこんな辺境の街まで来たのか。
「皇帝陛下もひどく心配されていましたよ。毎日のように"兄上はまだご無事だろうか。我も見舞いたい。"と言っては、側近達に諫められておりますの。」
公爵は皇帝の兄だったのか。
何で弟が皇帝になったんだろう。
仲が悪いとかも無さそうだし、色々と事情があるんだろうな。
「かっかっか!皇帝陛下もそろそろ兄離れしていただきませんとな。じゃがその前に、ご尊顔を拝するとしようかの。」
「というと?」
「儂が健康を取り戻したとご報告をせねばならん。が、折角ならば直接お伝えしようと思いましてな。」
「まぁ、では私と一緒に帝都へ参りますか?」
「うむ、そのつもりじゃ。アルト、ヌシも来てくれんかの?」
「……え?」
急に話を振られて停止する。
何故俺が?
「護衛を頼みたいのじゃよ。竜殺しのヌシなら誰も文句は言わんじゃろう。」
「まぁ、それはとても良いご提案ですわ!!」
「いや、しかし騎士達がいるのでは?」
「もちろん騎士達にも護衛はしてもらう。しかし、此度のような事がまた起こらんとも言えんじゃろ?」
竜に襲われるなんていうハプニングが何度もあったら、たぶんその人は呪われている。
「まぁ、護衛というのは建前じゃ。ヌシを皇帝陛下にご紹介しようと思っての。」
「な、何故?」
「殿下が竜に襲われた事は報告せねばなるまい。そうすると、陛下は間違いなく竜殺しに会わせろと仰るはずじゃ。」
「それはそうですわね。」
皇帝陛下の命令か。
この国で生きていくなら、それは断れないな。
「どうじゃ?儂の命の恩人としても紹介したいのじゃ。来てくれると助かる。」
「アルト様。どうかお願い致します。」
皇女殿下が瞳を潤ませて懇願してくる。
その可憐な仕草に、自然と胸が高鳴った。
「……わかりました。ご一緒させていただきます。」
どうせ帝都には行く予定だったんだからな、と頷いた。