逃走の翌日
「おはようございます、アルト様。……お加減はいかがでしょうか?」
朝、皇宮の一室で目が覚めた俺が身支度をしていると、控えめなノックの後にグウェン殿下が顔を出した。
心配そうな表情でこちらを窺っている。
「おはようございます。もう大丈夫です。ご心配おかけしました。」
昨日の事を思い出して眉を顰めそうになるが、これ以上心配させるわけにはいかないと笑みを浮かべて頭を下げた。
殿下もホッとしたように微笑む。
「それは良かったです。昨日、アルト様がお戻りになってからメイドが青い顔をして私の部屋に飛び込んで来た時は驚きましたが、それ以上にアルト様が酷いお顔をされていましたから。」
「お恥ずかしい限りです。情けない姿を見せてしまいました。」
「あっ、そ、そういうわけではありませんわ!ごめんなさい、私ったら……」
後頭部をポリポリと掻きながら苦笑すると、殿下は慌てたように首を振った。
「大丈夫ですから、気にしないで下さい。自分でもらしくなかったと反省しているところです。」
「そんなこと………何があったのか、どうしても話してはいただけませんの?」
「……はい、すみません。」
「そうですか………わかりました。これ以上はお聞きしませんわ。でも、私が助けとなれる事があれば、必ず仰って下さいね?」
「ありがとうございます。」
未だに心配そうな殿下に、俺は感謝と申し訳なさが入り混じった礼をした。
昨日、エレンの狂気じみた言動を目にした俺は、堪えようもない恐怖と寒気に襲われ、何も言わず走ってその場を後にした。
エレンは恍惚とした表情で怪しく笑ったまま、走り去る俺を見ていた。
追いかける素振りも見せないその様子が、尚更不気味だった。
一心不乱に走って皇宮へと辿り着いた俺を、メイドや騎士達は驚いて見ていた。
その時の俺は、青白い顔で全身を震わせており、今にも倒れるのではないかという状態だったらしい。
その場にいた騎士に肩を借りて自室に向かったが、すぐにメイドから俺の様子を聞いたグウェン殿下や公爵閣下、皇帝陛下までもが俺の部屋に押し寄せてきた。
だがとてもではないが話せる状態ではなかったし、そもそも話せる内容でもなかった為、俺は彼らにとにかく謝って休ませてもらったのだ。
一人になった部屋でベッドに入った俺は、唐突に強い疲労を感じて泥のように眠った。
起きていればきっとエレンの顔が浮かんでしまうだろうから、すぐに眠る事ができたのは救いだった。
一晩眠ると、精神的にかなり持ち直す事ができた。
疲れのせいもあってあれほどの恐怖を感じたのかもしれない。
まだ昨日の事を思い出すと背筋がゾワッとするが、ひとまず今日の戦いには赴けそうだ。
決勝まで進めばエレンと戦う事になる。
そう思うと心が引けそうになるが、それよりも目先の戦いに集中しよう、と意識を逸らす。
準決勝の相手はフェイだ。
元々強烈な魔法を使う天才だったが、今では更に効率的な魔法の使い方を身につけ、以前は持っていなかったはずの魔道具を所持している。
力任せの戦い方をしていたかつてのフェイと一緒にしていては、痛い目を見てしまうだろう。
油断大敵。
そう自分を戒めると共に、俺はかつて散々見下してきた奴を見返すチャンスに心を躍らせた。
観衆の見守る中、闘技場のステージで俺とフェイは向き合っていた。
憎悪の篭った眼差しで鋭く俺を睨み付けている。
「フェイ…久し振りだな。まさかお前とこんな所で戦う事になるとは思ってなかったぜ。」
「魔盲のアルトごときが、馴れ馴れしく僕に話しかけるんじゃない。」
「相変わらず口が悪いな。」
俺だってフェイの事は嫌いだが、ここまで徹底していると清々しいな。
というか以前より更に嫌われているような気さえする。
俺の方はむしろ彼女を見直しているというのに。
「魔盲なんかが武闘祭に出ているってだけでもおかしいのに、ここまで残っているなんてもはや天変地異だよ。まぁ、どうせ今までのヤツらがグズでゴミみたいな雑魚ばっかりだったんだろうけど。」
昨日戦ったソルテを始めとした、これまで戦ってきた戦士達の顔が脳裏に浮かんだ。
俺は思わず顔を顰める。
「……ほとんどの出場者はそれぞれの誇りを持ってこの武闘祭に臨んでいた。そういう言い方はするもんじゃないぞ。」
「誇りだなんだと言っても雑魚は雑魚だろ。」
「……お前は、一度しっかりと教育してやる必要があるな。」
「………………はぁぁぁ?」
黙っていればこいつも間違いなく美少女なのに、その相貌を怒りに歪めて睨みを利かせてくる。
「教育ぅぅぅ??誰が?誰を?何で?」
「俺が。お前を。調子に乗ってるから。」
あえて煽るように淡々と告げる。
沸点の低いフェイなら、これで隙を見せてくれるかもしれない。
それでなくても、こいつに人の心や痛みってのを教えてやりたいと、そう思った。
かつての無力な俺には、それはできないことだったから。
「………調子に乗ってるのはお前の方だ。魔盲のアルトの分際で。誰に喧嘩を売ってるのかわかってんの?」
怒りに肩を震わせ、殺気を向けてくるフェイ。
「喧嘩じゃねぇ。これは教育だ。魔法しか取り柄のないガキに、大人として叱ってやるって言ってんだよ。」
「……………………………殺す。」
ポツリ、と瞳に闇を湛えて呟く。
「生まれながらの落ちこぼれが、魔盲のくせにこの僕を侮辱するなんて………絶対に殺してやるぅぅぅ!!」
「やれるもんならやってみろ。かつての雪辱、ここで果たさせてもらうぞ。」
杖を構えて魔力を纏うフェイを見据え、俺はカレトヴルッフを抜き放った。




