悔恨の涙
夢を見ていた。
小さな村で可愛らしい幼馴染と共に、剣に見立てた木の棒を振り回していたあの日々。
もう疲れたなんて泣き言を言っては幼馴染に叱られて、ウダウダ言いながらも剣を振る。
もうやめたいと何時も思ったけど、一流の冒険者に憧れる気持ちはやっぱりあって、そして何より……楽しそうに剣を振るう幼馴染の笑顔が見たくて、俺も剣を振り続けていた。
「いっちばん強い冒険者になるのよ!」
キラキラと瞳を輝かせて、幼馴染はいつもそう言っていた。
俺はそんな彼女の笑顔に惹かれていたんだ。
彼女を守りたい、彼女を支えたい、ずっと一緒にいたい。
心からそう思った。
しかし時は過ぎ、仲間が増え、幼馴染はそんな笑顔を見せなくなっていった。
そんなに馬鹿にするならいっそ離れてくれれば良いのに。
そうすれば俺も諦めがつくのに。
どうしてわざわざ近寄ってくるんだ。
俺は何度もそう考えた。
パーティーを追放されたのは、胸が張り裂けそうなほど悔しかったし、憤りも感じたけれど、幼馴染から離れる良い機会だったのかもしれない。
結果的に俺はかつての夢だった一流の冒険者になる事ができた。
しかし、隣に彼女はいない。
これは俺が求めていたものだったのか。
そんな気もするし、そうじゃない気もする。
結局俺は、いつまで経っても完全には彼女を忘れられていないんだ。
だからこんな夢を見たんだろう。
夢の中の彼女は、今も楽しそうに剣を振るって、隣で剣を振る俺を盗み見ては、嬉しそうに口角を上げている。
そして暫く剣を振り続けた後、汗を拭ってニコニコとした笑顔を浮かべるんだ。
「やればできるじゃない!」
そんな事を言いながら。
……俺は、彼女に褒めてもらいたかったのだろうか。
彼女が笑ってくれていれば、隣にいても良いと認められているような気がしていたから。
我ながら子どもだなと思うが、夢の中だからこそ、自分に嘘をつけないんだろうな。
もう二度と戻れない楽しかった日々。
そんな光景から目を逸らしたくて、でも逸らせなくて。
強力な力を得たって、根っこのところは変わらない。
いつまでもここにしがみついていたい。
しかし、それは駄目なんだろうな。
俺は……過去を捨てなければ、ならないのだろうか。
そう考えた時、温かく柔らかな光に包まれるような感じがした。
まるで温泉に浸かっているような心地良さを感じながら、俺の意識は覚醒していった。
「……ぅ…」
「っ!アルトくん、気がついたのね!」
全身の気怠さに耐えながら薄らと目を開け、霞む視界で状況を確認しようとすると、妙に懐かしいような声が聞こえてきた。
誰かが足早に近寄ってきて、覆い被さるように俺を覗き見る。
「あんた、は……」
力なく瞬きを繰り返し、霞む視界を少しでも鮮明にしようとする。
そして暫くしてようやくまともに見えるようになり、目の前にいる人物が誰であるかを理解した。
「ル、ルース…?」
「アルトくん!アルトくん!…あぁ、良かった。本当に…良かった……主よ、感謝致します…。」
疲労の溜まったような顔で涙を流しながら、ルースは両手を組んで天を仰いだ。
天といっても室内だから、ただの天井しか見えないが。
「ルース、何でここに……というか、どんな状況だ…?」
「はっ!えっと…アルトくんは、試合で怪我して…ランスくんに…それで、私…えっと……」
「ちょっ、落ち着け。」
彼女らしくもなくテンパった様子のルースに驚きつつ、気を失う前の事を思い返していた。
……確か俺はランスと戦って、勝って、それで………そうだ、不意打ちを受けたんだ。
「くそっ、完全に油断してた。」
我ながら情けない男だ。
冒険者のくせに、相手が人だからってこんな失態を犯すとは。
「ぁ…ぅ……その……」
ルースが再び泣きそうになってオロオロしている。
パーティーメンバーであるランスの凶行に狼狽えているのだろうか。
もう一度彼女がここにいる理由を聞こうとした時、部屋の扉が勢い良く開かれた。
「アルト様が目を覚まされたというのは本当ですかっ!?」
飛び込んできたのは皇女殿下であった。
その後ろには公爵までいる。
「こ、皇女殿下……」
「アルト様!あぁ…あぁ、良かった。良かったですわぁ…!!」
泣きながら走り寄り、横たわる俺にしがみつこうとしたところを、公爵に抑えられた。
「殿下よ。まだこやつは治療が終わったばかりですじゃ。今は辛抱なさいませ。」
「うっ、そ、そうでしたわね。」
良かった、ありがとう公爵様。
たぶん今抱きつかれたら痛みで絶叫していた。
「アルト様、お体の具合はいかがでしょうか?」
「痛みはありますが、動かす事はできそうです。ご心配をおかけして、申し訳ございません。」
「アルト様が謝る必要などございませんわ!」
「そうじゃぞ。ヌシは正々堂々と戦ったのじゃ。それをあの若造め……誇りある武闘祭に泥を塗るようなまねをしおって。」
「っ……も、申し訳ございません。」
プンスカ怒る殿下と眉を顰める公爵に、ルースが謝った。
「ぬっ…おぉ、そこの女子はあの若造の仲間であったの。……ヌシらに怒りを向けるつもりは儂にはないが……国王陛下は随分とお怒りのようじゃのう。」
「…そのようです。」
「国王陛下?」
何の話だ?
と首を傾げると、公爵が俺を見て口を開いた。
「アルトよ、ヌシは倒れる前の事をどれほど覚えておる?」
「気を失うまでの事は大体覚えてると思います。不意打ちを受けた事、反撃をしてランスを倒した事。」
「ならば、まずはヌシが気を失ってからの事を伝えねばなるまいの。」
ありがたい。
「宜しくお願い致します。」
「うむ。ヌシがランスとかいう若造を倒した後……」
公爵は、わかりやすく淡々とその後の経緯を教えてくれた。
倒れた俺はすぐに医務室へ運ばれ、治療を受けた。
しかし胸骨は砕かれ、腹を裂かれ、内臓まで傷付けられており、治療は困難を極めたらしい。
何人もの優秀な回復魔法師が協力して治療に当たってくれたが、その中でも特に必死に治療してくれたのが、なんと飛び込みで協力を申し出たルースだったようだ。
彼女もやはり帝都に来ており、武闘祭の観戦をしていたのだ。
そして俺とランスの試合を見て、倒れた俺の治療への協力を申し出たのだ。
公爵は彼女の献身的な治療のお陰で俺が助かったと言っていた。
そして倒れてから半日が経ち、深夜に俺が目を覚ました。
俺が目を覚ましてすぐに部屋の中にいた騎士が、近くの部屋で待機していた皇女殿下と公爵に報告し、二人は慌てて駆けつけたという事だった。
一方、大陸中の首脳陣や強い戦士達の見守る中で、試合後の不意打ちという醜態を晒したランスは、捕縛されて地下牢に閉じ込められているそうだ。
死なないように最低限の治療だけはしたが、片手片足は失い、顎は砕けて歯も全て失ったという。
地下牢で目を覚ましてからは狂ったように叫んでいるらしいが、歯が無いからまともに喋れないらしい。
そして観戦していた全ての人間がランスに対して大ブーイングを起こし、観客達を帰らせるのが大変だったとのこと。
特に王国の首脳陣や国王陛下は、武闘祭だけではなく王国の名誉にも泥を塗ったランスに激しく憤怒し、即刻ランスのS級冒険者資格を剥奪するようギルドに迫った。
ギルドもランスを擁護するつもりはないらしく、本日付けで彼はS級冒険者ではなくなり、それどころか冒険者資格をも永久剥奪されたようだった。
まぁ、どうせ片手片足じゃ戦えないだろうから、ギルドとしても切りやすかったのだろう。
多くの人々がランスの処刑を望んでいるらしいが、今のところ何も決まってはいないらしい。
俺の意向も聞きたいとの事だったが、俺としてはもう二度と俺の前に現れてくれなければ、どこでどうなろうと知った事ではない。
そう言うと公爵は、人々の怒りを鎮める為にも、処刑の可能性は高いだろうと言った。
今更あいつにかける情はない。
好きにしてくれ。
現状確認ついでに暫く皇女殿下や公爵と話す。
その間、ルースは居心地が悪そうに座っていた。
やがて、ひとまずもう一眠りすれば体調も戻り、明日の試合にも出られるだろうという話をしたところで、殿下と公爵は部屋を出る事にした。
殿下はまだ話し足りないような表情をしていたが、公爵に宥められて出ていった。
公爵はルースの様子を気にしていたから、おそらく俺とルースに何らかの関係があると見て、気を遣って退室してくれたのだろうと思う。
そして、二人だけになった部屋で、俺は体を起こしてルースに向き直った。
彼女も不安げに揺れる瞳で俺を見つめている。
「そ、その……」
「待った。先に言わせてほしい事がある。」
「あっ………うん。」
おそるおそる口を開くルースを制止する。
小さく頷いて俯く彼女に、俺は頭を下げた。
「ルース……治療をしてくれて、ありがとう。助かった。」
「……えっ?」
ルースがばっと顔を上げ、目を丸くして驚いた。
「ルースがいなければ、俺は死んでいたかもしれない。やっと戦える力を手に入れたのに、こんなところで生を終えていたかもしれない。そんな俺を救ってくれたのはお前だ。だから……ありがとう。」
「アルト、くん……そんな…私……私は……」
ルースの綺麗な瞳から次々と涙が溢れる。
いつも穏やかに微笑んでいる彼女の泣き顔が、何故だか美しく見えた。
「ごめん、なさい。」
ルースが涙を流し、嗚咽を漏らしながら、ポツリと言った。
「ごめんなさい、アルトくん。ごめんなさい……アルトくんは、ずっと頑張ってくれてたのに……支えてくれてたのに……貴方を、信じられなかった。」
まるで親に叱られた子どものように泣きじゃくるルース。
彼女の悲痛な声に胸が締め付けられた。
少なくとも、爽快な気分では決してなかった。
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい……」
「もう、良い。わかったから。もう良いんだ。」
俺は自然と彼女の頬に手をやった。
頬を伝う雫を指で拭う。
「アルトくん……うぅぅぅ……」
泣きしきる彼女を優しく抱き寄せ、頭を撫でる。
体に痛みが走るが、気合いで我慢した。




