幼馴染の涙と狂気
「うそ……何で……」
大陸でもトップクラスに栄えた国である帝国。
その首都である帝都は、戦士や魔法使いの祭典である武闘祭開催の地という事で、人酔いしそうなほど多くの人達で溢れている。
その武闘祭がいままさに行われている闘技場に、一人の少女の姿があった。
「アルト…?本当に…?」
身長は平均的だがプロポーションは抜群、真っ白で綺麗な肌に鍛えられた細身の体。
女性なら誰もが羨む小顔に金色の猫目、血色の良い唇に桃色セミロングのハーフアップ。
腰には気品のある美しい剣を穿いている。
「こんなところに、いたのね……」
エレンの勝ち気な瞳が潤む。
数ヶ月間、ずっと再会を願っていた彼女は感極まった表情でステージに佇むアルトを見つめた。
「でも、どうしてアルトが武闘祭に……いつの間にあんな力を?」
エレンはつい先程ステージで繰り広げられた戦い……というか、一方的な殲滅ともいえるそれを思い返した。
パーティーの名誉を取り戻す為。
そんな理由でエレンは半ば強引に武闘祭への出場を決めさせられた。
強要したのはパーティーリーダーであるランスである。
彼は自らが武闘祭で優勝するだけではインパクトが足りないと感じ、エレンにもエントリーさせたのである。
自らの分と併せ、王国で親しくしている貴族に二人分の推薦を依頼した。
そして迎えた武闘祭。
まるっきりやる気の無かったエレンだが、わざと負けてもランスに突っ込まれて面倒になるだけだろう。
それに、彼女自身も勝てる戦いで敗北を選ばないくらいのプライドは残っていた。
エレンは予選の第一戦のグループで、スキルをフルに活用して短時間で圧勝した。
だが、それ以上の圧勝を……戦いにもならない戦いを、彼女は目にする。
第二戦に出場して勝ち残ったランスは、試合が終わった途端に闘技場を出た。
おそらく、良い気分のまま色街にでも繰り出したのだろう。
第一戦で勝ち残りが決まったエレンも闘技場を出ても良かったのだが、人でごった返す街を歩くのは嫌で、かといって宿に戻る気にもなれなかった。
特に何も考えず、エレンは出場者専用の観客席にふらっと立ち寄った。
そこで見た予選第三戦。
その様子をボーッと眺めていた彼女の目に、禍々しいオーラを纏って屈強な出場者達を次々と屈服させていく男の姿が映った。
最初はその禍々しいオーラと圧倒的な力にだけ意識を向けていた為、使い手が誰かという事まで気にしていなかった。
だが呆然と見ている内に勝者が決し、赤黒い靄が消えた瞬間に、エレンは驚愕し息を飲んだ。
そこにいたのが、かつての仲間であり幼馴染でもあるアルトだったからだ。
エレンとアルトは同じ村の出身だ。
物心ついた時からエレンの隣にはアルトがいたし、彼女もそれが当たり前だと思っていた。
15歳で成人となってから、彼女らは共に村を出て冒険者となり、互いに支え合ってきた。
18歳でスキルを手に入れてからは、周りの人間がエレンに対して「早くあの無能を見放せ」だとか「あんな足手纏いさえいなければ君は…」なんて要らぬお節介を焼いたが、エレンは彼らの言葉をまるで意に介さなかった。
そもそも、彼女はアルトに力を望んだ事などない。
彼に強さを求めた事などないのである。
彼がそばにいてくれて自分を必要としてくれれば、それだけでエレンは満足だった。
むしろエレンは、自分の手でアルトを守っているという実感を得られる為、アルトが戦闘のスキルも才能も持っていない事を喜ぶ節すらあった。
その後、ランスとフェイがパーティーに加わった。
エレン達が新人冒険者を教育する依頼を受けて、教育したのがランスとフェイだったのだ。
そこでエレンは彼らの才能を見抜き、勧誘し、『スキル授与の儀』を受けさせた。
そしてランス達は強力なスキルを得て、エレンは自らの目が正しかった事を喜んだ。
これでパーティーは益々強くなれる、かつて描いた一番強い冒険者という夢に近付けると思った。
その願い通りパーティーは躍進を続け、エレンとランスはS級冒険者となった。
ランスをパーティーリーダーに推したのはエレンだった。
彼女は自分がリーダーに向かない事は自覚していた。
正直な話、一番リーダーに向いているのはアルトだと思っていた。
しかし真面目なアルトをリーダーにしてしまうと二人で会える時間が減ってしまうだろうし、そもそもランスとフェイが承諾しないだろうと判断した為、消去法でランスを推薦したのだ。
彼女にとって、ランスとフェイがあそこまで露骨にアルトを蔑むのは想定外の事であった。
だが、うまくやれば逆に自分を頼りにして縋ってくるのではないかと考えた為、問題の解決に乗り出す事はなかった。
だが幼馴染が惨めに貶されるだけの状況は好ましくないと思い、反発してもらおうとランスとフェイに便乗して軽く貶すようになった。
それでも反発しないアルトに、エレンは"もっと男らしくしてよ"などと身勝手な事を思っていた。
ランスの勧誘によってルースまでパーティーに加入した時、エレンは焦った。
アルトがランスやフェイと接する時と違って、ルースと話す時に素の自分を出しているように見えたからだ。
このままではアルトが自分の隣から離れてしまうのではないかと危惧したエレンは、愚かにも一計を案じた。
それが、アルトの追放作戦である。
パーティーにおけるアルトの存在価値を無くし、自分以外の誰かの主導によって彼を追放する。
その為に、一年間最高級の収納袋の情報を収集し続け、ついにオークションに出品されるという情報を入手して自らの財産の大半を切り崩してランスに与え、オークションで収納袋を何としても落札するよう頼んだ。
同時に『魔力譲渡』のスキルを持つ、なるべく上級の冒険者を探した。
そこで目をつけたのがルフマーであった。
エレンはルフマーの情報をランスに伝え、同じスキルならば無能のアルトより美女の方が良いだろうと唆した。
案の定、女好きのランスはエレンに唆されるままにルフマーの勧誘に勤しみ、それが成った時、ついにアルトの追放が決まった。
ここまではエレンの計画通りに事が進んだ。
しかし彼女の誤算はここからであった。
エレンの予想では、追放されたアルトは最後に幼馴染であり最も長く一緒にいたエレンに縋るはずであった。
アルトが周りから貶されながらも、冒険者としての出世欲を持ち続けている事をエレンは知っていた。
だからこそ、「頼むからパーティーにいさせてくれ」と頼んでくるに違いないと思っていたのだ。
そこでエレンがこれまでの言動を謝り、贖罪としてパーティーを抜けてアルトに着いていくから、また二人で冒険しようと誘うつもりだったのだ。
だが、エレンは最後まで素直になれず、アルトはそんなエレンを見限ってしまった。
そして焦ったエレンの制止も聞かず、呆然とする彼女を置き去りにして姿を消した。
それでもエレンはまだ希望を抱いていた。
数日のうちには自分の許に帰ってくるのではないかと。
一応、エレンも翌日から連日王都の宿を回ったりギルドで聞き込みをしたりして、アルトの所在を掴もうとしていた。
だが、アルトは追放された翌日の早朝に王都を発っており、消息は途絶えてしまっていたのだった。
それからというもの、エレンは毎晩のように部屋で膝を抱えて涙を流した。
過去を振り返り、何が悪かったのかと自問し続けた。
自分に素直になれずアルトを傷つけ、彼ならば離れないだろうと高を括っていた己の傲慢さを嘆いた。
エレンは、アルトのお陰で己の力を十全に活かして戦えていたという事は知らない。
ルースのようにそれを自分で理解する頭は彼女にはなかった。
しかし、それでもエレンはアルトに再会したいと常に願っていた。
ただ自分の罪と向き合い、彼に謝りたいと思っていたのだ。
そして、また彼を守ってあげたかった。
それでもパーティーを抜けてアルトを探しに行けないのが、彼女の心の弱さであり、甘えであった。
彼女は一人になる事が怖かった。
中途半端な自分に嫌悪感を抱き、また泣いた。
そして、渋々出場したこの武闘祭で、彼女はついに彼を見つけた。
「あのアルトが、あんなに強くなって……一体、何があったんだろ…」
エレンの心には、複雑な感情が渦巻いていた。
アルトに会えた喜び、その圧倒的な力への驚き、そんな力に対する疑問、そして………焦燥と、嫉妬。
「何でアルトが強くなるのよ……アタシがいないと……アタシが守ってあげないといけないのに。アルトは弱くなくちゃ駄目なんだ……じゃないと、アタシが守れない。」
エレンの瞳が輝きを失う。
「アルト、どうして笑ってるの?アルトはアタシがいなくても平気なの?………そんな事ない。そんなわけない。だって、アタシとアルトはずっと一緒なんだから。」
エレンがニヤッと笑う。
「そうだ。アルトに教えてあげないと。アルトは役立たずで、無能で、雑魚なんだって。アタシがこれからも守ってあげるって。」
その恍惚とした表情は、暗い狂気に満ちていた。




