繰り返す懺悔と認められぬ過ち
王国西部、辺境の街。
ここは帝国との国境に最も近い街である。
国境を越えて商いをする行商人や、国境警備をする騎士や兵士などが数多く滞在しているこの街で、二人の女性が相対していた。
「また教会に行くの?到着したばかりなんだから、今日くらいゆっくりすれば良いじゃん。」
宿に荷物を置いてすぐに部屋を出た緑髪の女性が宿の入り口で青髪の少女と対面し、青髪の少女は呆れたような表情で緑髪の女性にそう言った。
緑髪の女性は元神官のルース、青髪の少女は魔法使いのフェイである。
「あらあらフェイちゃん。何でここにいるのぉ?」
「何でって…チェックインの手続きしとくから先に部屋に荷物置いててって言ったじゃん。」
「あぁ、そうだったわねぇ。」
のんびりした口調で穏やかに微笑むルース。
しかしその微笑みは、以前のような明るいものではなく、どこか疲労を滲ませたようなものだった。
「はぁ……それで、また教会行くの?」
フェイがジトーッとした目を向ける。
ルースは頬に手を当てて笑った。
「街に着いたらまずは教会にご挨拶に行かなくてはならないわ。主への信仰は日々の行動に現れるのよ。」
「でもルースは還俗してるじゃん。」
フェイが軽い気持ちでそう言った瞬間、ルースの笑みが消えた。
凍てつくような視線でフェイを見下ろす。
「信仰に組織や場所は関係ないのよ。主は信仰する者を平等に愛して下さるの。」
「あっ……ご、ごめん、僕……」
フェイを含め、パーティーの者達はルースの過去を細かくは知らない。
何故教会を出たのか、何故還俗したのかは、リーダーであるランスですら知らないのだ。
フェイは知らずにルースの地雷を踏んでしまった事を悟った。
「フェイちゃん、私の信仰心は揺るがないものだわ。たとえ俗世に堕ちたとしても、私が敬虔な信者である事に変わりはないのよ。わかった?」
「わ、わかった…わかったから…」
「そう……ふふっ、わかってくれたなら良かったわぁ。」
怯えるフェイを見つめていたルースは、一瞬で微笑みを取り戻した。
フェイは安堵のため息を零した。
「フェイちゃんもたまには教会に行かないかしら?」
「い、いや、僕は遠慮しとくよ。」
「そう、残念ねぇ。」
フェイが苦笑しつつ首を振ると、ルースは頬に手をやって眦を下げた。
「……ランスが、急にルースが教会に行く頻度を増やしたって、不審に思ってたよ。」
「あら、ランスくんが?」
「うん……ルフマーがパーティーを抜ける前から、明らかに教会に行く事が増えてるよね。」
「そうねぇ。」
ルースは否定する事なく頷いた。
「何か理由があるの?」
フェイは、ランスと同じ可能性を危惧していた。
それは、ルースが冒険者を辞めて、再び教会に戻るのではないかという可能性だ。
ルースは優秀な回復魔法師である。
ランスもフェイも、彼女を手放したくなかった。
フェイの質問に対し、小さく俯いてルースが口を開いた。
「……私達のパーティー、これからどうなると思う?」
「は?」
フェイの質問に答えるのかと思いきや、突然疑問が飛び出てきてフェイは首を傾げた。
「この数ヶ月間、私達は以前ほど強い魔物を倒せなくなったわ。」
「………。」
ルースの言葉はフェイも自覚しているところだが、プライドの高い彼女はそれを素直には認められない。
何故なら、その事実に向き合うという事は、いつからそうなったのかという事にも向き合わなければならないからだ。
「依頼の失敗も増えて、ギルドからも不信感が募ってる。このままでは、降格される可能性だって十分にあるわ。」
「それは……」
「アルトくんが抜けて、ルフマーちゃんが入った時、私は希望に満ち溢れていたわ。これからこのパーティーは益々輝きを増して、伝説に残るようなパーティーになれると思ってたの。」
ルースの思いは、フェイも同様に抱いていたものだった。
「でも、そうはならなかった。」
ルースは吐き出すようにそう言った。
「魔法にもスキルにも、魔力の消費はつきもの。強力な魔法やスキルなら、それに応じた魔力を払わなければならない。そんなの誰でも知っているはずの事なのに、私達はわかっていなかった。何故だかわかる?」
「………。」
「アルトくんがいたからよ。」
ルースの出した答えは至極簡単なものだった。
「アルトくんとパーティーを組んでいた私達は、魔力を枯渇させた事がない。それが当たり前の事だと思ってた。『魔力譲渡』を持ったメンバーがいれば、これが当然なんだって。」
実は『魔力譲渡』はかなり珍しい希少なスキルだ。
どの程度の効力を発揮するのか、一般にはあまり知られていない。
「私達は……愚かだったのよ。」
ルースは自嘲するように笑った。
フェイはそんなルースの笑みを見た事がなかった為、目を見開いた。
「でも……でも、あいつは魔盲のアルトだよ?」
「魔法が使えないから何だと言うの?」
フェイが絞り出した言葉は、ルースによって即座にばっさりと切り落とされた。
「ランスくんも、エレンちゃんも、私も……そしてフェイちゃんも、アルトくんがいたから強力な力を常に使い続ける事ができていたのよ。」
「そ、そんな事……」
「そんな事ないって、言えるの?アルトくんを追い出した直後に、私達はこんな有様になった。状況証拠からハッキリしているわ。……フェイちゃんも、本当はわかってるんでしょ?」
フェイは傲慢で身勝手だが、知能はすこぶる高い。
先入観を捨てて公平に現状を分析すれば、原因に気づかないはずもなかった。
「僕は…違う……僕は、あんな魔盲なんかに………」
「フェイちゃん…」
「僕は…僕は魔法の天才なんだ!あんな奴がいなくたって、僕は戦える!僕は強いんだ!」
フェイがルースを睨みつけて叫んだ。
しかし、その瞳は怯えるように震えていた。
彼女は怖いのだ。
そのプライドの高さから、自分の過ちを認める事ができない。
「ルースは間違ってるよ……もう良い。この事はランスには言わないでおいてあげるから、教会でもどこでも行けば良いさ。」
フェイは足早にその場を去った。
ルースは寂しげに彼女の背を見送った後、教会に向かった。
教会内部、懺悔の部屋。
自分以外誰もいないその部屋で、跪いて壁に架けられた十字架に向けて手を組むルースは、目の前の十字架ではなく己に話しかけた。
「……私は、本当に愚かだわ。偉そうに言っても、何も見えていなかったのは私も同じなのに。」
ルースの瞳が悲しげに揺れる。
「本当に無能だったのは私。最後の最後まで、ずっと支えてくれていた彼を信じられなかった。私は、最初から間違えていたのね。」
彼女の瞳から後悔に満ちた雫が流れた。
「彼はいま、どこにいるのかしら?自らの傲慢にも気付かず、彼を傷つけた私ができるのは、こうして彼の無事を祈る事だけ。もしまた彼に会う事ができれば、私の全てを捧げるわ。だからどうか……どうか無事でいて。」
彼女はこの数ヶ月間何度も繰り返したように、静かな部屋で涙を流しながら祈り続けた。
宿のベッドで膝を抱え、虚ろな瞳で暗闇を見つめながら、フェイはぶつぶつと呟いていた。
「僕は強い。僕は天才なんだ。魔盲のアルトなんか必要ない。あんな奴いなくても僕は戦える。僕は魔法使いなんだから。」
フェイの瞳に暗い炎が灯る。
「武闘祭……ランスがどうしてもというから観戦くらいはしようと思ってたけど…絶好の機会だよ。僕の力を見せつけてやる。そうすればルースだって、自分の過ちに気付くはずなんだ。そしていつかアルトに会ったら"やっぱりお前を追い出して正解だった"って言ってやるんだ。」
彼女は、傲慢な笑みを浮かべた。
「どいつもこいつも、僕の魔法で消し飛ばしてやる。僕は天才なんだ。僕は強いんだ。僕は……間違ってなんかいない。」
武闘祭まで約三ヶ月。
フェイは暗い決意と共に狂気的な闘志を持った。




