【1】
[0]
時間も場所も決めていない待ち合わせをしている。
音さえ凍る雪原で、私たちはただ出逢うだけの一瞬をずっと夢見ている。
「**」
楽器も弾けないほどかじかんだその手に触れられず、私はそう耳元で囁いた。
音のない世界で、その言葉は決して彼女には届かない。
「**」
それでも私はその言葉を繰り返し、この場所でいつまでも凍え続けたいと願った。
いっそこのまま凍り付いて、眠ってしまえればいいと。
夢の終わりはいつも、貴女の白いあくびだった。
[1]
「わたしにヴィンテージ様を弾かせてください!」
おぼろ月の淡い光に照らされた温室で、わたしの決死のプロポーズが花々を散らす勢いでこだました。
閉じ込められたままの日中の陽射しの暖かさが、頬の熱をより明確にさせる。
わたしの告白を受け、ヴィンテージの音澄Vl詩弦様は温室中央の噴水のオブジェに顔を背け、まるで時間を止めるように冷たく言い放った。
「私、音楽は嫌いなの」
[2]
あの瞬間までわたしは、時に人々に希望を与え、哀しみに寄り添ってくれる音楽は、どんな女の子にとっても憧れの対象なのだと信じていた。
特に、身体を楽器に変えられる女の子が集まるここリリウムスフィア・コンセルバトワールの生徒なら、なおのこと。
「〈デュオ〉の契りを結んだ〈奏女〉と〈音女〉が心と体を重ねることで音楽は生まれます」
入学式の日。
この音楽院の生徒会組織、通称〈マーチ〉の蜂笛Fl一二三会長は、わたしたち新入生をそんな言葉で迎え入れた。
音女と呼ばれる彼女たちは、同じ年頃の女の子に演奏されることで初めて楽器としての音を奏でられる。そのため、この音楽院には音女が学ぶための音女学部ともうひとつ、彼女たちを演奏することを生業とする音楽家、奏女を志す女の子のための奏女学部の大きく二つの学部に別れている。
わたしはその奏女学部の一年生としてこの学園に入学したのだ。
他の多くの新入生同様、自分だけの“運命の音楽”との出逢いを求めて。
「音女は楽器として生まれたことに誇りを持ち、そして、彼女たちを奏でる役目である奏女はそのことに責任を持ってこの学院での生活を謳歌してくださいませ」
会長のありがたい言葉がホール内に響く。しかし、春一番の風のように心地良い声音に、館内のほとんどの生徒はその言葉の意味よりも、彼女の声の美しい響きそのものを味わっているようだった。
「あぁ、なんて美しい声……うっとりしちゃうわ」
「えぇ。それに見て、あの後ろで一本に結われた錆ひとつない真っ直ぐな銀髪……楽器のお姿の時は、いったいどんな音でお鳴りになるのかしら」
「今夜は気になって寝られそうにありませんわ」
周りにいる奏女学部の同級生が会長の魅力にやられてそんなことをこぼしていた。
さながら学院のマドンナ、といったところだろうか。
「会長って、まだソロらしいよ」
「え、それほんと? ならわたし、思い切ってプロポーズしちゃおうかしら」
「あっ、抜け駆けはずるいですわ。わたくしだって」
「あ〜れ〜っ!」
突然、なぜかわざとらしい悲鳴の声がわたしの目の前から響いて、会長に集まっていた視線を一斉に集めた。
色素の薄い髪を肩のあたりでウェーブさせた、いかにも上品そうなその女の子は脚を重ねて投げだし、床にへたりこんだ。
「あぁん、ごめんなさーい。会長の魅力で、ちょっと立ちくらみがっ♡」
新入生全員に聞こえるのではないかという声量の品を作った声がホール内に響く。
そのあまりにあからさまなアピールに、壇上の会長も反応せずにいられなかったのか、心配げな声をかけた。
「まぁ、ごめんなさい。わたくしの話が長いばかりに」
そして、なにかをひらめいたようにポンっと手の平を打つと、どこか自身満々な様子でマイクを手にとった。
「まじショッキングピーポーですわ」
耳を疑いたくなるような不釣り合いな言葉が会長のその美しい声音で発せられた。
さきほどまでホール中に漂っていた新入生たちのうっとりモードが一気に霧散していくのが肌で感じられた。
「それでは、皆様がこの学院で良い音楽との出逢いが待っていること祈っておりますわね」
けれど、会長は自分の招いたその空気を意にも介さずそう言い残して壇上を降りていった。新入生のほとんどはまだ呆気にとられた様子で、空になったステージの上を呆然と眺めていた。
「……お姉様を他の女には指一本触れさせないんだから」
目の前の立ちくらみ少女を除いては。
[3]
「あなた、変わってるわ」
入学式の最中まったく同じことを思った相手に、奏女学部教室の席について早々声をかけられた。
「えぇっと……」
「蜂笛七音よ。ちなみに同じクラスね」
手を差し出されたので、握手に答える。そして、ふと感じた耳の引っ掛かりに疑問をこぼす。
「あれ。その苗字って」
「察しがいいわね。そうよ。七音はマーチの会長、蜂笛Fl一二三の唯一無二の妹兼、担当奏女なの」
両手を腰にあてると、教室中に聞こえるような声でどこか誇らしげにそう宣言した。
「まぁまだ入学したばかりだから、デュオの契りはこれからだけれどね。でも七音、お姉様のことは七音が吹くんだって、生まれたときから約束してるの」
「そ、そうなんだ」
「そのためにお姉様には10年間もこの学院で待っててもらったんだから」
「そんなにっ!?」
「だってしょうがないじゃない。奏女は三年で卒業だけど、音女はパートナーがいないと卒業できない校則なんだから」
確かに校則ではそうなっているけれど、あんな学院のマドンナのような人が本当に10年間もソロでいられたのだろうか。
「音女って演奏されないかぎり年取らないのはいいけど、お姉様にかぎっては気が気じゃなかったわ。あの衰えない上品オーラで変な虫が寄り付かないように、毎日電話で上品じゃない言葉づかいを覚えさせて……」
「あぁ……あれはあなたの仕業だったんだ。それで、そんな七音さんはわたしのなにが変わってるって?」
「だってお姉様を見てもずっと平然としていたじゃない」
「騒がれるの嫌なんじゃないの?」
「もちろん嫌よ。でも、お姉様の魅力にまったく動じないっていうのもおかしいじゃない。というか、それはそれでお姉様に失礼ってものよ」
難儀な性格だった。
「素敵だと思うよ、一二三様」
「ダメよ! お姉様は七音のなんだから!」
「ごめん。ちょっとめんどくさいかな」
正直かなりめんどくさい人だなと感じたけれど黙っておく。
「んふふ。あなた、やっぱり面白いわ。お名前は?」
「弧咲。弧咲、楓」
「楓ね。これから仲良くしましょ。お姉様はあげないけど」
「うん。よろしくね、七音さん」
【続く】