7.精霊の集い
その日の夕食は、送別の意味を込めてか、今までで1番豪華だった。しかもラールさんと一緒に楽しく話しながら食べたので、旅立つ前の良い思い出となった。
僕たちは、お互いに自分の夢を語り合った。ルーミィはラールさんを意識してか、僕と結婚するとかなんとか言い始めて僕を困らせてくる。ラールさんも負けじと、私も胸を触られたから結婚しないといけないとか言い出す始末。
そうだ、話題を変えよう。
僕たちは最後のデザートを食べながら、明日から始まる旅についての予定や不安を話し始めた。
「とりあえず、大陸を時計回りに旅しようかな」
「何で? 半時計回りの方が良くない? 学校の運動会みたいに、心臓が円の内側にある方が回りやすいでしょ」
「じゃあ、僕とルーミィは別行動かな?」
「なら、私がハル君と2人きりで行く!」
「なんでよ! ちょっと冗談を言ってみただけじゃない」
ラールさんは、まだ僕と一緒に来たがってるのか。
嬉しいけど、今はルーミィを何とか置いて行くことしか考える余裕がないや。
「で、僕は町から町へと3時間くらい浮遊魔法で飛んで移動するんだけど、ルーミィは練習してるよね?」
「飛べるわよ! 3分間くらいなら……」
「えっ! 何だって?」
「魔法を覚えてたったの2日で3分間も飛べるようになったのよ? あたしは大天才かもしれないわ!」
「3分間でも、音速並に速ければ文句は言わないけど、どうなの?」
「浮くだけ……」
「えっ!? それ、移動してないよね?」
「ハルがあたしを抱っこして飛べばいいじゃない」
「体重なら私もあまり変わらないはずよ?」
確かに、ラールさんはルーミィより身長が高いし胸も大きいけど、かなり細いから体重は同じくらいかもしれない。でも、誰かを抱っこして飛ぶと馬車より遅くなっちゃうよな。ルーミィを連れて行くなら馬車か……。
「一人で行くしかないかな……」
「嫌っ! うわぁぁぁん!!」
あ……泣かせちゃったよ。
「でも、徒歩だと時間が掛かるし、馬車だと馭者がいないし。飛べないなら仕方がないでしょ」
「もし馬車で行くなら、私が馭者をするわよ?」
あれ?
ルーミィの表情が目まぐるしく変わってるよ。分かりやすい。これは、希望と妥協を計算している顔だ。
「でも、ラールさんにはお店の手伝いがあるでしょ?」
「ルーミィちゃんがね、どうしても私がハル君と行きたいなら、店員を雇えるようにお金を出すって言ってくれたの」
ルーミィ、また自分勝手に決めた!
けど、やっぱり2人旅は不安だったのかな。正直、僕も1人旅は気楽な反面、不安もあるんだけどね。でも、そのお金の使い方には賛成する。
「でも、ラールさんのご両親が悲しみますよね」
「安心してください、既に説得済です!」
「……」
「それじゃあ決まりね、時計回りでいいから馬車で行きましょ! それに、ラールさんには水魔法と家事スキルがあるわ。居てくれたら助かるでしょ?」
正直、両手に花なんだし、本音を言えば大助かりだし。もういいや。連れて行く。
馬車の手配などはラールさんの方でしてくれるらしい。僕たちは、明日の早朝に南門集合ということで、一旦ラールさんと別れた。
★☆★
その夜、別々にお風呂を済ませた後、僕たちはベッドの端と端に潜り込んだ。ちょっと気になっていたことを聞いてみる。
「ねぇ、ルーミィ?」
「なによ? えっちなことはまだダメよ?」
「あほか! ラールさんのことだよ!」
「ラールさんをあたしが誘ったこと?」
「そう! お店にお金を出してあげるってのは構わないけど、ラールさんまで連れて行くとなると、逆に護衛が必要になるんじゃない?」
「それはそうなんだけど、ラールさんのあのときの目を見たら、他人事じゃないなって。絶対に連れて行くしかないって思ったのよ」
「僕が旅に出るって言ったら、思いっきり泣き出したとき?」
「うん。あたしと同じ目。置いていかれたら、悲しくて、毎日泣いて泣いて泣き続けて、そのまま死んじゃいそうな目。ラールさんもハルのこと大好きなんだって、はっきり分かったわ」
「僕なんかのどこが好きなんだよ……」
「ひ・み・つ!」
その夜は、ルーミィが手を握ってきたからずっと手を繋いだまま寝た。良い夢が見られるかな。
★☆★
朝6時、南門には馬1頭に繋がれた小さな幌馬車と、馬の頭を優しく撫でているラールさんの姿があった。
ラールさん一家はフィーネに来るまでは行商をしていたらしく、旅には慣れているそうだ。
「ハル君、ルーミィちゃん、おっはよう!」
昨日以上に元気な笑顔だ。派手さはないけど旅の服装もよく似合っている。ワンピースを着てきたルーミィとは真逆だ。
「ラールさん、おはよう!」
「ラールさん、今日からよろしくね!」
出発の支度を進めていると、顔見知りが次々と見送りに来てくれた。僕たちの両親やギルドマスターのリザ様まで……それと、ガルなんとかさんや、シャームさんも来ていた。でも、大半がラールさんのファンで、視線だけで焼き殺されそうな思いをしたのは内緒にしておく。
僕たちの旅は、多くの人に見送られながら始まった。リンネ様に授かった力で世界を巡る旅。リンネ様の願いを叶えるため、できるだけ多くの幸せを届けよう!
「みなさん、行ってきます!!」
「で、最初から雨とか……神様の嫌がらせ?」
出発して2時間ほどするとめ、正午近くには馬も馭者も耐えられないほどの土砂降りになっていた。
「ラールさん、どこかで雨宿りしようか」
「分かりました。この先、街道を少し外れた所に洞窟があるようなので、そこへ向かいます」
街道を南に1kmほど外れた岩山に、ぽっかりと口を開けた自然洞窟があった。馬車ごと避難できる広さがある。僕たちは大雨から逃げるように洞窟へと飛び込んだ。
「とんだ災難だったなぁ、少年!」
洞窟には先客がいた。冒険者風の4人パーティだ。
20代から30代と思われる男性が4人。盗賊かと心配して身構えた僕たちを安心させるように、愛嬌たっぷりに話しかけてきた。
「はい、雨が早く止めば良いのですが」
「どうだろうな。夜まで降り続きそうだぞ。少年、どこまで行くんだ」
「僕たちはティルス方面に旅をしています。お兄さんたちは冒険者ですか?」
一瞬、目配せをし合う男性たちを僕は見逃さなかった。ルーミィとラールさんには、念のために馬車の中に残ってもらっているけど、早く危険に気づいてほしい!
「俺たち、冒険者に見えるか?」
ヤバい、ヤバい! 盗賊っぽいよ!
僕は殺されて、ルーミィやラールさんはこの人たちの子どもを産むんだ! どうしよう!
「冒険者じゃなければ、国の巡察使ですか?」
「そこまで出世させてくれるのか!」
男たちがお腹を抱えて笑い転げている。絶対に盗賊でしょ! ルーミィもソウルジャッジを使ったのか、逃げる準備を始めている。
やるしかない!
僕は腰から父さんの短剣を抜く。
男たちの笑いが止まる。
男たちが立ち上がる前に、僕は動く!
「風刃! 風刃!!」
短剣を凪ぎ払うように振り抜くと、すぐさま返す刃で連撃を放つ! 奇襲は男たちの戦意を一瞬だけど削ることに成功した!
僕が動き出す馬車に走りながら飛びつくと、ルーミィが腕を引いて僕の身体を引っ張りあげてくれた。
雨の中、馬車は1時間ひたすら走った。
馬も馭者のラールさんも雨で低下していく体温からか、声も出なくなりつつある。そんなとき、木々が生い茂る森が僕たちの視界に入ってきた。
「ラールさん、森に入ろう!」
★☆★
墨汁のように広がる雨雲に太陽が隠されたせいか、森の中は濃い闇に覆われていた。その闇のお陰で、僕たちは森の奥に漂うたくさんの光を見つけた。
「あれ見て。綺麗な光……」
「魔物かなぁ? それとも、ホタル?」
「見に行かない?」
「ルーミィ! さっき盗賊に捕まりかけたのに! 慎重に行動しないとダメだって!」
「ハル君、でも、邪悪な光には見えないわ。まるで精霊がお祭りをしているみたい!」
確かにそうだ。
神秘的な光に誘われるようにして、僕たちは森の奥へと足を踏み入れた。
しばらく歩くと、淡い光は数千もの精霊の光だと分かった。風の精霊シルフ、光の精霊ウィルオーウィスプ、水の精霊ウンディーネ……たくさんの光が漂っている。
精霊たちは僕たちに気づいているのだろうが、警戒しながらも舞い続けている。
これは祭りなんかじゃない! 精霊が悲しみにうちひしがれて泣き叫んでいるみたいだ。森に悲哀が満ちている。僕たちも知らず知らずのうちに涙を流していた――。
光の中心に何かがいる。僕はゆっくりと歩を進めていく。
そしてそこで、青い蝶を見つけた――。
「2人とも、こっちに来て。この光の中心に綺麗な蝶がいる」
僕の声を聞き、2人が恐る恐る近づいてくる。
精霊はそれでも静かに舞い続けている。
「綺麗な蝶……でも、動かないわね……」
2人は僕を見つめる。雨で濡れた顔を、それと分かるくらいに流れる涙があった。彼女たちの目は、僕に蘇生魔法を促しているようだった。
僕は青い蝶に近づいて、右手の掌に乗せる。
精霊たちは、警戒するかのように一瞬煌めく。
僕は、言葉が通じるか分からないけど、救いたいという気持ちを誠意をもって伝える。
「今から蘇生魔法をかけます。安心してください」
言葉が通じたとは到底思えない。おそらく、僕の心が通じたのだろう。精霊たちは漂うことを止め、そっと見守るかのように、僕の一挙手一投足に注目している。
僕は膝をつき、右手の掌に左手を被せて包み込む。それを胸に抱くように寄せる。
人も蝶も命の尊さは同じだ。精霊たちや森の、小さな命を純粋に慈しむ優しい気持ちが溢れてくる。僕は、見返りなんていらない、この蝶を助けたいとだけ、強く願った。
優しく魔力を練り上げていく……。
包んだ両手から銀色の光が溢れ出してくる。
「聖なる光よ! この小さきものに、再び命の炎を灯したまえ。
レイジング・スピリット!」
僕の手から迸る銀の閃光が、精霊たちの光を凌駕して森を満たす。まるで、悲しみを吹き飛ばすかのように輝きを増していく!
僕はゆっくりと手を開く。
蝶は青い羽をゆっくりと動かす。
やがて、僕の手から舞い上がる。
僕の頭上を、何度も何度も飛び回る。
精霊たちの光が再び強く輝き始めた。
しかし、今度は悲しみではなく、小さき命を深く慈しむ、慈愛の心。
喜びを表現するかのように、精霊たちは踊るように舞い続けた。
僕たちは、しばらく光を眺めながら涙を流していた――。
★☆★
僕たちは森を出て馬車に戻った。気づいたら雨は止んでいた。たぶん、この雨は精霊たちの悲しみの涙だったのかもしれない。
「感動したわよ! 何回見ても泣いちゃうわ!」
「私は初めてハル君の魔法を見ましたが、まさに奇跡の魔法です! 本当に、本当に大好きです……」
「はいはい、ありがとありがと! 盗賊が心配だから、早く出発しましょうね!」
2人を僕が照れ臭そうに急かしていたそのとき、さっきの青い蝶が馬車に向かって飛んでくるのが見えた。蝶は馬車の上を何度か回ると、ゆっくりと地面に留まった。
青い羽が煌めき、蒼白い光の渦が生まれる。
やがて、蝶の姿は1人の少女の姿へと変化した。
『ワタシは花の妖精ミール。貴方が命を与えてくれたのね! お名前を聞かせてくださる?』
大きな黄金の瞳に、長いラピスラズリのように輝く髪は、まさに奇跡の美少女だった。妖精の年齢が見た目通りなら、13、14歳くらいだろうか。透明感のある身体は、細いながらも絶妙な美しさを表現している。
「僕は……ハルです。それよりも、早く服を着てください!」
ルーミィが自分のピンクのワンピースを急いで着せてあげている。
うん、よく似合ってる! 神秘を凝縮した美少女の裸を見れただけで、十分な報酬だよ。
花の妖精ミールは、白い頬を染めながらも僕の目をじっと見つめ、しばらく逡巡したあと、大きく頷きながら呟いた。
『貴方からはリンネ様の匂いがする。ワタシはかつてリンネ様と共に世界を旅しました。ハル様、今度は貴方と共に世界を旅します。これもリンネ様のお導きだと信じて』
「えっ!」