第五話「怒りの日」(挿絵あり)
儀式の日の夜、眠る木徳直人は夢を見ていた。
運命を形作る、自分の中の何かを。
それは特別な夢。
正方形の部屋。
夏制服姿の彼は部屋の中央に立っている。
見渡すと、部屋は中心を境に白と黒の色で仕切られていた。
直人が立っているのは丁度境界線上。
半身が白で、半身が黒の位置だった。
彼は目を瞑った。
昔の記憶が蘇る。
犬と遊んでいた。
昔飼っていた犬だった。
まだ若く元気な頃の姿。
楽しかった気持ちを思い出す。
そんな愛犬も目の前で年老いていく。
段々と弱る。
湧き上がる悲しみも思い出した。
直人は動物が好きだった。
人が失った純粋さを感じている。
動物には天国があって、死んだ犬もそこに行けると信じた。
美しい草原で駆けて遊ぶ犬達の姿も見える。
悲しいけれど、彼は報われた気持ちになった。
目を開ける。
部屋は白くなっていた。
黒は片隅に追いやられている。
直人は目を閉じた。
映像が浮かんでくる。
自分の記憶ではないと感じた。
端正な顔の男。
見覚えがある。
躬冠司郎だと理解した。
公園にいる。
黒い弓を構えていた。
能力の予行練習をしているのだろう。
暫くすると躬冠が何かを見つけた。
犬だ。
弓矢で狙いを定めている。
やめろ。
矢を放った。
やめてくれ。
近づいて、その後も数射。
死んだ。
犬は動かなくなった。
死んだのだと感じる。
なんで。
躬冠は平気な顔をしていた。
なんでだ。
心が見えてくる。
なぜそんな事ができる。
殺害への悦びが感じられた。
嫌でも伝わる。
醜く歪んだ心。
よく似た激しい何かが湧き上がってくる。
彼は目を開けた。
隅に追いやられていた黒が部屋の1/4ほど戻っていた。
止めどなく悲しみが湧いてくるのも感じる。
また目を閉じた。
再び見知らぬ映像が浮かんでくる。
今度は見知らぬ少年。
どこかで見た気もする。
少年は家の前で体操をしていた。
終わると周辺がスローモーションになる。
山吹色の光を放つ円輪が二つ見えた。
少年の視線の先。
黒猫がいる。
嫌でも先の展開が想像できた。
抑えていても悲しみが溢れ出る。
駆けた少年は黒猫を切り刻んだ。
耐えられない。
バラバラになった死体。
もう見たくない。
少年は壁の前に立っていた。
やめろ。
大きな光る剣を掲げている。
もうやめろ。
壁の向こうに大きな犬がいるのが見えていた。
クソ野郎。
犬は吠えていた。
糞野郎。
少年が大剣を振り下ろす。
許さない。
犬の真上に振り下ろされた光の帯。
絶対に。
ひしゃげる様にして潰されていく。
殺してやる。
ゲームみたいに。
殺してやる。
犬の四肢がミンチにされていく。
絶対に殺す。
全て焼かれた後、そこに犬の存在は残っていなかった。
少年の空虚な心と同じ様に。
直人は目を開けた。
黒が部屋の半分以上を占めている。
そんな事はどうでもいい程、奥底から湧いてくる負の感情を知った。
激しい憎悪。
堪えられない憤怒。
マグマにも思える激情がどこから現れるのかという程に沸き立つ。
それでも彼は目を瞑った。
見た事のない光景。
黒川ミズチが歩いている。
ただの散歩。
けれどその顔は幸せそうだった。
左利きを装ってもいない。
部室に葛葉レイがいる。
オカルトの本を読んでいた。
ワクワクする気持ちが伝わる。
幸せそうだった。
趣味を隠してもいない。
躬冠司郎が歩いている。
隣には妹の泉。
談笑している。
二人共幸せそうな顔。
少年が塀の近くにいる。
塀の上の黒猫を猫じゃらしでからかっていた。
隣家から犬と飼い主が出て来る。
屈んだ少年は犬の頭も撫でた。
少年も犬も幸せなそうな顔。
直人は目を開く。
部屋は白かった。
黒がどこにあったのかも分からない。
一面、白。
白から人の感情が伝わってくる。
優しさ。
悲しみ。
温かい感情。
それだけではない。
全ての真理。
知性の最終到達点。
――嘘だ。こんなのは紛い物だ。
僕が目にした悪魔は、アイツは、偽りの笑顔で左利きを装っている――
彼は自ら生温い救いを振り払った。
――だけど、どうして。
なんでああして生きられない。
地獄にしたがる。
なぜそう変えたがるんだ。
――したいのか。
お前らはそんなに醜くしたいのか。
――なら見せてやる。
糞人間共の為にここへ呼んでやる。
――僕が。
ここで地獄を感じさせてやる。
もう目は閉じなかった。
部屋が一気に黒くなっていく。
それでも白はまだ力強く残っていた。
1/4未満になった白から光が溢れた。
まばゆい光明。
酷く眩しい。
だがとても美しかった。
直人の身体が宙に浮いた。
自分の意思に反して両腕が広がる。
両掌に釘が打ち込まれる。
激しい苦痛。
けれど血は流れない。
光輝から白のプリーストが漏れ出てくる。
プリーストは白の概念で人に語りかける。
人語ではない。
彼は顔を背けた。
自身の言葉が浮かぶ。
――昔から変わらない。
ホワイトは無力。
お前達は何もしない。
見ているだけ。
天国も存在しない。
慈悲や許しでは解決しなかった。
直人が両手に力を込めた。
――苦痛も、贖罪も、全く、無意味だ。
無理やり釘を引き抜く。
白のプリーストが急速に退行していく。
萎縮した光は消え、白は力なく片隅へ追いやられた。
部屋の殆どを占めた黒。
そこから蠢く闇が現れた。
空間から黒のセノバイトが漏れ出てくる。
セノバイトは邪悪な概念で人に語りかける。
憎悪の言葉。
彼は快楽を感じた。
今まで感じた事のない悦楽。
性的な快感に満たされた。
四方の闇から鎖が飛んで来る。
飛来した複数の鎖の先、鉤爪が皮膚に突き刺さる。
肉が裂け、鮮血が噴き出す。
直人は鎖に繋がれ、宙吊りにされていた。
伴う苦痛、増した快楽。
同時に激しい憎悪が燃え上がる。
凄まじい怒りが込み上げる。
血が滴ると鎖が緩んだ。
地に足を着ける。
闇の中で光る眼。
部屋のどこを見ても白はいない。
真っ黒な部屋。
まるで牢獄。
だが意思はハッキリとある。
彼には見えていた。
自分が何をしたいかを。
直人は目を覚ました。
生々しい夢の幻像。
身体中が汗だくだった。
頭だけは酷くクリアだ。
唾と共に言葉を吐き捨てる。
「地獄で腐り落ちろ」
夢の中と同じ感情を自覚した。
「何度も殺す」
その時、右手の手首がちくりとした。
しかし彼は気にしなかった。
落ち着いてから携帯電話を手に取る。
いつもの彼女――ミズチからのメールを受信していた。
開く前に何かを感じる。
内容はもう知っていた。
だが直人はまだ気づかない。
右手の甲側、手首に浮き出た『1』に似た痣を。
*
パジャマ姿の次元由美は、自分のベッドで寝転んでいた。
その部屋は彼女らしいガーリーな雰囲気だ。
親友の黒川美月に促され入ったオカルト研究会。初日から結構愉しかったと思い返す。
――男子は木徳君一人だけ。案外頼もしそうで意外な感じ。あんなタイプだったんだ。
そういえばなんで躬冠さんをじっと見てたんだろ。もしや……一目惚れ?
「あー、なんか由美も話したくなっちゃった」
由美は携帯電話を手に取り、メモリから即座に電話をかけた。
「あ、ゆう君、今何してる? ――うん。用はないんだけどね、声が聞きたくなっちゃった」
ベッドの上で脚をバタバタしながら笑みが溢れている。
「そうそう、由美ね、オカルト研究会に入っちゃった。うん。なかなか面白いんだよ。今日なんてね――」
彼女が電話をかけている、すぐ近く。
部屋の中央に三日月が浮かんでいる。
小型で黄色。
由美は異質な存在に気づかない。
物体は微かに振動していた。
音もなく動き出す。
部屋には鏡台も置かれている。
そこへ向かって進んでいく。
三日月は鏡の前まで来た。
更には鏡面へと入っていく。
完全に収まって、姿を消した。
電話中の由美はまだ知らない。
招いた者を。




