第三話「発現と会議」(挿絵あり)
躬冠司郎は射場からの帰り際、メール受信に気づいた。
覚えのないアドレス。
スパムだと疑って開かず、道具を片付けて帰路についた。
いつもと同じ行動パターン。
妙な体験をしても行動に変わりはない。
帰宅した彼を出迎えたのは、二歳違いの妹である躬冠泉だった。
「おかえりお兄ちゃん!」
「ああ、ただいま」
同じ高校で一年の妹には最近よく出迎えられている。
「お兄ちゃん、お肩をお揉みしましょうか?」
泉はブラザーコンプレックスの節があった。
過剰に接してくる妹が鬱陶しいと司郎はいつもあしらう。
「いらん」
「えー揉ませてよー」
「そんな事より勉強でもしろ」
「勉強は嫌だー。あ、お兄ちゃんが教えてくれるなら勉強もするよん」
「今度な」
「えー、いっつもそんな事言ってるじゃん。今度があった試しがない!」
膨れっ面を見せてきても無視して自室に向かう。
学校での泉は常によそよそしい。人目や評判を気にしてるからかと彼は考えていた。
部屋で一息。携帯を取り出して例のメールを開いた。
――信じられないが引っかかる。
黒川美月の方なら覚えもあるが。
文面への第一印象。
宛て先のアドレスは不自然な数列や英数字で返信しても無駄と察する。
彼女は成績優秀な女子生徒で容姿端麗、三年生の間でも話題として挙がる。
司郎は興味がなかったので黒川の姿は知らずにいた。
――だが優等生が殺人鬼だとは信じられん。
その常識は添付画像の確認で変質した。
「この写真」
数枚の画像にはそれぞれ彼女らしき女と、側には損傷した死体とおぼしき物が写っている。
「隠し撮り」
被写体は撮影に気づいておらず、雑な撮り方が盗撮的だ。
「色々と確かめる必要があるな」
女の件は明日にでも学校で確かめられると判断した。
――その前に検証できる事がもう一つ。
彼がわざと考えずにいた事。
いかにも子供臭くバカバカしい考え。
質が悪かった際、惨めな気分になるのは自分だと感じた。
プライドが許さない所でもある。
しかし今回は例外的に一線を越えた。
部屋の中心で弓を構えるポーズをとる。
やり方は理解してないが射場での記憶を呼び起こす。
皮膚が逆立つ感覚が走る。
司郎はなぜか昔好きだったヒーロー番組を思い出した。
「――出てこい」
空間から霧に似た黒い物体が現れる。
黒い霧は構えた手の中で見覚えがある形に収束していく。
形が定まると、正に弓を模していた。
「まだだ」――今度は矢。
意思に呼応して霧は再び見覚えがある細長い形へと収束する。
彼は影を思わす黒い弓矢を構えていた。
「本当だった。俺はこんな……」
驚きだけではない歓びと興奮。
久々に感じる高揚感。
笑いが止まらなくなる。
な ん て 簡 単 な ん だ
――パーフェクト。
完璧と呼ばれるだけはある。これが才能。
自画自賛が可笑しくて堪らない。それが正しい事も。
司郎は黒の弓矢を目に焼きつけた。
蠢くエネルギー。
――なんでもいい。これが俺の力だ。
次に彼は弓矢を“射ってみたい”という衝動に駆られた。
「待ってろ。黒川美月。俺が見定めてやる」
――射るのはその後だ。
*
高校最寄りのアジトは歩いて五分。普通のアパートの一室だった。
二人は部屋の前に立ち、いつの間にか眼鏡をかけていた黒川ミズチがドアを開けた。
木徳直人も口を開く。
「鍵をかけてないのは不用心だね」
「盗める物なんて何もない。もし侵入者がいても殺すよ」
室内を眺める。
拘束された部屋と同じで畳のワンルームには物が何もない。
「……こないだのミズチの提案、受けるよ」
入って真っ先に意向を伝えた。
「ありがとう。嬉しい」
――命が助かって読者も得られる。これでいい。
彼は手を差し出した。
「改めてよろしく」
「こちらこそ」
返答した彼女と握手を交わす。
握り返してくる力は想像より強い。
――これで同盟は成立。
二人はおもむろに畳へ座して、何となしに話を始めた。
「何かと都合がいいからあたしは部屋をいくつも用意してる」
「殺人の都合か」
「フフッ。普段なんとなく過ごす時もあるよ」
「何にもない部屋で?」
「食事をしたり本を読んだり。家でもミズチだけだから大して変わらない」
「親御さんはどうしてるの?」
「いない」
聞いたらまずかったかと直人は思った。
一方では常識的な思考が働くのを可笑しく感じる。
魔術を駆使する狂人に常識だとかバカバカしい――
「……亡くなったのかな。お金は? 部屋の維持費にしても」
「あたしは養子で実の親じゃなかったけど、遺産があったから。管理してくれてる人もいる」
今までと違って妙に物寂しげだ。
空虚な顔だとも感じた。
座り方まで色っぽく見えて、彼は変に情欲が湧いた。
衝動に抗って取り繕う。
「……ははっ、普段お嬢様っぽかったけど本当にお嬢様だ。管理してくれてる人が身近にいるなら良かったね」
「全然会った事ないよ。顔も覚えてない」
超常の世界以外でも複雑なミズチの環境。
気まずい空気が流れる。
話題を変える為に話を振った。
「そういえばあの銀色のナイフ、アサメイだっけ。今も持ってる?」
「持ってるよ。いつも持ってるから」
「ちょっと見せてくれないかな」
彼女は返答せず黙ってバッグからアサメイを取り出す。
素直にナイフを直人へと渡した。
「やっぱり……軽い」
「そのナイフ好き?」
「好きか嫌いかなら……好きだな。デザインも良いと思う」
「嬉しい」
彼は喜ばれた意味が分からず無視した。
「この柄にあるギザギザは何か意味があるの?」
「買った時は付いてなかった。持ってたら刻まれてたよ」
「魔術的な関係……?」
「多分。あたしが使ってる証、ミズチの物であるという刻印。秘めた力を表す紋章かも」
何事にも意味がある。作家志望の直人は常々そう考えていた。
解釈を終えてナイフを返す。
「――あのね。あたし木徳くんに伝えておかなきゃいけない話がある」
「さっき言ってた件?」
「今日はこれが一番大事。前に言う約束もしたからここにも連れてきた」
「もう聞くしかないな」
ミズチが思い返す様に語りだす。
「あの夜、ミズチは木徳直人を殺そうとした。馬乗りになった時、貴方は死ぬはずだった。けどなぜか魔術が発動しなかった。原因は分からない。
殺さなかったわけじゃない。殺したくても殺せなかった。絶対にありえない状況だったの。初めて体験した。だから貴方を殺そうとした瞬間。
殺す為に変わるあのエネルギーは宙ぶらりんになった。向こうから呼んだエネルギーは必ず何かに変わる、それが魔術だから……。
魔術の失敗でエネルギーはこの世界に残った。感じたの。あの時のあたしは無意識に叫んでた。喉が張り裂けるぐらい。ミズチにとって異常な事態。
その時に見たんだ。宙ぶらりんのエネルギーの行方も。――ねえ。木徳くんはフォースボールって有名な漫画かアニメ、知ってる?」
彼女の声のない叫び。あの異様な光景――
突然質問を振られた彼は我に返る。
「……あ、ああ。勿論知ってる」
「ボールを四つ集めて龍を呼び出す。願いを叶える。次の願いを叶える為に、球は光って天に昇るよね。それから方々へ四散する場面」
「覚えてるよ」
「あんな事が起こったの。ミズチの叫びと一緒にエネルギーが天に昇って四散した」
「それって一体――」
「あたしには止められなかった。魔術の発動やその失敗を止められないのと同じ」
――ずっと引っかかっていた、魔女が僕を殺し損ねた理由。
これが糸口になる。全ての事に必ず意味が……。
直人は身体のほてりを感じた。
ミズチが最後に結論付ける。
「多分これから。あたし達にとって、とても悪い事が起こる」