2-1 あははははは
地元を離れた高校に入学した朱莉にとって、初めて出会う人々と作るクラスはまさに新天地だった。
人と仲良くするのは嫌いではなかった。しかし霊感応力がある限り、深くかかわるのはよくないと肌で感じてもいた。
高校に入学してすぐ、朱莉は五人ほどの女子グループの中の一人として、その地位を確立していたのだが、あくまで普通に、個性を潰して、目立ちすぎないモブ的ポジションに徹していた。
女子高生が五人も集まれば、話題は決まってテレビタレントの話から、新しくできたスイーツ店の情報、ファッションチェック、そして恋話と、若く瑞々しい彼女らの頭の中にあるすべては、来る日も来る日も惜しげもなく午後の緩んだ空気中に消費されていた。
絵を描くことばかりに傾倒してきた今までの朱莉にとって、それらは何もかもが新鮮だった。
かつて画家、摩天芳武に魅了され、自分の思いのたけを込めた絵を描きたいと思っていた。
皆が皆をたたえ合い、なんとなく共同意識と協調意識を強いられるあの集団。あの世間に媚びるばかりの創作物を量産していた漫画研究部。その優しき小世界に君臨していた絶対女王を打倒し、その頂点へ。
世界の色を塗り替えてやろうと思いあがっていた中学時代。
結果叩きのめされ、打ちのめされた挙句、忌まわしい霊感応力に目覚めたあの日々から脱却して、生まれ変われるのだと確信していた。
そのために、自分は何の特技もない普通のただの女子校生だと振る舞っていた。
守護霊の鞠とのやり取りは相変わらずあったが、それも必要最低限にとどめておいた。鞠が語りかけたとしても、念話が苦手な朱莉はやり取りをめんどくさがって無視することの方が多く、ちょうど反抗期の母と娘のような関係性で維持されていた。
「四組の平瀬ってさー、ヤバくない?」
「花見客マジ多すぎ、なにこれ、みんな暇人かっ!」
「きいて! モンブランがもうっ、さいっこーなの」
「つか、向井、靴下穴あいてるしぃ」
「あはは、お花見たのしぃねぇ」
朱莉の属していたグループは、流動的で奔放で、甘いものと可愛いものが大好きな、"ザ・女子"ともいえるグループであった。その中に溶け込むのはそれほど難しくはなかったし、違和感も感じないようにしていた。何よりいつも面白いことばかりを探して、笑いあっている彼女らの中に居れば、気が陰に入ることはなかったから、心地が良かった。
「今年は海いくよ! ビキニ買いにいこ!」
「あたしパスー。事務所との契約で水着NGだしー」
「事務所ってなんだよ。田島ぁ、最近はぽっちゃり萌えって属性があるから大丈夫だよ」
「海の家で、焼きそばたーべーるー!」
「あははは、海は楽しいねぇ」
夏と言えば! とばかりに、極ごくわずかな出会いへの期待を胸に、連れだって海に遊びに行くなんてこともした。
しかし、首都圏からでも、こぞって若者たちが出張ってくるほど活況で、歌のモチーフにもなる全国的に有名な笠鷺市の志賀崎海岸である。
洗練された容姿も持たず、派手な振る舞いもできない彼女ら地元地方都市女子高生五人組の存在はあまりに霞んでいた。そして帰りにはアイスを舐めながら、まあ現実はそんなもんだよね、と互いに口にしながら家路をたどった。
「やっぱ彼氏ほしー。あたしもテニスしようかなぁ」
「つか、無理じゃね? 夏にみんな太ったし」
「だよねぇ、ああ、かき氷も終わりだなぁ……」
「ところで冷やし中華ってぇ、なんで夏だけしかしないんだろ。ざるそばは年中あるのに?」
「あはははは、なんでだろうねぇ」
夏が終わり、本格的な秋に入るころ。文化祭や秋祭りなどのイベントで、自然と男女は仲が良くなる。そういった空気の中で少女たちはまだ自分には訪れていない、いずれ訪れるであろう"恋"というものに思いをはせるようになる。そしてやがて焦りに転じる。
「つーか、平瀬が今度のテニスの試合に出るんだけどー」
「やっぱさ、彼氏は気遣いできなきゃダメなわけよ」
「あーあたしが、タコ焼き食べたいって思ったら、ポケットから出してくれるとかぁ」
「ぐちゃぐちゃだろ、ポケットの中ソースまみれだよ! オトコは清潔感、これ大事!」
「あははははは、面白いねぇ」
朱莉はそんな彼女らの会話を聴きながら、別の思惑に囚われていた。文化祭で発表されていた漫画研究部の作品が忘れられなかった。
あの頃の、絵に情熱を傾けていた自分が急に懐かしく思えた。わずかな、気づかないほどの嫉妬心を抱えながら。
絵を描きたい。ずっとそう思いながらも描けなかった。しかし振り切らなければならない。もう描かないと決めたのだ。
漫研部での悶着が朱莉にとって最悪の"陰念"を呼び起こし、霊感応力を目覚めさせる遠因となった苦い思いが、彼女を絵画から遠ざけた。だから高校生になってもクラブには所属しなかった。もう傷ついたり打ちのめされたりするのが嫌だった。
こちら側に居れば傷つくことなどなく、ただ馬鹿みたいにふるまっていれば済んだ。心を燃やして本気など出さなくとも、彼女らに同調して、あははと笑っていればよかった。
「四組のたこ焼き美味しかったなぁ……」
「文化祭の後の後夜祭って、フォークダンスとかあるんだっけ?」
「んなもんあるかよ、いつの時代だよ」
「クリスマスまであと一か月。逆算したらもう告白してないとダメじゃん!」
「あはははははは、あせるよねぇ」
そんなわけで、グループの中心的存在の向井麻尋の告白大作戦が決行されることになった。もちろん、一年四組の平瀬健二にだ。
向井麻尋と平瀬健二は中学の時のクラスメイトで、中二の時から彼女は彼に、絶賛片思いだったそうだ。
向井麻尋はツインテールが特徴的な、快活で感情豊かな女の子だった。細かいことは気にしないという大らかさも、情熱的で律義なところも、人として信用たる人物といえるが、女性としておしとやかであるかといえば、首をかしげたくなるところはある。
ただ、この年代の子に女らしさや男らしさを強く求めても、出てくるのは子供らしさに縁どられた性的な特性でしかない。それに気づかない当事者同士が、恋愛事情に頭を悩ませあうのは微笑ましい光景だといえよう。
実は、平瀬健二の通学路は朱莉のそれとよく似ていた。
朱莉が例によって、霊による干渉を避けるための道が平瀬健二の家の前を通るルートだったので、登校時にはよく顔を合わせた。
最初は、中学も同じではなかったので会釈するほどの関わりもなかったが、夏前くらいから、少なくとも同じ学校でよく見る顔だ、というくらいには互いに認識していた。
朱莉も平瀬健二も登校時はいつも独りだったので、毎朝のように数メートルの距離を空けて彼の背中を見ながら道を歩いていた。
背が高く、よく日に焼けた健康的な顔に、白い歯は好印象で、それほどに男前でなくともモテるだろうなという雰囲気はあった。毎朝のように会っているのだから仕方がないが、夏休みを挟んで、秋口くらいから彼とはよく目が合うようになった。
朱莉がいつも自分の背後のポジションに居ることを意識している。それは背を追う朱莉も同じだ。互いにそこに特定の誰かがいるという事、すなわち存在を認識するという事が念の認識行為“干渉”にあたる。そうなれば、人と人としてのコミュニケーションがとれるようになる。この仕組みは霊感応力者が霊と対話に至るまでと全く同じである。
そうして、やがて朱莉と平瀬健二は、向井麻尋の共通の知り合いという事もあり、登校時に一言二言話すようになっていた。時に笑いあい、時に慮りあい、顔見知りから友人となりつつあった。
しかしあくまで彼とは登校時の伴としてだ。それ以上に彼と肩を並べる意味など微塵も感じなかった。せいぜい向井麻尋を持ちあげて、神輿に担いでやろうという意識が少しあったくらいだ。女の友情として。
そしてこれは、彼女の願いが平瀬という神宮に迎え入れてもらえるようにするための、百度参りのようなものだとさえ思っていた。
向井麻尋の告白大作戦が、水面下で胎動していることは朱莉も知ってはいたが、無論それを平瀬に伝えるわけにはいかない。そして無用な予断を与える恐れを考慮して、グループの四人にも、自分が平瀬と通じていることを伏せておいた。
鷹揚で傍若無人な向井麻尋とはいえ、告白とは“5S”が基本だ。
すなわち、不意打でありながら、自ら生贄となり、従属を暗に誓う声明であり、その果てに得るものが可否如何を問わず満足であるべきであると。
告白など、生まれてこの方したことがない朱莉ではあったが、屁理屈だけは立派に持っていた。