1-5 今時流行んねぇ
美玲のノートはとても字が綺麗で、分かりやすく授業の要点が記されていた。
(いー子じゃない、美玲ちゃん)
「うん、そうだけどね。でもさ、あたしみたいな奴になんであんな優しくしてくれるんだろ」
(人にやさしくするのに理由なんてないんじゃない? 困ってる人がいたら助ける。悲しんでいる人がいたら寄り添う、怒っている人がいたら話を聞く、そういうこと自然とできるのが人間でしょ)
「自然じゃないよ。生まれ持ってる優れた才能と、人もうらやむ美貌があの余裕を生むだけだよ」
(捻くれてるわねぇ)
「ふん、あんな風にまっすぐ育つ方がめずらしいよ…………あ」
「――あん? なんだ、ウチの大根がそんなに珍しいのか?」
「あ、や……ども」
眼前の野菜棚にむけた人差し指を折りながら、朱莉は地元商店街の八百屋の店主、曽根崎翔に頭を下げる。
「――大根はちゃんと土を耕して、愛情かけてやりゃあまっすぐ伸びるんだよ。元気なのはいいけど、相変わらず独り言多いねぇ。今日はおつかいかい?」
恰幅のいい曽根崎翔は、朱莉が小さいときからよく知っている、。やんちゃなお兄さんといったところだが、染みついた昔の気質はなかなか拭えないらしく、背中に虎の刺繍の入った黒の長袖Tシャツに前掛け、頭ばばりっとリーゼントに決めていた。
昔は悪たれで、ここいら一帯の不良どもを締めていたという。いわゆる伝説かもしれないが、本人いわく、一時は『与鶴の黒豹』などと呼ばれていたそうだ。
それが十年ほど前に父親が他界したのをきっかけに店を継いで、今では気風のいい八百屋店主として立派にやっている。
「……うん、母さんがキャベツ買ってきてくれって、コレください」と陳列された棚から一つを取り、曾根崎翔に差し出す。
「朱莉ちゃん、それレタスな。そろそろ覚えようなぁ」気のいい曽根崎翔は白い歯を見せて笑うと、ハンドボール大のキャベツを一つかみで袋に入れ、朱莉へと手渡す。
「に、しても。どうしたんだい、その頭。まさか高校デビューとか?」
すっかり忘れていた。金髪になっていたことを。
「いっ、いやいやいや、ま、さか……ですよ!」
「ははっ。だよなぁ、もっぱら俺らのツレでも、そこまでまっ金々にしてた奴はいなかったわ、今どき流行んねぇしなぁ」
そう言って曾根崎翔はちらと後ろを振り返る。そこには額に入った写真立てがある。どうやら昔の仲間との記念写真らしい。二人並んで肩を組んでいる。色黒の男はまだ痩身であった頃の、黒豹と呼ばれていた曾根崎翔だろう。
二十一世紀の現役女子高生の自分が、三十五歳の元不良に言われると無性に悔しくなり、思わず写真を指さして「ぶう……その隣の人、翔さんのお友達もアタマ真っ赤じゃないですか」といってしまう。
「あ――ああ。確かになぁ。こいつは死ぬまでこの頭やめなかったよなぁ」写真額を手に取った曾根崎翔は急に口調がしんみりとした。「そりゃあ、こんな目立つ頭してりゃあ、周りの不良どもが黙ってないってな――――だけどこいつは陰念つけてくる奴らをことごとく返り討ちにしてしまい、いつしか関東の小覇王、その頭から孤高の鶏頭とか、狂鶏なんて呼ばれたんだ。本人はそんな称号なんとも思っちゃいなかったけどな」
なるほどうまいことをいう。赤い頭だからニワトリのトサカになぞらえたのか、と。
「だから赤い頭のやつには手を出すな、命が惜しけりゃ近寄るな、みたいな伝説になってよ、ま、一種のアイコンだわな。たった一年の間にこいつに刃向かう奴は一人としていなくなった。でも、誰とも徒党を組みたがらなくてよ、一匹狼って感じでよ。まさに牛尾となるなかれ、ってやつだよ」
曾根崎翔は意外にもインテリっぽい言葉を端々に交えるところが、ただのやんちゃさんとは違うところだ。
話の流れからすると、その赤髪の男はもうこの世には居ないらしい。曾根崎翔とは無二の親友といったところだったのか、あるいはライバルだったのか、多少脚色が入っているかもしれないが、彼が高校生くらいの話だそうだ。
「だからそれ以来うちらの界隈じゃあ、髪を赤く染めるのはリスペクトを込めて、御法度になってるってわけだ」
そんな裏話別に知りたくもないが、なるほど、確かに髪を真っ赤に染めた不良など、いかにもやばそうだ。人は絡まれたくはないから避けるだろうな、とおもう。
「……いや、これは、あれですよ、友達にイベントでコスプレやってくれって言われて、それで……やですよねぇ、なんでオタクはこういうのやりたがるのか……あはは」
女子の矜持として、命とも言える髪を失敗でまっ金きんにしてしまったなどとは言えない。
「ま、朱莉ちゃん可愛いから何でも似合うとは思うけどね」
「かっ、かわ――――」
「だが――ダチのため、校則なんてクソ食らえってぇその全力さこそ、美しい友情ってもんだ!」曾根崎翔はサムズアップをしつつ、にかっと笑う。全然クソ食らえでも何でもなく、今日一日こんこんと説教を受けたばかりだ。
「うんうん、ダチは大事にしねぇといけねぇ。俺の昔のツレなんだが――――」
「あ……あと! 大根と、タマネギと、えーとジャガイモ!」隙を見せれば昔話が飛び出してくる。
なにより、とりあえずついた嘘が褒められることの不本意さに居心地が悪くなり、そそくさと退散するしかなかった。それに、誰かのために自分が行動を起こすなんてことを今までしてこなかった。自分のことだけで精いっぱいだったから。
普通の人以上の世界が見えて、それはややこしくて、鬱陶しくて面倒で、邪魔ばかりされる。自分ばっかりがこんな目にあって、生活を犠牲にしている。むしろ助けてほしいくらいなのだ。
「あたしにはできないや。そんな包容力はないな――あたしは小さい人間だから」
霊感応力に目覚めるまでの朱莉は、よそ見をすることもなく真面目に授業を受け、遅刻もせず宿題を忘れることもない、ただひたすら、ひたむきに絵を描くことだけが好きな真面目な女の子だった。
漫画研究部に所属し、楽しく漫画やイラストを描いていた。喧々諤々と絵の腕を仲間たちと研鑽し合い、その中で時に悶着も中学生なりにはあった。自分の得意な分野だからこそ、周囲との協調を欠いて自己主張を貫いてしまうことは、誰にでもよくあることだ。
(あの時の朱莉ちゃん尖ってたもんね。まさに門外漢って感じで)
「信念に忠実で、情熱的だったって言ってよ。別にハブられてたわけでも、ディスられてたわけでもじゃないし」
そう思うようにしている。仲のいい部員もいたが、漫研部の過半数が朱莉を敵視していたといっていいだろう状況だった。徒党を組んで陰口を叩いたり、有りもしない噂を流したり、嫌がらせをする者達を朱莉は徹底的に軽蔑していた。そんな奴らに負けるかと。
結局、三年生の中盤から部活動自体が有耶無耶になり、彼女らとはそれ以来同じばで活動することもなくなり、高校も別になったから仲違いをした者達とは修正の機会を得ないまま、年月が過ぎていた。
今ではいい思い出だ、などと思えるほど大人でもないし、うじうじと思い悩むほど子供でもない。高校生の朱莉はかの出来事を、ひとまず棚に置いて忘れるという選択をしていた。
(なんか、朱莉ちゃん年を追うごとに青春の精彩に陰りを感じるわ。私チョット心配)
「どの口がいうかな……そもそも、霊感応力なんてなけりゃ――」
霊感応力を得て鞠と出会い、絵を描くどころではない日常が訪れた。朱莉は自身の意思とは無関係に、世界の外側へと追いやられる形となった。ここまでの三年間は慣れない霊感応力に加え、高校受験という障壁を越えるのに精いっぱいで、青春を謳歌どころではなかった。
前から浮遊霊と思しき存在が、人の顔を覗き見ながらフラフラと歩いてくる。頭をぶんぶんと勢いよく振る。
気持ちが陰に偏ると、この世ならざる者の周波数帯に入ってしまい、干渉されてしまう。これは霊感応力者が、人よりも感度の良い送受信機を持っていると考えると解りやすい。
普通の人間は特定の可聴音域と、特定の可視光線域しか受信することが出来ないのに比べ、霊感応力者はその幅が何倍も広く、さらにそれを同調させ、可視聴域を変化させることが出来る。
そのため現世に浮遊、あるいは地縛する霊などと交信することが出来る。訓練次第ではそれぞれの人の背後にいる、守護霊や指導霊などとも会話が出来たり、イメージの力で物理現象を起こす念動力を扱えたり、また特別な術式を使い霊を制御することもできる。
ただ、朱莉はずっと霊感応力に反発したまま、特別に訓練することもなく、彼等や自分の置かれた環境から逃げて避けてきた。自分に備わっている能力などただひたすら邪魔なものでしかなく、霊が心のありようによって自然と見えてしまう。だからこそ普通を貫けるならとことん貫こうと努力してきた。
霊は日常的にいる。三丁目の電柱にいつも立っていて、朱莉が通るたびにコートの前を開いて、行く手を遮るように飛び出してくる変質者の霊。当時中学生の朱莉は最初に驚いたのがきっかけで、向こう側に認識され、それ以来何度も干渉を受け続けるものだから、それ以来遠回りになっても通学路を変更しなければならなくなった。
他にも、子供が川で溺れてると慌てて助けに行ったら、それは溺れ死んだ子の霊で、これにも認識されて以来、川のそばを通るたびに溺死の瞬間を見せられる。
近くを通るたび、突然怒鳴りだす老婆の霊もいれば、もはや人の形をしていないような、ゲル状の黒い何かが突然話しかけてきたりする。
驚くなというほうが無理だし、驚けば認識されて、干渉される。これを避けようとすれば朱莉の行動範囲は日に日に縮まっていってしまう。
それが憂鬱だと気持ちを陰にすれば、さらに多くの霊と周波数を合わせてしまい、触れ合うことになるという負の連鎖がどこまでも続く。
だから気を散らして無視をすることに努めた。そして面白くも楽しくもないのに無意味に笑う。表向きだけでも笑っていれば霊感応力は裏側へと潜む。
霊感応力に目覚めてからずっとそうやってきた。周囲からは視線が定まらないだの、いつもニコニコしているが何を考えているのか解らないだとか、独り言が多いだとか、怪しい、挙動不審だ、などと散々な評価を受けてきた。
地元区外の、中学の時の同級生がほぼいない高校を選んだのは、そんな青春をやり直そうという思いからだ。そして一年の間は騙し騙し、普遍的な女子グループにも所属し、一緒に昼ご飯を食べたり、連れ立って遊びに出かけたりする関係性も築いていた。
そう、名前のごとく明るく元気な女の子を演じ続けて、霊感応力が表出しないように努力していたのだ。
日が落ちかける町内の至る所から、夕飯の支度をしているのであろう香しい匂いが漂ってきて、急におなかが空いてきた。
「くっそ、野菜重てぇ……」
(朱莉ちゃん、なんで頼まれもしてないもの、そんなに買い込んでるのよ、お母さん言ってたのキャベツ一個だけだったでしょ?)
「……多分明日はカレーなんだから、いいのっ!」