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花の命は短くてっ!   作者: 相楽山椒
第三話 その異形なる者
18/25

3-5 バカにバカっていわないでよバカ!

 かくして事務所に戻った朱莉たちは、予定通り三日で終えた志賀崎南の屋敷の清掃手当を、島本より手渡された。


 霊と関わるようになって、初めて遭ったひどい霊障だったが、対価として七万円近い破格の給金を手に入れることができた。高校生の朱莉からしてみれば、その茶封筒の厚みは、あれらの忌々しい記憶を薄れさせるほどのものであった事は確かだった。


「いやあ、ホクホクだねぇ。懐があったかいってのは大きな気持ちになれるねぇ!」


 フルハウスクリーニングの事務所を出た朱莉は早速、得た給金でご飯でも食べて帰ろうと聡子を誘う。


「折角だし、今日ぐらいいいじゃん、打ち上げだよ。パーッと美味しいもの食べて、仕上げにカフェでグランデサイズを――――くぅうう! 贅沢ぅ!」


「……いや、誘ってくれるのは有り難いんだけど、さすがにさぁ」喜色満面の朱莉に対して、聡子はどこか焦っている様子で応えた。


「さすがにって、なにが?」


「なにがって、この三日間あんたとわたし、ずーっと一緒じゃん?」


「ん? 一緒だったよね?」


「テスト」


「てすと?」


「っんもぉ! お互い頭いい方じゃないってのはなんとなく気づいてたけど、あんた筋金入りでバカよね?」


「なっ、なにを……バカにバカって言わないでよバカ!」


「それを言うならバカにバカって言われたくない、だ! 中間テスト! 休み明け一発目からあるだろ!」


 暖かい懐とは裏腹に背筋が一気に冷え込んだ。


 連休の間、勉強など一切していなかった。戸田美玲が貸してくれたノートを丸写ししたはいいものの、要点を洗っただけで点数が取れるなら苦労はない。


 これは本格的にまずい。


(あっはは、一夜漬けねぇ。浅漬けよねぇ)


 聡子と別れて帰る道すがら、後頭部の方で聞こえる鞠の笑い声を憎々しく聞きながら、コンビニで買ったアイスカフェラテをすすりつつ、帳の降りる家路をたどる。


(しっかし――聡子ちゃんに憑いてたとはねぇ、開けてびっくりね! ねえ?)


(――鞠さん……今あたしは猛烈に焦ってるの、ちょっと静かにしておいてくんない?)


 前だけを見据えて早足で道を往く朱莉は、鞠の雑談めいた話をにべもなくはねのける。


(あらあら、愚か者ここに極まれりね――――考えたって仕方ないでしょう、帰ってご飯食べたら、テレビの誘惑を振り切って机に向かう! 集中してやれば明日の教科分の対策くらい出来るわよ)


(簡単に言わないでよ)


 当事者ではないからなんとでも言えるのだ。集中するということがいかに難しいことなのかを、大人は忘れてしまっているのだ。と朱莉は歯噛みする。


(そりゃまあね、大変だとは思うわよ、学生さんは。遊びたい盛りでもあるし、様々な誘惑にも駆られる年頃だしね。まして今日の朱莉ちゃんは肉体労働ときたもんだ)


 へぇ、と朱莉には鞠が理解ある大人のように、ささやかながら労をねぎらってくれているように聞こえた。


(ふふん。そーよ、平成の世に生きる、霊感応力女子高生のあたしの大変さがわかるでしょ? 情報の大海に身を委ねつつ、そこに埋もれ翻弄されることなく、無意味とも思える拷問のような責務に耐えながら、女としての輝きを増すため日々研鑽し、有象無象と触れあいご機嫌を取っては、自身が立身するための金銭を蓄えなければならないの。王様のように遊び大統領のように働くとはまさにこの事よね)


(それほどでもないとは思うけど、まぁキャパの問題かしらね。もう少し視野を広く持ちなさいってことよ)


(ホラ、そうやってすぐ大人は問題を矮小化するから、世の中から戦争や貧困がなくならないのよ)


(いや、全然関係なくない?)


(目下あたしの心配事は明日の三教科をどう乗り越え、赤点を回避するかにあるのだけど)


(ちっさいわー、その問題。めちゃくちゃちっさいわ)


(いやいや、わかってないよ鞠さん。バタフライ効果って知ってる?)


(風が吹けば桶屋が儲かるって奴でしょ、知ってるわよ)


(なにそれ、全然違うよ! いい、よく聴くのよ? 北京で羽ばたくはずの蝶が羽化できなければ、そもそもニューヨークで嵐も起こらないばかりか、バミューダトライアングルの伝説すら消えてなくなるのよ)


(なにがどうなったらそこに繋がるのか是非知りたいわ。朱莉ちゃんのアタマの中はカオスね)


(そう、鞠さん、正解よ。カオス理論よ。初期条件のわずかな違いが後の現象に大きく関わるわけね――――つまり、あたしが明日受けるテストの結果如何で、世界は滅びるかもしれないってコト)


(ほう?)


(……だから)


(だから?)


(だから鞠さん、明日のテストを手伝って)


(朱莉ちゃん……別に世界が滅んでもかまわないわよ、私は)


(くそ……このひとでなし)


(はいはい、人ならざる者はまず、世界滅亡の元凶である朱莉ちゃんを滅ぼそうかしら)


(――――けち)


 なんだかんだと言いながらも、この鞠との軽妙な会話のやりとりが朱莉は好きだ。だてに三年も共にしてきてはいない。


 建物の隙間から昇り始めた、赤く濁った月をみつめて、自宅への帰路のネオン街を通り抜けてゆく。


 朱莉の生まれ育った与鶴市の下町は、駅を中心とした歓楽街に隣接しており、けして綺麗とは言えない町並みと上品とは言えない人々によって、戦後から脈々と形作られてきていた。


 昔ながらの商店や、飲食街は無論のこと、怪しげな宗教施設の本部、薄暗い露天などが軒を連ねる路地や、埃の被った古道具屋、蔦が這う今にも崩れそうなアパート、一体誰が買うのだろうかと思うような珍妙な衣服を並べる衣料店、落書きだらけの地下のライブハウス、タバコの煙でむせかえる雀荘はもちろんのこと、ヤのつく自由業の事務所がひっそり佇む商業ビルの二階に構えているような、雑多で活気のある街である。


 そして、この地方最大規模の風俗街があるのも与鶴市の一方の顔であり、その手の好事家の間では、都市の規模が大きい隣の笠鷺市よりも名が知れているといった体である。


 そのため、「にいさん。ねぇ、おにーさん! おっぱい、いっぱい、ちょっと遊んでいかない? 」などと声をかけてくる、スーツ姿の輩がそこいらを徘徊している風景も日常である。


 こんな風景に朱莉は慣れっこであるからして、おのずと耳年増にもなる。そしてそんな朱莉にも誘いの声が掛けられる。


「そこの君、少し僕に……つきあってくれないか」背後からこの世の者とは思えない非現実的なイケメン声が背中を叩く。


 しかし朱莉はゆっくりと振り返ると「キモい声出すなよ」と睨み付ける。


 そこには、整った顔を、忌み物に触れるかのようにゆがめる若い男の姿があった。


「げっ、あかり……」朱莉の顔を見て絶句した男の名は前島春夫。


 朱莉よりも頭一つ長身で、小顔の頭髪は短く刈ってアッシュグレイに染めており、黒にほど近い紫色のスーツに、藍色シャツ、ノーネクタイ。あきらかにビジネスマンとは言えない風貌は、一見すればホストである。


「誰彼と声かけてんじゃないわよ、んだそれ? またぞろ女騙して金むしろうってか?」


「ばっ……何いってんだよ! ウチは健全な店だよっ」


「はン、どうだか? それにあんたそういうの似合わないって」とせせら笑う朱莉の視線をさりげなく躱すのは、幼なじみ故の後ろめたさだろうか。


「おっ、まえこそ、そんなキンパツしてるから、すっかり同輩かと思っちまったじゃネェか」


 朱莉の二つ年上の前島春夫とは家もほど近く、幼稚園、小学校、中学校とを同じくしており、当然彼の過去の素性はすべてお見通しである。最近このあたりの風俗店グループに就職したという話も耳にしていた。


「ハッ、冗談。あたしは転身してマジメぇーに学校行って勉強してるから、ハルちゃんみたいにはならないよ」


「その金髪で偉そうに言えるほどかよ」


実は前島春夫はホストではない。ホストクラブよりもソフトなイメージで、ターゲット女性の年齢層を低く設定した、酒類を置かない『イケメンカフェ』のキャストである。


 ちょうどサブカル向きの男性達にもてはやされた、メイドカフェの対極にある業態であるといっていいだろう。


 よく見てみれば春夫もやや街を歩くには奇抜で奇妙で奇特な言動をしている。そう、例えるならアニメの世界から飛び出してきたキャラクターのような。


 この分野の需要と供給は日々増産されてきているらしく、春夫のようなキャストは同僚やライバル店に負けじと技術やサービスを研鑽し、ファンを増やすためにボイストレーニングや作法をみっちり勉強しているという。


 だが幼い頃から彼を知る朱莉の前では、彼の演技も瓦解せざるをえない。


「俺は忙しいんだ、お前なんかに構ってらんね。――それから、そのハルちゃんって呼ぶのやめろ、ゲストが聴いてたらどうするんだ」


「へぇ?」


「おおよ。馴染みのよしみだ、特別にくれてやらぁ」


 春夫は懐から出した革のケースから、名刺を一枚取り出して朱莉に渡した。


「ふ、ん。なに? ああ源氏名ってやつ…………阿仁雨大空あにめだいすきぃ? なにあんた、ぴったりじゃん!)


「ちっがうわ! 阿仁雨大空あにゅうすかいだっ!」


「ぷーくす、キラキラネーム、おつー! 読めねー! それ人の名前か?」


「お前の読み方の方がよっぽど変だよっ! ホレ、仕事の邪魔、子供はうちに帰れ」


 朱莉が言うように春夫は筋金入りのアニメオタクである。彼が今のようになったのも、そもそもは無理矢理友人に誘われ、高校でデビューしたコスプレイベントがきっかけだった。さほど社交的な性格ではなかったが、容姿だけはずば抜けて端麗だったせいで、あちこちのイベントで散々もてはやされ、挙げ句アニメにド嵌まりし、今の器に収まったということだ。


 しかしながら、どうやら今の彼の選択は間違っていなかったらしく、業界では期待のホープとして、押しも押されぬ人気を獲得しているようである。店の前に掲示されているナンバーズに、“SKY”の名がしっかり食い込んでいる。


「いいか? これから大空に羽ばたこうとしてる俺のことは、あにゅーさん、もしくは、すかいくんと呼べよ?」


 そう言って背を向ける春夫の背中に、朱莉は一寸取り残されるような寂しさを――全く感じなかったが――すかいくーん、というキラキラの宝石をまとったような女性の甘い声に押されて、朱莉はその場から退散せざるを得なかった。


(ふふ、ハルちゃんも、ずいぶん男の色香色が出てきたわねぇ)


「まっ、悪い訳ではないけどね。アレはアレで一つの生き方っていうか――稼いできてくれて助かってるって前島のおばさんも言ってたしな。んんー」


 空になったカフェラテの容器を手でくしゃりと潰し、片手をあげ思い切り伸びをする。「まぁ、テストはなんとか頑張るよ……っと」


「たーだいまー」と、玄関の引き戸を開いて、雑にスニーカーを脱ぎ捨てる。


 今の疲労具合からしてシャワーを浴びて、ご飯を食べたら髪を染め戻して、そっこーベッドイン間違いなし。自分でも容易に予測がついた。


 今日は潔く寝て、明日の朝早起きして――成功する可能性は極々低いが――それに賭けるしかない、と朱莉は心に決めた。


(いい? 鞠さん。しばらくあたしに干渉しないでよ!)


(はいはい、わかりました。じゃあ頑張ってねぇええ)

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